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いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

人類の未来像

2008-05-02 03:58:00 | 人類史のリセット
 この文では、人類の未来像について、考えます。

○人類の未来像は?
 読売新聞の朝刊に、「日本の知力」という連載記事がありました。
 これは、五月一日で終わりましたが、最後の記事で、社会の未来像について、現代のヨーロッパ知識人の誰も、何も提示できないで居る、というフランスの社会学者、アラン・トゥーレーヌ氏の言葉を紹介しています。
 ソ連が崩壊するまでは、人類の未来像は、マルクスのいう共産主義社会の実現だったことは、あなたもご存知でしょう。

○人類の未来像を描く方法 客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在する法則に則る
 人類の未来像を描くには、最初に、私たちは混沌と偶然が支配している世界に生きているのではなくて、この世界は因果必然の秩序だった法則に支配されている事を証明して、次に、人類の歴史を支配する何らかの法則の存在を発見して、その発見された歴史の法則に則って人類の未来像を明らかにする、という方法があります。
 また、この方法しかない、ということが出来ます。
 即ち、それ自体が万人にとって等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在し、万人を等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に支配する因果必然的な法則を最初に発見して、この法則に則って、その法則の働きどおりにこの世界が展開して行くのならば、これこれの未来が地球人類に因果必然的に訪れる、という具合に説明する必要があります。

○色々な未来予測法は法則に則って行われる
 未来予測法というものがあります。
 これは、一般に、何らかの法則がそこに働いていることを前提にして、その法則に則って、未来を予測するものです。
 株式投資をする方ならば、テクニカル分析が、株価の値動きを法則的に捉えて、主に短期の予測をする方法であることをご存知でしょう。
例えば次の本。
 上田太一郎, 中西元子, 渕上美喜(2005年3月) 新版・上昇株らくらく発見法 東京 同友館

○この世界を発見し理解する方法に関する一般法則論の考え方
 一般法則論では、この世界の成り立ちと仕組みを発見し理解するには、この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理を発見し、その原理そのものでこの世界の成り立ちと仕組みを理解する、という方法を「理解の原理」と言っています。
 人類の歴史の法則の発見にも、このことは当然に当て嵌まることになります。
 一般法則論で言う「原理」とは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きのことです。

○万人にとって等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在する法則は自然法則しかない
 万人にとって等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在する法則。
 このような属性/性質を持つ法則となれば、それは、誰か特定のヒトが勝手にでっち上げて作った法則ではなくて、誰かヒトが造ったのではない、天然自然の存在の法則に限られます。
 即ち、これは、自然科学で言う、「自然法則(+エネルギー一体不可分の働き)」しかありえません。

○宇宙人一般にも当て嵌まる歴史の法則
 自然法則は、自然科学的な常識では、ヒトがこの世界に誕生する前から、それ自体で独自に、宇宙大で等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在し働いている天然自然の存在の法則です。
 そこで、地球人類の歴史を支配している自然の法則があるとすれば、これは即宇宙大で、宇宙人一般の歴史にも等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に当て嵌めることができる、という意味になります。
 例えば、地球上で行われた、創造主である神の化身かつ分身の存在を、地球という天体に創り出す生物進化の歴史は、宇宙大的な普遍性があるはずです。

○自然科学が描く人類の未来像
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界の成り立ちと仕組みを説明する自然科学が描く人類の未来像は、星の進化に関する法則が発見されていて、五十億年後には私たちが住む地球は大きくなった太陽に飲み込まれていて、少なくとも地球上には、人類は存在していない、というものです。
 このことは、もう五十年以上前から、自然科学的に一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に分かっていました。
 そして、このとおりになるものと思います。

○マルクスの史的唯物論が描いた共産主義社会の実現は妄想だった
 マルクスは、科学的な史的唯物論に基づく弁証法的な歴史の発展法則で、共産主義社会が論理必然的に実現する、と主張しました。
 マルクスは、史的唯物論に基づく弁証法的な歴史の発展法則を、科学的な自然の法則と理解していたのは明らかですね。
 しかし、マルクスは、自然科学とはこの世界の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の働きで説明し尽くそうとする学問であることや、この世界の成り立ちと仕組みの始まりは物質が先に存在していて心が物質から生まれたと理解する唯物論ではなくて、唯心論、即ち、心=創造主である神が先に存在していて、物質は心の働きが創造したものであることをまったく知りませんでした。
 心とは何か、ヒトとは如何なる存在であるか、ということさへ、マルクスは、まったく無知だったといえます。
 マルクスが頼りにしている正・反・合の弁証法的発展の法則は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られている自然の法則の一部でありません。
 創造主である神が造ったこの世界は、この世界を造ったのが創造主である神であるがゆえに、自動的かつ必然的に、この内に一切の矛盾を含まない、完全完璧に造られた、この世界の隅から隅まで自他共に絶対的に大肯定されている世界です。
 こうであって初めて、この世界の成り立ちと仕組みは存在しかつ永遠に存在し得るのです。
 現に少なくとも天地創造以来、137億年の間、この考え方でこの世界は存続してきたのです。
 とにかく、マルクスの夢を実現するはずだったソ連は、その間違った理論ゆえに、自己崩壊してしまいました。

