○誰も勝手に哲学することはできない 哲学の新常識
「哲学するとは何か 岩波講座 哲学の広告を読んで」(2008年7月29日)で、次の様に申し上げました。
「一言で言えば、誰も勝手に哲学することなどできない、ということです。
なぜならば、私達がこの世界の成り立ちと仕組みと人という存在について哲学する遥か前に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで、この世界の成り立ちと仕組みもヒトとは何かも、既に造られ、既に決められているからです。」
「この事実を前提にしないと、哲学的な思考は、自動的かつ必然的に、全てがこの世界の成り立ちと仕組みに関係の無い、これに基礎を置かない、妄想の哲学になります。」
これを、「哲学の新常識」ということにします。
しかし、この見解は、これまでの哲学の常識ではありませんでした。
この事実は、本屋さんにある哲学書や哲学事典、思想書或いは自然科学に関する本の頁を読めば、すぐに理解していただけるもの、と思います。
○これまでの哲学的な思考方法は根本的に間違っていたと分かる
簡単に説明した「哲学の新常識」に照らして見ると、これまでの哲学的な思考は、根本的に間違っていた、と分かります。
十八世紀のイギリスの哲学者バークレーは、物質の実在を否定し、「物体は知覚されたときにはじめて実体を持つ」と主張したそうです。
しかし、この世界の成り立ちと仕組みの歴史から言えば、私達全てに先立って、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きでこの世界が造られ、この後に、この世界の中に私達は生まれ、そして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで既に造られて実在しているこの世界を意識化し認識することができる意識のある心の働きを持つようになったのですから、バークレーの説は、根本的に、原理的に成り立たないことになります。
しかし、話は、哲学の分野に留まりません。
なぜならば、哲学がこの世界を造っている根本原理の解明をしようとしていますが、哲学が解明の対象にしているのと一つ同じ世界について、自然科学も同じくその成り立ちと仕組みを解明しようとしているからです。
そして、バークレーの説は、量子論の形に姿を変えて、「コペンハーゲン解釈」なるものの形で、いまや自然科学者一般の常識になっているからです。例えば、次の本の77頁の説明。
リチャード・モリス(2002) 杉本由美訳(2002) ビッグ・クエスチョンズ 神はいるのか、いないのか、科学が解き明かす12の大疑問 はまの出版
そこで、哲学の新常識は、自然科学の世界にまで自動的かつ必然的に及びます。
○哲学の新常識を量子論に当て嵌めて考えると・・・
例えば、電子にも光子にも、私達が常識的に考えるような、形のある「粒子」のような実体はない、と量子論では言います。
このために、量子論の実体は何かの説明ができません。
しかし、この量子論の考え方は、私達がこの世界に生まれて来る遥か前に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで既にこの世界の成り立ちと仕組みが造られていた、という客観的な事実を、まったく無視していることの上に成り立っているものです。
即ち、この世界の成り立ちと仕組みがどうできているのか、例えば、電子や光子はどうできているのか、また、それが私達にはどのように認識されるのかも、自然科学者がとやかく言う前に、既に一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に決まっているのです。
一般法則論では、電子も光子も、それぞれ、電子の原理的な仕組みと光子の原理的な仕組みを基にして、エネルギーを素材にして造られている、システム的に実在する存在です。
この場合、波の性質を持つエネルギーが電子と光子を観測すると現れるものですから、素材のエネルギーではなくて、波としてのエネルギーに心を奪われて、奇妙な量子論や多世界解釈などの珍説を生んでいる、というわけです。
○高校レベルの物理学の教科書を理解してもこの世界の成り立ちと仕組みは分からない
話は、量子論に限らず、例えば、高校レベルの物理学の教科書の記述にも当て嵌まります。
即ち、高校レベルの物理学の教科書の記述によって、この世界の成り立ちと仕組みが決められ、造られているのではない、ということです。
そこで、高校レベルの物理学の教科書を仮令丸ごと理解できても、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを発見し理解し尽くすことはできないことに自動的かつ必然的になります。
○まとめ
私達が生きているこの世界の成り立ちと仕組みについて、私達がその実体についてとやかく言う前に、既に天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に形が与えられている。
この事実を無視して、ヒトは、勝手に哲学することも、自然科学を打ち立てることもできないのです。
このことは、幾ら強調しても強調し切れません。
例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
「哲学するとは何か 岩波講座 哲学の広告を読んで」(2008年7月29日)で、次の様に申し上げました。
