この文では、人類の未来像について、考えます。
○人類の未来像は?
読売新聞の朝刊に、「日本の知力」という連載記事がありました。
これは、五月一日で終わりましたが、最後の記事で、社会の未来像について、現代のヨーロッパ知識人の誰も、何も提示できないで居る、というフランスの社会学者、アラン・トゥーレーヌ氏の言葉を紹介しています。
ソ連が崩壊するまでは、人類の未来像は、マルクスのいう共産主義社会の実現だったことは、あなたもご存知でしょう。
○人類の未来像を描く方法 客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在する法則に則る
人類の未来像を描くには、最初に、私たちは混沌と偶然が支配している世界に生きているのではなくて、この世界は因果必然の秩序だった法則に支配されている事を証明して、次に、人類の歴史を支配する何らかの法則の存在を発見して、その発見された歴史の法則に則って人類の未来像を明らかにする、という方法があります。
また、この方法しかない、ということが出来ます。
即ち、それ自体が万人にとって等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在し、万人を等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に支配する因果必然的な法則を最初に発見して、この法則に則って、その法則の働きどおりにこの世界が展開して行くのならば、これこれの未来が地球人類に因果必然的に訪れる、という具合に説明する必要があります。
○色々な未来予測法は法則に則って行われる
未来予測法というものがあります。
これは、一般に、何らかの法則がそこに働いていることを前提にして、その法則に則って、未来を予測するものです。
株式投資をする方ならば、テクニカル分析が、株価の値動きを法則的に捉えて、主に短期の予測をする方法であることをご存知でしょう。
例えば次の本。
上田太一郎, 中西元子, 渕上美喜(2005年3月) 新版・上昇株らくらく発見法 東京 同友館
○この世界を発見し理解する方法に関する一般法則論の考え方
一般法則論では、この世界の成り立ちと仕組みを発見し理解するには、この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理を発見し、その原理そのものでこの世界の成り立ちと仕組みを理解する、という方法を「理解の原理」と言っています。
人類の歴史の法則の発見にも、このことは当然に当て嵌まることになります。
一般法則論で言う「原理」とは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きのことです。
○万人にとって等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在する法則は自然法則しかない
万人にとって等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在する法則。
このような属性/性質を持つ法則となれば、それは、誰か特定のヒトが勝手にでっち上げて作った法則ではなくて、誰かヒトが造ったのではない、天然自然の存在の法則に限られます。
即ち、これは、自然科学で言う、「自然法則(+エネルギー一体不可分の働き)」しかありえません。
○宇宙人一般にも当て嵌まる歴史の法則
自然法則は、自然科学的な常識では、ヒトがこの世界に誕生する前から、それ自体で独自に、宇宙大で等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在し働いている天然自然の存在の法則です。
そこで、地球人類の歴史を支配している自然の法則があるとすれば、これは即宇宙大で、宇宙人一般の歴史にも等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に当て嵌めることができる、という意味になります。
例えば、地球上で行われた、創造主である神の化身かつ分身の存在を、地球という天体に創り出す生物進化の歴史は、宇宙大的な普遍性があるはずです。
○自然科学が描く人類の未来像
自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界の成り立ちと仕組みを説明する自然科学が描く人類の未来像は、星の進化に関する法則が発見されていて、五十億年後には私たちが住む地球は大きくなった太陽に飲み込まれていて、少なくとも地球上には、人類は存在していない、というものです。
このことは、もう五十年以上前から、自然科学的に一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に分かっていました。
そして、このとおりになるものと思います。
○マルクスの史的唯物論が描いた共産主義社会の実現は妄想だった
マルクスは、科学的な史的唯物論に基づく弁証法的な歴史の発展法則で、共産主義社会が論理必然的に実現する、と主張しました。
マルクスは、史的唯物論に基づく弁証法的な歴史の発展法則を、科学的な自然の法則と理解していたのは明らかですね。
しかし、マルクスは、自然科学とはこの世界の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の働きで説明し尽くそうとする学問であることや、この世界の成り立ちと仕組みの始まりは物質が先に存在していて心が物質から生まれたと理解する唯物論ではなくて、唯心論、即ち、心=創造主である神が先に存在していて、物質は心の働きが創造したものであることをまったく知りませんでした。
心とは何か、ヒトとは如何なる存在であるか、ということさへ、マルクスは、まったく無知だったといえます。
マルクスが頼りにしている正・反・合の弁証法的発展の法則は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られている自然の法則の一部でありません。
創造主である神が造ったこの世界は、この世界を造ったのが創造主である神であるがゆえに、自動的かつ必然的に、この内に一切の矛盾を含まない、完全完璧に造られた、この世界の隅から隅まで自他共に絶対的に大肯定されている世界です。
こうであって初めて、この世界の成り立ちと仕組みは存在しかつ永遠に存在し得るのです。
現に少なくとも天地創造以来、137億年の間、この考え方でこの世界は存続してきたのです。