○日常体験に反する唯物論という考え方
 天動説は、地動説が正しいと分かった今でもなお、私たちの素朴な日常体験に照らして考えれば、そのとおりだと容易に受け入れることができます。
 しかし、物質が心を生み出すという唯物論の主張は、私たちの心が先に存在して、この心の働きによって、身の回りにある文化・文明的な諸文物を創造した/発明しているという私たちの素朴な日常体験に照らすと、とても奇妙に思えます。
 それでも、この素朴な疑問に答えることなく、「もう二百年も前に唯物論が正しいと決着がついている」と主張する科学者もいます。
 これは、自然法則に関する性質や働き方の原理等について、科学基礎論的な考察を省略しているための間違いだといえます。
 慣性の法則が意味していることを、ひとつじっくりと考えるだけでも、その答えは出ます。
 この答えに基づいて、一般法則論では、自然法則+エネルギー一体不可分の働きを素材と道具にしてこの世界の存在と仕組みを創造した、天然自然の存在の創造主である神を発見しています。

○余談 心を作り出そうとしている唯物論的な科学者たち
 なお、唯物論が正しいと信じている科学者は、「心とは何か」について未だ何も知らないのに、コンピューターやロボットに、ヒトが持つのと同じ心を持たせることができる、と本気で信じて試行錯誤をしているようです。
 一般法則論的には、心=天然自然の存在の創造主である神の心に起源と根拠=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き=心と生命を持つ物質である生物=意識と無意識と身体との一体不可分の関係=創造性=自然法則性の関係にあるものです。
 そして、ヒトの持つ意識と無意識からなる心は、創造主である神の化身かつ分身の存在ゆえに持つものです。
 生命がなくて、心だけを持つ非生物の物質的存在など、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中には存在し得ないのです。

○神の国を実現する歴史  一般法則論の考え方
 一般法則論の立場で言えば、人類史は、創造主である神の化身かつ分身の存在に造られているヒト/人類が、正に、創造主である神の化身かつ分身の存在として十全に生きることが出来る世界を作り出す過程を意味しています。
 しかし、これまで、人類は、地上に神の国を作り出すために生きていることを知らないどころか、自らが創造主である神の化身かつ分身の存在であることさへ知りませんし、こうだと言われても中々認め受け入れることをしません。
 それどころか、反対に、多くの人達が、創造主である神の存在を否定し、自らが創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトで疑い、否定し、あざけります。
 神の国の実現を認める人たちの中には、一般法則論で説明するようなこの世を神の国に考えているのではなくて、死後の世界にそれがあると間違って考えている人たちも決して少なくはありません。

(話の途中ですがここで中断します) 

例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。

映画、明日への遺言  岡田 資(たすく)陸軍中将の誇り高き生涯 

2008-04-04 03:57:28 | 人類史のリセット
 私の手元に、先日、仏縁があってある会合で入手した次の本があります。

 岡田 資(たすく)著(昭和29年 平成20年改訂復刻) 毒箭(どくせん) 巣鴨より若き世代に遺す 岡田資遺稿刊行会編

 毒箭とは、毒矢の意味です。
 元は、釈迦が説いた説法で、毒矢に射られたときに、とにかくまずはその矢を抜いて手当てをするのが、救命救急行動の優先順位の第一なのに、その毒矢は、誰が何の目的で何処から射たのかとかその毒の種類は何であるか等が解明できるまで、わが身に刺さった毒矢を抜くべきではないと言っている暇は無いはずだ、という話です。
 しかし、煩悩の毒矢に貫かれ、更に「戦犯裁判」にかけられていて自ら抜くことが許されない状態では、「只渾身の勇を振い異常の精神力を以って、矢の在るがままに前者の煩悩毒もろとも、速やかに浄化摂取してしまう外手はないのである。渋柿をそのまま甘に、煩悩即菩提へと飛躍せねばならないのである。」(14頁)

