goo blog サービス終了のお知らせ 

いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

 因果必然の法則の実感  

2011-12-02 16:30:27 | 因果必然の法則

 因果必然の法則の実感                          

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対

 因果必然の法則の実感

○ヒトの生き方の原理の再確認
 ヒトの生き方の原理は、「潜在意識/無意識の活用法」、「求めよ、さらば与えられん」の原理、「引き寄せの法則」などの名前でも知らせているものです。これしかありません。
 ヒトの生き方の原理を一言で言うと、原因=結果の因果関係が常に必ず自動的かつ必然的に成立する因果必然の自然法則に則って生きることです。
 因果必然の法則がこの世界を唯一・絶対・普遍的に不変・不動的に支配しているのです。
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の生死も生き方も支配しているのです。誰も何者も、因果必然の法則から逃れることは出来ません。

○因果必然の自然法則の構造の再確認
 因果必然の法則とは、「1、Ω神またはヒト(宇宙大では宇宙人一般。広い意味では生物一般)による原因設定→2、原因設定されたことを自動的かつ必然的に即座に引き受けて原因設定されたとおりのものを造り出す/作り出す、即ち、原因=結果の関係に必ずなるようにする、因果必然の法則(潜在意識/無意識の法則など別名あり)の自動的かつ必然的な発動→3、原因設定したとおりに因果必然的に現象・結果の発生」の1、2、3三点一体不可分の自然法則がある、という意味です。
 この三点必然的一体不可分の関係を決してバラバラに関係の無いものにしてはなりません。
 
○因果必然的自然法則の働きを実感する
 因果必然の法則が宇宙大で常に働いていることを前提に考えると、現状は過去に自分が原因設定したことが因果必然の大理法(注記1)に自動的かつ必然的に取り上げられて大理法の善因=善果/悪因=悪果の働きが行なわれたことの総決算の結果であることが明確になります。
 現状を造り出したのは過去の因果必然の創造主である神(または、Ω神の化身・分身のヒト。以下同じ)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きに則った自分の原因設定をした因果必然の結果です。これ以外の何ものでもありません。
 これ以外の原因、例えば運とか偶然とか誰か他人の所為や社会・政治体制やアメリカ帝国主義などの所為ではありません。
 このことを確認し現状を改めてしっかり受け止めて味わうのです。
 待っていれば、自分にも大金持ちになったり分単位で仕事をこなす売れっ子芸能人の幸運が転がり込んできたりすねことなど先ず有り得ないのです。幸運は自分自身の為に自ら原因をつくったもの以外には既製品の幸運など何処も無いのです。
 他人が持ち込んでくる上手い儲け話は、予め自分が自覚的に意図的に原因設定した覚えがないのならば要注意です。
 創造主であるΩ神は自分の心で思い描いた通りの世界を確実に造ってその通りに体験したように、ヒトは自分の人生体験の創造主として、自分もなりたいものがあれば創造主である神がしたようになりたいものを思い描けば良いわけです。
 現状が不満足な結果、不満足な現状ならば、これと格闘するのは無意味です。
 直ちに満足のいく結果をもたらす原因設定を新しくすれば済みます。

○現状確認-ーーーしみじみとした感慨
 現状結果、身体の健康状態、例えば身の回りの体験、持ち物や成し遂げたことなどを確認すると、現状は私が過去に意識的に或いは無意識的に原因設定したことが大理法/自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに因果必然的に取り上げられて実現した/顕現した結果であると思うと、何とも言えない気持ちになります。
 そして、とにかく現状は受け入れてより満足の出来る結果をもたらす原因設定をしなけれれば・・・と思います。

○原因設定は複数の選択肢の中から自由に主体的に選んだときこそ慶びも満足度も高い
 俗にいう(サンデル教授の)「白熱教室」の討論の中で、原因設定は複数の選択肢の中から自由に主体的に選んだときこそ慶びも満足度も高い、という心理実験があると紹介されていした。

○野生生物は自ら進んでリスキーな選択をしてしかも動物園に飼われているものよりもはるかに長生きする
 野生生物は自分が生きる道を選ぶ原因設定をするとき、よりリスクの高い道を選択する傾向があることが分かっているそうです。
 それでもなお、動物園に飼われて天敵から守られ生活が保障されているものよりも倍も寿命が長い。→同上の『白熱教室』から

○私達の場合は・・・・・・
 私達の日常経験でも失敗するかもしれないリスクが大きい選択は、成功するとリターも大きい、ということがあります。
 しかし、日常生活の私達は、出来るだけリスクを避け、安全パイを選択します。
 成功した過去の先例に従って、それが過去には知られていなかったけれども確実な手段・方法に基づく計画でも「過去に成功した実例がない。この意味でリスクは無限大だ。国民の税金を使って仕事をする我々には冒険は許されていない。失敗したら自分の経歴にも傷がつく。」という決まり文句でリスクを避けます。
 本当の所は、この人たちは物事を成功的にやり遂げる方法があることを知らないのです。
 原因設定→因果必然の法則の働き→結果の発生の間にある一体不可分の関係を未だ知らず、原因設定した通りの結果が得られる因果必然の法則の存在を知らないのです。
 「この世で百パーセント確実に物事をやり遂げる手段・方法など有り得ない」と知ったかぶりをするヒトがいます。
 しかし、この世の創造主である神は、因果必然の自然法則+エネルギーと体不可分でこれがかのうであることを今この瞬間にも証明しつつあります。例えば、多剤耐性菌アシネトバクター。

○因果必然の法則は過去を先例にしたり過去の延長線上に今解決すべき問題を考えるのではない
 先例に従い、過去の成功にのみ囚われていたら、この世界の進歩も無かった。
 天然自然の創造主である神の存在さへ否定するヒト(宇宙大では宇宙人一般)存在を許す世界は誕生しなかった。
 創造主である神は、常に冒険し続けているのです。
 そもそも、自然法則+エネルギー一体不可分の働き/潜在意識/無意識の法則の属性は、俗に言う、生物の本能のように常に特定の行動の方を繰り返すだけのものではなかつたのです。
 原因=結果の因果必然の法則を素直に生きていると推測できる野生生物は過去に囚われた安全パイは選択しないのでしょう。
 この結果、カッコウに托卵される鶯はいわゆる本能行動の決まりきった型をいつまでも機械的に繰り返すことをせず、自らと托卵を防ぐ工夫をする選択の自由を持てるのです。

○Ω神はいつも積極的で前向きで自他肯定的でリスキー・・・・・
 Ω神はいつも積極的で前向きで自他肯定的でリスキーで、絶対に絶望しない存在です。


○注記1 理法、大法という名前
 理法、大理法という名前は、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き、潜在意識/無意識(の心)と同じ意味です。
 この他の言い方たでは、大生命力、宇宙の主観の大精神などと言います。
注記1の終わり


 例により、誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


物事はある日突然に出来るようになる

2010-05-11 02:29:19 | 因果必然の法則
 物事はある日突然に出来るようになる

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                     


○この文の目的
 この文では、それまでいつ出来るようになるのか全く五里霧中だったことが、ある日突然に出来るようになる現象があることを指摘して、この日が突然に訪れるまで地道に努力する必要性について述べます。

○未来を変えるアフリカ新世代 チーター世代
 5月10日放送のNHKのテレビ番組クローズアップ現代で、「未来を変えるアフリカ新世代」という話をしていました。
 これに先立つ先日のNHK特番でも、このことを伝える番組がありました。
 これまでアフリカの外から多額の経済援助を受けながら、自助自立が出来ないでいたアフリカで、内戦等で難民化し、逃れた先の欧米や日本で勉強し、最新の企業経営技術や科学技術を学んだ20代~30代の男女が、アフリカを自らの力で自助自立した社会にしようと活動を始めて、この効果が出つつある、という話です。

