いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

原因=結果の因果必然の法則を巡る問題

2006-01-28 22:05:25 | 因果必然の法則
原因=結果の因果必然の法則を巡る問題
 ここでの主題は、原因=結果の因果必然の法則です。

・この文の位置
・原因=結果の因果必然の法則が支配している世界に住む
・原因=結果の因果必然の法則を知る必要がある
・因果必然の法則の存在とその働きは人類にとって自明ではない
・全ての知識は最初は無意識/潜在意識内の知識・情報に留まっている
・無知の儘に生まれてくる
・無意識的には生まれながらに既に全て知っている
・無意識の情報の意識化が必要不可欠
・遺伝か環境か後天的知識か
・遺伝的=生得的知識に基づく生きる力
・自然治癒力
・ヨガの行者の例
・環境から来る知識/情報に基づく人の生きる能力
 次の文へ


○この文の位置
 この文は、「この世界を知るための原理(存在論+認識論)」の追加文の中の「豚を豚
にする自然の仕組み」の次の場所に挿入されるものです。
 「豚を豚にする自然の仕組み」の中では、創造主である神+自然法則+エネルギー一体
不可分の働きの中で、豚という存在が、「思えば叶う」/「求めよ。さらば与えられん」
の唯心論的原理を土台にして、自然法則、即ち因果必然の法則に則って創造される過程に
ついて、簡単に説明しました(ついでに、この世界が、量子力学的意味で量子化される仕
組み/量子化の原理についても簡単に説明しました)。
 そこで、原因=結果の因果必然の法則について、もう少し掘り下げた説明をします。
 自然法則これ自体の役割とその性質や働き等については、もっと詳しい説明をしなけれ
ばなりませんが、これは後ほどします。

 原因=結果の因果必然の法則として働く自然法則が、創造主である神の天地創造の原理
として、万人にとって、それ自体で客観的にかつ唯一絶対的にかつ普遍に存在する、不変
の法則であることについて説明すると文が長くなります。で、この点は、ここでは既に自
明のことにして、話を以下の事に絞ります。

 ここでは、自然法則の基本的な役割である、原因=結果の因果必然の法則としての働き
が、私たちの日常生活の中で、実際にどう働いているのかについて、その一部分を取り上
げて考察します(ここで取り上げて無いのは例えば同一原因=同一結果の原理や共振・共
鳴・共感の原理等)。
 最初に、この世界の成り立ちと仕組みの再確認という原理的な話から。
 なお、くどい位に何度も確認しますが、一般法則論、ここでの話は全て、創造主である
神+自然法則+エネルギーの存在一体不可分の働きで、人とこの世界の成り立ちと仕組み
が全て造られている、という事実から発想しています。

○原因=結果の因果必然の法則が支配している世界に住む
 私たちが生きているこの世界は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の
存在の働きで全て造られています。
 この世界の中で、自然法則が、最初に天地創造の原理として、原因=結果の因果必然の
法則の働きをします。これは、今も人が何かの人工物を作り出すときにも働く、自然法則
の基本となる働き方の原理です。

 他人のすることをそっくり真似することが役に立つようにしてくれる自然法則的原理で
ある、同一原因(=同一構造)=同一結果の原理は、因果必然の自然法則の働きを土台に
しています。

 そこで、私達がこの世界の中で生きる上で、否応なしに原因=結果の因果必然の法則に
係わる必要があります。
 この意味で、私達と原因=結果の因果必然の法則とは切っても切り離せない深い関係に
あります。
 これは、ご存知の方には、もう常識に属する話。
 しかし、この常識が無い人も、未だ少なくはありません。

○原因=結果の因果必然の法則を知る必要がある
 私達の全てが、原因=結果の因果必然の法則が支配している世界に住んでいます。
 従って、因果必然の法則ついて、自覚化された、それも万人で一つに共有し得る客観的
かつ正確な知識と理解を持ち、これを土台にして、自覚的に意図的に、因果必然の法則の
働きを主体的に自由に制御して使える技術を持つことは、万人/人類にとって、生存上必
要不可欠な事柄です。この筈です。
 そこで、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在の働きで造られてい
るこの世界の中で、とても重要な働きをしている因果必然の法則について学ぶことは、誰
にとっても/如何なる民族/如何なる政府にとっても必須のことになります。

○因果必然の法則の存在とその働きは人類にとっては自明ではない
 知識とは、一般法則論の理解では、創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組
みにその究極の根拠がある知識/情報という意味です。
 問題は、他の知識と同じで、原因=結果の因果必然の法則の存在と働きは、誰にとって
も、この世界に生まれて来ると同時に自明の知識になるのでは無いことです。
 何かの現象、例えば火が燃えているのを見て、人は誰でも自動的かつ必然的にそこに直
ちに原因=結果の因果必然の法則の働きを発見する訳ではない、ということです。

○全ての知識は最初は無意識/潜在意識内の知識・情報に留まっている
 因果必然の法則だけでなく全ての知識・情報は、意識化され自覚化された知識になる前
の状態は、未だ無意識/潜在意識内の知識・情報に留まっていることになります。
 特に、大脳が発達して、いわゆる本能的/生得的な行動=紋切り型の行動を捨てて、行
動の選択の自由度が無限大に広がった人類においては、これは顕著です。

○無知の儘に生まれてくる
 一言で言えば、人は、自己という存在を含めて自分が一生涯住むこの世界の成り立ちと
仕組みについて、無知の儘、即ち、意識化された自覚的な知識なしに生まれてきます。
 という意味は、生まれて来る人は一切何も知らない「白紙の心」の状態で生まれてくる
という意味ではありません。
 この主張の根拠は、次の説明の通り。

○無意識的には生まれながらに既に全てを知っている
 この世界も人とその心も、創造主である神+自然法則+エネルギーの存在一体不可分の
働きで全て造られています。これに例外はありません。これが一般法則論の理解です。
 そこで、原理的=因果必然的に、人はこの世に生まれて来た時から、(創造主である神
+自然法則+エネルギーで出来ている)無意識/潜在意識的には、既に創造主である神の
存在を含めてこの世界の全てを知っています。
 これは、人の持つ知識の源に関するとても大事な見方です。

○無意識の情報の意識化が必要不可欠
 無意識的には生まれながらに既に全てを知っていることも、意識化自覚化された知識に
することが必要です。これによって初めて、その知識を自覚的に意図的に使えるようにな
ります。
 しかし、この点に関してはもう少し詳しく見る必要があります。これを次にします。

○遺伝か環境か後天的知識か
 自分自身と自分が生きている世界に関する知識は、生きる為の土台になるものです。
 例えば自分が必要とする物がある場所への道筋が分かる地図(知識)は、この例。
 この知識を、人はどのような形で手に入れるかに関して、以下の5つを区別することが
できます。これによって、「無意識の意識化の原理」に則りながら、それに相応しいやり
方について自覚化し意図的になれます。
 また、例えば母親になった女性に育児本能があるがないかの議論を科学的にすることに
役立ちます。
 1 遺伝的=生得的な知識
 2 環境から来る知識/情報(刷り込みとアフォーダンス)
 3 後天的に学習する知識(癖・生活習慣・文化・文明)
 4 いわゆる悟りの体験でのみ知り得る知識
 5 悟りの知識未満のいわゆる魔境からの知識(煩悩と迷いとも言われます)

 悟りの体験でのみ知り得る知識については、ここで一般法則論の形で説明をしています
ので、ここでは特に説明をしません。
 悟りの知識未満のいわゆる魔境からの知識(煩悩/迷い)は、人の持つ知識の全てを覆
い尽して、人を迷わせ間違った行動をさせる原因になる知識です。しかし、これは、文を
別にして説明をします。
 なお、以上の2つから得られる知識は、3の後天的に学習する知識とも重なります。

 ここでは、残りの1と2と3のことについてのみ取り上げて説明をします。
 この中で、環境から来る知識は遺伝的知識を、また、後天的知識は遺伝的知識と環境か
ら来る知識を土台/前提にして初めて成り立ち使えるものになります。
 しかし、この3つのことについては、今では科学的な知識として広く一般に知られてい
るものですし、詳しいことはインターネットを使える環境では自分で調べることができま
す。そこで、ここでは、ここでの話に必要なことだけを、簡単に説明します。

○遺伝的=生得的知識に基づく生きる能力
 遺伝的能力───生まれながら知っているし知らなくても出来る行動を決めている、生
得的な本能的能力。
 科学的に既に確かめれている人の生得的な能力の具体例は────
 生命維持に直接関係する例えば呼吸とか神経系の働き。
 また、見たり、聞いたり、感じたり、話したり、考えたり、記憶したり、好奇心を持っ
て特定の事柄に注目し集中したり、推理し判断したり、更には学習したりする心の基本的
な能力も生まれながらに人は持っています。
 また、自然治癒力/自己回復力も、生得的な知識に基づく遺伝的な能力の例。
 これらは、人が創造主である神の化身/分身として存在し生きるのに必要不可欠な基本
的な心身の仕組みとこれを動かすソフトウエア(プログラム)からなるものです。
 これらに関する知識は、人にとって無意識/潜在意識にある知識の典型です。
 例えば、食べた物がどう消化されて心身の活動のエネルギーになったり、体の組織を造
るのかについて、無意識の支配下にあって意識化され自覚化された知識が一切なくても、
人に生得的に備わった諸々の仕組みが自動的かつ必然的にこれをやってくれます。
 コンピューターでいえば、コンピューターの原理的仕組みを基にして作られているコン
ピューターとしての仕組みそのもののと、これを動かす基本ソフトウエアーとしてのOS
に当たるもの。

○自然治癒力
 なお、自然治癒力は、「それをそれにする原理的仕組み」を基にして働く自己組織化の
力。創造主である神が造った「神の国」=自然世界を、本来それがあるべき姿に維持し纏
めるための力で、人の心身のみならず、「神の国」=自然世界の全てを貫いて働いている
自然の力のことです。

○ヨガの行者の例
 胃腸の働きは、無意識の支配下にあって、この働きを意識化し、更に自覚的に意図的に
制御するのは、私達の常識では不可能です。
 しかし、例えばヨガの行者の中には、無意識の支配下にある胃腸の働きを、自覚的に意
図的に制御することができる人がいるようです。
 例えば、口から飲み込んだ糸の先端を肛門から出して、口と肛門の間でこの糸が繋がっ
ていることを見せることなど。