 この本の腰帯には、この本が次のように紹介されています。
 「昭和二十年太平洋戦争末期、撃墜した米軍パイロット処刑の責任を極東軍事法廷で問われ、B級戦犯としてスガモ・プリズンに消えた岡田資(たすく)陸軍中将が、獄房の壁で鉛筆を削りつつ、配給の便箋に綴った数百枚の遺稿をまとめた幻の名著」

 この遺稿の内容は、先の戦争の責任者である軍人が、自らの正当性を主張している、と思ったら、大間違いです。
 「民族国家永遠の生命観に立てば、今次の苦験は蓋し一度は体験すべきものであったかもしれぬが、人間の一生や二生の立場で観察するならば一大失敗であるに相違ない。
 こんな結果を生み出す事になった近世日本国家運営に参画した吾人は、今生その過去に於ける任務如何に論なく、皆落第点である。でもその当時は持ち場々々に於いて、全力を傾倒して来たとの自負心を持っていたのは、只汗顔の至りである。だから今この境涯に陥って、寧ろ何かしら、はじめてホッと落ちつきの気持ちに座し得たように思うのは、決して顧みて別な事をいうてるわけではない。
 それにしても敗戦後巷に躍る自屈の姿、民族卑下の声は何とした事だろうか。いわゆる日本軍閥と独逸の『ナチ』との根本的相違弁別の出来ないらしい批判も流れている。また窮乏と悲境のために無理はないけれども、とかく個人も民族も、その思索が身辺にのみ低迷して、広く国際情勢の過去現在、そしてその表裏に及ばないものが多い。何とも遺憾な事である。日本民族はやはり独逸民族に劣るなんというような、極印を史上に打たれたまま次代の同胞にパトンを渡したくないものだと思う。
(中略)
 人類に戦争を絶滅すべくあらゆる手段をとられなくてはならぬ。然れども遺憾ながら、現象宇宙には遂に永劫に戦争は避けられないもののように私は思う。
 民族国家の位置と環境も見ずして、遮二無二中立を主張しても、それは可能だろうか。この世は絶対に相依相関である。それだというて今以って旧態勢の国防軍復活を夢見るものは狂いに近い。自ら守る方策は宜敷く我らの過去と全然別個の角度から探求創設せらるべきものであろう。経典に万象は『念々に住せず』とあり、これは真理である。住さざれば進歩するのか、退歩するのか、どちらかでなくてはならぬ。退くものは、この大法界の法位から抹殺さるべきものである。」
(7-9頁)

 この本を買い求めたときに一緒に頂いた、藤田まこと主演の三月一日から上映が始まった映画、「明日への遺言」のパンフレットがあります。なお、大阪では舞台公演があるそうです。
 「日米の心を動かした実話―――『法戦』を戦い抜いた岡田資(たすく)中将の誇り高き生涯」と、紹介されています。

 四月三日発売の週刊文春、四月十日号に、「映画『明日への遺言』が教えるトップのケジメ」という見出しで、この映画をご覧になられた、ノンフィクション作家の保阪正康氏の文が載っています。
 保阪氏は、この文の中で、「一人、一代、一仕事」ということを言っておられます。
 私も、一般法則論に関して、「一人、一代、一仕事」というところだ、と思いました。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


この世界は日々あらゆる面で良くなりつつある という真理

2008-01-09 00:03:20 | 人類史のリセット
○「私は凡ゆる面で日々良くなって行きます」--クーエの暗示が示唆すること
 松の内の7日まではお正月の積もりで書き出しましたが、松が明けてしまいました。
 とにかく、新年の始まりなので、おめでたい話をします。

 その話は、「私は凡ゆる面で日々良くなって行きます」という暗示を自分に掛けることで、病気を治すことなどに多大な効果を挙げたというエミール・クーエの自己暗示療法が示唆することについて。
 本当に、「私は/世界は凡ゆる面で日々良くなって行きます」ということはあり得るのか?
 この自己暗示言葉は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みに確かな根拠があるのか?
 この真偽について、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを再確認することで考えよう、という訳です。

 エミール・クーエとは何者か、また、クーエが用いたという「私は凡ゆる面で日々良くなって行きます」という自己暗示言葉自体についての理解は、あなたのお調べに任せて、ここでは説明をしません。→インターネットで、例えば、クーエ、暗示、で検索

○私たちが生きているこの世界のとても「都合の良い真実」
 一般法則論では、私たちが生まれ住んでいる天然自然の世界の成り立ちと仕組みは、天然自然の唯一絶対普遍の存在であり、かつ、客観的に実在する創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ている、と説明しています。