 ガーナの経済学者、ジョージ・アイッティ氏は、彼らを地上最速の動物チーターにたとえて、「チーター世代」と言います。
 これまで、アフリカの中で多額の経済援助を受けながら上手く自助自立できなかったのは、政治指導者が腐敗していて、多額の経済援助を私利私欲のために使ってしまうことが行なわれてきたからだというのが、いわば定説です。彼らもこう考えていると知りました。
 これは、アフリカの悪しき文化的な伝統、と言っても良いようなものだ、と私は理解してきました。
 これをアフリカ人が自ら克服するのは、一般法則論が普及するまでは殆ど絶望的、とさへ私は思ってきました。
 しかし、アフリカの文化的な伝統の外にある日本や欧米の文化の中で学んだ若者たちが、学んだことを活用して、天然資源を自ら支配し活用してアフリカ人のためのアフリカを目指し、アフリカ人の経済的、精神的な自立を、WIN&WINの関係、Happy&Happyの関係で部族間の融和をもたらしながら実現しようとしている訳です。
 彼らは、目先の障害を物ともせずに、「困難を乗り越えてこそ結果が得られる」、「やれば出来る!」、「夢は叶う」という事を口に出して言い、これを信念にしています。
 これは、Ω神が定めたヒトの生き方の原理に適っています。
 自助自立して生きるつもりなど更々なく、憲法25条を持ち出して、国家が自分達の文化的な生活を実現する責任があるし、これを要求する特権が自分たちにはある、という人たちとは、アフリカのチーター世代の若者たちは「人間としての出来具合」の良さが違います。

○突然に可能になる
 アフリカのチーター世代の活躍。
 このような話は、十年前には聞く事が出来ませんでした。
 五年前でも、これは聞く事が出来ませんでした。
 しかし、今、突然にこのような嬉しい話を聞く事ができるようになったわけです。
 この例のように、何かが突然に可能になる、という話を聞く事があります。
 これも、アフリカをアフリカ人のための物にしたいという長年の祈りがあってこそ、実現できたことだということができます。
 Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中では、運や偶然に基づいて起こることはありません。
 個人史と人類史の中では、Ω神が望んだことと、ヒトが(時と場合によっては間違って)望んだこと以外のことは、起こらないのですから。

 なお、番組のタイトルは、「未来を変える? アフリカ新世代」ですが、彼らは必ずアフリカの未来を変えると私は確信するので、「?」は取りました。

○個人的な体験
 個人的な体験の例でいえば・・・。
 この文を書いているパソコンが壊れて修理に出すときに、買ったときからこのパソコンから一度も取り外したことの無い付属の電池を外す必要に迫られてこれをしたときには、中々外せなくて、壊れるかも知れないと思いながら、力ずくで強引にしたものです。
 修理が終わって返って来たこのパソコンに電池を取り付けるときにも、これにもたつきました。
 しかし、この電池を外すときには、突然に、1、2、3の3動作でいとも簡単に外すことができました。
 電池をパソコンから外すために、力ずくやもたつきが全くありませんでした。 
 この体験の後、多少とも力ずくでやっていたこの他の幾つかのことが、嘘みたいに、いとも簡単にできるようになりました。

○実現に時間が掛かるように見えること 富士山に登る例で考える
 実現を望んでいるとが、中々実現しない。
 それでも、実現を諦めないでいると、ある日、突然にそれが実現する。
 こういう体験をします。
 なぜ、こうなるのでしょうか?
 この答えは、比喩的に言うと、富士山に登ろうと決意したヒトの場合を考えてみると良いでしょう。
 富士山に登る。
 こう決意したヒトは、そのときに皆、富士山の麓にいるのでなくて、それぞれが現に居る所で、それぞれの事情を抱えています。
 ある人は、バスで富士山の五合目まで登ってきて、ここで帰るつもりだったのに、そこで上を見上げて、富士山の山頂まで足を延ばそうと決意したのかも知れません。
 同じ日本国内に居ても、富士山に登ると決意したときに、富士山とは遠い沖縄や北海道に住んでいるヒトがいます。
 富士山の麓にいても、例えば仕事が立て込んでいて、直ぐには登れないヒトもいるでしょう。
 一緒に富士山に登ろうと誘いを掛けた連れが、中々煮え切らなくて、その返事待ちで時間が掛かっているという事もあるかも知れません。
 新宿でホームレス状態なので、まず最初に旅行費用の工面をしなければならないヒトもいるでしょう。
 日本国外にいて、話に聞いて知っているだけの富士山に登ろうと決意したヒトの場合、富士山に関する情報集めから始める必要があるでしょう。
 この結果、富士山の山頂に立つまでに、それぞれのヒトの異なる人生ドラマを生きる必要があることになります。
 これが、現象として、即座の実現を望んでいるのに、現実には実現に時間が掛かる、ということになる理由です。

○決意すれば何でも起こる
 決意すれば何でも起こる。
 これは、作家の阿刀田 高氏の言葉。
 Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中では、これは絶対的な真理です。
 富士山に登ると決意したのならば、これをこの後取り消さない限り、必ず実現します。
 また、一度決意したことは、自然法則+エネルギー一体不可分の働きに任せておけば、この全知全能の力で必ず実現できる、と予め分かっているからこそ、安心して決意ができるわけです。

○自民族の文化・文明的な習慣や伝統で可能なことと不可能なこと  余談
 自国の/自民族の/自部族の文化・文明的な習慣や伝統では、考えもつかず、出来ないことがあるものです。
 チーター世代は、欧米や日本の文化の中で学んで、それまでアフリカの文化・文明には無かったヒトの在り方や生き方を学んだわけです。
 それでも、ヒトの生き方の原理を全人類総掛かりで探してきたのですから、アフリカの人たちが、欧米や日本から学んでも良いわけです。
 いわゆる近代化ということに関して、日本民族は欧米の文化・文明を知ると自発的にこれが自然にできました。
 しかし、儒教という政治権力を握れば何でもできるという文化・文明を築いてきた隣国には、これが自力では出来なかったわけです。

 こういうことは、個人的にも起こります。
 「人の振り見てわが振り直せ」と言います。
 「人生で出会う人、全て我が師」という言葉を座右の銘にしている人たちがいます。
 こういう言葉を知らず、自己の主義・主張絶対の人たちもいますが・・・。

○まとめ
 実現を祈った事がある日突然になることを確信して、事が今にも成りそうな変化が目先には見えなくても諦めないことについて、一言説明しました。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。 

システムを理解して物にするだけでは駄目  質問に答える

2009-07-11 02:05:52 | 因果必然の法則
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境     (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ      (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
空の世界     妄想の世界
Ω神= 〔A→  ∥Z→    (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→ (M )))))∥〕 Ω=神の国
  ∥  創造神  ↑      Ω神の 天然自然  物的   俗・人・子・文歴  記憶
 霊的      M     理法  の世界   Ω人   人・生・孫・化史  ↓
 心的     ^(記憶)                           Z→→→→→Z
存在のΩ人 

○頂いた質問ーーーー因果必然の法則の起源の文に頂いたもの
 要はシステムさえ理解すれば>なんでもできるってことですか?
 たとえば柔道で有名になりたいならば柔道の勝ちかたのシステムを理解せよと