○環境から来る知識/情報に基づく人の生きる能力
 環境から来る知識/情報。そして、これに基づく人の生きる能力。
 このことに関して、筆者が知っていることは、2つあります。
 この他に、あなたがご存じのことがあるかも知れません。
 1 動物行動学でいう「刷り込み」等の遺伝的行動の型と解発刺激との組合せ
 2 アフォーダンス ジェームズ・キブソンが発見した「生態学的認識論」
 どちらも、遺伝的能力+環境からの知識(情報)/刺激で働きます。

 次に、刷り込みとアフォーダンスを、別の文に分けて説明します。


この世界を知るための原理 追加文

2006-01-22 02:42:31 | 創造主である神+自然法則+エネルギー
 以下の文は、「この世界を知るための原理」中の、次の文の間に挿入する文です。
「○この世界を知り理解するのにノーベル賞級の頭脳でなくても済む」と「○創造主であ
る神の存在を人の心で知るための条件がある───悟りの経験」という文の間。

○この世界の見方・考え方が歪んでいる例
 世の多くの人たちは、自分自身と自分が生きているこの世界を、それが在るが儘の姿で
見ているのではありません。
 これを、仏教では、無明、煩悩、魔境の世界の中にある、と言います。

 具体例を挙げると────
 多くの人たちが、例えば「汚い豚」が実在していると思い込んでいます。
 中には、汚いから「豚」と呼ぶのだとさへ思っている人がいたりします。
 しかし、実際の豚は綺麗好きで、決して汚い訳ではありませんし、汚いから「ブタ」と
名付けて呼んだのでもありません。
 正確に言えば、「ブタ(と名付けた動物)が実在する。この動物について、同時に、一
部の人たちは、汚いと言う。」ということになります。

○悟りの瞬間に知ること───世界観と人間観の単純化
 「汚い豚」が実在しているのではない!
 実在しているのは、ブタと呼ぶことにした動物だ!
 この種の間違った思い込み、事実・実体とは全く掛け離れ、全く関係の無い、諸々の偏
見や妄想を、もう凡ゆる事について、自分はこれまでして来たのだ!
 ────と悟りの体験/覚醒体験では一瞬にして深く深く深く理解するのです。
 この瞬間は、「生まれて初めてブタ(そのもの)を見た!」と思わず言う位に、新鮮な
驚きと深い感動が伴います。
 この結果は、自分が生きているこの世界全体が一瞬にして全く新しい世界になります。

○新しい世界に生まれ変わる体験
 悟りの体験。
 本当に、その瞬間、全く新しい世界に自分は生まれ変わった、と思います。
 これは、迷いの世界、煩悩の世界、魔境の世界を突き抜けて、悟りの世界に到達した、
という事を意味します。

○人の生活基盤としての大自然の世界=神の国=地上の天国の発見
 悟りの世界に到達するとは、創造主である神が造った大自然の世界=神の国そのもの
の世界を発見することです。
 言い換えると、来世ではなくて、現世に神の国=地上の天国を発見することです。
 即ち、来世ではなくて、この現世こそが人が生きるための本来の地です。
 そして、人(宇宙人一般)は、自分が創造主である神の化身/分身の存在として、最初
からこの神の国の住人として生まれていると知るのです。
 また、この神の国においては、何も彼も完全完璧に良く造られていると知るのです。
 更に、この神の国が、人(宇宙人一般)が、創造主である神の化身/分身として生きる
ために必要不可欠な生活基盤/インフラになるものとして、創造主である神が用意してく
れたものだと分かるのです。
 こうだと気が付きます。

○創造主である神+自然法則+エネルギーのみで出来た単純な世界の発見
 余計な妄想や虚飾が取れて見えて来たこの世界は、創造主である神+自然法則+エネル
ギー一体不可分の働きだけで出来ている、とても単純で明快な世界だ、と分かります。

○一般意味論での説明
 一般意味論では、「汚い豚がいる」は、「豚がいる」という事実の認識が先にあって、
次にこの事実について、「汚い」と主観的な断定をしたものであり、自分が(勝手に)こ
う断定している事実を意識化し自覚することが必要で大切だ、と説明します。
 そして、人同士が話し合い協同して何かの仕事を一緒にするの為のコミュニケーション
では、「汚い豚がいる」ではなくて、「豚がいる」という事実に基づいてする必要がある
ものだ、と言います。
 この点で、一般意味論は、悟った人がするこの世界の見方・考え方を、言葉の使い方の
面から説明している、と言われる所以です。
 なお、一般意味論を知るには、先にも掲げたことがある次の本が、良い参考書。
S・I ・ハヤカワ 大久保忠利訳 思考と行動における言語 岩波書店 1951年(旧版)

○創造主である神+自然法則+エネルギーの働きで造られた世界
 悟りの体験をすると、次の2つのことを明確に知ります。一般法則論の見解です。
・この世界は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在の働きで全て造
 られている
 そこで────
・創造主である神が造ったこの世界は、創造主である神+自然法則+エネルギーというた
 った3つの基本的な概念を元にして、全て説明できるし理解できる

○一般法則論は日本文明の申し子
 もちろん、これまで多くの人たちが悟りの体験をしましたが、一般法則論のように、こ
こまでこの世界を単純化して理解し説明している訳ではありません。
 悟りの体験と言えば、宗教の世界の中の話に終始してしまうのが普通です。
 筆者がこうならずに済んだ理由はなにか?
 もちろん、筆者が偉くて特別の人間であるからではありません。
 筆者と、筆者以前の人たちの間にある大きな違いは、19世紀から20世紀にかけて起
こった、人と人が住むこの世界に関する科学的な知識の爆発的な増大の恩恵を知って利用
出来たかどうかにある、と言えます。
 しかも、この点で、その知識の獲得と利用が子供にもできる、日本という超一級の科学
的な文明国に、丁度上手い具合の時期に筆者が生まれたことです。
 更に、古今東西の学問的、文化的、宗教的な遺産を知り、これを国語を読み書き出来る
だけで利用することが可能な国としても、日本は超一級の文化文明大国です。
 また、「神道」という精神的に成熟し自立した大人のための高等宗教の下で、宗教的なタブー
が殆ど全く無いことも、幸いしています。
 しかも、日本国内は平和がずっと続いて、戦後の日本の奇蹟的な経済成長のお陰で経済
的にもそれなりの余裕があって、個人的にはこの種の事に専任できる条件もありました。

○日本文明の評価
 現在の世界を見渡して、日本以外にこんな凄い文化文明国は、他にはありません。
 筆者が、隣国の韓国や中国、また精神世界の国インドに生まれていたら、一般法則論は
作り得なかった、と断言しても間違いは無いでしょう。
 もちろん、アメリカやイギリス、また、ドイツ、フランスなどの欧州の国の何処かに生
まれても、宗教的/思想的/哲学的な縛りによって、一般法則論を作ることは駄目だったで
しょう。

○日本文明を否定する人達を何とかできないか!
 「大中華文明の中国こそ世界一の国で、日本などとてもかなわない」と言って、早く日
本を中国の一部に組み込むのが自分の使命だと考えているお役人が、外務省の中にいる、
という話しです。
 政府の政策決定を握っているお役人が妄想的な思想信条/信念で、国民/民族の利益に
反する方向に暴走するのを、国民が止める手段が無い日本は、本当に困ったことです。
 日本民族の一人に生まれながら、日本が如何なる国か、全く知らない人達が、国の最高
学府を出た人達の中にもいます。日本に於ける教育の土台/大前提となる世界観と人間観
が、これまで根本的に間違っていた、と言わざるを得ません。
 一般法則論が、このお役に立つでしょうか・・・。

○日本の文化文明力
 中国政府が、最近も事故続きの炭鉱の安全性を確保する技術を、これを持つ日本に求め
ていると、先日、新聞で読みました。
 世界最高の中華文明を自ら誇る中国五千年の歴史は、そのような技術を独自に創り出さ
なかった訳です。

 もう25年位前の話になりますが、アフリカで旱魃の被害にあった人達のニュースの中
で、テレビ画面のテロップによると、民族衣装を着て踊っている人達は、「次はお前らの
番だ」と歌っていると言います。これは、他人に呪いを掛ける行為です。
 しかし、話が日本ならば、呪いの歌を歌いながら踊ってなどいないで、旱魃を科学技術
的に何とかしようと、何人もの学者や農業技術者が、直ちに立ち上がる所です。

○豚を豚にする自然の仕組み
 ここで簡単に、豚を豚にする自然の仕組みについて、説明しておきます。
 ブタをブタにしているのは、ブタを造ろうと意図した自然(創造主である神)です。
 この創造主である神の意図を唯一絶対普遍かつ不変の原因として、形のある具体的な存
在(ブタ)に実現(結果)するのは、何の働きか?
 この働きは、創造主である神の天地創造の原理である、原因=結果の因果必然の法則で
ある自然法則の働きです。
 自然法則の実際の働き方の原理は、ブタを他の如何なる存在でも無いブタという存在に
する「ブタの原理的仕組み」(プラトンの言葉で言えばブタのイデア)に則って、創造主
である神の無限大の心身をその本質とするエネルギーを唯一絶対普遍の素材にして、ブタ
の形(ブタの心身)を造るのに必要不可欠な量だけ(エネルギーを)「量子化」(し質量化)
する方法(技術としての自然法則)で(豚を)造ります。

(ここに追加文掲載予定)

