いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

ブックマークの利用について

2007-01-19 23:27:01 | 一般法則論
 ブックマーク/リンクについて

 このブログの左下部分にある「ブックマーク」欄に、このブログに関係のあるホームページとブログを参照出来るようにしました。
 このブログの中で説明を省略していることについて、これらのものを参照して頂けると有り難く思います。

 このブログで説明している一般法則論は、筆者である私が、日本国という超一級の文明国に生まれて、ご皇室の存在を含めてその優れた精神文化を吸収し、古今東西の宗教、哲学、思想、また自然科学を含めたこれまでの学問の成果に容易に接して、子供の時から学ぶことができたことの上に成り立っている、と自覚しています。


私たちが住んでいるこの世界がこの世界の全て

2007-01-04 16:34:35 | この世界の成り立ちと仕組み
 私たちが生きているこの世界の外には、如何なる意味でも、別の世界は存在しない。
 このことについて、確認しておきます。

○既に存在している世界
 この世界は、私たちが、この世界の存在について、認識し、その成り立ちや仕組み等についてあれこれ言う前に、既にそれ自体で、この世界の唯一絶対普遍かつ不変かつ至高の存在の創造主である神様一人(+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)の勝手で、その成り立ちも仕組みも全て決められて造られて存在している世界です。

○この世界の外には何も無い
 言い換えると、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の外側には、何も存在して無い訳です。
 この世界の全てのことが、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の内側に全てある訳です。

○この世界の中で神の支配が及ばない所は一切ない
 以上の話を言い換えるとーーーー、
 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きの支配が全く及ばない部分は、この世界の中の何処にも無いことになります。

 念のために確認をしました。

神の存在証明を敢えてすることの利益

2007-01-01 03:33:58 | 神の存在証明
神の存在証明を敢えてする目的と利益

○一般法則論式神の存在証明は神自らにその存在証明をさせる方法
 一般法則論では、創造主である神に自らの存在証明をさせる形で、神の存在証明をしています。
 言い換えると、一般法則論では、創造主である神自らに神とは何かの情報を自己開示して頂く形の存在証明が、唯一正当な神の存在証明の仕方だ、という主張をしています。

○神の存在証明に反対する信仰者達の無知
 一般法則論では、神の存在証明を、天然自然に自らの成り立ちと仕組みを語らせる自然科学と一つ同じ方法論に則ってしています。

 しかし、神の実在を既に信じていると言う、宗教信仰をしている人達から、今更神の存在証明をする必要が無いし、そもそも神の存在を人間が証明しようとするのは尊大な考え方で、認め受け入れることは出来ない! とお叱り受けます。
 一見すると、こう主張される信仰者の方々は、神の前にとても謙虚な方々とお見受けします。
 しかし、本当にそうでしょうか?

 また、神の存在は感じるもので、証明するしないの対象では無い、という御指摘もありました。
 しかし、神の存在は、人がただ感じる儘の物にしておいて良いのかは別の問題です。
 創造主である神は確かに実在しますし、単に感じる存在以上の役割を果たしてくれる存在だからです。

 中には、人には神の存在証明など原理的に絶対できないと言わんばかりの主張をする方がいます。

 これらの方々は、一般法則論でやっているような、神自らに自らの存在証明をさせる方法があることや、これは自然科学の方法論と一つ同じであることを、全く御存知ではないのです。
 いまどき、天然自然の世界の成り立ちと仕組みを科学的に明らかにすることに反対の人達は居ないでしょう。
 これの延長線上にある、自然科学的な方法による神の存在証明も、反対される理由は無い筈です。

 また、全ての人(宇宙大で言えば宇宙人一般)が創造主である神の化身/分身に、創造主である神自らによって直接造られている事について未だ無知で、創造主である神の化身/分身の人には、自分の創造主である神を知り、その存在を証明することが出来る生得的な能力があることを、宗教信仰者の殆ど全ての人達が、全く御存知ではないのです。

 また、創造主である神が自らの心身を、天地創造の原理に則って自己展開する形で造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中に、創造主である神自らが自らの存在証明をする仕組みを組み込んでいる事について、宗教信仰者の殆ど全ての人達が、全く無知なのです。

 もしも、その信仰通りに神が実在しているものならば、むしろこの存在の証明が、一義的/一意的に明確に確定的にかつ客観的に絶対的に宇宙大で普遍的にできた方が良い筈です。これによって失われる物は何もない筈です。

 神の存在証明に反対する方々は、そもそも自然科学の方法論が、科学者が天然自然の世界を観察して、天然自然の世界の成り立ちと仕組みはこうなっている、と勝手に決めているのではなくて、天然自然の世界を色々の方法で観察し観測して、天然自然自らがその秘密を明らかにして来るのを記録しているだけだ、ということを御存知ではないのです。
 こうであることの自覚もない儘に、神の存在証明などいらないし、出来ない、と言っていると理解できます。

○宗教という文化に無知な人々による敵意のある反対
 そもそも宗教という人類の文化に自らが全く無知蒙昧であることや、原因=結果の因果必然の自然法則の存在とその働きに無知であることを棚に上げて、神の存在証明など要らないし、これを自分の前では絶対にさせない! と息巻いている方々も多数おられます。

 この方々の主張によれば────
 科学的な知識を人類のもっと常識にすれば、宗教信仰などという迷信は地上から一掃されるし、この結果、人類を困らせている宗教絡みの多くの問題が自動的かつ必然的に解決される、という訳です。
 これを政治的な主張にして、憲法の政教分離の原則をもっと徹底させよとか、戦死者等を慰霊する靖国神社を無くせとか非宗教化せよとか、宗教には一切関係のない別の施設を作ってそこで慰霊せよ! などと言います。
 死後の世界の存在を自分の頭で真剣に考えても無いどころか、現にこの世に生きている人の存在構造についてさへまともに哲学的な考察をしたことの無い人達が、何をいうか! と言いたいですね。
 つまり、この方々は、その本音は宗教など弾圧してでも地上から一切無くせ! ということをお考えのようです。安易に「臭い物には蓋」で済ませようと言う訳です。

 しかし、一般法則論的な神の存在証明は、自然科学的な自然の成り立ちと仕組みの解明方法の延長線上にあります。
 即ち、自然科学は、この世界、特に物質的な世界の成り立ちと仕組みを、自然法則+エネルギーというたった2つの基本概念だけで解明し説明できることを発見しましたが、しかし、自然法則+エネルギーには「慣性の法則」という名でよく知られている、それ自体で勝手に働いて何かを独自に造り出す力が一切ない性質を自覚的に意図的に意識化すれば、自然法則+エネルギー一体の働きを利用して、この世界を造った存在、即ち創造主である神の存在が必須だと、機械的に、論理必然的に、自動的かつ必然的に言うことができる、と分かります。
 ここに、迷信的なことや、これを説明している筆者の信仰や知識体験や人間的な出来の善し悪し等や恣意的な意図が入り込む余地は少しもかつ何もありません。