とにかく、マルクスの夢を実現するはずだったソ連は、その間違った理論ゆえに、自己崩壊してしまいました。
○日常体験に反する唯物論という考え方
天動説は、地動説が正しいと分かった今でもなお、私たちの素朴な日常体験に照らして考えれば、そのとおりだと容易に受け入れることができます。
しかし、物質が心を生み出すという唯物論の主張は、私たちの心が先に存在して、この心の働きによって、身の回りにある文化・文明的な諸文物を創造した/発明しているという私たちの素朴な日常体験に照らすと、とても奇妙に思えます。
それでも、この素朴な疑問に答えることなく、「もう二百年も前に唯物論が正しいと決着がついている」と主張する科学者もいます。
これは、自然法則に関する性質や働き方の原理等について、科学基礎論的な考察を省略しているための間違いだといえます。
慣性の法則が意味していることを、ひとつじっくりと考えるだけでも、その答えは出ます。
この答えに基づいて、一般法則論では、自然法則+エネルギー一体不可分の働きを素材と道具にしてこの世界の存在と仕組みを創造した、天然自然の存在の創造主である神を発見しています。
○余談 心を作り出そうとしている唯物論的な科学者たち
なお、唯物論が正しいと信じている科学者は、「心とは何か」について未だ何も知らないのに、コンピューターやロボットに、ヒトが持つのと同じ心を持たせることができる、と本気で信じて試行錯誤をしているようです。
一般法則論的には、心=天然自然の存在の創造主である神の心に起源と根拠=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き=心と生命を持つ物質である生物=意識と無意識と身体との一体不可分の関係=創造性=自然法則性の関係にあるものです。
そして、ヒトの持つ意識と無意識からなる心は、創造主である神の化身かつ分身の存在ゆえに持つものです。
生命がなくて、心だけを持つ非生物の物質的存在など、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中には存在し得ないのです。
○神の国を実現する歴史 一般法則論の考え方
一般法則論の立場で言えば、人類史は、創造主である神の化身かつ分身の存在に造られているヒト/人類が、正に、創造主である神の化身かつ分身の存在として十全に生きることが出来る世界を作り出す過程を意味しています。
しかし、これまで、人類は、地上に神の国を作り出すために生きていることを知らないどころか、自らが創造主である神の化身かつ分身の存在であることさへ知りませんし、こうだと言われても中々認め受け入れることをしません。
それどころか、反対に、多くの人達が、創造主である神の存在を否定し、自らが創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトで疑い、否定し、あざけります。
神の国の実現を認める人たちの中には、一般法則論で説明するようなこの世を神の国に考えているのではなくて、死後の世界にそれがあると間違って考えている人たちも決して少なくはありません。
(話の途中ですがここで中断します)
例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
○人類の未来像は?
読売新聞の朝刊に、「日本の知力」という連載記事がありました。
これは、五月一日で終わりましたが、最後の記事で、社会の未来像について、現代のヨーロッパ知識人の誰も、何も提示できないで居る、というフランスの社会学者、アラン・トゥーレーヌ氏の言葉を紹介しています。
ソ連が崩壊するまでは、人類の未来像は、マルクスのいう共産主義社会の実現だったことは、あなたもご存知でしょう。
○人類の未来像を描く方法 客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在する法則に則る
人類の未来像を描くには、最初に、私たちは混沌と偶然が支配している世界に生きているのではなくて、この世界は因果必然の秩序だった法則に支配されている事を証明して、次に、人類の歴史を支配する何らかの法則の存在を発見して、その発見された歴史の法則に則って人類の未来像を明らかにする、という方法があります。
また、この方法しかない、ということが出来ます。
即ち、それ自体が万人にとって等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在し、万人を等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に支配する因果必然的な法則を最初に発見して、この法則に則って、その法則の働きどおりにこの世界が展開して行くのならば、これこれの未来が地球人類に因果必然的に訪れる、という具合に説明する必要があります。
○色々な未来予測法は法則に則って行われる
未来予測法というものがあります。
これは、一般に、何らかの法則がそこに働いていることを前提にして、その法則に則って、未来を予測するものです。
株式投資をする方ならば、テクニカル分析が、株価の値動きを法則的に捉えて、主に短期の予測をする方法であることをご存知でしょう。
例えば次の本。
上田太一郎, 中西元子, 渕上美喜(2005年3月) 新版・上昇株らくらく発見法 東京 同友館
○この世界を発見し理解する方法に関する一般法則論の考え方
一般法則論では、この世界の成り立ちと仕組みを発見し理解するには、この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理を発見し、その原理そのものでこの世界の成り立ちと仕組みを理解する、という方法を「理解の原理」と言っています。
人類の歴史の法則の発見にも、このことは当然に当て嵌まることになります。
一般法則論で言う「原理」とは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きのことです。
○万人にとって等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在する法則は自然法則しかない
万人にとって等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在する法則。
このような属性/性質を持つ法則となれば、それは、誰か特定のヒトが勝手にでっち上げて作った法則ではなくて、誰かヒトが造ったのではない、天然自然の存在の法則に限られます。