○天然自然の世界は人が作ったのでは無い
 天然自然の世界は全て、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで自動的かつ必然的に造られているのであって、誰か人が作ったのではない、ということです。

○この世界を造っている原理=この世界を認識する原理=この世界の中で生きる原理
 この世界の成り立ちと仕組みは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られています。一般法則論ではこうだと断言します。
 そして、「英語で書かれた文はまず最初は同じ英語でしか読めず理解できない」という英語を初めて習った中学一年生の時に体験的に知った簡単な原理に基づいて考えると、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界を認識し理解するには、同じく創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで認識し理解する方法でしか認識し理解出来ないことになります。
 即ち、この世界を造っている原理=この世界を認識し理解する原理、更には、この世界を造っている原理=この世界の中で生きる原理・生きる拠り所になる原理、という関係があることになります。

○人の心の成り立ちと仕組み
 この世界を造っている原理=この世界を認識し理解する原理=この世界の中で生きる原理・生きる拠り所になる原理。
 同時に、この世界を認識し理解する原理の実際も、人が自らの生き方を決める原理の実際も、人の心の働きによりますから、人の心の中身も、この世界を造っているのと一つ同じ原理、即ち、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られていることに自動的かつ必然的にならざるを得ません。
 そして、実際、この世界は、非物質的な存在=私たちが心とか精神と呼ぶ存在である創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きを元にして、唯心論的な原理で造られたのでした。

○全ての人にとってこの世界はそれ自体で独自に客観的に先に実在していることの意味
 私たち人類を含めた天然自然の世界の成り立ちと仕組みは全て、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きにより、私たちがどう考えどう思うかに一切関係なく、それ自体で全人類の存在に先立って、客観的に唯一絶対普遍的に造られ、決められています。
 具体的には、例えば、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みを否定したり別のものを唱える人間的/個人的/ 民族的な世界観や人間観を主張する個人の良心の自由も思想の自由も無い、という意味です。
 一般法則論では、全ての人の心もこの世界の成り立ちと仕組みを造っているのと一つ同じ天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られていると断言しています。
 そこで、この面からも、この世界の成り立ちと仕組みを実際に造っている創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き以外の何かの原理を、誰かが勝手にでっち上げる自由は原理的に有り得ないし、意味が無いし、実際の役には立ちません。

○自然治癒力/自然回復力/自然復原力/再自己組織化という仕組みの存在
 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られて自己組織化されている天然自然の世界は、そう造られている通りに、常に完全・完璧な状態が維持されるように、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き=自然の力=自然治癒力/自然回復力/自然復原力/(再)自己組織化力として知られている力が、常に自動的かつ必然的に働いています。

○私たちの身心を通しても常に自然治癒力/自然回復力/自然復原力が働いている
 私たち人間存在の全て/人類も、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られている天然自然の存在の一部です。
 従って、私たち人間存在の全て/人類を通しても、自動的かつ必然的に自然治癒力/自然回復力/自然復原力/自己組織化力として知られている天然自然に由来する創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の力が常に働いています。

○創造主である神の化身かつ分身の存在であることが自動的かつ必然的にもたらすもの
 私たち人間存在(宇宙大で言えば宇宙人一般)は、天然自然の存在の創造主である神の天地創造の当初の意図に基づいて、創造主である神の化身かつ分身として造られ、文字通りに創造主である神の化身かつ分身の存在として生きて、この地上に神の国を建設することがその使命であり、宿命であることになっている、と一般法則論では説明します。
 即ち、私たち全てが否応なしに創造主である神の化身かつ分身の存在として生きることの意味は、自動的かつ必然的に、この地上世界に神の国を造る方向に向けて、否応なしに前進していることになります(もちろん、この方向に向かってまっしぐらという訳ではありませんが、百年とか千年の単位で考えると、間違いなく人類は神の国の実現へ向けて自動的かつ必然的に歩んでいます)。
 具体的には、人が自らの人生を作り、文化・文明社会を作ることを通して、自動的かつ必然的にこの地上世界に神の国を造る使命を果たしていることになります。

○「都合の良い真実」に基づいて判断すればこの世界は日々良くなりつつあることなる
 上に説明した通りに、天然自然の存在の創造主である神による天地創造が行われてからこの方、私たちが生まれ住んでいる世界は、日々益々全ての面で良くなる方向に自動的かつ必然的に進みつつあることになります。
 常識的に判断しても、僅か百年前の人類の生活状態と現在のそれとを比べれば、明らかに現在の方が凡ゆる面で良い生活をしている、ということができます。
 これが、私たちが生きているこの世界に関する根本的な真実であり真理です。