 しかし、こんな理屈を知らなくても、以下に列挙したようなことは、全ての人にとって、宇宙大で一義的/一意的に明確に確定的にかつ客観的に、普遍的に、絶対的に、不変的に決められている、という事実/科学的な知識に溢れた現在では常識に属する筈の事実を確認するだけで、事は済む筈です。
 即ち、私たちが生きているこの世界は、この世にこの私の存在が誕生する遙か以前から存在していたし、この世界を造った、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きや、これによって因果必然的に造られたこの世界の成り立ちと仕組みとその秩序がある、という事実を、常識としてしっかりと持つべきです。

・私たちが住むこの宇宙は、自然科学の知識に基づくと、いわゆるビックバン(大爆発)によって137億年前に誕生したこと
・この宇宙が誕生した時にもこれ以前にも、人類は、もちろんあなたや私も未だ誕生していなかったこと
・この世界の成り立ちと仕組みは、ビックバンとこれに続く宇宙の進化に自動的かつ必然的に伴い、創造主である神の存在を含めてその全てが、人類/あなたや私には一切全く相談も了解も無く、それ自体で客観的に絶対的に普遍的に決められ造られたこと

 この通りだと、今、あなたは、本当に認識し、理解していますか?

 しかし、以上説明したことこそが、この世界を知り、人としての生き方の基本原理を知るための大前提になっていることです。
 このことを無視した、如何なる主義主張、宗教、哲学、学問も、その存在を認められるべきではありません。

 前置きが長くなりました。
 神の存在証明をする目的や、これによって得られる利益について、簡単に説明しておきます。
 自覚的に意図的にこうするのが必要であり、役に立つようです。

○神の存在を証明抜きで信じて信仰して方にとっての利益
 神の存在をその存在証明抜きで信じて、神の言葉が書かれている聖典類に基礎を置いた宗教的信仰している方にも、もし神の実在が証明されたら、これに越したことは無い筈です。

○神の存在証明を恐れることはない
 神の存在証明はいらない、と主張される方たちの中には、これによって、神の存在の有無や、神とは何かついて、一義的/一意的に明確に確定的に明らかになるのを恐れている方がおられるのかも知れません。
 実際、こう感じた体験があります。

・神など実在しないと証明される
・自分が信仰している宗教の神は、この世界に存在していないと証明される
・自分が信仰している宗教宗派は、実在している神の存在について間違った見解を持っていて、これに基づいている現在の信仰が、正しい神の存在証明によって否定される

 率直に申し上げると、既存の大部分の宗教とその宗派は、一般法則論の神の存在証明によって、その信仰の在り方を多かれ少なかれ修正し変える必要があります。
 もしこうならば、そして、あなたの信仰が本物指向ならば、正しい神の存在証明によって正しい神の理解に基付いた信仰をすることになるだけですから、何も恐れることは無い筈です。

○宗教信仰上の対立がある時には神の存在証明は必須
 「宗旨の争いは、どちらが負けても仏の恥」という、江戸時代に作られた川柳があると聞きます。
 これは、同じ仏教の中の教派の違いに基づく対立の事を言っています。
 この元を辿れば、仏(=神)とは何か、また、釈迦が説いた教えとは何かの問題に行き着きます。
 この解決には、「臭い物には蓋」式の反応をするのではなくて、創造主である神の存在証明をして、仏(=神)とは何かを徹底的に説明することが最初に必要です。
 こうだと、分かる筈です。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の間にある対立・宗教紛争のように、一つ同じ唯一絶対普遍かつ至高の神を信仰の対象にしながら、その実際はお互いにその存在を認めようとはしていません。
 しかも、この宗教対立は、今、現在、世界人類の存続を脅かすようなものにさへなっています。
 これも、実は、その信仰の対象にしている創造主である神の存在を「信じている」だけで、一義的/一意的に明確に確定的にその創造主である神について存在証明をして、如何なる属性を持つ存在かについて正しくて正確な知識をもっていないための対立と争いだ、と思います。
 そこで、この対立を根本的に解くには、創造主である神の存在を一義的/一意的に明確に確定的に行って、その神の何であるかを明らかにし、この知識に基づいてその信仰の在り方を正しくすることが良いのではないのか、と思います。

○この世界を造っている原理の解明をしている哲学では神の証明は必須
 哲学は、私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みを決めて造っている根源的かつ根本的な原理や法則の存在を明からにしようとするものです。
 そこで、この世界の創造主である神の存在の証明は、哲学的には必須のものである筈です。

 しかし、これまでの哲学的な常識では、哲学は未だ神の存在証明に成功していない、と言って良いでしょう。
 一般法則論的に言えば、これまでの理性に基づく、言い換えると人の無意識の存在とその役割について知らない意識中心の哲学のやり方では、絶対にと言っても良い位、神の存在証明はできません。

 また、この世界が自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られていることを発見した自然科学とこの成果に基づいた科学技術が人類に多大の恩恵をもたらしている事実を一切無視して、「全てを疑って掛かるのが哲学のやり方」と言い張り、自然科学が明らかにした自然法則の存在や、そもそも人類の誕生前にこの世界の仕組みが唯一絶対普遍かつ不変的に造られている事実を一切無視して、哲学者が勝手にでっ上げた法則を持ち出したり、人を強制する法則など無いしあってはならないとまで言い切る方までいるようで、哲学者の尊大さは止まるべき所を知らないことも、正しくは神自らにさせるべき神の存在証明を出来なくしているのでしょう。

 しかし、その真相は、簡単に言えば、神の存在証明の正しい方法を、これまでの哲学は全く知らなかった、ということです。
 正しいやり方の神の存在証明は、人が理性の力や屁理屈を捏ね回してするのではなくて、創造主である神自らにその存在証明をさせることです。
 こうだと分かれば、話はとても簡単になります。
 これは、人類がこれまで到達した最高の世界認識の方法である自然科学の方法と同じであるからです。

 自然科学が天然自然の世界の秘密を明らかにする方法も、言わば天然自然の世界に自らの存在の成り立ちと仕組みを語らせる形で行っているのです。

○自然科学的には自動的かつ必然的に神の存在が証明されてしまう
 一般法則論では、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが持つ「慣性の法則」という性質を元にして、この慣性の法則の意味をよく考えることによって、これを道具に使ってこの世界を創造した存在、即ち、宗教などで一般に言う「創造主である神」の存在を証明しています。

○神の存在を証明する一番の利益は創造主である神の智慧を利用できるようになること
 創造主である神の存在証明をしっかりする一番の利益は、創造主である神の全知全能の智慧を利用できるようになることです。

