いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

一般法則論の意図と筆者が匿名である理由

2008-10-25 00:23:04 | 一口解説/一口メモ
○一般法則論の名前の由来と筆者の匿名化について
 名前の由来は、一般法則論という話の全体を一言で言い表す必要から、論者の私が勝手に決めて作ったものです。命名の参考にしたのは、「一般意味論」と「一般システム論」です。
 言い換えると、一般法則論を、筆者の名前を関して呼ばれることを避けたいからです。
 この関連で、筆者をこのブログでは匿名にしています。
 一般法則論と名付けたのに、なお、筆者の名前を冠して「○×理論」/「○×哲学」と言う方がいるのです。
 筆者の個人名を付けると、一般法則論が意図する、一般法則論で人類のための普遍哲学を説くという意図が損なわれることを恐れます。

○一般法則論の意図
 人類がこれまで作ってきた、全哲学、全宗教、全学問、全思想・信条、全倫理・道徳、全文化・文明等と、これらを基礎に成り立っているヒトの生き方の全てを、一度リセットし、ゼロにし、「ご破算に願いましては」にし、新たに再構築することをめざしています。
 端的にいえば、人類のこれまでの生き方は、天然自然の存在の創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを知らず、間違った生き方をしているからです。
 人類史を神の国を地上に実現することに向けて正しくリセットするために、ヒトの存在を含めた、この世界の成り立ちと仕組みの全てを一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に造っている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きについて、一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にかつ徹底的な説明を、このブログで試みています。
 同時に、このような試みの「たたき台」になることも、一般法則論は最初から自覚的に意図しています。

○一般法則論の出自
 一般法則論の出自は、1963年の秋、私が二十三歳になった秋のある日に、いわゆる悟りの体験をして、この中で一瞬にして理解したことに根拠があります。
 なお、悟りの体験が誰にでも可能な一般的な原理の説明については、悟りの体験の「一口解説」に譲ります。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


創造主である神の存在は必要ではないという科学の正統派の意見を潰す

2008-10-23 22:31:21 | 一口解説/一口メモ
○このブログでは「一般法則論」という全体でただ一つの理論について説明している
 以下の文は、「一般法則論」と名付けた、この世界の成り立ちと仕組みを、天然自然の存在の創造主である神の存在証明をして、人類史のリセットを試みる考え方/理論を説明するための一連の文の一部として書いているものです。
 いいかえると、一つの理論を首尾一貫した理屈で説明しているのではない、その時々の思いつきの考えを述べている文だと受け取ってもらっては困ります。
 この文で意味不明のことは、別の文でちゃんと説明しているはず、と理解してくださり、その別の文がこのブログの何処にあるのか探して頂けると有難く思います。この便宜のために、「一口解説」という文を用意しつつあるところです。
 よろしくご理解のほどをお願い申し上げます。
 一般法則論の筆者 拝

○天地創造に当たり創造主である神はやはり不必要ではないのかという可能性を潰す
 一般法則論では、自然法則の持つ慣性の法則性を基に、天然自然の存在の創造主である神の自然科学的な存在証明をしています。
 しかし、この世界が創造された最初の瞬間だけは、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが、この世界の成り立ちと仕組みを創造するためにだけ勝手に或いは偶然に働いた可能性だってありうる、と言われる方がいるかも知れません。
 つまり、この世界の成り立ちと仕組みを造るに当たって、創造主である神の存在はやはり不必要だった、という意見です。
 このことは、量子的な揺らぎの発見により、自然科学的な根拠がある事実だ、というわけです。
 これは、現在の正統派の科学観、と申し上げても良いでしょう。
 この意見を検討し、根拠が無い理由を示して、潰しておきます。

○自然の法則には時間が無い!
 自然科学では既によく知られているように、「自然法則自体には時間が無い」し、「過去から現在を通って未来に向かって一方向に不可逆的に流れる時間」といういわゆる「時間の矢」もありません。
 自然法則は、時間を持たない、言い換えると、常に「永遠の今、ここ」しか知らない、ということです。
 すなわち、自然法則が時間について可逆的であることは、自然科学で既に知られています。

○「自然法則は時間を知らない」という属性から論理必然的に導かれること
 自然法則には時間がありません。
 自然法則は時間を持たない、という本質的な属性/性質がある、ということです。
 そこで、自然法則は、この世界が造られるときに勝手に或いは偶然に働いたというのならば、今、この瞬間においても同じく勝手に或いは偶然に働く性質/属性を持ち続けていなくてはなりません。
 しかし、今、この瞬間、ここで私達が知っているのは、自然法則には時間がなく、また、慣性の法則性を持っている、という科学的に既に広く知られている事実です。
 そこで、私達が/自然科学が「慣性の法則」という形で知っている事実が示すとおり、この世界の成り立ちと仕組みが造られた最初の瞬間においても、自然法則は慣性の法則という属性/性質=時間が無いという性質を持っていた、というのが正しい理解の仕方でしょう。
 この考え方を補強すると、自然科学で既に知られているように、自然の法則は、宇宙大で時間や場所に関して普遍的な首尾一貫性を持つ、ということです。これは、自然の斉一性ともいわれます。
 慣性の法則性とは、自らの主体的な自由意志を持っていて、この自由意志に基づいて自分の思い通りに行動することができる能力を持っていない、という意味です。
 ついでに言うと、主体的な自由意志を持っているのは、意識のある心の専売特許に属しています。