○神道についての一般法則論的な簡単な説明
 神道以外の宗教の多くは、出自/素性がはっきりしている始祖がおり、よく纏められた
教典があり、教義/教理の体系があり、教団の組織もよく整っているので、一見すると組
織的な高等な宗教に見えます。
 しかし、その実体は、神が未だ未熟で無知な子供を相手にしているような宗教です。
 そこで、人間の日常生活の隅々まで、神様は「ああせい、こうせい。ああするな、こう
するな」という命令を下して干渉します。
 神道は、精神的に成熟し自立した大人用の高等宗教です。
 だから、神道の神様は、人の生活に、こんな干渉は一切しません。
 自分以外の神を認めず排除せよ、とも言いません。
  神道の神話では、我々日本民族の一人一人は、地上に降りた神の直系の子孫の天皇と、
天皇の直系の子供(天孫)(親子)という関係にあります。
 つまり、我々日本民族の一人一人は、一般法則論でいう神の化身/分身の存在です。
 天皇は、従って、日本民族の支配者ではなくて、日本民族を代表して、大祖先の神を祭
る「祭祀王」だ、と言われます。
 実際、例えば昨年の11月20日日曜日、天皇皇后両陛下御臨席の下、横浜で開かれた
「第25回全国豊かな海づくり大会」神奈川大会をテレビ中継で見ましたが、天皇陛下と
陛下に従われる皇后陛下は、正に民族を代表する祭祀王として振る舞われていました。
 また、その行事に参加している人たち=国民に対して、両陛下は、少しも支配的でも威
圧的ではありませんし、威張っている印象も全くありませんでした。
 先の大戦で日本の占領軍の司令官のマッカーサー元帥と会見された昭和天皇が、ご自分
の命はどうなっても良いから国民を救って欲しいと言われたと伝えられていますが、これ
は、天皇と国民の間を、陛下がどうお考えになられていたかを、端的に示しています。

 それでも、神道では、信者になるならないは、各人の自由です。
 また、信者として如何に在るべきかは、神は、信者自身の考えに全て任せています。
 そこで、信者は恣意的な何でも有りの生き方に走るのかといえば全くこの正反対で、常
に神の前で正しく在ろうとして、自らの人間性/人格の向上・陶冶に自ら進んで励むので
す。
 そこで、もう何をしても、例えば刀を持って戦い命をやりとりする為の訓練の場でさへ
も剣の「道」にして、それを自らの人格を磨く為の「場」にしてしまいます。
 この結果は、まるで悟りの開いた人のように、仮令人の監視の下になくても盗みなど悪
いことをしないし、穏やかでとても謙虚な人達で日本国中が溢れることになっています。

○日本文明の中に生まれ育った筆者の体験
 もう数年前になりますが、都内のJRのある駅の夕方の非常に混んだ時刻に、筆者は
自動販売機で切符を買って、釣銭を取らずに駅の改札口前まで行ってしまってから、
釣銭を取り忘れたと、切符の自動販売機の前に戻ったら、そのお金が、ちゃんと自動販売
機の前の台の上に置いてありました。
 こんなことは珍しいことですか?
 そうではない、と思います。
 ある方は、講演をした後、車代として頂いたお金の中から実際に使った残りのお金を、
領収書を付けてわざわざその講演の主催者に送り返した、という話を知りました。
 暫く前の話しですが、家の近くのコンビニで、コピー機を使かおうとしていた若い女性
が、店のレジに、前の人がお釣りを忘れて行ったようですと、お金を差し出しているのを
目撃しました。
 数日前は、筆者も、前の人がコピー機を使った後忘れて行った二百円余りのお釣りを店
のレジに届けました。
 日本の文化の中で普通に育った人ならば、こんなことはもう当たり前の行為でしょう。

○日本文明は一つの国で一つの独立した独自の文明
 しかし,これは、地球世界の古今東西の諸々の文化文明の中で、日本以外では観察する
のが難しいことだ、と言っても良いかも知れません。
 あなたは、どう判断されますか?
 事実、「文明の衝突」という本で知られている、サミュエル・ハンチントンは、日本文
明は、一つの国で一つの独立した独自の大文明だ、と言っています。
 サミュエル・ハンチントン 文明の衝突と21世紀の日本 集英社新書 2000年

 ───── 挿入文の終わり ─────


この世界を知るための原理

2006-01-18 22:19:54 | 創造主である神+自然法則+エネルギー
この世界を知るための原理(存在論+認識論)
 「全ての宗教のリセットとその再建」という文を載せる前に、幾つか片付けておくべき
ことがあると、ここに最近頂いたコメントを読んで、分かりました。
 その最初の話。
 哲学的には、存在論と認識論を一つに論じた話。

 神の存在証明をする土台/大前提になっているものは何かについて、色々の話を省略し
て、結論部分のみを説明しておきます。
 これは、一言で言えば、この世界と人が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体
不可分の存在の働きで造られている、ということに尽きます。
 このことが、一義的/一意的に明確に確定的に自覚的な知識になっていないと、一般法
則論の中心/中核のメッセージが理解されないようです。
 なお、話の全体は、同義語反復/トートロジー/循環論法になっています。

・人と人の住むこの世界の成り立ちと仕組みを造ったもの
 ・自然科学者の認識不足
 ・子供向けの豊田佐吉の伝記本の著者による記述の違い───余談
 ・もし自然法則等の本質を自覚的な知識にしていたら科学者も神の存在を発見
・創造主である神は何で造られているのか?
・人(宇宙人一般)は何で造られているのか?
・創造主である神の心=人(宇宙人一般)の心
 ・なぜ創造主である神の心は人の心の一つ同じだと分かるのか?
・人がこの世界を認識し理解できる理由
 ・この世界を知り理解するのにノーベル賞級の頭脳でなくても済む
・創造主である神の存在を人の心で知るための条件がある───悟りの体験
 ・悟りの体験の実際の方法について
・存在を造ることと認識することは一つ同じ原理に従う
・以上の見解について科学的な証拠があるのか?
・現在の人類的課題は創造主である神の実在を認めること
・現行憲法は神の存在を一切の根拠を示さず一方的かつ積極的に否定
・以上

○人と人の住むこの世界の成り立ちと仕組みを造ったもの
 私たち人間存在、一般的に言えば、私たち人間存在=地球に住む知的生命体を含む宇宙
人一般と、宇宙人一般が住む宇宙世界は、如何なる原理で造られているのか?
 この答えは、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きで造
られている、です。
 これっきりです。
 この世界を造っているものは、これ以外には一切何もありません。
 一般法則論では、こう言い切っていることをご記憶ください、その真偽はとにかく。

○自然科学者の認識不足
 この世界は、創造主である神+自然法則+エネルギーのみで造られている。
 これ以外のものは一切ありません。
 この点に関して、この世界の成り立ちと仕組みを、自然法則+エネルギーで説明しよう
としている自然科学者にも、認識不足や誤解があるようです。

 今現在の学問としての自然科学は、創造主である神の存在を、この世界の成り立ちと仕
組みを説明するための概念として完全に排除し認めてはいません。
 しかし、自然法則+エネルギーの他に、創造主である神以外の何かがある、という主張
をする科学者が多数います。しかも、それは何か特定の数学式の解に基づくもので、現在
の科学の知識と技術ではその真偽の科学的な検証が一切全く出来ないものの存在を主張す
るものであったりします。例えば「超ひも」の存在(理論)。この他に、自己組織化や複
雑系など。
 この原因は、自分達自然科学者は、この世界の成り立ちと仕組みを、創造主である神の
存在は認めないけれども、これ以外の自然法則+エネルギーの2つの概念で説明している
だ、という自己認識が未だ無いことにある、と思われます。
 そもそもの問題は、科学基礎論/科学哲学が、従って科学者一般の共通認識・共通理解
/常識として、自然法則とエネルギーは何か、その性質や働き方の原理や両者の関係等に
ついて、自覚化された科学的な知識を未だ持っていないことに大間違いの本質がある、と
言って良いでしょう。このことに関して詳しいことをお知りになりたい方には、次の本の
一読をお勧めします。
 ジョン・ホーガン 筒井泰隆監修 竹内薫訳 科学の終焉 徳間書店 1997年

 今、世界で、この世界の成り立ちと仕組みを究明しようとしている科学の最先端にいる
積もりの科学者が一体何を考えているのかを、この本を一読するだけで概観できる、とて
も貴重で有り難い本。
 まったく、子供でも、それどころか生物一般が生得的/本能的に知っている自然法則と
エネルギーの性質と働き方の原理等に関して、ノーベル賞を貰った科学者にも自覚的な知
識が無いことに驚きを覚えます。
 こうだと、悟りの体験をして間もなく知った時には、私の理解は根本的に間違っている
のではないのか、それとも、私の知らない形で、自然法則とエネルギーの性質と働き方の
原理等に関する知識を科学者の間では既に共有しているのではないのか? と考えて、大
いに悩み迷ったものでした。
 とにかく、それで分かったことは、システム設計や実際のシステム作りの現場や工学の機構
学の分野では、ちゃんと自然法則とエネルギーの性質や働き方の原理や両者の関係等につ
いて知っている、ということです。
 しかし、システムとは何かという定義の問題や、エネルギーとは何かの説明の話になる
と、何かの仕事をする力としてのエネルギーと、この世界を造ってる唯一絶対の素材とし
てのエネルギーの話とを同じ所で一緒に説明しない、という不思議なことをしていると分
かりました。このことに関して、子供向けの科学の本を、図書館等で見て下さい。
 で、この結論は、やはり、自然科学者の間には、自然法則とエネルギーとは何かについ
ての自覚化された共通知識はないようだ、ということになりました。

○子供向けの豊田佐吉の伝記本の著者による記述の違い─── 余談
 子供向けに書かれた偉人の伝記本の中の一つに豊田佐吉の成功物語があります。
 仮にAとBと言う別の著者による二つの本を、図書館で借りて読んだことがあります。
 これで分かったことは────
 著者Aは、豊田佐吉の成功物語を、この世界を/人の人生を支配している原因=結果の
因果必然の法則の存在を知っていて、これに則って説明していました。
 また、紡績機械を発明するための基礎になる機構学を解説した「機械の素」という本を
佐吉が何が何でも手に入れたくて行動した経緯もちゃんと説明しています。
 つまり、佐吉は、紡績機械を発明する為にはそれを正しいやり方でする必要があるとい
う明確な自覚があって、これは具体的には、機構学の本で機械の原理的仕組みを学ぶこと
だ、と明確に知っていたことを、ちゃんと説明していた、ということです。
 著者Bの本は、著者自身に、何をするでもそれをする正しいやり方があるという明確に
自覚化された知識や、原因=結果の因果必然の法則に関する自覚的な知識が無いために、
豊田佐吉がなぜ発明に成功したのかが、本の記述からは分からないものでした。
 つい先日手に入れた、女学者が娘に語る形式で、先の太平洋戦争(日本民族にとっての
名は大東亞戦争)について説明している本では、著者に、この世界も個人も国家も客観的
に絶対的に普遍的に支配している原因=結果の因果必然の法則についての自覚的な知識が
全く欠落していることを知りました。
 この世界の全てを客観的に絶対的に普遍的に支配している原因=結果の因果必然の法則
の存在とこの働きを知らないと、もう当然に、その話は、この世界を何かの法則の存在と
その働きがもたらしたものと考える学問一般のルールから逸脱し、恣意的で、見当外れ
で、妄想的なものにならざるを得ません。