 例えば、西洋医学的医療の現場では、この世界を造り支配している創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きの内の、人、即ち医者自らの知識と体験に基づいて、自然法則+エネルギー一体不可分の働きのみに偏った治療法を採用している、と言えます。
 この結果は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで元々造られ、これが支配している人の心身を、創造主である神の存在を一切ぬきで治療することになります。
 しかし、創造主である神の存在こそ、実は、いわゆる自然治癒力の一番の根拠であり、これが、唯一、神の存在から出てくるものです。
 しかし、神の存在を迷信でありオカルト的存在として、これを否定するのが、西洋医学的医療です。
 この結果は、いわゆる「不治の病」を自動的かつ必然的に作り出すことです。

 しかし、自然法則+エネルギーの働きに加えて、創造主である神の存在が持つ無限の智慧を認めて、これを利用する、いわゆる代替医療や、神の力を積極的に利用する「神に祈る技術」では、不治の病は原理的に存在し得ません。

 もちろん、神の存在を認めて、これを治療に使う方法は、西洋医学が頼りにしている自然法則+エネルギー一体不可分の働きを利用する方法を否定し拒否するものではありえません。
 この世界の全てのことは、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ていることを認めるからです。

 神の存在を認めて、常に神と二人三脚で生きて、神の無限の智慧を利用することができるようにすることは、日常生活の中でも、とても役立ちます。

 詳しい話しは、人の生き方の基本原理を説明する所でします。

○補足説明 自然の仕組みの解明を実際に妨げる人達がいる
 いまどき、天然自然の世界の成り立ちと仕組みを科学的に明らかにすることに反対の人達は居ないでしょう。
 ───と書いて、こういう方々が実在していることを思い出しました。
 その人達は、一部の政治家と国家の活動予算の配分を事実上決めている官僚達のことです。
 この人達によって、ニュートリノを発見した「スーパーカミオカンデ」が危うく廃止されるところでした。

○理科教育/科学教育に科学基礎論的な知識の積極的な導入を
 今、現在、必ずしも科学哲学/科学基礎論的な知識にしっかりと根拠を置いた理科教育/科学教育が行われている訳ではありません。
 そもそも、これまでの科学哲学/科学基礎論は、一般法則論で説明しているような、自然法則やエネルギーの性質や機能や両者の関係などに関する基本的なことを、自覚的に意図的に説明していません(必ずしも知らない訳ではないのに!)。

 特に、社会人を対象にした科学教育に関しては、こう言うことができます。
 この現状では、市井の人が科学の本質を学び、理解すの機会は殆ど無いと言えます。
 この結果は、科学について無知で、その重要性が分からない人達が、国家の運営や会社の運営に直接関わることがある、と言えます。

 このことについては、今、別の形で正すことを試みようとしています。

 以上。


神の存在証明の方法論の考察 神自らにさせる 二つの方法

2007-01-01 03:08:08 | 神の存在証明
☆○神の存在証明再考 神自らに自らの存在証明をさせる方法
 神の存在を証明する方法について、自覚的に意図的に、その方法論も含めて、考察しておきます。

 インターネット上のフリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)の「神の存在証明」を読むと、これまで行われて来た神の存在証明の仕方が分かります。
 そこで、ここでは「一般法則論」で行っている「神の存在証明」の方法のみを説明します。

○間違った神の存在証明の仕方───人がそれをやる
 神の存在証明は、人が、神とはこれこれの属性や条件を満たす存在である筈だ、と最初に勝手に決めて、これを証明する形で行うのではありません。

○正しい神の存在証明の仕方───神自らにさせる
 神の存在証明は、神自らにそれをさせるものです。
 そして、これが、私たちがこの世界に誕生する前からそれ自体で絶対的に普遍的に客観的に実在しているこの世界の成り立ちと仕組みを大前提として受け入れた人が認める、正しい本当の神の存在証明の仕方です。

○神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中に神自らによる存在証明がある
 創造主である神が自ら直接造った、人の存在を含むこの世界の成り立ちと仕組みが、神自らに自らの存在証明をして頂くことを可能にしています。
 即ち、神がこの世界を自らの心身を天地創造の原理に則って自己展開して造った時に、自らの存在を証明する仕組みを、自らが造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中の一部に既に組み込んであるのです。
 これによって、私たちは、神の存在を苦労して捜し回らなくても、神の実在を容易に知ることができるようになります。

○神による自らの存在証明の仕方は2つ知られている
 神に自らの存在を証明させる実際の方法は、人類史上、既に2つ知られています。
 その何方も、一般法則論が、一義的/一意的に明確に確定的に既に説明しているものです。
 そこで、この2つを簡単に再説明します。

○神自らにその存在を証明させる方法その1 悟りの体験
 神自らに自らの存在を証明させる方法の最初は、人、即ち、この世界の唯一絶対普遍かつ至高の存在の創造主である神が、自らの化身/分身の存在に造ってある人にいわゆる「悟りの体験」をさせる方法です。

○悟りの体験の瞬間に起こっていること───神が人になり、人が神になる
 悟りの体験のその瞬間は、道元禅師も言うように、「仏(神)の側から行われて」、悟りの体験をする人は自らが「神である/仏である」という自覚を自動的かつ必然的に持ちます。
 この体験によって、悟りを得た人は、一義的/一意的に明確に確定的に神/仏とは何かを知り、以後、他の人にも自分の言葉で神/仏とは何かを説明できるようになります。
 筆者の悟りの体験も、正にこの通りでした。
 これは、神が人になり、人が神になって行う、神の存在証明だ、といえます。
 そして、これが、神の存在証明の究極の形であり、その原型だ、と思います。

○神自らによる自己の存在に関する情報の全面的開示を受け取る悟りの体験
 人の悟りの体験とは、神がその中で自らの存在に関する一切の情報を、悟りの体験をする人に自己開示する手段・方法として存在するもの、ということができます。
 悟りの体験をする人は、このときに神自らによるその存在情報の自己開示を受け取る体験をする、ということです。

○悟りの体験=絶対的な無意識の存在の神を意識化し確認し意味付けする体験
 念の為に、以下の事を再確認しておきます。
 悟りの体験の「原理的仕組み」は、意識と無意識という二つの機能の異なる要素で出来ている人の心の構造が大前提になっていて、全ての人の無意識の根底に存在している絶対的な無意識の存在、即ち、創造主である神の存在を、意識化することです。
 これは、日常生活の中で、直観的に「あっ分かった!」というよくある体験の延長線上にあるものです。
 悟りの原理的仕組みとこの実際については、もっと詳しいことを、既にこのブログの中で説明してあります。

○神自らにその存在を証明させる方法その2 自然自らに語らせる
 神の存在証明の2つ目のやり方は、自然科学の方法論に則ったものです。
 この方法は、悟りの体験が無い人でも、この世界そのものが本来的に持っている論理/理屈/理/自然の法則/自然の摂理/自然の道理に則って、創造主である神の存在を知る方法です。
                                     
○自然の世界を解明する自然科学の方法論──自然自らに語らせる
 自然科学は、自然の世界の成り立ちと仕組みを、自然の世界その物を直接観察し観測することによって、いわば「自然自身に自ら語らせる」という方法を採用して解明します。