 一般法則論は、この「都合の良い真実」の実在を、この世界の成り立ちと仕組みを造っている創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで説明し尽くそうとしています。

○この世界は実際に日々良くなりつつあることを示す事実
 天然自然の存在の創造主である神による天地創造が始まって以来、私たちが生まれ住んでいる世界の歴史は、日々益々全ての面で良くなる方向に自動的かつ必然的に進みつつある訳です。
 例えば、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分で造られているこの世界の成り立ちと仕組みについて科学的な解明と理解が日々進みつつあり、この成果を現在、科学文明の形で私たちは大いに享受しています。
 また、この世界を造っている原理=この世界を認識し理解する原理=この世界の中で生きる原理・生きる拠り所になる原理に根拠をおくいわゆる「潜在意識の活用法」に関する新しい本、「引き寄せの法則」に関する本(「求めよ。さらば与えられん。」/因果必然の法則の働きに関する別の言い方)の出版が続いています。
 潜在意識の活用法や自己暗示の法則の根拠を明らかにする「一般法則論」も現れました。
 この世界を造っている原理=この世界を認識し理解する原理=この世界の中で生きる原理には全くその根拠を置かないマルクス・エンゲルス・レーニン・毛沢東主義に基づいたソ連とこの支配下にあった社会主義国は二十世紀の終わりに既に崩壊しました。
 現在の共産党独裁の中国や北朝鮮も、やがて自然崩壊することになるでしょう。
 これも、人類史的に見れば、神の国を地上に実現するための一里塚と言えます。
 しかし、思想/信念としてのマルクス・エンゲルス・レーニン・毛沢東主義/「マルクスはやっぱり正しい。未だマルクスを超える思想は存在しない。」「資本主義はマルクスの言うとおり間違っている。資本主義は既に崩壊しつつある。」という考え方は、世界的に未だに生きています。日本の政界でも官界でも大学を始めとする教育機関でもマスコミでもマルクス主義は未だ健在です。
 しかし、既に出来上がってしまって、新しいこと/この世界の真理を学習することが出来ない知識人を無視する形で、この世界を造っている原理=この世界を認識し理解する原理=この世界の中で生きる原理・生きる拠り所になる原理に根拠を置いた潜在意識の活用法の本が次から次に新しく出版されつつあり、この読者も増えつつある事実は、やがて、自動的かつ必然的に、自然に、思想/信念としてのマルクス・エンゲルス・レーニン・毛沢東主義を、またこれを信奉しこれに根拠を置く政党等の存在を、人の心の中から徹底的に追放することになるでしょう。
 社会制度の面でも、今日では奴隷制を認めないし、白人だけが優れて豊かな科学技術文明を作り得る生得的に優れた頭脳を持っていて、有色人種は生得的に頭脳が劣り科学的学問は出来ないし自助自立して生きる力は無いという考え方や、有色人種を白人が一方的に支配し植民地にすることは有色人種にも白人だけが享受している恩恵をもたらすことで正しくて良いことだという考え方は、少なくとも「政治的に正しい考え方」=建前としてはもはや認められなくなりました。この切っ掛けを人類史的に造ったのは、有色人種の日本が当時の陸軍大国であり、白人の国であるロシアと、ゲリラ戦法やテロによるのではなくて、真正面から戦って勝ったことと、第2次世界大戦(日本民族的には大東亞戦争)で、日本軍が白人の支配するアジアの植民地のシステムを回復不可能な程度まで破壊したことの結果です。ベトナム戦争でベトナムがアメリカに勝ったことも、先に日本が白人のアジアの植民地を既に破壊していたことの結果と言えます。
 人の生得的な自由・平等や民主主義ということが憲法に基本的人権として規定されることにもなりました。

○人類的な「不都合な真実」という妄想の支配を終わらせる
 人類の歴史は、全てのことにおいて日々益々良くなる方向に自動的かつ必然的に進みつつある。
 これが、天然自然の存在の唯一絶対普遍かつ客観的実在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られているこの世界の真実であり真理です。

 しかし、現実には、この世界は/人類は日々破滅に向かって歩みつつある、という「不都合な真実」を正しいとする人類的な妄想が、今も広く地球を覆っています。

 仏教では今の時代を仏の教えが人々の間で忘れられた「末法」の時代と言います。
 中国には、古代中国の舜・尭の時代が理想の時代だったという考え方があります。
 キリスト教関係では、人類の祖先のアダムとイブが神により天国を追放されて以来人類は苦難の道を歩くことになったと言うようです。
 「昔は良かった」という老人の繰り言などはもう聞き飽きるほど聞かされています。
 身体は歳を取ることに伴って自動的かつ必然的に衰えるばかりだ、と思い込んでいる人達は、もう人類の大部分だ、と言って良いでしょう。