○もし自然法則等の本質を自覚的な知識にしていたら科学者も神の存在を発見
 もし、自然法則とエネルギーの性質や働き方の原理や両者の関係等について自覚的な知
識を物にしたら、論理必然的に、自動的かつ必然的に、一般法則論が発見している創造主
である神の存在を、科学基礎論者/科学哲学者/自然科学者も発見している筈です。
 なぜならば、この世界は、間違いなく創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可
分の存在の働きで全て造られているからです。

○創造主である神は何で造られているのか?
 では、創造主である神自体は、一体何で造られているのか?
 この答えは、創造主である神は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の
存在で造られている、になります。
 この内の自然法則+エネルギーは、この世界を造っている働きと一つ同じものです。
 正確には、創造主である神が自らの心身(エネルギーと自然科学的には名付けられてい
ます)を、自らの天地創造の原理(自然法則と自然科学的には名付けられています)に則
って自己展開する形で、人(宇宙人一般)とこの世界を造っています。
 こういう事なので、創造主である神も、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不
可分の存在だ、と言えます。

○人(宇宙人一般)は何で造られているのか?
 人(宇宙人一般)は何で造られているのか?
 この答えも、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きで造
られている、という答えになります。
 なお、この場合、人は、非物質的心(精神・魂)+物質的身体一体不可分のもので造ら
れていますが、この両方とも一つ同じ、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可
分の存在とこの働きで造られています。
 また、身体に対する人の心の存在と働きも、創造主である神が、自らが造ったこの世界
と人との関係と同じ「空」、即ち、絶対的に自由なしかも自然法則+エネルギー一体不可
分の働きを常に必ず介した関係になっています。
 しかしまた、人(宇宙人一般)の心と身体は如何なる存在であるのか、また、その正常
な在り方や正常な機能は何かについては、創造主である神が人を造ったときに、一義的/
一意的に明確に確定的に完全完璧なものであると決めて造ってあります。人は、これを
外れて存在し機能することは出来ませんし、これを外れ無視して行動すると、事故や病気
等痛い目に必ず遇います。

○創造主である神の心=人(宇宙人一般)の心
 創造主である神の天地創造の意図は、神自らの化身/分身になる、個性が一人ひとり異
なる多様な存在=人(宇宙人一般)を無限に造って、その一人一人になって様々に生きて
遊んで楽しみたいことにあります。
 そこで、人(宇宙人一般)の心は、創造主である神自らの心と一つ同じ存在で、一つ同
じ構造と機能/働きを持つものとして、創造主である神が無条件/無留保/無担保で造っ
てあります。
 詰まり、全ての人の心とその働きは、創造主である神の心をそっくりその儘只で頂いて
いることになります(心の起源とその中身と機能)。

○なぜ創造主である神の心は人の心の一つ同じだと分かるのか?
 なぜ創造主である神の心は人の心の一つ同じだ、と分かるのか?
 この答えは、一言で言えば、いわゆる悟りの体験をすると、分かります。
 悟りの体験は、人の心の中の体験です。
 そして、人の心の働きで、創造主である神と一つになる体験をします。
 この結果、自動的かつ必然的に、創造主である神とは、「心」と私たちが呼ぶ存在その
ものだ、と分かります。
 この後で、創造主である神が、なぜ「心」という存在でなくてはならない理由が理屈で
分かります。即ち────
 創造主である神は、私たちが「心」とか「精神」と名付けて呼ぶ存在であって初めて、
天地創造の原理である原因=結果の因果必然の自然法則に一切全く制限・制約されずに、
自由自在にかつ無限の創造を可能にする「空」なる働きを持つ創造主である神として機能
し得る、と分かることになります。

○人がこの世界を認識し理解できる理由
 さて、以上の話を土台/前提にして、人がこの世界を認識し理解できる根拠と理由を説
明する準備ができました。
 言い換えると、人がこの世界を知り理解することが出来る一般的な原理の存在とその根
拠を説明したことの他に、なぜ一般法則論が創造主である神とこの神が造ったこの世界を
知ることができるのかの答えがここにあることになります。
 この世界の創造主も、創造主である神が造ったこの世界と人も、人の持つ心と身体も、
全て一つ同じ、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きで造
られている、という話をしました。
 この世界の全てが、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きのみで造
られている、という事実(正確には、この真偽が科学的に客観的に検証されるべき仮説)
は、考えてみると、その余りの単純さに驚きます。
 この結果は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きで造
られている人の心で、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働
きで全て出来ている創造主である神とこの創造主である神が造ったこの世界を、全て認識
し/知り、理解する形/具合になっていることになります。
 そこで、人の心で、創造主である神の存在を含めて、この世界の成り立ちと仕組みを、
創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで知り理解するが出来て当然の
仕組みになっていることになります。
 また、これができることで、神が造ったこの世界(神の国)を認識し理解して、この認
識と理解(の程度)に則って/に応じて、実際にこの世界で、創造主である神の化身/分
身の存在に相応しいように、自由自在に生きることができるようになります。

○この世界を知り理解するのにノーベル賞級の頭脳でなくても済む
 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ているこの世界の成り
立ちと仕組みを、同じく創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来
ている人の心で認識し理解するのですから、原理的には、人に生まれれば誰でも、一義的/
一意的に明確に確定的にかつ客観的かつ絶対的かつ普遍的な知識の形で認識することがで
きます。
 しかし、現実には、躾と教育、個人の知識と教養、信じている宗教宗派、思想信条、生
まれた文化文明等によって、この世界の成り立ちと仕組みを見る目は、歪められ、最初か
ら偏見に満ちたものになっているものです。しかも、こうだとは、自ら悟りの体験/覚醒
体験でもしない限り、中々気が付かないし、人に指摘された位では全く分からないのが普
通です。

○創造主である神の存在を人の心で知るための条件がある───悟りの体験
 創造主である神+自然法則+エネルギーで出来ている創造主である神を、創造主である
神+自然法則+エネルギーで出来ている人の心、また、創造主である神の心をその儘頂い
ている人の心で、認識し、理解するからこそ、実際に、創造主である神の存在を、認識し
理解することができる、という話をしました。
 大事な話ですから、同じ説明を繰り返しました。
 問題は、この先にあります。
 結論的に言えば、既にお話してあるように、人の心で神の心=神の存在を認識し理解す
るには、日常の心の状態とは全く異なる、神の心=神の存在を認識し理解し得る、いわゆ
る悟りの体験が可能な、特殊/特別な心の状態に人がなる必要があります。
 これは、悟りの体験のその瞬間、人の心の状態が、神の心と一つ同じ心になっているこ
とが必要不可欠だ、ということです。
 この時に、意識のある心を持つ人の心は、絶対的無意識の存在の創造主である神の存在
を初めて意識化し、認識し理解し得ることになります。
 悟りの体験の、そして日常生活で「あっ、分かった!」体験の鍵言葉は、「無意識の意
識化」です。
 悟りの体験をするには、これに実際に則った方法である必要が、常にあります。

○悟りの体験の実際の方法について
 志の在る者が悟りの体験をし得る確立したシステムとして、禅宗の「坐禅」修行が世界
的に知られています。
 いわゆる臨死体験でも、一部の人たちに過ぎないようですが、絶対的無意識の存在の創
造主である神の存在が意識化されることが知られるようになりました。しかし、悟りの体
験をするのに、死の一歩手前まで行かなくてはならないのでは一般的ではありません。
 また、いま一つ、宇宙飛行士が宇宙で神の存在を発見する体験をすることも知られてい
ます。しかし、これも、未だ一般的な悟りの方法ではありません。

○自己否定による悟りの体験
 何かの機会に、自らによる自己否定が、殆どの場合が妄想まみれの自らのアイデンティ
ティ/存在根拠の否定まで及んだ瞬間、一部の人は、いわゆる無我・無心の状態になれる
と同時に「絶対的無意識の存在の意識化」が行われ得る特別な意識状態に心がなって、こ
の瞬間に、一気に「仏の側から行われて」、悟りの体験をすることがあります。

○感受性トレーニング(ST)の問題点
 企業の中で、社員は、研ぎ澄まされた感性で問題を発見し、その解決に自ら主体的に創
造的に取り組むことが望ましい、と考える人たちがいます。
 これを受けて、いわゆる「感受性トレーニング(ST)」は、問題発見・解決の創造的
能力の発揮を妨げるような個人的な思考の枠組みやその人が自らの存在根拠にしている価
値観等の見直しと破壊を目的として行われます。
 筆者は直接の体験はありませんが、テレビで何度か見た事を元に判断すると────
 この訓練の中では、これに参加する人たち同士の間で、各人の妄想的で非現実的な存在
根拠を否定するように、指導者が仕向け、この事を強要します。
 「実在するのはただの豚だ」と分からせる式のことを無理やりする訳です。
 この結果、悟り/覚醒体験をする人がいます。
 しかし、この方法は、社会的地位とか過去の業績とか人に誇れるような学歴等の心理的
な諸々の鎧を纏うことで自分を守っている人のその心理的な鎧を一気に引き剥がします。
 この結果は、大の大人が自らの存在根拠を一気に失い、この衝撃で精神が異常になる人
たちが少なからず出る点で、とてもお勧めできる方法ではないことになります。

○一般向けの禅宗の坐禅の方法と無意識の意識化の練習の方法
 一般的な万人向けの方法は、禅宗の「坐禅」修行か、筆者が体験した日常生活の中での
無意識の意識化の練習しか未だ無いようです。
 でも、悟りの体験の原理的仕組みが、「無意識の意識化」と分かった以上、新しい方法
が発見されるかも知れません。