○自然の仕組みは自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ているという発見
 「自然自身に自ら語らせる」という方法を採用して自然科学が得た成果は────
 自然の世界の成り立ちと仕組みは、自然法則とエネルギーと言うたった2つの基本概念のみで説明できることを発見したことです。
 即ち、自然の世界は、自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られている、という発見です。

○自然法則+エネルギー一体不可分の働きだけではこの世界を造れないという発見
 この自然科学的な成果を、しかし、科学哲学的に/科学基礎論的によく検討すると、自然法則+エネルギー一体不可分の働きだけでは、この世界の存在が今のような形に創造された原因を説明出来ないことが分かります。

○慣性の法則の存在
 ニュートンが発見した以来、自然科学上よく知られている、慣性の法則を、あなたも御存知でしょう。
 この法則は、止まっている物は、これに外から何かの力が加えられない限りいつまでもその儘の状態を保ち、それ自体で勝手に動き出すことは絶対に無い、という現象を支配している法則です。
 反対に、動いている物は、この動きを止める力が外から働かないと、いつまでも動いている状態を続けて、それ自体で勝手にその動きを止めることは絶対に無い、という現象も支配している、一つ同じ「慣性の法則」です。

○何かの仕事をする力=エネルギーの働き
 止まっている物や動いている物に外から加えられる「何かの力」とは、何かの「仕事する力」と物理学上定義されている「エネルギー」のことです。

○エネルギーの本質───創造主である神の心身
 自然科学で、「エネルギー」と呼ばれている物の本質は、一般法則論の理解では、唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神の心身その物を意味します。

○エネルギーの働きは自然法則による制御と秩序付けの下で働く
 実際のエネルギーの働きは、この働き方を、これが働く目的に合わせて制御し、本質的には創造主である神が造ったこの世界の存在物とこれがもたらす諸現象の秩序に調和するように秩序づける、自然法則の働きと一体不可分の関係でのみ働きます。

○自然法則の本質/存在目的は創造主である神の天地創造の原理
 自然法則の本質に関する一般法則論での理解は、創造主である神の唯一絶対普遍かつ至高の天地創造の原理のことです。

○天地創造の原理の自然法則はこの世界に多様な存在とその秩序を造り出す原理
 創造主である神の天地創造の原理である自然法則は、部分部分に分離分割する事が絶対にできない、創造主である神の唯一絶対普遍の身体=ただ一つの存在のエネルギーを素材に使って、多種多様な存在物や現象を造り出し、その多様な秩序を制御している唯一絶対普遍の原理だ、ということです。

 このことを、アインシュタインのいわゆる物質とエネルギーとは一つ同じものであることを明らかにした、次の公式を使って、説明すると、次のようになります。

①E=MC2
エネルギーは、M=物質の質量(存在物一般/現象一般)×毎秒約30万キロメートルの不変の速度で進む光のエネルギー×毎秒約30万キロメートルの不変の速度で進む光のエネルギーの積に等しい。
②M=E÷Cの二乗
 ②が意味することを比喩的にイメージしてみるとーーーー、
 毎秒約30万キロメートルの不変の速度で進む光のエネルギー×毎秒約30万キロメートルの不変の速度で進む光のエネルギーで出来た正方形のエネルギーの布の一部を、全体のエネルギーの中からMの分だけ、絞り染め式に摘み上げて、Mを造っているのに等しい。

○慣性の法則が意味していること───自然法則とエネルギーは勝手に働けない性質
 慣性の法則の本質は、次のように説明する事ができます。
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きには、自らの主体的な自由意思が最初から一切無い、という性質/属性を持っている。
 言い換えると、自然法則+エネルギー一体不可分の働きには、自ら主体的に働いて、何かを造り出す/この世界を造り出す能力が最初から一切無い、ということを意味しています。
 こうだとすると、次のように結論付けることができます。

○自然法則+エネルギーを一体不可分の働きを道具にしてこの世界を造った存在が必要
 慣性の法則の存在が示すように、自然法則+エネルギー一体不可分の働きだけでは、原理的に、この世界を造り出すことはできないと分かります。
 即ち、自然法則+エネルギーを一体不可分の働きを、言わば道具に使って、この世界を造った存在が必要だ、ということです。
 この推理は、慣性の法則が持つ意味を意図的に意識化して自覚化して理解すると、論理必然的に/機械的に得られるものです。

○創造主である神の実在証明
 慣性の法則の存在から論理必然的に推理すると得られる、自然法則+エネルギーを一体不可分の働きを道具にして、この世界を造った存在。
 この推理の結果得られた存在のことを、昔から、この世界の「創造主である神」と名付ける訳です。

○自然法則+エネルギー一体不可分の働きが慣性の法則である理由
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きが、これ自体で独自に主体的に自由に考え、判断して、この世界に自ら何かを造り出す創造的な機能/作用/力等がないこと、これを物理学では「慣性の法則」と名付けて呼ぶのでしたが、これは何処から来たのでしようか?
 この答えは、次のようになります。

 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界の全てが造られるとき、自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、創造主である神による天地創造の為のいわば道具に過ぎません。
 創造主である神にとって、また、創造主である神の化身/分身の存在の全ての人にとって、自然法則+エネルギー一体不可分の働きは道具以上の物であっては困るのです。
 即ち、全ての道具類が本質的にそうであるように、これ自体が何か独立した独自の意思を持っていて、道具を使う人に逆らって勝手に働くことが無いように出来ているのです。
 これが、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが慣性の法則に従う理由です。

 発生論的には/起源的には、自然法則は、創造主である神の天地創造の原理です。
 エネルギーは、創造主である神の身心そのものを、発生の起源にしています。
 即ち、自然法則とエネルギーは、元々創造主である神の一部分なのです。

○循環論法的説明とそれ故の理屈の自己完結性
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きが持つ慣性の法則性で、創造主である神の存在を証明し、存在が証明された創造主である神で、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが持つ慣性の法則性の根拠を説明する。
 話が都合よく循環しています。
 同義語反復。トートロジー。
 しかし、これによって、この方法による神の存在証明は、これ以外に何も持ち出す必要が無いし、他の何にも根拠を求めずに、これ自体で話が、論理が、自己完結しています。

○自然科学の方法論の延長線上にある神の存在証明
 慣性の法則の存在に基づいた神の存在証明は、慣性の法則を発見した自然科学の方法論の延長線上にある、と分かります。
 慣性の法則を発見した自然科学の方法論とは、繰り返して言うと、自然そのものを直接観察し観測して、その秘密を自然自らに語らせる式の方法です。

○科学的な方法論に基づいた神の存在証明のまとめ
 以上が、「自然自らに語らせる」形で行われる自然科学の方法論と、この結果発見した、この世界の仕組みを造っている自然法則+エネルギー一体不可分の働き、そして、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが持つ「慣性の法則」の本質的な意味を自覚的な知識にすることによって、論理必然的に、創造主である神の存在を推理し発見したものです。