「一言で言えば、誰も勝手に哲学することなどできない、ということです。
なぜならば、私達がこの世界の成り立ちと仕組みと人という存在について哲学する遥か前に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで、この世界の成り立ちと仕組みもヒトとは何かも、既に造られ、既に決められているからです。」
「この事実を前提にしないと、哲学的な思考は、自動的かつ必然的に、全てがこの世界の成り立ちと仕組みに関係の無い、これに基礎を置かない、妄想の哲学になります。」
これを、「哲学の新常識」ということにします。
しかし、この見解は、これまでの哲学の常識ではありませんでした。
この事実は、本屋さんにある哲学書や哲学事典、思想書或いは自然科学に関する本の頁を読めば、すぐに理解していただけるもの、と思います。
○これまでの哲学的な思考方法は根本的に間違っていたと分かる
簡単に説明した「哲学の新常識」に照らして見ると、これまでの哲学的な思考は、根本的に間違っていた、と分かります。
十八世紀のイギリスの哲学者バークレーは、物質の実在を否定し、「物体は知覚されたときにはじめて実体を持つ」と主張したそうです。
しかし、この世界の成り立ちと仕組みの歴史から言えば、私達全てに先立って、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きでこの世界が造られ、この後に、この世界の中に私達は生まれ、そして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで既に造られて実在しているこの世界を意識化し認識することができる意識のある心の働きを持つようになったのですから、バークレーの説は、根本的に、原理的に成り立たないことになります。
しかし、話は、哲学の分野に留まりません。
なぜならば、哲学がこの世界を造っている根本原理の解明をしようとしていますが、哲学が解明の対象にしているのと一つ同じ世界について、自然科学も同じくその成り立ちと仕組みを解明しようとしているからです。
そして、バークレーの説は、量子論の形に姿を変えて、「コペンハーゲン解釈」なるものの形で、いまや自然科学者一般の常識になっているからです。例えば、次の本の77頁の説明。
リチャード・モリス(2002) 杉本由美訳(2002) ビッグ・クエスチョンズ 神はいるのか、いないのか、科学が解き明かす12の大疑問 はまの出版
そこで、哲学の新常識は、自然科学の世界にまで自動的かつ必然的に及びます。
○哲学の新常識を量子論に当て嵌めて考えると・・・
例えば、電子にも光子にも、私達が常識的に考えるような、形のある「粒子」のような実体はない、と量子論では言います。
このために、量子論の実体は何かの説明ができません。
しかし、この量子論の考え方は、私達がこの世界に生まれて来る遥か前に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで既にこの世界の成り立ちと仕組みが造られていた、という客観的な事実を、まったく無視していることの上に成り立っているものです。
即ち、この世界の成り立ちと仕組みがどうできているのか、例えば、電子や光子はどうできているのか、また、それが私達にはどのように認識されるのかも、自然科学者がとやかく言う前に、既に一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に決まっているのです。
一般法則論では、電子も光子も、それぞれ、電子の原理的な仕組みと光子の原理的な仕組みを基にして、エネルギーを素材にして造られている、システム的に実在する存在です。
この場合、波の性質を持つエネルギーが電子と光子を観測すると現れるものですから、素材のエネルギーではなくて、波としてのエネルギーに心を奪われて、奇妙な量子論や多世界解釈などの珍説を生んでいる、というわけです。
○高校レベルの物理学の教科書を理解してもこの世界の成り立ちと仕組みは分からない
話は、量子論に限らず、例えば、高校レベルの物理学の教科書の記述にも当て嵌まります。
即ち、高校レベルの物理学の教科書の記述によって、この世界の成り立ちと仕組みが決められ、造られているのではない、ということです。
そこで、高校レベルの物理学の教科書を仮令丸ごと理解できても、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを発見し理解し尽くすことはできないことに自動的かつ必然的になります。
○まとめ
私達が生きているこの世界の成り立ちと仕組みについて、私達がその実体についてとやかく言う前に、既に天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に形が与えられている。
この事実を無視して、ヒトは、勝手に哲学することも、自然科学を打ち立てることもできないのです。
このことは、幾ら強調しても強調し切れません。
例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
バークレーのこの主張は、「あなたの母はあなたが知覚したときにはじめて実体をもつとするならば、あなたはなぜ存在するのか」と問われ、慌てふためいて、神を持ち出したとんでもない哲学者。哲学史にはずかしながら、名を連ねているに過ぎない哲学者。