○存在を造ることと認識することは一つ同じ原理に従う
 この世界を造るのにも、この世界を知り/認識し理解するのにも、常に必ず、創造主で
ある神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって造られた存在=システムに基づ
かなければならない、というのが、創造主である神自らも絶対的に従わなくてはならない
自然の掟(自然法則の一部)です。
 人が、自ら自身とその住む世界について認識し理解する場合でも、この掟は働いていま
すから、これに絶対的に従うことが必要不可欠です。

○以上の見解について科学的な証拠があるのか?
 以上の見解について科学的な証拠があるのか?
 この答えは、この世界を、創造主である神の存在を除く、自然法則+エネルギー一体不
可分の存在とその働きのみで説明している科学が大成功をしている、という証拠のみ充分
でしょう。

○現在の人類的課題は創造主である神の実在を認めること
 今、人類的な課題は、この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解するには、自然法則+
エネルギーの他に、創造主である神の実在の発見とこの理解が必要不可欠だ、という所に
来ている、ということです。
 人類が抱える諸問題の解決には、実在する創造主である神+自然法則+エネルギー一体
不可分の認識と理解を土台にした世界観と人間観が必要不可欠です。

○現行憲法は神の存在を一切の根拠を示さず一方的かつ積極的に否定
 これまでの科学を含む学問一般はもちろん、日本の国家の法律的な形を決めて作ってい
る憲法も、神の存在を絶対的に否定しています。
 具体的に言えば、憲法が定めている、信仰の自由/思想良心の自由/政治と宗教の分離
の原則などは、神の存在など絶対に認めないし信じないという考え方を持つ事を禁止しな
いということです。即ち、無神論を信念として、公の仕事にも係わることを認める、とい
うことです。
 現行憲法では、実在する創造主である神の存在が、国家の秩序から一方的に絶対的に排
除されています。
 神が実在するのかどうかについては哲学的にも議論があり、存在しないと一方的に決め
つけるのは、全く間違っているにも係わらず!
 現行憲法の制定には、「天皇を中心にする神の国日本とその国民」を非科学的な妄想だ
と否定する、神の存在を否定する、当時のアメリカの共産主義者たちが係わっていました
から・・・。

 以上が、人が、(創造主である)神の存在を知る為の自然的な土台/大前提/大条件で
す。
 この知識の出所は、筆者自身の悟りの体験です。



一般法則論は宗教ではない

2006-01-08 02:45:39 | 一般法則論
 一般法則論は宗教ではない
(救世主はあなたご自身!以下書き換え 20060110)

○神の実在を土台にした新しい世界観と人間観の提唱
 一般法則論は、創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の働きで、私た
ち人間存在を含めたこの世界の仕組みが造られているという、新しい世界観と人間観を提
示するものです。
 この世界と人の存在について、今まで一番正確で厳密な、従ってとても有用で実用的な
世界観と人間観を提示している学問/人間が成し得た最高・最良・最善の思考と言えば、
この世界の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギーという2つの基本概念で全て説明し
尽くそうとしている自然科学がもたらしてくれたものです。
 こう断言して良いでしょう。
 これに対して、一般法則論は、今一つ、創造主である神の存在を加えて、創造主である
神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界が造られているという新しい世界
観/人間観を提示するものです。

○一般法則論は新しい形の宗教ではない!
 一般法則論は、この中で、神の実在を言うものですから、よく「宗教ですか?」と聞か
れます。
 この答えは、もちろん、新しい形の宗教を提唱しているものではありません、と言うこ
とになります。
 いわゆる神とか仏の存在を持ち出すから、即それは宗教の話になる、ということではあ
りません。
 そこで、一般法則論で言う「神」とは何か改めて確認してみましょう。

○一般法則論で言う「神」の存在は宗教の教義/教理から導き出されたものではない
 一般法則論で言う「神」とは、万人が原理的に体験可能な、いわゆる悟りの体験の中で
発見される、この世界の天地万物の創造主である神という存在のことです。
 悟りの体験で発見したという「神」の存在は、神からの特別の「啓示」によって筆者が
知ったものではない、という意味にもなります。

 では、神の存在は、悟りの体験をすることでしか、発見できないのか?
 この答えを探して、筆者の悟りの体験直後から試行錯誤が始まりました。
 この結果、発見したのが、この世界が創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可
分の働きで出来ている事実を元にした、創造主である神の存在証明でした。

 本来悟りの体験の中で発見され得る存在を、たとえ悟りの体験が無くても理屈だけでそ
の存在が分かるようにしたのが、自然法則(+エネルギー)の性質から論理必然的に/機
械的にその実在を導き出す方法です。

 同じことを言い換えると、本来悟りの体験でのみその存在の何かが分かる「神」につい
て、悟りの体験の中で発見した(誰でも本来発見し得る)創造主である神+自然法則+エ
ネルギー一体不可分の働きでこの世界が造られている事実を土台にして、自然法則+エネ
ルギーについては既に自然科学的にその存在が分かっているのですから、そこで、自然法
則+エネルギーの存在とその働きには、更に今一つ「創造主である神」の存在が必要不可
欠であることを、理屈だけで説明するものです。

 上の説明で明らかなように、一般法則論で言う「神」の存在は、何かの宗教の教義や教
理や神学等から導き出されたものではない訳です。
 一般法則論で言う「(創造主である)神」とは、何かの宗教にその存在根拠があるので
はなくて、自然科学的思考にこそその存在根拠があることになります。
 一般法則論における神の存在は、(宗教的にではなくて)科学的に認められる(べき)
存在です。

○(創造主である)神の実在を自然科学的に証明した
 端的に言えば、一般法則論により、(創造主である)神の存在が、(宗教的にではなく
て)自然科学的に存在証明ができた、ということです。
 こうである、とあなたも認めて下さいますか?

○一般法則論で言う「神」という名称(再確認)
 自然法則(+エネルギー)の性質から論理必然的に/機械的にその実在が導き出された
モノについて、一般法則論で「神」の名前を付けた理由は何か?
 この答えは、このような存在について、人類は昔から「神」とか「仏」の名前を付けて
呼んできた歴史的事実があること、また、一般法則論で新しい変な名称を付けるのはおこ
がましいことなどから、昔ながらの「神」の名で呼ぶことにしたのでした。
 これ以上の話でも、これ以下の話でもありません。

○一般法則論で言う「神」の存在根拠の再確認
 神とか仏と言えば、それは、特定の宗教宗派の存在とこれに基づく宗教信仰を、自動的
かつ必然的に連想してしまい勝ちです。
 ですから、一般法則論でも「神」の存在を言えば、一般法則論も何か新しい宗教を提唱
するものか、という誤解をする方がおられるのはもう当然と言えば当然です。
 しかし、先ほども言いましたように、一般法則論で言う神の存在は、何かの宗教宗派の
教義や教理から導き出されたものではありません。
 それどころから、特定の宗教宗派の教義/教理や特定の主義主張や思想や哲学から一切
無関係に発見されたものです。
 一般法則論で言う「神」の存在は、これを直接発見し得る悟りの体験の他に、自然科学
で言う自然法則(+エネルギー)の性質から論理必然的に/機械的にその実在が導き出さ
れ得るものです。

・自然科学的世界観/人間観の普遍性
 自然科学とは、人の存在を含めたこの世界の成り立ちと仕組みを、エネルギー+自然法
則というたった2つの基本概念で、客観的にかつその真偽を検証可能な形で説明しようと
する考え方です。
 この意味で、自然科学は、言語や人種や民族や性別や年令や貧富や時代や地域や文化文
明等の違いを超え、特定の宗教宗派の教理や主義主張や思想信条も超えて、全人類にとっ
て普遍的かつ絶対的な世界観と人間観を提供する物です。
 こうである、とあたたも確認してくださるでしょうか・・・。

・今、パラダイム変換のとき
 もちろん、今、自然法則+エネルギーの他に、創造主である神の存在が明らかになった
のですから、この世界の成り立ちと仕組みは、創造主である神+自然法則+エネルギー一
体不可分の働きで出来ている、という新しい世界観と人間観に「パラダイム変換」すべき
ときになった、というべきです。

 このような意味の自然科学上の説明概念の一つの自然法則の持つ性質(子供でもその真
偽が検証可能)に基づいて、論理必然的にその存在が示唆されるのが、いわゆる「神」の
存在です。そして、一般法則論で言う「神」とは、正にこの意味の「神」です。
 こういうことですから、これまで、人類が、一般法則論で言う意味の「神」の存在につ
いて、一義的/一意的に明確に確定的に知らなかったのが、むしろ変だったのです。
 いや、自然科学的な知識が、大は宇宙大まで、小は物質の根源や生命の根源にまで及ぶ
ようになり、これを理屈で説明する相対性理論や量子論が発見されている今初めて、いわ
ゆる神の存在について、悟りの体験によらなくても理屈だけで説明できるようになった、
というのが正確な言い方になるでしょう。
 言い換えると、日本という国は、このような最新の科学的知識が、子供にも入手可能な
超一級の文明国です。
 筆者が、アインシュタインの相対性理論について知ったのは、記憶に間違いがなければ
まだ中学生の頃で、白揚社が出版したG・ガモフ全集の中の「不思議の国のトムキンス」
という本によってでした(最近復刻されたようです)。
 相対性理論を何とか理解しようと、この本を繰り返し読んだものでした。
 この時に得た知識が、一般法則論の中で、神が自らの身心を自己展開してこの世界の全
てを造ったことを、アインシュタインの物質とエネルギーとは等価の公式E=Mc2 をヒ
ントにして、次のように説明することを思いつかせることになりました。
 E(創造主である神の身心)=無限大→E=c2 /秒→E=Mc2 +(c2 -Mc2 )
→(今自然科学的に知られている知識に基づくと陽子以外の全てのM=存在について)E
=c2 (以上において、光速cは常に一定不変であることが必要不可欠)。