○質問に答える
 柔道の勝ちかたのシステムをどんなによく理解し、技だけを幾ら鍛えても、それだけでは勝てるようにはなりません。
 このことを、このブログの中では繰り返し説明しています。
 たとえば、無になった猫の話。もう3年以上も前の話。
 そもそも何が柔道の勝ち方のシステムかは自明ではありません。
 テレビやパソコンではすでに出来あがっているものを買ってくれば、テレビやパソコンを自分で作る方法を知らなくてもすみます。
 しかし、柔道を始め、スポーツ全般や芸道等では、修行して自分で名人上手の方法を見つけることでしか名人上手にはなれません。
 
 何事をするにも、心技体を一体不可分で鍛えなければなりません。
 囲碁の藤沢名人も、その道を究めた人たちが異口同音に言うように、人格を磨くことの必要性と大切さを説いています。
 一言でいえば、人間の出来をよくしないと、その道の名人・上手として永く君臨することは難しいのです。

 ラニー・バッシャムのメンタルマネージメントでは、勝てるか負けるかを決めるのは、その人のセルフイメージだと言います。
 どんなに腕を磨いて技を極めても、その人のセルフイメージが適切でないと実際の試合には勝てないことを、バッシャム氏は発見したのです。

 また、実際の勝負では、俗に言う「運」を味方にしなければ勝てません。
 これは、「柔道の勝ちかたのシステムを理解」する以上のことです。
 一般法則論では、運を良くするには、潜在意識の法則の活用法で、Ω神が造っている世界Ⅰー世界Ⅶからなるこの世界全体の仕組みを丸ごと活用する必要がある、と説明しています。

 柔道で有名になりたいならば、現実には、柔道の世界選手権で優勝したのでは駄目で、オリンピックで優勝しなければならないのです。

 あなたの質問にたいする答えになりましたか?

 このブログの主

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


追記 2009/07/11 23:17
 6月20日に載せた「対豪州戦に負けた現実を乗り越えて」の中で次のように書きました。

 「17日のNHKのサッカーの試合の生中継放送では、豪州戦の前半が終わった後、後半戦が始まる前に、予選で日本チームが得点した全ゴールをまとめて放送しました。
 これをみると、どのゴールも、入るべくしてその通りに正しく入っています。
 見ていてとても気持ちが良いものでした。
 即ち、『現実は厳しい』ことも、正しい原理に基づいた正しいやり方(システム)に正しく則れば、このように自然に自動的かつ必然的に巧く行くことを、改めて確認できた、と思いました。
 これを見て、何事も、『成功するまでもう何度でも挑戦してやるぞ!』という新たな決意をしたものです。」

 この文の中で、「正しい原理に基づいた正しいやり方(システム)に正しく則れば、このように自然に自動的かつ必然的に巧く行くことを、改めて確認できた、と思いました。」の部分は、頂いた質問、即ち「要はシステムさえ理解すれば>なんでもできるってことですか? たとえば柔道で有名になりたいならば柔道の勝ちかたのシステムを理解せよと 」に対応していますね。
 しかし、ご質問に対するより正確な説明の仕方は、この文の本文に述べた通りです。
 勝つ為には、正しい原理に基づいた正しいやり方(システム)に正しく則るのはもちろん、セルフイメージの適切さや潜在意識の活用法がつかえること、これに加えて、もちろん正しいやり方に基づいた練習の積み重ねが必要です。
   以上

自然法則の因果必然性の起源

2009-07-10 23:21:04 | 因果必然の法則
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境     (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ      (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
空の世界     妄想の世界
Ω神= 〔A→  ∥Z→    (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→ (M )))))∥〕 Ω=神の国
  ∥  創造神  ↑      Ω神の 天然自然  物的   俗・人・子・文歴  記憶
 霊的      M     理法  の世界   Ω人   人・生・孫・化史  ↓
 心的     ^(記憶)                           Z→→→→→Z
存在のΩ人


○この文の目的 自然法則の因果必然性の起源について説明する
 2009年6月15日に「自然法則は因果必然の法則で確率的偶然で働く法則ではない」という文を、ここに載せました。
 そのときに書き残した「自然法則の因果必然性の起源」について追加説明をします。
 同じ言葉を繰り返しますが、この文の冒頭にも掲げてある一般法則論の世界観の図解を前提にして、以下の話をしています。
 一般法則論の世界観の中における自然法則の位置づけは、以下の通りです。
①創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在のΩ神の内
②Ω神による天地創造が実際に始まってから世界Ⅲ(自然法則+エネルギー一体不可分の働き)として
③世界Ⅲで実際に働き出した自然法則の支配は、世界Ⅶ(+Z)まで、全てのヒトに絶対的に普遍的に不変的に等しく、絶対的に普遍的に客観的に及んでいる

○自然法則の持つ因果必然の働きの起源とその実際
 自然法則は、元々世界ⅠにΩ神と共にあって、Ω神の天地創造の意図/目的を実現するために存在しています(注記1)。
 自然法則は、Ω神の天地創造の意図/目的を実現する為に、正にこの為に存在する、「天地創造の原理」です。
 つまり、Ω神の天地創造の意図/目的を原因とし、この意図/目的を実際に形あるもの(天地創造の意図/目的が因果必然的に実現した結果)にするのが、自然法則の役割です。
 なお、Ω神による天地創造の意図/目的が自然法則の働きにより因果必然的に実現した結果とは、世界Ⅳ(天然自然の世界)~世界Ⅶ(ヒト/生物が生きた記憶)からなる(物質的)世界の成り立ちと仕組みのことです。
 この中で特に、Ω神の天地創造の目的であるΩ神の化身かつ分身のヒトが世界Ⅴで誕生し、世界Ⅵから実際にヒトが生きること(個人史と人類史)が始まったときです。
 これを図式的に簡略化して表記すれば、次のようになります。

 原因(設定)→原因を結果に因果必然的に変換する自然法則の働き→結果の因果必然的な発生

 ここに、自然法則の持つ因果必然の法則性の起源があります。

○自然法則の因果必然の法則性の真の起源
 より正確に考察すれば、自然法則が因果必然の法則であるのは、Ω神が創造主である神であることに真の起源があります。
 Ω神は、単にいわゆる「神」としてこの世に存在しているのではありません。
 Ω神は、Ω神自身の生得的/本質的な属性として、絶対的無意識の存在のΩ神自らの化身かつ分身の存在の(自らの生き方を自由に主体的に選び決める機能がある)「意識のある心」を持つヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)を無限に造り出して、その一人ひとりになって様々に生まれ、様々に生きることを試し、遊び楽しみ、喜びたい! という意図を持っています。
 即ち、Ω神の本質は、元々から、ヒトとヒトの住む世界の「創造主である神」なのです。
 神が最初に存在していて、この神が何かの切っ掛けに急に思い立って天地創造を意図して創造主である神になる、ということではなくて・・・。
 そこで、創造主である神であるΩ神の意図を実現するために存在する自然法則は、Ω神の天地創造の意図/目的を絶対的に実現する因果必然の法則という属性を自動的かつ必然的に持つ訳です。
 ここに、自然法則の持つ因果必然の法則性の真の起源があります。

○因果必然の自然の法則の役割はΩ神の意図を実現すること
 因果必然の自然の法則の元々の役割はΩ神の意図を実現することです。
 言い換えると、因果必然の法則としての自然法則は、原因を結果に変換する役割を持っています。
 自然法則が持つ「原因を結果に変換する役割」とは、「Ω神が実現を意図し原因設定した通りの結果を必ず出す」という意味です。