 宇宙大で通用する科学技術の発達で、地球大の規模で通信と交通が容易になり、地球全体が文字通りに一つになり、これに伴って、人類の活動も経済活動も地球大になったことを否定的に捉えて、反科学・技術や人間の地球大的経済活動反対の運動にやっきになっている、地球規模のインターネットで結ばれた自称「地球市民」という人たちもいます。

 人が倫理道徳を忘れ、悪のやりたい放題の儘の今の状態が続くと、もうじき神の怒りが爆発して人類は地上から一掃されるとかいう類の預言も二十世紀末を超えてあります。

 日本では、サヨクの間で、戦争する相手の国が何処と言わないで、「自民党政府の下で日本は現在戦争に向かってまっしぐらの道を歩みつつある」という妄想的な主張が罷り通っています。

 地球温暖化に関しては、ラブロック氏が唱えた「地球は全体で一つの生命体のような存在であり、地球自らが自らのあるべき正常な状態を保とうとする力がそこに働いている」という「ガイア仮説」などを無効にする形で、人類の活動により地球環境は日々悪い方向に進みつつあることになっています。

 しかし、これらの言説の多くは、この世界は実際に日々良くなりつつあることを知らない間違った妄想の類です。

 仏教の「末法」思想も、人類の祖先のアダムとイブが神により天国を追放されて以来人類は苦難の道を歩くことになったと言う説も、例えば科学的な学問や潜在意識の活用法や一般法則論のような考え方が現れて、その当時よりもこの世界の成り立ちと仕組みに関する正確な知識が増え、この世界を造っている原理=この世界を認識し理解する原理=この世界の中で生きる原理・生きる拠り所になる原理の関係も明らかになって、当時よりも人類の霊的なレベルは上がっている、と言えます。
 中国人も、古代中国の舜・尭の時代よりも今の方が暮らし易いというに違いありません。

 「自在力」(1998年 サンマーク出版)の著者塩谷信夫氏(1902年生まれ)は、「60歳を境にそれ以前よりもむしろ若返ったと自覚することさえある」(13頁)と言い、これは偶然ではなくて、「『若返ってやろう』と強く決意して、その目標実現のための有効な方法を実践した所産として」(14頁)実現できたのだそうです。
 つまり、「意識のある心」本来の機能/働きに則って、自分が生きたいように生きることを自覚的に意図的に選択することによって、「身体は歳を取ることに伴って自動的かつ必然的に衰えるばかりだ」という思い込みを無効にできる、ということです。

 「この世界は悪くなるばかりだ」という妄想は、人類にとって「都合の良い真実」を、一般法則論の形で知ることによって、克服可能だ、ということです。

 この話しは一先ず締めます。
 誤字・脱字等があれば、気が付き次第訂正します。


人類史をリセットするには・・・・ 附 心の役割・超能力の自然科学的根拠

2007-12-01 05:30:41 | 人類史のリセット
○一般法則論の目的
 いわゆる神の存在証明がもたらす意味について
 創造主である神の存在証明をして、神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みについて説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

 一般法則論の目的はここにあります。
 しかし、話がここにまで進んでいません。
 このことにいらだって、大雑把で良いから、人類史をリセットする方法の話をしようとしているところです。

○他のブログへの書き込みから話を引用
 人類史をリセットすることに関連した話を、他のブログに書き込みました。
 それを再構成して、ここに説明します。

○科学とは何か?
 「『科学って何か?』というこの命題、すんごく難しい。科学哲学とかあるくらいに。」

 科学とは何かについて、万人に通用するように、一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的に定義も出来ないのは、考え方が単純に間違っているからでしょう。

○一般法則論が明らかにしたこれまでの自然科学の定義
 自然科学とは、人間とは何かを含めて、この世界の成り立ちと仕組みを、自然法則+エネルギー一体不可分の働きのみで全て説明し尽くそうとする学問です。

○一般法則論による新しい科学の定義
 自然法則とエネルギーについて、その機能・性質・働き方の原理・自然法則とエネルギーとの間にある関係等について意識化し自覚的な知識を持つと、自動的かつ必然的に、自然法則+エネルギー一体不可分の働きと一体不可分で存在する、文化人類学や社会学がその取り扱いの対象にしている人間が勝手にでっち上げた文化文明的な存在の神仏のことではない、天然自然の存在の創造主である神であり、従って自然科学的な意味の創造主である神を発見することになります。
 従って、本物の、これから先の自然科学は、この世界の成り立ちと仕組みを創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで説明するものならなければなりません。