○従来の宗教宗派との関係
 自然法則とエネルギーの存在とその働きは、特定の宗教宗派の教義/教理には一切無関
係の、私たち人間を含めた天地万物全ての存在に先立つ、普遍的かつ絶対的かつ客観的な
存在であることは、皆さんも既によくご存じの筈です。
 この自然法則とエネルギーの存在とその性質から論理必然的にその存在が引き出される
神の存在も、本質的に/本来的に/原理的に、特定の宗教宗派の教義/教理には一切無関
係の、私たちから観ると、自然法則とエネルギーと同じように、それ自体で在るようにし
て在る普遍的かつ絶対的かつ客観的な存在物であることになります。
 こういう事なので、自然法則(+エネルギー)の性質から論理必然的にその実在が証明
された神の存在は、特定の教祖や特定の民族や特定の宗教宗派の専売特許や独占物である
筈があり得ません。

○一般法則論は宗教化しないし有り得ない
 ましてや、一般法則論の宗教化など有り得ないし、絶対にあってはならないことです。
 筆者は、悟りの体験をして以来、出来心にも、一般法則論を宗教化して、自分がその教
祖になろうと思ったことはただの一度もありません。

○私はいわゆる救世主ではない
 もちろん、私はいわゆる救世主でもありません。
 前世紀の1990年代頃に、ある方が、現状の世界を救う救世主がいたら支援したいと
いう発言をしたら、自薦他薦で日本の内外から200余名の人達が名乗り上げて、驚いて
支援の申し出を撤回したという話を、御本人が書いた本で知りました。
 もちろん、この時に、私は救世主として名乗った一人ではありません。

○救世主はあなたご自身!
 インターネットで検索すると、アフリカにキリスト教でいう救世主が現れたという、そ
の救世主の写真付の物がありますね。
 一般法則論の理解では、一人の例外もなく全ての人が、この世界の唯一絶対普遍かつ至
高の創造主である神の化身であり分身です。
 この意味で、各人の救世主──あなたの救世主は、あなたご自身しかあり得ません。
 理屈から言っても、トイレに行きたくなった私に代わって、代わりにトイレに行って用
を足してくれる「救世主」が現れる筈がありません。
 自分の生命/人生は、創造主である神の化身/分身の存在らしく独立自尊の誇りを持っ
て、自らの自己責任で生きるのが、創造主である神が定めたこの世界の仕組みです。

・自己責任とはひどい言い方だ!
 国家社会は、各人に代わって各人の人生の生き方の是非や幸不幸の責任を負うべきであ
り「人に優しい政治/弱者に優しい政治、国民の生きる権利を実際に実現するヒューマニ
ズムに根拠を置いた国家運営をすべきだ」と主張する識者の発言を、小泉首相が先の選挙
で大勝して以来、新聞等でよく目にします。
 人間として生きる権利を、各人の自己責任にするのは、弱肉強食の世界を肯定し、強者
による弱者の搾取を野放しにし、経済格差/階級格差を広げ、金持ちだけが得をする社会
を作ろうとする陰謀だ、という訳です。
 一般法則論は、もちろん、人間の権利やヒューマニズムにではなくて、創造主である神
+自然法則+エネルギー一体不可分の働きに、全ての人が生きる全ての根拠を置きます。
 神が造ったこの世界(神の国/人が生存する為の生活基盤/インフラ)の仕組みには生
態学的秩序に基づく食物連鎖のシステムはありますが、弱肉強食のシステムなど造りませ
んでした。神の目には、最初から弱者も強者もいません。
 現象として存在するのは、神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを理解し、それに忠
実に則って行動する人達と、これを知らず知ろうともせず他人や国家・社会等に頼って生
きようとする人達です。
 創造主である神としては、自らの化身/分身に造った、他の誰でもない、他の誰にも代
替できないあなたには、あなたが自ら選んだ人生を生きて欲しいし、それこそ創造主であ
る神の心から望む所です。
 全ての人それぞれに異なる個性、異なる運命を生きるはずのところを、一人の救世主が
現れて、全ての人の生き方をまとめて代行してしまうようになったら、何のために創造
主である神はあなたになっているのか、この世界の根源の所が否定されてしまいます。
 このことを無視した、救世主伝説は、まったく根拠の無い話です。

○今再び救世主が現れたら人類はまた殺す
 今、一部の人達が救世主の出現を熱心に望んでいる、と聞きます。
 しかし、人類の多くは、神の存在を未だ知らないし、認めようとしていません。
 それどころか、無神論が、地球を覆い、聖職者の間にも蔓延しつつあるほどです。
 国連は、無神論の唯物論をその本質にする社会主義の実験国ソ連が自壊したのを人類は
知ったのに、未だ無神論の左翼思想が占領し、国連の諸活動を支配していると聞きます。
 このような状況で、もし救世主が実際に現れたらどうなるでしょうか?
 神の存在を知らず信じもしない人達が、救世主を救世主として認め歓迎し受け入れるで
しょうか?
 人類はこの点に関して、既に幾つかの実例を知っています。
 その著名な例が、イエス・キリストの例です。
 イエスも、誰かから聞いて知った神や教典等に書かれている神ではなくて、自ら直接知
っている神に付いて語った一人です。一般法則論的な意味の悟りの体験があることは、新
約聖書のイエスの言葉を拾い読みしても分かります。
 しかし、その時の人達は、教典に説かれている神とは異なる神を説くイエスを認めず、
自らの宗教教団組織の既得権や利権を守るためもあったのでしょう、イエスを敵視し、殺
ろしてしまいました。
 自分の宗教宗派の教典等に説く神の存在しか認めない人達は、今でも普通にいます。
 オウム真理教のように、実際教団の敵とした人達を殺したり殺そうとした例は、決して
特異な例外ではありません。
 あなたは、救世主が現れたら、認め受け入れることができますか?
 多分、何者が本物の救世主かを見極める方法もご存じではない、と推測します。

○「救世主に代わる弱者に優しい国家運営を!」説に反論
 救世主伝説は、まったくその通りに根拠の無い話だ。
 しかし、国家がある! 小さな政府ではなくて、弱者に優しい大きな政府こそ、少なく
とも適切な大きさの政府こそ、ありもしない救世主にとって代わるべきものだ! とあな
たは言いますか?
 こう主張されるあなたは、創造主である神の天地創造の意図を持ち出すまでもなく、生
命の進化の歴史について、ご存じではないのです。
 生命の進化の歴史は、簡単に言えば、環境にもっぱら頼ってその生存を確保する存在か
ら、環境に頼らず、環境から独立してもその生存を確保し維持できる生物=ヒト=一般法
則論的には創造主である神の化身/分身の存在の誕生への歴史です。
 これは、自らの皮膚の内側=自らの生き方を自由に選ぶことができる心の働き=自発的
意識のある心を持つ生物の誕生=生物としてのヒト=創造主である神の化身/分身の存在
への進化の歴史です。
 言い換えると、この生物進化の歴史は、(自らの皮膚の外側の世界にではなくて)自らの
皮膚の内側の世界に、自助自立し独立自尊の生き方ができる力を持った存在=ヒト=創造
主である神の化身/分身の存在を造り出す歴史です。
 全ての人がこう造られているのに、国家が、正確に言えば、弱者に優しいことを主張する
人達の企みは、国家を丸ごと乗っ取って、強者=エリートによる支配の恒久的制度を確立し
て弱者にはほどほどに優しくして、後はお手盛りで国家・社会の財産から甘い汁を吸おうと
いうものです。
 共産党が一党独裁支配の現中国では、現にこの通りになっていることを報道で知ること
ができます。
 弱者に優しいことを売りの社会主義的な考えが支配している所では、それが日本でも、
実際こうなっています。
 人生を楽して生きたい人達は、何でも利権にし特権にしたがります。こういう人達が最
近発見したのは、女に生まれるだけでそれが社会的/国家的な利権になり特権になる、と
いうことです。

 もちろん、例えば大地震や台風といった自然災害など色々の原因で、本当に支援の必要
な人達がいます。
 一部の人達は、自助自立した人としての生き方の原理を知らないし、それを教えられる
ことも無かったのです。
 これらの人達には自助自立に向けて、同じ時代を一緒に生きている者同士として支援の
手を十二分に差し延べるのが、人のとしての情というものですし、国民の生命と財産を守
べき国の大事な役割の一つです。

○国民/民族の品位/品格を維持し守るのも国の役割
 国家は、国民の生命と財産を守るのが、その役割だ。
 しかし、これに、家族の存在とその役割を尊重し、例えば皇室や俳句など日本民族の良
き伝統文化を維持するためにも読み書きソロバン(最近はこれに食育と体育と徳育を加え
るべしという主張がありますが賛同します)の基礎教育をよくして人間としての教養を高
め、独立自尊の国民を育てることで、国民/民族の品位や品格を維持し守るのも、国家の
大事な責任に付け加えたいとお考えの方もおられるでしょう。
 本当に、国民の生命と財産を守るだけが、国家の役割ではありません。
 各人自らの自己責任で自らの品位/品格を保ち守るべきなのはもちろんのことです。
 同時に、国家・社会も、国民/民族の品位、品格を守り維持することに気を配ることは
結局、国民/民族の質の高い生活を造り出すことになりますから、また、外国から尊敬さ
れ、真似され、一目を置かれる存在にもなりますから、これは、国際社会において民族と
国家の名誉ある存続にも役立つことになります。

 日本は、世界的に見て、それなりに国民/民族に品位/品格が備わっている(いた)か
らこそ、とても平和で安全な社会を享受してきた、と言って良いでしょう。
 一般法則論は、これを更に強化することに役立つことを願っています。

 以上で、この文は終わり


神の存在証明再考

2006-01-07 00:26:34 | 神の存在証明
神の存在証明再考

 追記 2010年2月22日
 この文では、一般法則論で言う創造主である神が、天然自然の存在の創造主である神であり、その存在証明も、天然自然の存在の創造主である神の存在証明をすることになる点に関する説明が足りません。 
 このことに関しては、2008年以降の文をお読みください。
 

○先の神の存在証明は事の単純化が不足
 一般法則論としては、神の存在証明を、既に済ませてあります。
 しかし、それは、いわゆる悟りの体験をした筆者の知識を十二分に活用したものでは無
かった、と今になって分かりました。
 簡単に言えば、一般法則論に相応しい事の単純化が不足していました。
 この反省に基づいて、改めて神の存在証明を、ここでします。