○量子的な揺らぎの正体
 この世界の成り立ちと仕組みの始まりは、量子的な揺らぎにある、という主張についても、これを否定しておきます。
 この世界の成り立ちと仕組みの全てを造っているエネルギーは、自然科学で既によく知られているように、それ自体で規則正しく振動する波としての性質を持っています。
 この波の性質が、例えばエネルギーが微小な電子を造る素材になっているときに、そのまま電子の振舞い方として露わになる、ということです。
 この現象の仕組みを知らないと、電子は揺らいでいるとかエネルギーの波の振動の各時点で別世界が造られているという「多世界解釈」という珍説、しかも、現在多くの科学者に支持を広げている珍説を生むことになります。

○自然法則とエネルギーは元々創造主である神の構成要素
 一般法則論で、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き、というとき、創造主である神という存在の外に、創造主である神とは独立した独自の存在として、自然法則やエネルギーがある、と考えているのではありません。
 エネルギーの元は、創造主である神の身心そのものです。
 自然法則は、創造主である神の活動の原理、仕事の原理、天地創造の原理そのもののことです。
 創造主である神による天地創造が始まる前は、天然自然の存在の創造主である神と自然法則とエネルギ一とが未分化で、この三つが一体不可分で存在していたのです。
 この状態では、私達が現在生まれ住んでいる世界が持っているような時間も縦・横・高さからなる三次元の空間も誕生する前ですから、ゼロ時間、ゼロ空間の、「永遠の、今、ここ」しかない天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の創造主である神のみが存在していた、ということになります。なお、天地創造が始まる前段階の世界をΩ(おめが)点と名付けることにした説明は別の文。
 しかも、天地創造が始まる前の、ゼロ時間、ゼロ空間の世界は、私達が生まれ住んでいる物質的な世界が造られ誕生する前の、未だ物質的な存在がない、これを知らない、非物質的な世界=私たちが精神とか心と呼ぶもののみで出来ている世界です。
 今、いわゆる「ビックバンク」による天地創造が始まってから、物質が質量を持つようにした「ヒッグス粒子」があるはずという仮説を実証する実験が欧州の地で行われつつありますが、これが意味していることは、そのヒッグス粒子が働く前は、私達が今「物質」という言葉で知っているような物質は存在していなかった、ということを、自然科学は認めている、ということです。なお、ヒッグス粒子の存在は疑問という話は別の文。
 そして、天地創造の始まりと同時に、天然自然の存在の創造主である神、自然法則、エネルギ一の三つに機能が分化して、しかもこの三つが三位一体不可分の働きで、私達ヒトという存在と、ヒトが住むこの世界が造られたのです。

○自然法則+エネルギー一体不可分の働きの持つ性質
 自然法則+エネルギー一体不可分の形で働く自然法則は、原因と結果の間を一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にかつ絶対的に繋ぐ因果必然の絶対法則として、創造主である神が意図した通りに、一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にかつ絶対的にこの世界の成り立ちと仕組みを造る絶対的な属性、言い換えると慣性の法則性を持っています。
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、創造主である神の天地創造の意図を如何なる意味でも、拒否したり、否定したり、妨害したり、勝手に書き換えたり、その実現を遅延・遅滞させたりすることができません。
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きに唯一絶対普遍的に出来ることは、創造主である神が意図した通りに即座に無条件に無留保で、一切の限定や制限なしに常に自動的かつ必然的に目いっぱいに働くことです。
 この事実は、自然法則とエネルギーが元々創造主である神を造っている要素であり、創造主である神とは別のものではないことから論理必然的に引き出されることです。

○「引き寄せの法則の活用法」でも慣性の法則性は役立つ
 ところで、一般法則論の理解では、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きはヒトの無意識/潜在意識の中味そのものでした。
 創造主である神が、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大では宇宙人一般)に置き換えられても、自然法則+エネルギー一体不可分の働きに関して、その話は全くおなじです。
 このことは、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法において、しっかりと理解して記憶する価値があります。

○簡単な結論
 結論として言えることは、この世界の成り立ちと仕組みの始まりは、自然法則の 偶然の働きで始まった、という可能性は絶対に無い! ということです。
 言い換えると、誰かヒトが作ったのではない、私達の存在全てに先立って、それ自体であるようにしてあった、天然自然の存在の創造主である神の存在抜きで、この世界の成り立ちと仕組みの創造はなかった、ということです。

○時間をこの世界にもたらしたのはエネルギーの働き
 自然法則には時間の観念がありません。自然法則は時間を持ちません。
では、私達がよく知っている時間をこの世界にもたらしたものは何でしょうか?
 この答えは、この世界の成り立ちと仕組みの全てを造る素材になっているエネルギーです。
 なお、エネルギーの大本/起源は、一般法則論の理解では、創造主である神の身心です。

 私達が生きているこの世界に「時間」、それも過去から現在を通って未来に向かって一方向的に不可逆的に流れる「時間の矢」を創り出しているのは、自然法則と一体不可分で働いてこの世界の成り立ちと仕組みを造る唯一絶対普遍の素材になっている「エネルギー」の働きです。
 この世界の成り立ちと仕組みの全てを造る素材になっているエネルギーは、E=C^2/秒を基本の絶対的単位として、天地創造に当たり、創造主である神により提供されたものです。
 ここに、時間の矢とかエントロピー増大の法則の持つ不可逆性の起源があります。

○E=C^2の簡単な説明
 Eはエネルギー。
 この世界の成り立ちと仕組みの全てを造っている素材としてのエネルギーは、C、即ち光というエネルギーの形で、天地創造のとき以来、この世界の創造主である神によって提供され続けています。
 そして、光が広がって進む速度は毎秒約三十万キロメートルで一定不変。→重力の発生と重力定数の起源へ

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。