○悟りの体験も自然自らに語らせる方法の一部
 もうお気づきのように、悟りの体験の形で創造主である神の存在を発見する方法も、自然自らに語らせる自然科学的な方法の一部だ、ということが出来ます。

○この文の全体のまとめ
 いわゆる「神の存在証明」は、人がやるのではなくて、神自らにさせる。
 この実際の2つの方法について、簡単に再説明しました。
 また、この方法は、私たちがこの世界に誕生する前からそれ自体で絶対的に普遍的に客観的に実在しているこの世界の成り立ちと仕組みを、しっかりと自覚的な知識にした上での、正しい本当の神の存在証明の仕方であることも、指摘しました。

○神の実在が意味していることの意味の理解がもっと必要で大切
 ここで、改めて、神が実在していることを、その方法論についても自覚的な知識にして、神自らに存在証明をさせる形で行いました。

 しかし、本当に大切なことは、このブログの題にしているように、創造主である神の存在証明ではなくて、創造主である神が実在しているこの意味を理解することです。

○創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きだけで造られている世界
 私たちの住むこの世界は、私たち人間存在(宇宙大では宇宙人一般)を含めて、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られています。
 これは、この世界が創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きのみ/これだけで造られている、と言う意味です。
 この世界を造っている原理は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き以外の物は、一切存在しない、という意味です。

 一般法則論に基づくこの知識は、自然科学的な知識が、全人類にとって、客観的で唯一絶対普遍的な知識であるのと同等の意味です。

 しかし、自然科学者を含めて、人類全体が以上の意味を未だよく理解していないと断言して良いようです。

○神が実在が意味すること その1 神の造ったこの世界の仕組みを生きる
 神が実在していることが意味することは、2つあります。
 一つは、個人の生き方でも、人同士の在り方でも、国家・社会の在り方でも、国際関係の在り方でも、文化文明の在り方でも、自然科学を含めた学問一般の在り方でも、政治や経済の在り方でも、全て、創造主である神の存在を含めた、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みに忠実に則った正しくかつ適切な在り方があるということです。
                                     
○神の国を地上に造ることが人類史の究極の目的
 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きに則って生きる。
 一言で言えば、創造主である神と常に二人三脚をしている生き方。
 これは、創造主である神の化身/分身の生まれの自覚をもって、この地球上に、いわゆる「神の国」を造ることです。この実現が、人類史の究極の目的です。

 世界の平和は、この当然の結果として実現できます。
 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みについて全く何も知らない現在の日本国憲法をどんなに忠実に実行しても、世界に平和は絶対に来ませんよ。

○神が実在が意味すること その2 神の存在を知らない生き方をリセットする
 今一つは、神と二人三脚で生きることを知らない生き方をしていることを改めさせることです。
 これまでの人類の営みの大部分は、創造主である神の存在を全く知らず、これ抜きの、人が勝手放題をする、もう目茶苦茶な生き方でした。
 これを、リセットし、正すことが必要です。

○神の実在を知って、一緒に神の国を造りましょう
 もし、あなたが、一般法則論でいうことはもっともだ、とお考えになって下さったのならば、一緒に、この世界に、神の国を造りましょう。

 この項の終わり


既に決まっているこの世界の成り立ちと仕組みの概観 自分独自の考えなどあり得ない

2007-01-01 02:47:43 | 創造主である神
☆○既に決まっているこの世界の成り立ちと仕組みについての概観
 この世界は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで、既に出来上がっているものがある、と言いました。
 そこで、この内容について、以下に概観しておきます。

○この世界は私たちが生まれる前に存在しその仕組み等も決まっている
 この世界は、私たちがこの世界の中に存在するようになる遙か前から、客観的に絶対的に普遍的に存在していること。
 具体的には────

○いわゆる創造主である神が実在することやこれが如何なる内容の存在であるか
 唯一絶対普遍かつ至高の存在の創造主である神が実在する。
 この世界が誕生するその前から、この世界と人(宇宙大では宇宙人一般)の創造主としての機能/役割を担っている存在がある(→創造愛/性愛)。
 この世界の全ての「創造主である」ことから論理必然的に引き出される諸々の属性の存在。
 例えば、創造主である神であるが故に、宇宙大で、唯一絶対普遍かつ至高の存在。

○空の本質を持つ絶対的に自由な存在
 禅の世界で「空」と言われている通りの、それ自体に一切の姿・形の無い存在。
 その本質が「空」であるが故に、何にでも成れるし、何になってもそれに囚われず制限制約されることがない、絶対的に自由な、自由そのものの存在。
 全知全能の存在。
 万古不易の無限の存在。

○自己について絶対的な肯定の構えを持つ存在
 自己の存在について、常に変わらず絶対的に肯定の構えを持つ存在。
 即ち、完全完璧かつ最良かつ最高の自己肯定的なセルフイメージを持つ存在。
 自らに絶対的な信頼と自信を持つ存在。

○他者=自分が創造したモノについて絶対的な肯定の構えを持つ存在
 自分が創造したこの世界の全ての存在とその仕組みについて、常に変わらず絶対的に肯定の構えを持つ存在(→存在愛)。
 それ自体で自己完結している完全・完璧な存在(→癒す愛/自然治癒力はこの実際の現れ)。

○心/精神と呼ばれるもので造られている存在
 心とか精神と我々が呼ぶもので出来ている存在。
 創造主である神が、自らの心身=エネルギーを、天地創造の原理=自然法則の働きに則って自己展開して造った結果の、創造主である神の化身/分身の存在に造られている人類の持つ心の存在根拠とその起源はここにある。

○不死不滅の生命
 不死不滅の永遠の生命そのものである存在。
 この他

○愛
 創造主である神と人間(宇宙大では宇宙人一般)との関係、人と人同士の関係、人とこの世界(天然自然の世界/地球)との関係。即ち、愛。

①存在愛(自他共に絶対的な肯定/共にWIN─WINの関係/共にHAPPY─HAPPYの関係を目指す愛)
②癒す愛(その存在が常に完全完璧であることを望む愛。自然治癒力の根拠)
③創造愛(何かを創造し造り出すことを喜ぶことの全て)
④性愛(愛し恋し合った男女間の愛)
⑤完全愛(①~④の総合愛。創造主である神が造ったこの世界の秩序の中では夫婦の間で初めて実現できる愛の形)
⑥父性愛と母性愛(性愛を除く、男性原理&女性原理の化身/分身の存在の完全愛)

○この世界の起源とその基本の仕組み───全体で常にただ一つの世界
 創造主である神(と彼の天地創造の意図)+自然法則+エネルギー一体不可分の働きに則って、創造主である神が造った、部分部分に分離分割することも部分最適化することも絶対にできない、常に全体でただ一つのこの世界の存在と、その成り立ちと仕組み