○自然法則は「Ω神が実現を意図し原因設定した通りの結果を必ず出す」
 自然法則は「Ω神が実現を意図し原因設定した通りの結果を必ず出す」という意味は以下の①や②のようなことは絶対に無い! ということです。
 つまり、自然法則はΩ神と離れてこれ自体で独立した独自の主体的で自由な存在で、Ω神には原理的に従わない、という自然法則の原理は無い、ということです。
 自然法則は、Ω神の意図/命令に常に必ず絶対的に無条件で無留保で即座に従って働く、ということです。これ以外の働き方は自然法則には絶対的に出来ない、ということです。
 自然法則のこのような属性を物理学では、「慣性の法則」性と呼びます。

①自然法則がΩ神の意図/原因設定を無視し或いは拒否し或いは否定して、Ω神の意図/原因設定とは異なる原因設定を自分で独自に勝手に行って働く
②自然法則自身が持つ(と間違って考えているヒトの主張にしたがって)確率的偶然の法則に従って、自然法則はΩ神の意図する結果を実現したりしなかったりすることが出来る独自の主体的自由さを持って働く

○神社等で神様に祈るとき・・・
 神社で神様(自然法則+エネルギー一体不可分の働きと置き換えることができます)に祈るとき、願いを叶えてくれる神様は気まぐれで或いは気難しい存在で、願いを叶えてくれたりくれなかったりすると思いながら祈っておられる方が少なくないかもしれませんね。
 神様側から言えば、真相は、全てのヒトの願いを無条件で無留保で即座に全部叶えるつもりで神様はヒトの祈りを常に必ず真剣に全力で聴いています。
 ただし、多くの人達の祈りは、願いを切に実現したいという真剣さに欠け、神様に正しく祈る原理的仕組みも知らないで神様には祈りが実際には届かないいい加減な祈り方をしているのです。

○Ω神の天地創造の道具としての自然法則
 自然法則は、その存在の最初からΩ神の天地創造の為の道具です。
 自然法則が、もしこれ自体で主体的に自由に勝手に或いは偶然に気まぐれに働き行動することができるようでは、Ω神が意図し思う通りの世界を創造することができなくなってしまいます。
 しかし、自然法則は、元々創造主である神であるΩ神と一体不可分の存在です。
 そして、自然法則は、Ω神の天地創造の意図をその通りに忠実に正確に精密に確実に間違いなく絶対的に実現する為に存在しているものです。
 このお陰で、私達が生きているこの世界が正常に存在し得ているのです。
 このことをよく理解する必要があります。

○自然法則は「原因=結果」の関係を客観的に絶対的に決めている
 端的に言えば、原因=結果/原因即結果の関係を決めているのが自然法則だ、ということです。こうだ! とΩ神の所から/最初から決まっている、ということです。
 即ち、原因と結果の間の関係は未確定で、因果法則がその時々で勝手に決めることになっているとか、原因と結果の間の関係はヒトが習慣的に決めている(英国の哲学者ヒューム)のではありません。
 自然法則は、「原因=結果」の関係を客観的に絶対的に決めているのです(注記2)。

○世界Ⅳ~世界Ⅵの世界の中での原因=結果の間の因果必然的な厳密な関係の理解
 世界Ⅳ~世界Ⅵの世界の中では、ある特定の原因設定とこれが自動的かつ必然的にもたらす特定の結果の間には、客観的に絶対的に一義的/一意的に明確で確定的な因果必然的な厳密な関係があります(注記3)。
 このことがよく分かってないと、「テレビを買って、これを自転車の代わりにして通勤・通学に使えないか」式の発想や「自転車をテレビとして使えないのは、テレビを買えない人々に対する不当な差別だ!」と息巻く式のことをすることになります。
 テレビはテレビ番組を視聴するためのシステムで、自転車ではないし、テレビの原理的仕組みにより作られたテレビは自転車としては使えないのです。
 例えば「賽は投げられた」ならば、この結果は、その投げられた「賽」が普通の正六面体のサイコロならば、1から6の内のどれかの一つ数字に自動的かつ必然的に決まってしまいます。これが因果必然の法則の役割です(注記4)。
 世界Ⅳ~世界Ⅵの世界の中では必ず----
 南に向かって歩き出したら、同時にこれ以外の方向には歩き出せないのです。
 「犬が西向きゃ、尾は東」に自動的かつ必然的になるのです。
 しかし、世の中には、「いや、そんなことはない。出る目は1から6の内のどれかの一つ数字に決まっているのではなくて、これ以外の無限の可能性が常にある!」と言い張る人達がいます。こう言い張る人は決して稀ではありません。中には因果必然の法則に則らない自分独自の方法があると言い張る人もいます。
 「事実は小説よりも奇なり」といいます。しかし、いわゆる奇跡のような奇なることも、世界Ⅰ~世界Ⅶで出来ているこの世界の成り立ちと仕組みの中では、因果必然の自然法則の支配に絶対的に従っていますし、この外には絶対的に出ることは出来ないのです。

○原因=結果の因果必然的な法則の厳密な支配を知らない裁判官が実在する・・・
 「サイコロで出る目は1から6の内のどれかの一つ数字に決まっているのではなくて、これ以外の無限の可能性が常にある!」と言い張る人達がいます。
 刑事裁判の場で、このような主張を持つ裁判官が相手だと、被告人の弁護士が幾ら被告人にはアリバイがあるという客観的な証拠を集めてきても、しかし、それでもなお、「被告人は犯人である可能性が残っている!」と証拠も無しに言い張って、「やはり被告人は犯人だという判断を変更する理由にはならない」と言う裁判官が現実にいるようです(注記5)。

○世界Ⅳ~世界Ⅵの世界における因果必然の法則の支配の絶対的普遍性
 Ω神による天地創造が始まって造られた世界Ⅳ~世界Ⅵの世界は、これを造った因果必然の自然の法則が絶対的に普遍的に支配しています。
 この中で、因果必然の法則の支配を無知と不勉強から無視した発想に基づいて「常に無限の可能性がある式」の考え方をする人達は因果必然の法則の支配の意味を知らないないのです。
 繰り返して確認しますが、私達が実際に生きている世界Ⅳ~世界Ⅵの物質的な世界の中では、因果必然の関係を決めている自然法則の支配は絶対的です。
 なぜならば、世界Ⅳ~世Ⅵの世界は因果必然の法則である自然法則(+エネルギー一体不可分)の働きで全て造られているからです。
 私達が実際に生きている世界Ⅳ~世界Ⅵの物質的な世界の中では、もし「賽は投げられた」ならば、この瞬間に出る目は、因果必然の法則である自然法則+エネルギー一体不可分の働きにより1~6の間のどれかに自動的かつ必然的決まってしまいます。これ以外は原理的に有り得ないのです。
 この事実/理から離れて、例えばサイコロの目の出方を考えるのは間違いです。
 この理を未だ理解できずにいる人達が、しかし、世の中には普通にいます。
 市井の人々の哲学力を速やかに高める必要があります。

○因果必然の法則のリセットの仕方  全世界を超越する世界Ⅰへ
 私達が実際に生きている世界Ⅳ~世界Ⅵの物質的な世界の中では、因果必然の理を持つ自然法則の支配は絶対的だと言いました。
 しかし、これを時にはリセットしたくなります。
 この時にはどうするのか?
 自然法則+エネルギー一体不可分の働き=因果必然の法則の支配を超越しリセットすることができるのは、因果必然の法則を常に絶対的に超越して存在する世界ⅠのΩ神と一つ同じ立場に立って新しく発想する方法しかありません。
 言い換えると、因果必然的に、テレビはテレビであり自転車は自転車があり続けるしか選択の余地の無い世界Ⅳ~世界Ⅵの世界の中で(こうだからこそテレビ番組を見るために安心してテレビ受信機を買って使うことができます)、因果必然の法則の支配を否定し、これをリセットして、例えばテレビをその儘で自転車として使える物にすることはできません。