○この世界の中で生きるために知る必要がある三つの原理
 この世界を造っている原理=この世界を認識し理解する原理=人の生き方の原理・人が生きる拠り所にする原理。
 この世界の中に生まれてしまった私たちは、この三つの原理とこの間にある理を、私たちは、何が何でも自分のものにする必要があります。
 また、この三つの原理と置き換えることができる替わりの原理は、この世界に一切全く存在しません。

○三つの原理の関係について簡単に説明
 この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理がまず最初にあります。
 これは、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きに基礎を置いた原理です。
 この原理は、私たち(宇宙大では宇宙人一般)がこの世界に誕生する遥か前に、私たちが全くあずかり知らないところで、私たちには一切全く相談も同意も承諾も無い儘に、勝手に一方的に造られたものです。このことについて、だから、そんなものは一切認めないし、要らない!!! と言っても、原理には全く通用しませんし、取り合ってはくれません。
 この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理は、私たち全てにとって、唯一絶対普遍かつ不変かつ客観的に実在する原理です。
 こうであると、一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的に最初から決まっています。
 この理を世の人々に説明する立場にある科学者の中にも、このことを全くご存知ではない方々が少なくないのが困ります。

 この世界を造っている原理は、そのまま、私たちがこの世界の成り立ちと仕組みを理解するための原理になります。
 更に、この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理は、この世界の中に生まれ住むことになった私たちが、この世界の中で如何にして生きることが出来るのか、また、何が正しい生き方なのかを一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的に決めている原理にもなります。
 そして、実際には、私たちが、目には見えず五感でもその存在が分からない、私たちが知らない世界=無意識の世界に存在する、この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理をどの位正確に意識化し解明し理解することが出来ているかによって、私たちの生き方が制限・制約されることになります。
 ヒトの持つ今現在の認識力を前提にすると、この世界を造っている原理>この世界を認識し理解する原理>人の生き方の原理・人が生きる拠り所にする原理の認識の大小の順序になります。

○唯一絶対普遍かつ不変かつ客観的という概念の起源
 この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理が持つ、唯一絶対普遍かつ不変かつ客観的な存在性は、「唯一絶対普遍かつ不変かつ客観的」という言葉/概念の起源ですし、その原義です。

○三つの原理はヒトがこの世界に生まれる前に既にあった
 確認します。
 この世界を造っている原理=この世界を認識し理解する原理=人の生き方の原理・人が生きる拠り所にする原理は、ヒトがこの世界に誕生する遥か前に、一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的に、造られ、決められていました。

○素朴実在論と社会構成説
 この世界を造っている原理=この世界を認識し理解する原理=人の生き方の原理・人が生きる拠り所にする原理は、ヒトがこの世界に誕生する前に既に一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的に決められて、実在した。
 こう素直に受け止めるのが、素朴実在論。
 この世界の成り立ちと仕組みは、人間が、特にこの私が決めることでこの世界の成り立ちと仕組みが決まる、という説が、社会構成説。

○社会構成説の難題
 社会構成説によれば、ヒトの数だけ世界が存在することになります。
 つまり、あなたの隣りにいる人は、あなたとは全く異なる別世界に生きていることになります。
 あなたの隣りにいて、あなたが見ているのと一つ同じ満月を見ているばすの人は、実は、月など存在しない世界に生きていて、あなたが見ている満月は見えないことがあると言うのが、社会構成説。
 実際、西洋の科学はアフリカ人には全く通用しない、西洋だけで通用する世界観だ、と堂々と言い切る人たちがいます。
 最近、人の共同作業をすることができるロボットが発明されて、人と一緒に机を運んだりすることができます。
 しかし、社会構成説によれば、あなたと私とは別々の世界に生きている存在であり、一つ同じ世界を原理的に共有していないので、机一つ共同して運ぶことが出来ない、というい訳です。
 しかし、これは、私たちの日常体験に反します。
 このことを指摘しても、社会構成説を主張する人たちは、自分の正しさを言い張ります。
 社会構成説を主張する人たちのように、全ての人に等しく、唯一絶対普遍かつ不変かつ客観的な存在の、この世界を造っている原理=この世界を認識し理解する原理=人の生き方の原理・人が生きる拠り所にする原理があることを知らない人たちは、よく物事の正しさの根拠を、自分自身や受け売り元/仕入れ元の例えばマルクスを絶対視して、それに置きます。そして、自説の正しさを守るために、しばしば暴力に訴えます。
 困ったことです。