○真理
 創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みに根拠があることだけが真実の存在。
 これに根拠を持たない全ての哲学・宗教・学問・思想・意見・主義主張等は、その一切が妄想。

○人間の本質
 神が造ったこの世界の中に「進化」の名で自然科学的に知られている過程をへて誕生した我々人間存在の本質がある。

 この地球上に、過去に存在し、今存在し、これから先に存在する全ての人(宇宙大では宇宙人一般)の間でただ一つの物として共有する、「創造主である神の化身でありその分身の存在の原理的仕組み」を基にして造られている、宇宙大で絶対的かつ普遍的な人という存在。

○この世界を知る/認識する方法 神の存在を発見する悟りの体験
 創造主である神が造ったこの世界を認識し理解する為の手段・方法とこの実際。

 人類史上特に大事な発見は、創造主である神の存在を発見するいわゆる悟りの体験=創造主である神が自ら進んで自らの存在に関する全情報を自己開示する方法と、創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを、人が、無我・無心・無私・無欲になり、「己を空しくして」発見する自然科学的な方法の二つ。
 これに尽きると言っても良い。
 この二つの方法は、同時に、神の存在証明に関する唯一絶対普遍の方法でもある。

○創造主である神が造ったこの世界=天然自然のインフラの取り扱い方
 私たち人類がこの世界に誕生することに先立って造られた、いわゆる「天然自然」の世界は、私たち人類が生きる為の生活基盤/インフラとして、創造主である神が用意してくれたもの。
 この地球は全人類が生存するための生活基盤。一部の人/国の物ではない。
 この利用法は、この世界の成り立ちと仕組みを造っている創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きを科学的に或いは体験的によく知り、よく理解した知識に則った、広い意味の工学的技術に尽きます。

○人としての生き方の一般的な基本原理
 この世界が唯心論的原理で造られたことを根拠にして、人としての生き方の一般的な基本原理は、以下のような言葉で知られていることに尽きます。
・「求めよ。さらば与えられん」の原理
・「思えば叶う」原理
・俗に「潜在意識の活用法」の名で知られているもの
・「蒔かぬ種は生えぬ」(慣性の法則の支配。幸運や偶然を待っても事は起こらない。他人に自分の人生を決めてもらう式は間違い。好きな花を咲かせてくれる種を自分で選んで蒔くべし)
・信念の法則

○2つの性
 ♂と♀、男と女の2つの性があり、その存在の原理的仕組みもこれに基づく存在構造も♂と♀、男と女とでは異なること。

○性と結婚と家族の原理の存在
 ♂と♀、男と女の2つの性があり、その存在の原理的仕組みもこれに基づく存在構造も♂と♀、男と女とでは異なること。
 これに基づいた性と結婚と家族の原理の存在。
                                     
○男性原理と女性原理
 人間の男=創造主である神の化身/分身かつ男性原理=創造主である神の機能の化身/分身の存在。
 人間の女=創造主である神の化身/分身かつ女性原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きの化身/分身の存在。
 絶対的な一夫一婦制の結婚→純潔を求める根拠

○性愛/父性愛&母性愛
 愛し恋しあった男女の間の愛=性愛
 父性愛(性愛を除く全ての愛の形の、男性原理の化身版)
 全生物の中で人類のみが特定の「父親」を持つ=創造主である神の機能を担う
 母性愛(性愛を除く全ての愛の形の、女性原理の化身版)

○文化文明
 以上のことを前提にした、文化文明の正しい在り方がある。

○人類史の究極の目標と到達点は神の国を実現しその中で生きること
 この世界と人の存在は、唯一絶対普遍かつ至高の存在の創造主である神が、天地創造の原理に則って、自らの心身を自己展開する形で全て造ったものです。
 この当然の帰結として、次のことが言えます。
 創造主である神の化身でありその分身の存在人類が行き着く先としての、地上に神の国を実現すること(人類史の目的)等

○知る知らない認める認めない等に一切関係のない絶対的な真理
 以上説明した事実は────
 人が、あなた一人が、知る知らない、認める認めない、理解できるできない、信じる信じない、受け入れる受け入れない等に一切関係なく、これ自体で絶対的な真理/万古不易の真理です。
 あなたや私が、たとえこの世に存在しなくても、これ自体で客観的な絶対的かつ普遍的な真理です。

○人類が平和に生きることを保障している原理の存在
 こうなっているからこそ、地球上の存在の全てが一つ同じ世界の成り立ちと仕組みをインフラとして共有して生きることができますし、これによって、全人類が一つの世界を一つに共有し、共存共栄して平和に生きることが原理的に可能になる訳です。
 創造主である神の存在を知らず、創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みも一切全く知らないマルクス主義的な主張で作られている現行日本国憲法(左翼が平和憲法と呼ぶもの)が、創造主である神が造っているこの世界の仕組みに取って代われるハズがありません。

○この世界を前に謙虚さを知ること
 この通りだと、今、あなたは、本当に認識し、理解していますか?
 あなたの存在以前に既に姿形と絶対的かつ普遍的な秩序を持って存在しているこの世界その物に謙虚に向き合って、それが語り掛けて来ることに、いつも謙虚に耳を傾けていますか?

 それとも、「自分が自分が」と言わせる自我が基になった主義主張で勝手に「この世界、この社会は、自分の周りに存在する人達は(この私の為に)、かくあるべきだ!」と決めつけていますか?

○自分独自の思想は無い
 端的に言えば、あなた独自の考え方などないし、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られている人の心が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造ったこの世界の成り立ちと仕組みに反することを主張することができるという、思想・良心・学問の自由等は原理的に有り得ない、ということです。
 人の心の起源とその本質は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きそのもので出来ています。
 この意味からも、これに反する思想・良心・学問の自由等は、原理的に有り得ないことになります。

○この世界の成り立ちと仕組みから食み出すものはインチキ
 この真理を自分の常識にしていれば、これから食み出すインチキな考え方、例えば「憲法9条を守れば日本の強いては世界の平和が実現できる」とか、現代版ルイセンコ学説と言って良い、ジェンダーフリーなどというインチキな主張に同調することを、自覚的に意図的に避けることができます。

 以上、簡単に、この世界の仕組みについて説明をしました。
 詳しい説明は後ほどします。


あなたが生まれる前からこの世界は存在していることの意味

2007-01-01 02:37:18 | 一般法則論
○あなたが生まれる遙か前からこの世界は存在している
 この私にとってはもちろん、あなたがこの世に生まれる遙か前から、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られたこの世界が、それがそれとして在るべき姿の儘に、客観的に絶対的に普遍的に実在しています。

 この文では、このことが意味することを確認します。

 なお、ここで言う「世界」とは、以下のことです。
・いわゆる天然自然の世界
・人が作った文化文明的な諸文物(憲法や社会制度はこの一部)
・既に過去になった昨日までの、個人や民族や国家や人類が生きた印/歴史