○大阪のパチンコ店での放火殺人事件
 因果必然の法則が絶対的に普遍的に支配している世界Ⅳ~世界Ⅵの世界の中で、因果必然の法則の支配を否定し、これをリセットすることは、したくてもできません。
 これを無理にしようとすれば、又も大阪のパチンコ店で起こってしまった、自らの人生をリセットする積もりだという無差別殺人事件のようなことになります。
 この方の場合、本当は、全てのヒトの創造主である神である世界ⅠにいるΩ神の所に戻り、Ω神と一つになって、ヒトの生き方の原理をハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に頼ることでした。これを使うのは、他人に一切迷惑を掛けず、他人を頼りにしないで、自分一人の中で全てをすることができました。
 こういう事件を根絶させるには、ヒトには生き方の原理があり、これをハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法があることを社会全体で共有する知識にすることを妨げている唯物論者による社会の支配を一刻でも早く止めさせるしかありません。

○自然法則の因果必然の法則として働き方の実際
 自然法則が因果必然の法則として働き、「原因設定された通りの結果を出す」ことは、自然法則+エネルギー一体不可分の「自然法則の働き方の原理」によって行われます。
 「因果必然の法則としての自然法則の働き方の原理」は、この内に「同一原因=同一結果の原理」(同一構造=同一結果の原理)を論理必然的に/自動的かつ必然的に含んでいます。
 具体的に言うと、例えばΩ神が「太陽を造る」ことを意図したら、自然法則の働きにより自動的かつ必然的に「太陽を造る原理的仕組み」に則って、「太陽が出来上がる」ということです。
 太陽が、Ω神自らの化身かつ分身のヒトを造るに変わっても話は同じです。
 そこで、ここには、「同一原因=同一結果の原理」が厳密に成り立つ必要があることになります。
 そして、実際この通りになっています。
 なお、「自然法則の働き方の原理」と「同一原因=同一結果の原理」の詳しい説明は別の文にします。

○この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解する原理の再確認
 ここでの話の大前提になっていることを再確認すると、この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解する原理は-----
 私達が生まれ住んでいるこの世界を認識し理解する原理は、創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の働きで造られているヒトの心の働きで、同じく創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを認識し理解することです。

○まとめ
 この文では、自然法則の持つ因果必然の法則性の起源とこの意味について簡単に説明しました。

○注記1 「自然法則は、元々世界ⅠにΩ神と共にあって----」
 これを、「Ω神は、創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在」とここでは表記しています。
 注記1の終わり

○注記2 自然法則の働き方は何でも有りではない
 自然法則は、「原因=結果」になる関係を客観的に絶対的に決めています。
 この意味は、例えば手元にある食材を順列組合せ式に組み合わせて作った全ての料理が実際に美味しく食べられることには絶対的にならない、ということです。
 遺伝子組替え技術を使えば、遺伝子同士の順列組合せ式で何でも造り出せる訳には行かない、ということです。
 なぜ、このような制限/制約がこの世にはあるのか?
 この答えは、世界Ⅰ~世界Ⅶからなるこの世界の成り立ちと仕組みの全体でただ一つの調和のある秩序の中で、実際に存在し得るものと存在し得ないものとを、自然法則が、遡ればΩ神が予め絶対的に決めているからです。
 何が倫理道徳に正しい/正当かに関してもこの話は当て嵌まります。
 具体的には、自然法則が決めている「それをそれにする原理的仕組み」が存在しているかどうかです。
 発明という観点では、「それをそれにする原理的仕組み」を発見或いは発明ができるか? です。
 注記2の終わり

○注記3 
 但し、例えばお湯を沸かす方法には常に複数の原理的仕組みがあり、かつ、一つ同じ原理的仕組みに基づいているシステムでもその実際の性能は異なる(例えば製造メーカーが異なる瞬間湯沸器の基本性能の違い)ものです。
 この意味では、原因と結果の間は、1対1対応ではありません。
 注記3の終わり

○注記4 大数の法則
 正六面体のサイコロを振ると、出る目は1から6の内のどれかの一つ数字に自動的かつ必然的に決まってしまいます。
 この場合、どの目が出るかは、「確率的偶然の法則が支配している」と言う人がいます。
 しかし、どの目が出るのかを決めている自然法則は、サイコロ自体も造っている自然法則であり、また、自然法則はサイコロの特定の目/数字だけを愛し好むということも一切ありません。
 この結果は、自然法則はサイコロの全ての面を等しく認めますから、1から6までの全ての目を等しく出すことになります。
 しかし、現実に存在するサイコロは正しく正六面体に作られてはいなかったりします。
 また、サイコロを振る振り方が毎回同じではないことも普通にあります(同一原因=同一結果の原理を満たせない)。
 この結果は、何か特定の目が確率的に出易いことになります。
 しかし、それでも、何千回、何万回もサイコロを振ると、各目か出る確率は等しく1/6つづになるように無限に近づきます。
 これを大数の法則というのはあなたもご存じの通りです。
 注記4の終わり

○注記5 変な裁判官がいる!
 弁護士が集めて来た証拠を総合判断すれば、被告人のアリバイは成立している、と判断するのが常識/良識と思われるのに、この証拠を無視して、裁判官が証拠も無く勝手に想定した場合を持ち出して、まだ被告人が真犯人の可能性が残っていると言い張る例を知りました。
 証拠裁判主義+証拠の採用は裁判官の自由裁量主義の下で、世界Ⅳ~世界Ⅵ(+世界Ⅶ)の世界での因果必然の法則の絶対的支配を認めないと、こういうことになります。
 この下地には、日本では、検察官によって起訴される事件の99・9%までが実際にその通りに被告人を真犯人とする有罪事件であり、この結果、残り0・1%の事件も検察官が起訴した通りに被告人を真犯人とする有罪事件に違いない! と多くの裁判官が間違って思い込んでしまうことがあるのだそうです。
 裁判官の間違った思い込みは、鐘の音を何度も聞かされると、やがてこれに慣れてしまって、新しい鐘の音がしてもこれを無視し無反応になってしまう素人の坐禅愛好家の話を思い起こさせます。
 私達は、何度鐘の音を聞かされてもそれに決して慣れることがなく、鐘の音を聞く度毎に鋭く反応する能力を持つ禅僧のように成る為に坐禅の修行をする訳には行きません。
 そこで、今ここで私が説明しているようなことを理屈で理解して、修行を積んだ禅僧の境地に一歩でも近づくことができるようにしなければならない、ということでしょうか(注記6)。
 この話の出所は、テレビ朝日 ?ザ・スクープ 裁判員制度の発足に合わせた今年の5月~6月頃の放送。
 蛇足ながら、番組を担当されている長野智子キャスターは相変わらずお美しい。
 注記5の終わり

○注記6 厳しさが全く足らない私達の日常生活
 6月9日のNHKのテレビ番組「クローズアップ現代」で、囲碁の藤沢秀行名人が主唱する非常に厳しい指導で知られていた秀行塾(しゅうこうじゅく)を取り上げていました。
 この番組の中で、藤沢名人が病気で亡くなられる前にベッドの上で筆を握る手の力も弱くなった中で書いた文字は、「強烈な努力」であったことを知りました。
 囲碁の世界だけでなく、スポーツや伝統的な芸道の世界でも、厳しい修行に耐え得る者しか物になりません。
 しかし私達の日常生活の中では、何をするのでも、深く考え実際に試してその良さを確かめて選んで決めたのでは無い、そのとき、その場の思いつ程度の自己流で押し通しています。
 これに対して「もっと真面目に真剣にやれ!」などと下手に忠告しようものならば、「私の人格が否定された!」/「私の人権が侵害された!」と言い、更にこれを聞いて、「人格の否定や人権侵害は断固許さない!」と息巻く人達が現れたりします。
 しかし、私達は全て、プロとアマチュア/素人の区別が一切無く、ただ一つの世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる世界に無条件で無留保で否応無しに絶対的に全面的に向き合いこの中で生きています(なお、このことを私が自覚的な知識にしたのは、小学校4年生頃のある日、一人で遊んでいるときでした)。