○この世界を認識し理解することができるのはヒトの意識のある心の働きのみ
 この世界を認識し理解するのは、これが出来るのは、人の心の働き、それも、意識のある心の働きのみです。

○ヒトの意識のある心の働きで認識するまではこの世界は無意識の儘の世界にある
 あなたや私が、意識のある心でこの世界を認識し理解するまでは、この世界は、即ち、私たち全てに先立って実在する、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きの存在と、これを原理として造られているこの世界の成り立ちと仕組みは、私たちにとって原理的に無意識の世界にあります。しかも、それは目に見えません。
 目に見えず、無意識の世界にある=それが在ることに気が付かない=無知=在ると人に指摘されても「無いものが在るとは神秘主義だ、オカルトだ!!!」ということになります。つまり、知らないことも含めて知らない儘一生涯を終る人たちがざらにいる、ということです。
 自然科学も、一般法則論も、全人類にとって実在しているのに原理的には無意識に属し一般的には気付かれることが無いことを、自覚的に意識化して説明するのは、常に無知から来る抵抗を受けて、しばしば一騒動になります。

○心の中身とその機能
 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きを原理として出来ているこの世界の成り立ちと仕組みを理解する人の心の中身/仕組みとその働きは、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きそのもので出来ていることになります。
 このことも、ヒトがこの世界に生まれたときには既に一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的に決まっていました。
 これ以外の原理や方法では、この世界を認識し、理解することはできません。

○英語は英語でしか理解できない
 中学生になって初めて英語を習うようになったとき、「英語は先ず最初英語でしか理解できない」という強烈な教訓を得ました。
 この教訓は、その後、色々の場面で、それを造り/作り動かしている原理や仕組みの存在について意識的になり自覚的になる形で、役立つことになりました。

○ワープロとマイコンでの体験
 1980年代以降、日本では、ワープロで、富士通のオアシスで作った文書は、シャープの書院では読めないとか、マッキントッシュとウインドウズでは互換性が無いという体験を通して、英語は英語でしか理解できないことを知る体験をたっぷりしてきたはずです。
 私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みを理解するのでも、この世界の成り立ちと仕組みを実際に造っているのと一つ同じ原理を使ってでしか、それを正しく認識し理解することができないことは、容易にご理解いただけるものと思います。

○心の本来の使い方
 ヒトの心の第一の役割は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きを原理として造られている、私たちが生きているこの世界を認識し、理解し、これに基づいて、ヒトとしての在り方を正しく知って、その通りに行動に出ることにあります。
 これから外れる、例えば他人を誹謗中傷するようなことに心を使うのは、心本来の使い方ではありません。

○心と言葉
 心にあることは、言葉を使って表現し表明され、記述されることが、日常生活の中では大部分を占めています。
 で、言葉を磨く=心を磨く=人格を磨く、という関係にもなります。

○心の科学の確立
 これまで、心とは何かが、一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的になっていませんでした。
 しかし、心の中身は、自然科学でも扱う、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きを原理として造られていると分かりましたから、心についても、本格的に科学的に扱うことができるようになった、ということが出来るでしょう。

○創造主である神が造ったこの世界の仕組みの巧みさ
 この世界の成り立ちと仕組みは、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きのみで全て出来ている。
 そして、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ているこの世界の成り立ちと仕組みを認識し理解するには、これをする人の心も創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きを原理として出来ている。この必然的な理由がある。

○いわゆる超能力の自然科学的な根拠
 この世界を造っている原理=この世界を認識し理解する原理=人の生き方の原理・人が生きる拠り所にする原理。
 そして、ヒトの心は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きを原理として出来ている。
 この結果は、どうなるか?
 出来る人には、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ている心の力で、
・創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きの支配下にある物を直接動かしたり、
・全ての人が一つおなじ創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ている一つの心を共有していますから、他人の心の中を読んだり、
・創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られている未来を予知したり(自然法則+エネルギー一体不可分の働きは因果必然の法則。因果必然の法則は同一原因=同一結果/また、自然法則とエネルギーは構造的に/システム的にのみ働きますから、同一構造=同一結果の原理のもとで)、
等々が出来ても、何ら不思議ではありません。
 これがいわゆる超能力の自然科学的な根拠の唯一可能なむ説明。

 誤記等があれば気付き次第直します。
 誤記等は直したつもりです。
 幾つか、追加の文が必要なようです。