○なぜこんな当たり前のことを確認する必要があるのか
 既に存在している自然の世界の成り立ちと仕組みを、「自然それ自体に自ら語らせる」形でその解明する「自然科学の方法論」に基づいて自然の解明をしている筈の自然科学者までが、その解明対象の自然は、全ての人に先立ってそれ自体で客観的に絶対的に実在している、という事実を無視した科学理論を主張する間違いをしているからです。

 自然科学者にしてこうですから、ましてや、自然科学的な世界認識の方法論の意味を知らない人達に到っては、「自分が考えた通りにこの世界は実在している」或いは「自分が考えている通りに自分の周りの世界もこの世界全体も存在してないのは間違っている」という妄想の下に、もう目茶苦茶な妄想その物の哲学や思想信条や主義主張や信念等を、世の中に発信しています。

 特に左翼系の人々(日本だけではなくて世界的に同じようです)に到っては、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みの存在を全く知らず、知ろうともせず、こうだと指摘して教えて差し上げても、これを無視し、妄想の世界をでっち上げて、社会をその妄想の世界観通りにしてしまおう、と運動し続けているのを見ることができます。これは、インターネットで例えば「憲法9条の会」の人達が書いているブログを読むと分かります。

 これを正す為には、私たちの存在と日々の生き方/一生涯の人生の在り方の客観的的かつ絶対的かつ普遍的な大前提になっているこの世界の存在とこの仕組みについて、常識的なこと/当たり前のことを、自覚的に意図的に本気でしっかりと確認することが必要不可欠です。

○事実の確認
 あなたがこの世に生まれる遙か前から、この世界は存在していました。
 これは、あなた一人にのみ当て嵌まる事実/真理ではありません。
 このことは、あなたや私の周りの人達全て、千年前に生きていた人たちの全て、1万年前に生きていた人達の全てにも当て嵌まる事実です。
 これからこの世界に生まれて来る子供たちやまたその子供たちにとっても、この真理は、その儘当て嵌まります。
 それどころか、私たち人類の祖先が地球上に誕生する前から、地球を含むこの世界は既に存在していました。
 これは、機械的に無条件・無留保で認めて受け入れるべき、絶対的かつ普遍的かつ客観的な真理と言って良いものです。

○私たちがこの世界に生まれる遙か前の137億年前からこの世界は存在していた
 最新の自然科学的な宇宙論によれば、私たちが住む地球を含むこの世界/宇宙が誕生したのは、今から137億年前だ、と言います。
 もちろん、その137億年前の宇宙誕生の時には、あなたや私の存在は、未だ全くありませんでした。

○自然法則+エネルギー一体の働きで造られた秩序のある一つの世界 自然科学の見解
 137億年前にこの世界が生まれた後、現在まで、この世界は何の法則の支配も秩序もなく、偶然の連続で、でたらめに存在し続けて来たのではありませんでした。
 自然科学の発見によれば、この世界は、自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られています。
 即ち、自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって、この世界は一つに秩序づけられた世界になっている、ということです。これが、自然科学の見解です。

○慣性の法則の意味を理解すると機械的に神の実在が証明できる
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、物理学でいう「慣性の法則」という名で知られている性質があって、これ自体で勝手に働いて何かの存在や運動や現象等を造り出すことができません。
 この事実を、自覚的に意図的に意識化して真摯に考えると、論理必然的に/機械的に/自動的かつ必然的に、慣性の法則の下で働く自然法則+エネルギー一体不可分の働きを道具に使ってこの世界を創造した存在が必要だと分かります。
 この存在を、昔から「創造主である神」と呼んできました。

○自然科学の方法論の延長線上にある神の存在証明の仕方
 慣性の法則の意味を理解することで出来た神の存在証明。
 これは、己を空しくして、無我・無心・無私・無欲になって、この世界を観察し観測して、自然が自らの秘密を自ら語るのを在りの儘に記録し記述する科学的な方法論に忠実な神の存在証明の方法です。

○創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られている世界
 もうお分かりのように、この世界の成り立ちと仕組みは、自然法則+エネルギー一体不可分の働きだけではなくて、創造主である神の存在を加えた、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって造られた、というのが、自然科学的により正確だ、と言えます。
 即ち、この世界は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって造られ、秩序付けられている世界だ、というのが、自然科学的にはより正確な見解になります。

 こんな当たり前のことを、改めてしっかりと確認しなければならないのが、現在の地球人類全体の無知蒙昧な知性の状態です。

○人類誕生以前にこの世界が存在していることの意味
 これまで地球上に生きた全人類の存在に先立って、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られたこの世界が既に存在していた、という事実が持つ意味は何か?
 このことについて、以下に説明をします。
 その要点のみを、列挙。

・私たちが住むこの宇宙は、自然科学の知識に基づくと、137億年前に誕生したこと
・この宇宙が誕生した時にもこれ以前にも、人類は、もちろんあなたや私も未だ誕生していなかったこと
・従って、人類/我々の存在以前に、人類の誕生後の経験を基にして生まれた、あなたや私の個人の尊厳も基本的人権も存在して居ないし、個人的な主義主張や哲学や宗教や思想信条も存在して居なかったし、思想良心の自由も無かった

 以上の自然科学的な事実/真理は、既に指摘しました。
 この真理を、あなたも、当然に認め受け入れてくださるものと思います。
 問題は、この先です。

○この世界はあなたや私の関与も同意もなく勝手に造られたという事実
 この世界は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで、これのみで造られています。
 ここに、あなたや私が関与したり、これに同意を与えたり、これを拒否したりし得る余地は、最初から最後まで全くありませんでした。
 即ち、我々の存在を含めたこの世界の成り立ちと仕組みが、人類/あなたや私には一切全く相談も同意も承認も了解も、ましてやその是非善悪を検討しその一部でも拒否する暇も無く、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで、客観的に絶対的に普遍的に、決められ、造られて、存在している、ということです。

○私たちにできることはこの世界の存在を所与の大前提として生きること
 私たちが出来るのは、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られたこの世界の存在を、在りの儘に認め受け入れることです。
 そして、これを所与の大前提にして生きることです。

○人類/人間である私の同意無しで作られたこの世界は不完全で間違っている!?
 この世界が、神の存在もその想像力で作り出すことができる偉大な人間存在の自分の直接の関与や承認や同意無しに、創造主である神だろうが何だろうが、自分以外の何者かの存在によって、この世界の在り方や人間の在り方が、勝手に決められ、勝手に作られたのは、この世界が、最初から重大な欠陥を抱えている、不完全な世界だ、という何よりの証拠だ、という人達が実在します。