 藤沢名人は、そのとき、その場の思いつき程度の手やその場凌ぎの逃げの手を打つ弟子を厳しい言葉で叱りつけていました。
 同時に、相手がたとえ中学生でも、またそれが定石から外れた手でも、本人がよく考えて打った手(藤沢名人ともなればこれを直ちに見抜ける訳です)は、大いに褒めこそすれ決して叱らなかったそうです。
 これにはとてもとてもとても感銘を受けました。
 Ω神が全て造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中で実際に現実に生きるとは、正にこういうことだからです。

 だから、もう何をするのでも、それなりの厳しさを持って臨む必要があるものです。
 その道を究めようとしている人達から「爪の垢」でも頂いて煎じて飲んで学ぶことは沢山あります。
 念のために申し上げますが、「爪の垢」でも頂くというのはあくまで物の譬えです。
 その道を究めようと励んでおられる方に、「煎じて服用したいのであなたの爪の垢を下さい」などと言ったら、気味悪るがられるのは必定です。
 注記6の終わり

例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

シミュレーテッドリアリティ(ウイキペディア)に関する書き込み

2008-02-23 02:22:30 | 因果必然の法則
 シミュレーテッドリアリティ(ウイキペディア)に関する書き込み有難うございます。
 パソコンの画面で読むと何を言っているのか分からなくて、印字して、紙の上で読み始めたところです。

○現地と地図の関係を誤解している話のようです
 最初の数行を読んで、これは、現地(現実の世界)と現地を表す地図(シミュレーション)との関係の話だ、と思いました。
 しかも、現地と地図とを混同し(一般意味論では抽象のレベルの混同と言います)、更に悪いことに、「地図は常に現地の一部分しか地図化していない」という現地と地図の間にある、現地の地図化における原理的かつ基本的な事実を知らない人が、コンピューターを使えば、地図の上で現地そのもの以上のことが分かるし、地図上の人格存在も造れる式の、現実には最初からありもしない問題を自分で勝手にでっち上げて論じる、トンでも説のようです。

○一般意味論の忠告を受け入れるべきだ
 私たちの日常生活の中で実際に起こっている話をしますと、現地と地図とを混同し、更に、現地そのものよりも地図の方を現地そのもの=現実そのもの、という錯覚をしているのが、もう常態になっています。
 これに早く気がつけ、と一般意味論では言います。
 しかし、シミュレーテッドリアリティを論じている人は、未だ一般意味論の忠告に従ってはいないようです。
 ウイキペディアのこの項目で列挙している文献には、一般意味論の本がありません、荘子のことはのっていますが。

○コンピューターを使えば現実世界の何でも模擬実験して分かるという妄想
 この例のように、コンピューターを使うと何でも分かってしまうという素朴なコンピューター信仰をしている別の例は、複雑系におけるコンピューター・シミュレーション。

○一つの因果必然の法則が働く結果には限界がある→量子化されている世界
 この世界は、自然法則と言う因果必然の法則の支配下にあります。
 因果必然の法則は、因果の法則が及ぶ範囲・限界が常に予め決まっています(→量子化されている世界)。
 現実に、こうなっていなくては困ります。

 例えば、一つのコップの水に塩や砂糖が無限大に溶けることは無いことは、現実世界では誰にでも直ぐに分かります。
 しかし、これをコンピューターのシミュレーションの世界に移すと、塩や砂糖が一つのコップの水に無限大に溶ける、という妄想を作り出します。
 複雑系の本に良く書いてある、「北京で蝶が羽ばたけばこの影響がニューヨークで嵐をもたらすことになる」というトンでも説はその実例。

○ラプラスの悪魔の間違い
 この世界を因果必然の法則が支配していると知ったラプラスも、最初に何か一つ原因設定すれば、この後は因果必然の連鎖が続くと思い込んで、こうならば、この因果必然の連鎖に則って無限大の未来まで因果法則的に予測できる筈だ、と言いました(ラプラスの悪魔)。
 もちろん、こういうことは、因果法則の働き方の原理(→量子化されている世界)により、原理的に出来ません。

○そもそもこの世界の成り立ちと仕組みを知らないし知ろうとしてない
 ここでの話が根本的に間違っているのは、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みについて、全く知らないし、こういうことを考えたことがないことでしょう。

○西洋哲学でいう根本原理としての創造主である神
 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き。
 もちろん、ここで言う創造主である神とは、西洋哲学的な意味で、この世界の成り立ちと仕組みを造った根本原理としての創造主である神の意味です。
 一般法則論で論じている創造主である神も、この哲学的な意味の創造主である神です。
○一般法則論は、根本原理としての創造主である神を論じている
 西洋哲学的な意味で、この世界の成り立ちと仕組みを造った根本原理としての創造主である神の存在証明をした上で、この世界の成り立ちと仕組みは、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られてい。、という一般法則論の説明の仕方。
 ここを外すと、一般法則論の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界が造られている、という話が分からなくなります。

 例により、誤記等を発見次第訂正します。

 

「求めよ。さらば与えられん。」に関する説明の訂正

2007-12-24 13:11:27 | 因果必然の法則
○「求めよ。さらば、与えられん。」の説明に関する訂正。
 「求めよ。さらば、与えられん。」について、これまでつぎの様に説明をして来ました。
 求めよ=原因設定をせよ。
 そうすれば、因果必然の法則の働きで、自動的かつ必然的に、求めた通りの結果が、
 与えられん。

 この説明の仕方は間違っていました。
 このことに、今から三時間ほど余り前に気がつきました。
 そこで、朝食などが済んで準備が整ったので、これを以下のように正しく訂正します。
○「求めよ。さらば、与えられん。」に関する正しい説明
 求めよ=実現したい目標を決めよ。
 そうすれば、その目標を自動的かつ必然的に実現する原因=結果の因果必然の法則=創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き=無意識の法則=潜在意識の法則が、自動的かつ必然的にその目標の実現を引き受けて、その目標を実現するのに相応しい原理的な仕組みを選んで、この原理的な仕組みを核にして造られるシステムの働きによって、その目標が、自動的かつ必然的に実現/達成されることになる。

○それをする動機は目標設定ではない
 私たちは、よくそれをした動機が何であったかを問います。
 そして、良い動機で、良い事をしたときにのみ、それは正しく良いことをしたのだ、と言います。

 しかし、現実には、その動機は何であれ、また、その直接の行動目的・行動目標が何であっても、実際にしたことと、この結果何がもたらされたかの方が大事です。
 そして、その結果が人類にとって文化・文明的な進歩をもたらしたのならば、そのしたことは善い事だったのです。
 ここが、人類史の面白いところ。

 具体例。
 大東亜戦争(太平洋戦争)の初期、日本軍は石油資源の確保のためにアジアに侵攻しました。
 同時に、アジアを白人の植民地支配から解放する、という宣伝もしました。

 これによって何が実際に起こったか?
 アジアを白人が植民地支配していた構造を、その後修復不可能にしてしまうほど徹底的に破壊してしまうことになりました。
 このあとは、あなたもご存知のように、アジアだけでなく、アフリカでも白人の植民地支配を終らせる歴史的な大変化が一気に進んだのでした。