○神の実在を学問的にも公共的にも認知させる事に成功したか
 話を単純化すると、話が分かり易くなり、説得力も強くなります。
 神の存在のように、未だその存在が学問的にも公共的にも認知されてはいないモノの実
在に関する主張は、複雑怪奇な話の儘では全く通用しません。
 そこで、一言で内容が言えるほど、話を単純化し簡略化することが必要不可欠です。
 一般法則論的な神の存在証明が、神の実在を学問的にも公共的にも認知させる切っ掛け
になる程の説得力のある話の単純化/簡略化にどこまで成功したか、今、その成果が問わ
れている所です。

○一般法則論/筆者の決意
 一般法則論的な意味の神は実在します。
 「それでも地球は回っている」の話と同じように、「それでも神は実在し仕事をしてい
る」訳です。
 この世界を造り支配している創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の
働きの内の、「創造主である神」の実在を、学問的にも公共的にも認めないのは、大間違
いです。
 この点に関して、本質的には、学問的に公共的に認知するしないは、ましてやあなたや
私個人がそれを認める認めない等ということは、根源的な真理の実在の存否に一切無関係
です。
 なぜならば、回っている地球も、神の実在も、過去・現在・未来の全ての人の存在に客
観的かつ絶対的かつ普遍的に先立つ、それ自体で客観的かつ絶対的かつ普遍的な真理その
ものだからです。もちろん、こういう事に関する主義・主張は、その真偽が真理そのもの
に照らして常に必ず客観的かつ絶対的かつ普遍的に検証されて合格した時にのみ初めて学
問的にも公共的にも認められ受けいられるべき性質のものであることは、言うまでもあり
ません。
 一般法則論的な意味の神の実在を、学問的に、公共的に、更に地球人類全体のレベルで
認知させ常識にすることに関して、筆者の決意は、真剣で、大真面目で、一途です。
 で、変なヤツだとからかわれたり、危ない人間と思われて攻撃されたりすることがあり
ます。しかし、これは、殺されないのである限り、無視して前へ進むしかありません。

○神とは何か知らずに神の存在証明はできない
 神の存在証明をするには、もちろんその前に、神とは何かが一義的/一意的に明確に確
定的に分かっている必要があります。

○理性の力では神の存在を知ることはできない
 神とは何かを知らなくても、理屈を捏ね回せばその内に神とは何かが自然に分かる式の
発想/考え方で、神の存在証明が昔から行われて来ました。
 しかし、この考え方では、神の存在証明は、結局できません。
 なぜならば、神に関する知識を得ることが、理屈を展開する理性が働く意識の状態では
原理的に不可能だからです。
 知識の真の源は、人の理性にではなくて、この世界の創造主である神の所にしかないか
らです。
 神とは何かを知るには、いわゆる悟りの体験をすることが必要不可欠です。
 悟りの体験は、変成意識と言われる非理性的な特別の意識状態になり、絶対的無意識の
存在の神を意識化することです。これによって、一瞬にして神とは何かが、一義的/一意
的に明確に確定的に分かります。

○神について一義的/一意的に明確で確定的な知識が必要
 筆者が、ここでしている一般法則論の話の中で神の存在証明をしたときに、23歳(1
963年)の時の悟りの体験に基づいて、既に神とは何か(この世界の天地万物の唯一絶
対普遍かつ至高の創造主である神)について、一義的/一意的に明確に確定的に知ってい
ました。
 それどころか、創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みについても、一義
的/一意的に明確に確定的に知っていました。

○創造主である神の天地創造の実際に関する知識も必要
 それは、神自らの身心をこの世界を造るための唯一絶対普遍の素材として提供し、天地
創造の原理に則って、言わば神自らの身心を自己展開する形で、神自らの化身/分身とな
るべき人間存在(宇宙大では人と同じ様な知的生命体としての宇宙人一般)と、この生活
基盤/インフラになる大自然世界を造ったのでした。

○この世界を創造主である神+自然法則+エネルギーで説明すべきことも知っている
 更に、自然科学は、人と人が住むこの世界の成り立ちと仕組みを、エネルギー+自然法
則というたった2つの基礎概念で説明し尽くそうとするものだ、という理解の下で、創造
主である神の身心とはエネルギーのことであり、創造主である神の天地創造の原理は自然
法則であるので、この世界は、創造主である神の存在を加えて、創造主である神+自然法
則+エネルギーの3つの基本概念で説明するのが正しい、ということも、一義的/一意的
に明確に確定的に知っていました。

○自然科学はこの世界を自然法則+エネルギー+数学で説明するものというのは誤解
 なお、自然科学は、この世界を自然法則+エネルギー+数学で説明するもの、という誤
解が広く世間に行き渡っています。
 この誤解に基づいて、数学に強くなければ自然科学はできないし、それを理解すること
さへできない、と言う更なる誤解が広く世間に行き渡っています。
 しかし、数学を一切使わなくても、(創造主である神+)自然法則+エネルギー一体の
働きという考え方だけでこの世界の成り立ちと仕組みは説明できますし、この知識に基づ
いて、十二分に(自然)科学的に考え、(自然)科学的に振る舞うことができます。
 科学的とは、単純化すると、自然法則+エネルギーの働きに則って考え行動するという
意味です。
 これは、簡単に言うと、何をするのでもそれをする正しいやり方や更にこれに加えて上
手なやり方/うまいやり方があると知ることですし、これを基本的に決めているのは自然
法則の働き方の原理である、「それをそれにする原理的仕組み」にその科学的な根拠があ
ることを知っていることです。
 このことを知らずに、科学的にはまったく根拠の無い、自分が勝手に決めたやり方を、
しばしば権力や暴力を使って強引に押し進めようとする人達がいます。例えば現在の北朝
鮮政府や中国政府。
 このようなことをする人達を諌めることはむずかしくても、少なくともそれに加担し、
それを助けることを避けることはできるものです。
 特に、数学に弱いから科学が分からないと思い込まされている文系の人達には、この話
は朗報の筈です。

○神と神の世界に関する根本的知識を獲得した「悟りの原理」も説明できる
 悟りの体験を、筆者だけでなく広く万人に可能にする原理的仕組みの存在(日常の意識
とは異なる特殊ないわゆる変成意識+絶対的無意識の存在の意識化)についても、神の存
在証明をするときには既に一義的/一意的に明確に確定的に知っていました。

○神による天地創造のやり方を具体的に説明できる知識も必要
 そして、実際にこの世界と人の存在が造られる仕組みは次のようになっていることも、
一義的/一意的に明確に確定的に知っていました。

・創造主である神と天地創造の意図/目的+自然法則+エネルギー一体不可分の働き→創
 造主である神の化身/分身としての人の存在とその住む大自然世界の誕生
・創造主である神の化身/分身の存在の人とその存在意図/目的+自然法則+エネルギー
 (物質)一体不可分の働き→各人の人生・文化文明的諸文物・人類史の誕生
 以上の図式を、別の形に書き換えると、次のようになります。

○世界を説明するための8つの要素に関する知識
1 創造主である神とこの神の天地創造の意図/目的
2 創造主である神の身心でありこの世界を造っている素材であるエネルギー
3 創造主である神の天地創造の原理としての自然法則
4 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られた大自然世界(神
 の国)と神の化身/分身の存在の人(神の国の住人)の誕生
5 神の化身/分身の存在の人とその存在意図/目的
6=2 エネルギー(物質←物質はエネルギーが変形した物というE=Mc2 の式)
7=3 自然法則
8 神の化身/分身の存在の人+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで作られた各人
  の人生・文化文明的諸文物・人類史の形成/誕生(人工の世界/第二の自然)

○8つ(実質4つ)の要素の間にある相互関係に関する知識もある
 この8つ(実質は4つ)の要素の間にある相互関係について、筆者は、一義的/一意的
に明確に確定的に知っています。

○部分に分離分割ができない常に全体でただ一つの世界
 創造主である神が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造った
この世界は、部分部分に分離し分割することが決してできない、常に全体でただ一つの世
界として存在し、常に全体でただ一つの世界として働くものであることも、一義的/一意
的に明確に確定的に知っていました。これは、物理学的には光速度一定不変の原理とエネ
ルギー不滅の法則とも関係があります。
 なお、このような世界を説明するには、悟りの体験の時に一瞬にしてその全体を理解し
た時のように、一度に全部を一気に説明する方法しかないと考えて、この方法を探すのに
もう何年も試行錯誤の時間が掛かったものです。

○話の単純化
 以上の図式をもっと単純に書き換えると、次のようになります。
1 創造主である神
2 エネルギー
3 自然法則
4 生物としての人の存在を含む天然自然の世界
5 人の存在
6=2 エネルギー
7=3 自然法則
8 人工の世界

○現代の科学的常識では創造主である神の存在以外は既知
 さて、上に掲げたこの世界を構成している8つの要素(実質的には4つ)の内、現代の
科学的な常識では、1の創造主である神以外の残り7つ(実質4つ)の存在は、その存在
が既に知られています。

○現代の科学的常識を土台にした科学的な神の存在証明の仕方とその実際
 こういうことならば、科学的な神の存在証明は、科学的には未知の要素である創造主で
ある神の存在を、科学的には既知の残りの7つ(実質は4つ)の要素を使って行うのか良
いことになります。
 実際には、これを、自然法則(+エネルギー)には自らの主体的かつ自発的かつ自由な
意思が無いこと(物理では慣性の法則と言います)を自覚的な知識にして、これを手掛か
りにして、創造主である神の存在証明をすることになります。
 即ち、人が言わば人工の世界の創造主である神のように振る舞うという形で関与しない
と、自然法則+エネルギーだけの働きでは人工の世界/第二の自然は作れないように、創
造主である神と言う天然自然の存在抜きで、自然法則+エネルギーだけの働きでは、人の
存在を含めた天然自然の世界(大自然世界)を造ることが出来ないから、天然自然の存在
の創造主である神の存在は、自然法則+エネルギーの他にこの世界にとって、論理必然的
に或いは自動的かつ機械的に必要になる、という結論になります。

 以上で、再度の神の存在証明を済ませました。
 先の神の存在証明の仕方よりも今度の方が分かり易いですか?