 哲学者ニーチェが「神は死んだ」と宣言した後の西欧では、自然は不完全な存在で、人がこれに文化文明を作る形で関与して完全にする必要がある、という思想が、広く普及しているようです。
 「女は自然だ/男よりも自然により近い存在だ」と言われると、「女性は非文明人の野蛮な存在と馬鹿にした!」と猛然と怒る、女性の権利を主張する西洋人がいます。
 これを有り難がって押し戴く日本の女性たちもいます。
 男女の一切の性差は、天然自然のものでは無くて、文化文明が後から作ったものだから、元に戻すことが出来る、というジェンダーフリーの考え方も、この一典型例だということができます。
 しかし、これらの主張は、この世界の成り立ちと仕組みには一切関係の無い妄想に過ぎません。

○自分に関することは自分のみがよく自己決定する権利があるという迷信
 私の直接の関与や承認や同意無しに、この世界が造られた。
 もし、こうならば、それは、私の存在を無視する差別であり、自分に関係のあることは自分が決める権利があるという政治的な原則にも反する、基本的な人権侵害であり、絶対に許さないし、許せないし、認めないし、その被害を補償して貰う当然の権利を持つ、と言わんばかりの人達もいます。
 しかし、これも、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みには一切根拠を持たない妄想そのものの考え方です。

○困った人達
 私たち全ての存在の基礎であり、生き方の大前提になっているこの世界の基本的仕組みが、全人類/あなたや私には一切全く相談も同意も了解も無く、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きにより、勝手に絶対的に普遍的に造られたという事実/真理の存在。
 これが、全く見えず、分かってない人達が、この世の中に溢れています。
 困ったことに、自然科学者の中にもこの理を自覚的な知識にしていない人達が存在することです。
 と言うのも、全ての科学者に共通の基本的な世界観を提供すべき科学哲学/科学基礎論が、この事実/真理を未だ自覚的な知識にしているとは言い難いからです。
 聖職者の中にも、この世界が創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られていることを全く理解しない人達が沢山います。
 この結果は、人々に神と共にある人生を全く説かずに、町の慈善活動家と競争して、福祉活動にのめり込む聖職者もいます。

○この世界の秩序を乱す人達
 インターネットの個人のブログの世界を覗くと、この世界の仕組みを知らない人たちを幾らでも見つけることができます。
 この結果は、個人の存在絶対、基本的人権絶対、自分の主義主張絶対、平和憲法絶対、憲法9条絶対の人達が、今や地球大で、この世界の秩序と調和を乱し、混乱させています。

○ジョン・レノン氏の「イマジン」
 ジョン・レノン氏の「イマジン」という歌があります。
 9・11事件の時にはテロリストを事実上擁護する反戦歌として盛んに歌われたことを覚えている方もいると思います。
 この歌のメロデーは、確かに天国的です。
 しかし、その歌詞の内容は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みを全く知らない、反キリスト的/反人類的なものです。
 ジョン・レノン氏や彼を受け入れる人達は、自分がしていることの意味が分からず、しかも善意の積もりだから、益々困ります。

○この世界の成り立ちと仕組みを知らないと困ること
 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みを、もし知らないと、どうなるのか?
 それは────
 この世界の在り方に真実の根を持つ自分の存在理由/自分の存在根拠/自分のアイデンティティ(セルフイメージ)の根拠が見つからず、分からず、更に、人としての生き方の原理も分からずに、自分の人生を実際にどう生きたら良いのかも分からなくなる、ということです。
 間違ったセルフイメージや場違いの或いはその地位や存在目的に合わない不適切なセルフイメージを自分で訂正する事を知らずに悩む人達は沢山います。

 また、例えば共産党員になると初めてお互いが「同志」の関係になったり、キリスト教を信じる者同士の者だけが「兄弟」だったり、ジョン・レノン氏の「イマジン」を受け入れる人だけが世界平和を本気で望んでいる人である訳ではありません。

 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで、創造主である神の化身/分身の存在に造られている全ての人が、最初から=生得的に一つ同じ創造主である神から生まれた本来の意味の兄弟姉妹ですし、後から条件付で愛し合う者同士になるのではなくて、生得的に絶対的に愛し合う義務を負っている者同士です。
 なお、たとえ嫌いな相手でも、その人を一人の創造主である神の化身/分身の存在の人として愛することは、常に、全ての人の、人としての義務です。
 愛する対象が、人から国家/国旗/国歌等に変わっても、話しは全く同じです。

○自分の主義主張など有り得ない
 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きが造り出したこの世界の存在を大前提にすると、自分が作ったという、私独自の主義主張や思想などは、原理的に存在し得ません。
 しかし、実際には、何かの哲学や思想や宗教などを、自分が作ったという人達が、多数存在します。
 この人達に向かって、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の仕組みとその秩序に、勝手に何かを付け加えるようなモノを、人が勝手に造り出すことは出来ないし、そのようなものはその存在を許されない、と指摘すると、もう猛烈に反発を食らいます。

 私独自の主義主張が存在する。
 これが間違っていることが、あなたには直ちに分かりますか?!

○全ての主義主張等はその真偽が全て客観的に検証されるべき仮説
 この世界の成り立ちと仕組みが、また、人間とは何か、人の生き方の原理やその実際が既に創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで決定されている。
 こう言っても、この実際の具体的事実は、自明ではありません。
 そこで、例えば自然科学や学問一般の研究、また、私たち一人一人の日常体験の中で、それが何かの発見とその真偽の確認が必要とされます。

 自然科学上の発見/宗教の聖典類に書かれている内容/哲学的見解/主義主張/思想信条/政治的な思想/憲法などの法律の大前提になっている世界観や人間観/文化文明的な制度や習慣/倫理道徳/個人の生き方など。

 このような色々の形で表明される哲学や思想等があります。
 これらは、それがどんなに権威を持つ者によって唱えられようと、その真偽の検証なしに認められるものがあってはなりません。

 もう何を発見したと言うのも勝手ですが、この真偽が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界に照らし合わせて、自然科学的に検証されるまでは、一つの単なる仮説であることです。
 このことは、今、ここで話しをしている一般法則論にも当て嵌まります。
 筆者は、一般法則論の真偽の検証を、皆さんにして頂く積もりで書いています。

 次に、この世界の既成の仕組みについて、別の文で概観します。



あけましておめでとうございます

2007-01-01 02:21:00 | 一般法則論
 皆さま
 あけましておめでとうございます。
 今年が、皆さまにとって、良いお年であることを、
 心を込めて祈っています。
                   一般法則論者
 2007年 元旦

 今年は、一般法則論の説明に精を出して、本の形で出版できるようする積もりです。
 ご支援の程を、よろしくお願い申し上げます。

 先ずは、次の文を載せます。
①一般法則論を含めた全てのことの大前提になっているこの世界の成り立ちと仕組みの存
在についての考察
②神の存在証明の方法論についての自覚的な説明
③なぜ、神の存在証明を敢えてする必要があるのかについての考察
 これはここに頂いているご質問に答えるものです。

 宜しく、その真偽のご検討・ご検証の程を、お願いします。

 次に載せる文の予定は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造
られているこの世界の成り立ちと仕組みを大前提にした、人としての生き方の基本原理に
ついてです。

 以上