 これについて、その当時の日本は、植民地解放を直接の動機と目的にして、植民地解放軍として行動したのではないから、植民地解放は、日本軍の行動とは一切関係なく、それ独自に起こったことだと言い張る左翼の人たちがいます。
 でも、少なくとも、左翼の人たちが、植民地解放をしたのではないことは、事実でしょう。
 何も切っ掛けも原因もなく、ことが起こるなんて、ありえません。
 植民地解放でも、話は同じです。

 ピサロによる南米の文化の破壊は、別の例。

 ひとます、この項目をしめます。

 誤記等の訂正があれば、気が付き次第行ないます。

 まずは、取り急ぎ、書き込みをします。

追記
 既に番組は始まっていますが、NHKBS11で、「中国・小学生選挙」を観ます。
        以上



 
 

因果必然の法則を巡る問題を解く観点

2006-02-14 17:13:23 | 因果必然の法則
○やってみて分かることがある
 何事も、実際にやって見て初めて分かることがあります。
 本番前に色々とテストを繰り返して、バグ取りをしたりして完璧に仕上げた筈なのに、
本番になってみると、未だバグが残っていたり、完全性に欠けていることが分かって来る
ものです。
 ある考えを人に話した時にも、この事が起こります。
 ある牧師さんは、教会の日曜礼拝の信者の前で説教の後にいつももっと良い説教の仕方
があったと知ると言います。そこで、信者には、もっと良い説教を聞きたかったら、説教
の後に私の所へ来て、もう一度説教を聞いて下さい、と言っているとか。
 ここに、文を掲載した後にも、こういうことが起こります。
 前文を掲載した直後から、原因=結果の因果必然の法則の起源とその性質と働きの実際
について、最初から纏めて説明する必要を強く感じました。
 インターネットで、原因=結果の因果必然の法則を巡る哲学的議論を知って、この感を
更に強くしました。
 一般法則論では、何でも、創造主である神+自然法則+エネルギーの3つの基本概念で
事を単純化して説明します。
 それでも、原因=結果の因果必然の法則について論ずべき点は幾つもあります。
 それを、以下に思いつく儘に列挙してみました。
 どれも、言葉を尽くして説明するとなると、自然に長文になります。
 これを短く話して、一度でご理解頂く方法が無いか、試行錯誤中です。

○原因=結果の因果必然の法則に付いて説明が必要な諸点
 ・ 創造主である神による天地万物の創造───この世界の始まり
 ・ 創造主である神が意図する世界史と人類史(地上に神の国を実現すること)
 ・ 因果法則これ自体の起源(創造主である神の天地創造の為の道具)
  ・ 因果法則の持つ客観的かつ普遍的かつ絶対的な役割と性質の起源
  ・ 因果必然性の性質の起源
  ・ 因果法則は確率的な偶然で働くのではない
 ・ 原因=結果の因果必然の法則の成り立ちと仕組み(世界の構造的な秩序付け)
 ・ いわゆる複雑系(構造物複合体/複合システム)
 ・ 因果法則と絶対時間の矢(自然法則とエネルギーとの関係・時間の起源)
 ・ 一つの原因=結果の因果必然の法則の働きが及ぶ範囲(量子化)とこの意味
 ・ 同一原因(同一構造)=同一結果の原理とこれを土台に成り立つ秩序
 ・ 原因設定と結果の発生の間の時間的・空間的隔たり(意味のある偶然の一致等)
 ・ 全体でただ一つの法則で造られる全体でただ一つの世界(生態学)
 ・ 世界の立体的な秩序と人の地位(全ての存在が対等で平等の平の世界ではない)
 ・ 世界秩序/存在の秩序維持の力としての自己組織化(ガイア仮説/自然治癒力)
 ・ 因果必然の法則(決定論)と自由意思との関係(禅で言う「空」の原理の話)
 ・ いわゆる奇跡・超能力と因果法則との整合性
 ・ 因果法則の発見の方法(試行錯誤/科学的方法/一般法則論/アフォーダンス)
 ・ 因果の法則について無知と誤解が生じた原因(因果関係の錯誤とでっち上げ)
 ・ 因果必然の法則を実際に利用するための知識とノウハウ
 ・この他

  まずは、問題提起。





原因=結果の因果必然の法則を巡る問題

2006-01-28 22:05:25 | 因果必然の法則
原因=結果の因果必然の法則を巡る問題
 ここでの主題は、原因=結果の因果必然の法則です。

・この文の位置
・原因=結果の因果必然の法則が支配している世界に住む
・原因=結果の因果必然の法則を知る必要がある
・因果必然の法則の存在とその働きは人類にとって自明ではない
・全ての知識は最初は無意識/潜在意識内の知識・情報に留まっている
・無知の儘に生まれてくる
・無意識的には生まれながらに既に全て知っている
・無意識の情報の意識化が必要不可欠
・遺伝か環境か後天的知識か
・遺伝的=生得的知識に基づく生きる力
・自然治癒力
・ヨガの行者の例
・環境から来る知識/情報に基づく人の生きる能力
 次の文へ


○この文の位置
 この文は、「この世界を知るための原理(存在論+認識論)」の追加文の中の「豚を豚
にする自然の仕組み」の次の場所に挿入されるものです。
 「豚を豚にする自然の仕組み」の中では、創造主である神+自然法則+エネルギー一体
不可分の働きの中で、豚という存在が、「思えば叶う」/「求めよ。さらば与えられん」
の唯心論的原理を土台にして、自然法則、即ち因果必然の法則に則って創造される過程に
ついて、簡単に説明しました(ついでに、この世界が、量子力学的意味で量子化される仕
組み/量子化の原理についても簡単に説明しました)。
 そこで、原因=結果の因果必然の法則について、もう少し掘り下げた説明をします。
 自然法則これ自体の役割とその性質や働き等については、もっと詳しい説明をしなけれ
ばなりませんが、これは後ほどします。

 原因=結果の因果必然の法則として働く自然法則が、創造主である神の天地創造の原理
として、万人にとって、それ自体で客観的にかつ唯一絶対的にかつ普遍に存在する、不変
の法則であることについて説明すると文が長くなります。で、この点は、ここでは既に自
明のことにして、話を以下の事に絞ります。

 ここでは、自然法則の基本的な役割である、原因=結果の因果必然の法則としての働き
が、私たちの日常生活の中で、実際にどう働いているのかについて、その一部分を取り上
げて考察します(ここで取り上げて無いのは例えば同一原因=同一結果の原理や共振・共
鳴・共感の原理等)。
 最初に、この世界の成り立ちと仕組みの再確認という原理的な話から。
 なお、くどい位に何度も確認しますが、一般法則論、ここでの話は全て、創造主である
神+自然法則+エネルギーの存在一体不可分の働きで、人とこの世界の成り立ちと仕組み
が全て造られている、という事実から発想しています。

○原因=結果の因果必然の法則が支配している世界に住む
 私たちが生きているこの世界は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の
存在の働きで全て造られています。
 この世界の中で、自然法則が、最初に天地創造の原理として、原因=結果の因果必然の
法則の働きをします。これは、今も人が何かの人工物を作り出すときにも働く、自然法則
の基本となる働き方の原理です。

 他人のすることをそっくり真似することが役に立つようにしてくれる自然法則的原理で
ある、同一原因(=同一構造)=同一結果の原理は、因果必然の自然法則の働きを土台に
しています。

 そこで、私達がこの世界の中で生きる上で、否応なしに原因=結果の因果必然の法則に
係わる必要があります。
 この意味で、私達と原因=結果の因果必然の法則とは切っても切り離せない深い関係に
あります。
 これは、ご存知の方には、もう常識に属する話。
 しかし、この常識が無い人も、未だ少なくはありません。