即ち、これは、自然科学で言う、「自然法則(+エネルギー一体不可分の働き)」しかありえません。
○宇宙人一般にも当て嵌まる歴史の法則
自然法則は、自然科学的な常識では、ヒトがこの世界に誕生する前から、それ自体で独自に、宇宙大で等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在し働いている天然自然の存在の法則です。
そこで、地球人類の歴史を支配している自然の法則があるとすれば、これは即宇宙大で、宇宙人一般の歴史にも等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に当て嵌めることができる、という意味になります。
例えば、地球上で行われた、創造主である神の化身かつ分身の存在を、地球という天体に創り出す生物進化の歴史は、宇宙大的な普遍性があるはずです。
○自然科学が描く人類の未来像
自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界の成り立ちと仕組みを説明する自然科学が描く人類の未来像は、星の進化に関する法則が発見されていて、五十億年後には私たちが住む地球は大きくなった太陽に飲み込まれていて、少なくとも地球上には、人類は存在していない、というものです。
このことは、もう五十年以上前から、自然科学的に一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に分かっていました。
そして、このとおりになるものと思います。
○マルクスの史的唯物論が描いた共産主義社会の実現は妄想だった
マルクスは、科学的な史的唯物論に基づく弁証法的な歴史の発展法則で、共産主義社会が論理必然的に実現する、と主張しました。
マルクスは、史的唯物論に基づく弁証法的な歴史の発展法則を、科学的な自然の法則と理解していたのは明らかですね。
しかし、マルクスは、自然科学とはこの世界の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の働きで説明し尽くそうとする学問であることや、この世界の成り立ちと仕組みの始まりは物質が先に存在していて心が物質から生まれたと理解する唯物論ではなくて、唯心論、即ち、心=創造主である神が先に存在していて、物質は心の働きが創造したものであることをまったく知りませんでした。
心とは何か、ヒトとは如何なる存在であるか、ということさへ、マルクスは、まったく無知だったといえます。
マルクスが頼りにしている正・反・合の弁証法的発展の法則は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られている自然の法則の一部でありません。
創造主である神が造ったこの世界は、この世界を造ったのが創造主である神であるがゆえに、自動的かつ必然的に、この内に一切の矛盾を含まない、完全完璧に造られた、この世界の隅から隅まで自他共に絶対的に大肯定されている世界です。
こうであって初めて、この世界の成り立ちと仕組みは存在しかつ永遠に存在し得るのです。
現に少なくとも天地創造以来、137億年の間、この考え方でこの世界は存続してきたのです。
とにかく、マルクスの夢を実現するはずだったソ連は、その間違った理論ゆえに、自己崩壊してしまいました。
○日常体験に反する唯物論という考え方
天動説は、地動説が正しいと分かった今でもなお、私たちの素朴な日常体験に照らして考えれば、そのとおりだと容易に受け入れることができます。
しかし、物質が心を生み出すという唯物論の主張は、私たちの心が先に存在して、この心の働きによって、身の回りにある文化・文明的な諸文物を創造した/発明しているという私たちの素朴な日常体験に照らすと、とても奇妙に思えます。
それでも、この素朴な疑問に答えることなく、「もう二百年も前に唯物論が正しいと決着がついている」と主張する科学者もいます。
これは、自然法則に関する性質や働き方の原理等について、科学基礎論的な考察を省略しているための間違いだといえます。
慣性の法則が意味していることを、ひとつじっくりと考えるだけでも、その答えは出ます。
この答えに基づいて、一般法則論では、自然法則+エネルギー一体不可分の働きを素材と道具にしてこの世界の存在と仕組みを創造した、天然自然の存在の創造主である神を発見しています。
○余談 心を作り出そうとしている唯物論的な科学者たち
なお、唯物論が正しいと信じている科学者は、「心とは何か」について未だ何も知らないのに、コンピューターやロボットに、ヒトが持つのと同じ心を持たせることができる、と本気で信じて試行錯誤をしているようです。
一般法則論的には、心=天然自然の存在の創造主である神の心に起源と根拠=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き=心と生命を持つ物質である生物=意識と無意識と身体との一体不可分の関係=創造性=自然法則性の関係にあるものです。
そして、ヒトの持つ意識と無意識からなる心は、創造主である神の化身かつ分身の存在ゆえに持つものです。
生命がなくて、心だけを持つ非生物の物質的存在など、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中には存在し得ないのです。
○神の国を実現する歴史 一般法則論の考え方
一般法則論の立場で言えば、人類史は、創造主である神の化身かつ分身の存在に造られているヒト/人類が、正に、創造主である神の化身かつ分身の存在として十全に生きることが出来る世界を作り出す過程を意味しています。
しかし、これまで、人類は、地上に神の国を作り出すために生きていることを知らないどころか、自らが創造主である神の化身かつ分身の存在であることさへ知りませんし、こうだと言われても中々認め受け入れることをしません。
それどころか、反対に、多くの人達が、創造主である神の存在を否定し、自らが創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトで疑い、否定し、あざけります。
神の国の実現を認める人たちの中には、一般法則論で説明するようなこの世を神の国に考えているのではなくて、死後の世界にそれがあると間違って考えている人たちも決して少なくはありません。
(話の途中ですがここで中断します)
例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。