○その存在証明をしたのは単なる神ではなくて創造主である神
 ここで確認しておきたいのは、その存在を証明したのは、単なる神の存在ではなくて、
私たちの存在を含めたこの世界の天地万物の唯一絶対普遍の創造主である神です。
 神の存在証明は、創造主である神の存在証明である必要があるのです。
 なぜならば、私たちの創造主である神であって初めて、私たちにとって意味のある存在
になるからです。
 また、神とは何かを考える鍵言葉も、この世界の「創造主」という点にあります。

○あなたは、神の実在を認めて受け入れましたか?
 科学的な思考のできるあなたは、この世界を作り支配している自然法則とエネルギーの
存在とその働きを既によくご存じでしょう。
 ならば、今再びその存在証明をした通り、自然法則及びエネルギーと一体不可分の存在
の創造主である神についても、ついでに認めてくださるでしょうか・・・。

 それとも、やっぱり神の存在など認めたくないですか・・・。
 しかし、仮令あなたが、ここでその存在証明をした意味の神の存在を認めなくても、そ
れでもあなたに化身し分身化している神の実在は、誰も否定することができません。
 あなたに化身し分身化している神は絶対にあなたを見捨てないし、一生涯更に死後も常
にあなたと共にあって、あなたを守り、あなたを助けてくれます。
 ある時には、あなたの努力を、原因=結果の因果必然の法則がしっかりと働いて、実り
あるものにしてくれます。
 また、ある時には、自然治癒力として働いて、あなた本来の身心の完全完璧さを維持し
或いは痛んだ所を修復してくれます。
 もし、あなたが神の存在を認め受け入れ、「神に祈る」という用語で知られている方法
を自覚的に意図的に使えると、普段は自動的かつ機械的に紋切り型に限定的にしか働かな
い自然治癒力を、俗に言う不治の病でも治すほどの本来の強い治癒力して使えます。
 神とは、人が元々有りもしないものを勝手に創り出したもので、あってもなくてもどっ
ちでも同じの抽象的で観念的な存在に過ぎないものではありません。
 神は、確かに実在し、全ての人の日常的な生き方の究極の拠りどころになる原理として実用的な有り難い存在です。

○単純化を妨げた理由
 今回の神の存在証明では、科学的にも常識的にも、神の存在だけが未知で、自然法則や
エネルギーや私たち人間存在や私たちが生きているこの世界の存在は既知だ、と単純化し
て考えました。そして、既に知られている物で、未知の神の存在を証明しました。

 しかし、最初の神の存在証明では、厳密な意味では、神の存在だけでなく、その他の自
然法則やエネルギーや私たち人間存在や私たちが生きているこの世界の存在さへも、人類
にとっては未だ全て未知の存在である、と考えていました。
 例えば、自然法則やエネルギーの本質やこの間の関係や働き方の原理等について、科学
の基礎理論でも、未だ説明していないものです。
 そこで、神の存在証明をする為には、全てを最初からかつ零から説明する必要がある、
と決め込んでいました。
 それに、悟りの体験を可能にし、この世界を知ることができる「心」とか「精神」と名
付けて私たちが呼ぶ存在の実在証明をする必要もある、と考えていました。
 最初の神の存在証明のときには、この通りに私の頭の中は複雑な儘でした。
 そこで、先の神の存在証明では、何か不完全感が拭い切れませんでした。

○存在証明した神は悟りの体験で知った神そのもの
 一般法則論で言う神の存在証明は、「絶対的無意識の存在である神の意識化」という原
理に則って行われた俗に「悟りの体験」という方法で一義的/一意的に明確に確定的に知
ることができた神の存在を証明したものです。実際、これが、筆者の長年の課題だった訳
です。
 繰り返して言いますが、一般法則論における神の存在証明は、悟りの体験で知った神の
存在と、この神が自然法則+エネルギーを道具に使って造ったこの世界の成り立ちと仕組
みに関する知識+幼児の時から自覚的に知識を積み重ねて来た自然法則(+エネルギー)
の性質や働き方の原理等に関する知識に基づいて、その存在を証明したものです。
 言い換えると、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られてい
るこの世界の成り立ちと仕組みに関する悟りの知識に基づき、子供でも体験的に知ること
ができる自然法則(+エネルギー)の持つ性質等を直接の手掛かりにして、その存在を証
明したものです。
 この点で、一般法則論での神の存在証明は、循環論法/同義語反復/トートロジーを、
自覚的に意図的に採用しています。
 循環論法/同義語反復/トートロジーと言う意味は、これ以外の知識や権威等に一切頼
る必要がない、これ自体で自己完結し自立している理論だ、ということです。

○従来の宗教宗派でいう神仏の存在証明ではない
 一般法則論でその存在を証明した神は、既に存在している宗教宗派で言う神の存在を指
すものではありません。
 既に存在している宗教宗派で言う神の存在の多くは、その存在証明がなされておらず、
「分からないから信じる」のだし、そもそも存在証明を試みること自体が神に対して不敬であり不遜
な考え方だ、というものです。
 また、その神の存在は、一般法則論で説明する、神の存在について唯一直接知ることが
できる悟りの原理に則って得られるような知識に必ずしも基づいていないものです。
 その神についても、一義的/一意的に明確に確定的に説明されているものではありませ
ん。

 以上で、神の存在証明の再考は、終わります。


お勧め本のこと 2006年1月追加

2006-01-05 00:13:02 | 創造主である神
 お勧め本の追加
 今、起業がはやりのようです。
 しかし、新しいビジネスを始めるのでも、それをする正しいやり方があります。
 どんなに熱意や情熱があっても、またどんなに良いアイデアがあっても、それだけでは
起業に成功できる訳ではありません。
 ましてや、思い付で走ったのでは、起業に成功するのは万に一つもありません。

 そこで、お勧め本が、次の本です。
 起業をお考えの方には、西順一郎氏の「戦略会計入門」と共に、この本の一読をお勧め
します。
 起業を考える人が、最初に考え準備しなければならない諸点について、体系的かつ網羅
的に、かつとても具体的で分かり易い説明をしています。
 横浜市中小企業指導センターでの起業家セミナーを元にしていますから、とても実践的
な本です。

 横浜市中小企業指導センター編
 起業に失敗しないための起業家読本 ビジネスプランから会社設立・運営まで
 2003年9月(筆者が持っているのは旧版で1998年12月発行)



お勧め本のこと 2006年1月

2006-01-02 22:35:45 | 創造主である神
お勧めの本のこと2006年1月

○凄い発見・発明の紹介をする
 天地万物の唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神の存在を証明して、この神が造った
この世界の事を丸ごと説明しようとしています。
 と言っても、筆者の興味関心の及ぶ範囲は限られていますので、とてもその全部を網羅
することはできません。
 世の中には、筆者の興味関心が及ばない所で、凄い発見・発明をされている方々が、も
う無数に存在しています。
 そこで、このような方々の存在とその発見・発明についてここに紹介することも、一般
法則論の一部と心得ています。
 これらの発見・発明は、多くが既にその発見者・発明者の手で書籍の形にまとめられて
います。
 そのような例を、以下に紹介します。
 あなたのお役に立つと嬉しく思います。

 次の本は百頁足らずの物ですが、何かスポーツをする選手にとっては必読の成功哲学の
書。もちろん、潜在意識の活用法の本を知っている人にもお勧め。
 ラニー・バッシャム+藤井優 メンタル・マネージメント 勝つことの秘訣 ヨルダン
社 1988年
 身体的な技術の定着と向上を目指す練習の他に、今ではイメージトレーニングやイメー
ジ・リハーサルをすることは、スポーツ選手の常識になりました。
 しかし、未だに、オリンピックに出る選手の中にも、イメージトレーニングやイメージ
・リハーサルをする正しい方法を知らないようだと思うことがあります。
 この本は、イメージトレーニングやイメージ・リハーサルをする正しい方法を教えてく
れます。

 次は成功哲学を、実際の経営に活用している例。とても具体的に説明されています。
 渡邉美樹の夢に日付を! ~夢実現の手帳術~ あき出版 2005年

 「成功哲学」は、人をして幸運の人にするためのハウツーとノウハウの習得も意味しま
す。
 例えば、突然の鉄道事故等に遭遇して、生死を分けるのが、運が良い人か、悪い人かの
違いです。どんなに事故防止の物理的装置が完備されても、それでも生死を分けるような
ことが発生します。
 そこで、理屈はともかく、手っ取り早く自分の運を日頃から良くするように鍛えるため
のハウツーを説いた著者の本のお勧め。
 浅見帆帆子 あなたは絶対!運がいい グラフ社 2001年
 リチャード・ワイズマン博士 運のいい人、悪い人 運を鍛える四つの法則 角川書店
 2004年

 また、一般法則論/成功哲学は、何をするのでも、それをする為の正しい方法があるこ
とを知るものでもあることになります。
 例えば、犬の飼い方のハウツー本や、ガーデニングの基本を説く本など。

 マルクスの資本の運動を人類史上初めて解明したという「資本論」を幾ら読んでも、独
占資本の資本家になれる企業経営力は身につきません。
 しかし、全国的にこの熱心な実践者がいて成功している、企業経営の原理的仕組みを説
いている方がいます。
 次の本で説明されていることをしっかりと身につければ、健全な会社経営ができる人に
なれるでしょう。
 西 順一郎 戦略会計入門 売上高は役に立たない ソーテック社 1987年
 絶版の本ですが、古本として手に入ります。
 この本では、従来の「複式簿記を基礎にした会計学」に変えて、実際の経営判断に役立
つように実用化された「マトリックス会計」も紹介しています。
 なお、「西 順一郎」「戦略会計」でインターネット上で、WEB検索を。

 今回の紹介本は、以上です。


明けましておめでとうございます。

2006-01-01 17:55:29 | 一般法則論
 明けましておめでとうございます。
  あなたのご健康と繁栄を祈ります。
    平成18年/2006年 元旦

 今年は、一般法則論を説明し尽くしたい。
 「ブログの女王」真鍋かをりさんのブログ「真鍋かをりのココだけの話」(http://man
abekawori.cocolog-nefty.com/)には、毎日20万件のアクセスがあるとか。
 せめて、その1/10、1/100のアクセスの実現を目指したい。

  本年も宜しくお願い致します。