○原因=結果の因果必然の法則を知る必要がある
 私達の全てが、原因=結果の因果必然の法則が支配している世界に住んでいます。
 従って、因果必然の法則ついて、自覚化された、それも万人で一つに共有し得る客観的
かつ正確な知識と理解を持ち、これを土台にして、自覚的に意図的に、因果必然の法則の
働きを主体的に自由に制御して使える技術を持つことは、万人/人類にとって、生存上必
要不可欠な事柄です。この筈です。
 そこで、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在の働きで造られてい
るこの世界の中で、とても重要な働きをしている因果必然の法則について学ぶことは、誰
にとっても/如何なる民族/如何なる政府にとっても必須のことになります。

○因果必然の法則の存在とその働きは人類にとっては自明ではない
 知識とは、一般法則論の理解では、創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組
みにその究極の根拠がある知識/情報という意味です。
 問題は、他の知識と同じで、原因=結果の因果必然の法則の存在と働きは、誰にとって
も、この世界に生まれて来ると同時に自明の知識になるのでは無いことです。
 何かの現象、例えば火が燃えているのを見て、人は誰でも自動的かつ必然的にそこに直
ちに原因=結果の因果必然の法則の働きを発見する訳ではない、ということです。

○全ての知識は最初は無意識/潜在意識内の知識・情報に留まっている
 因果必然の法則だけでなく全ての知識・情報は、意識化され自覚化された知識になる前
の状態は、未だ無意識/潜在意識内の知識・情報に留まっていることになります。
 特に、大脳が発達して、いわゆる本能的/生得的な行動=紋切り型の行動を捨てて、行
動の選択の自由度が無限大に広がった人類においては、これは顕著です。

○無知の儘に生まれてくる
 一言で言えば、人は、自己という存在を含めて自分が一生涯住むこの世界の成り立ちと
仕組みについて、無知の儘、即ち、意識化された自覚的な知識なしに生まれてきます。
 という意味は、生まれて来る人は一切何も知らない「白紙の心」の状態で生まれてくる
という意味ではありません。
 この主張の根拠は、次の説明の通り。

○無意識的には生まれながらに既に全てを知っている
 この世界も人とその心も、創造主である神+自然法則+エネルギーの存在一体不可分の
働きで全て造られています。これに例外はありません。これが一般法則論の理解です。
 そこで、原理的=因果必然的に、人はこの世に生まれて来た時から、(創造主である神
+自然法則+エネルギーで出来ている)無意識/潜在意識的には、既に創造主である神の
存在を含めてこの世界の全てを知っています。
 これは、人の持つ知識の源に関するとても大事な見方です。

○無意識の情報の意識化が必要不可欠
 無意識的には生まれながらに既に全てを知っていることも、意識化自覚化された知識に
することが必要です。これによって初めて、その知識を自覚的に意図的に使えるようにな
ります。
 しかし、この点に関してはもう少し詳しく見る必要があります。これを次にします。

○遺伝か環境か後天的知識か
 自分自身と自分が生きている世界に関する知識は、生きる為の土台になるものです。
 例えば自分が必要とする物がある場所への道筋が分かる地図(知識)は、この例。
 この知識を、人はどのような形で手に入れるかに関して、以下の5つを区別することが
できます。これによって、「無意識の意識化の原理」に則りながら、それに相応しいやり
方について自覚化し意図的になれます。
 また、例えば母親になった女性に育児本能があるがないかの議論を科学的にすることに
役立ちます。
 1 遺伝的=生得的な知識
 2 環境から来る知識/情報(刷り込みとアフォーダンス)
 3 後天的に学習する知識(癖・生活習慣・文化・文明)
 4 いわゆる悟りの体験でのみ知り得る知識
 5 悟りの知識未満のいわゆる魔境からの知識(煩悩と迷いとも言われます)

 悟りの体験でのみ知り得る知識については、ここで一般法則論の形で説明をしています
ので、ここでは特に説明をしません。
 悟りの知識未満のいわゆる魔境からの知識(煩悩/迷い)は、人の持つ知識の全てを覆
い尽して、人を迷わせ間違った行動をさせる原因になる知識です。しかし、これは、文を
別にして説明をします。
 なお、以上の2つから得られる知識は、3の後天的に学習する知識とも重なります。

 ここでは、残りの1と2と3のことについてのみ取り上げて説明をします。
 この中で、環境から来る知識は遺伝的知識を、また、後天的知識は遺伝的知識と環境か
ら来る知識を土台/前提にして初めて成り立ち使えるものになります。
 しかし、この3つのことについては、今では科学的な知識として広く一般に知られてい
るものですし、詳しいことはインターネットを使える環境では自分で調べることができま
す。そこで、ここでは、ここでの話に必要なことだけを、簡単に説明します。

○遺伝的=生得的知識に基づく生きる能力
 遺伝的能力───生まれながら知っているし知らなくても出来る行動を決めている、生
得的な本能的能力。
 科学的に既に確かめれている人の生得的な能力の具体例は────
 生命維持に直接関係する例えば呼吸とか神経系の働き。
 また、見たり、聞いたり、感じたり、話したり、考えたり、記憶したり、好奇心を持っ
て特定の事柄に注目し集中したり、推理し判断したり、更には学習したりする心の基本的
な能力も生まれながらに人は持っています。
 また、自然治癒力/自己回復力も、生得的な知識に基づく遺伝的な能力の例。
 これらは、人が創造主である神の化身/分身として存在し生きるのに必要不可欠な基本
的な心身の仕組みとこれを動かすソフトウエア(プログラム)からなるものです。
 これらに関する知識は、人にとって無意識/潜在意識にある知識の典型です。
 例えば、食べた物がどう消化されて心身の活動のエネルギーになったり、体の組織を造
るのかについて、無意識の支配下にあって意識化され自覚化された知識が一切なくても、
人に生得的に備わった諸々の仕組みが自動的かつ必然的にこれをやってくれます。
 コンピューターでいえば、コンピューターの原理的仕組みを基にして作られているコン
ピューターとしての仕組みそのもののと、これを動かす基本ソフトウエアーとしてのOS
に当たるもの。

○自然治癒力
 なお、自然治癒力は、「それをそれにする原理的仕組み」を基にして働く自己組織化の
力。創造主である神が造った「神の国」=自然世界を、本来それがあるべき姿に維持し纏
めるための力で、人の心身のみならず、「神の国」=自然世界の全てを貫いて働いている
自然の力のことです。

○ヨガの行者の例
 胃腸の働きは、無意識の支配下にあって、この働きを意識化し、更に自覚的に意図的に
制御するのは、私達の常識では不可能です。
 しかし、例えばヨガの行者の中には、無意識の支配下にある胃腸の働きを、自覚的に意
図的に制御することができる人がいるようです。
 例えば、口から飲み込んだ糸の先端を肛門から出して、口と肛門の間でこの糸が繋がっ
ていることを見せることなど。

○環境から来る知識/情報に基づく人の生きる能力
 環境から来る知識/情報。そして、これに基づく人の生きる能力。
 このことに関して、筆者が知っていることは、2つあります。
 この他に、あなたがご存じのことがあるかも知れません。
 1 動物行動学でいう「刷り込み」等の遺伝的行動の型と解発刺激との組合せ
 2 アフォーダンス ジェームズ・キブソンが発見した「生態学的認識論」
 どちらも、遺伝的能力+環境からの知識(情報)/刺激で働きます。

 次に、刷り込みとアフォーダンスを、別の文に分けて説明します。