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私が殺した少女/原尞

2023年09月11日 | もう一冊読んでみた
私が殺した少女 2023.9.11

1988年 長編「そして夜は甦る」が刊行されました。
その翌年の1989年に、私立探偵沢崎シリーズ第二作「私が殺した少女」が発売され、原尞は本作品で直木賞を受賞しました。

私が殺した少女」を読んでみました。
発売された直後に読んだので、内容をほとんど忘れていましたが、今、読んでみてもすごく面白い。
1989年は、昭和から平成に変わる年です。物語からは昭和の時代が随所に感じられます。
公衆電話をかけるために、硬貨をジャラジャラさせたり、電話の順番待ちでイライラしたりさせられたり。テレホンカードの普及開始や電話サービスの利用。携帯電話など影も形もありません。登場人物は所構わず煙草をふかすわで、懐かしさがいっぱいの景色です。



以後の沢崎シリーズで、再び、沢崎の元パトナー渡辺について詳しく述べられることはないと思われるので、書き留めておきます。


 腕時計の針は八時二十八分をさそうとしていた。信号が変わる直前に、上背のある痩身の男が濠端のほうから風に吹かれたように歩いてくるのが眼に入った。隣りの車線の車が激しくクラクションを鳴らした。男はその車を振り返りながら、私のブルーバードのフロントガラスの向こうを歩いて行った。知っている男だった。信号は青に変わっていた。私は車を出すことも忘れて、痩身の男の横顔を食い入るように見ていた。渡辺だった。
 渡辺賢吾は私の昔のパートナーだった.八年前に、新宿署が暴力団〈清和会〉との覚醒剤取り引きの囮として彼を使ったとき、三キロの覚醒剤と一億円の現金を奪って逃走した男でもあった。元警官で、かつては錦織警部らに操作のいろはをたたき込んだ新宿署の名うての部長刑事だったが、一人息子が学生運動のリーダーとして逮捕されたその日に警察を辞職した。妻を癌で亡くし、その通夜の席で十数年ぶりに息子と和解したが、いったん自宅に戻ろうとした息子夫婦と孫は交通事故にあって即死した。妻の葬式は彼のすべての血縁者を含む四人の葬式に一転した。一滴も酒を飲まなかった男が、それから三年後には見事なアルコール中毒者になっていた。探偵としての仕事上のミスは一つもなかったが、それもいずれ時間の問題だったろう。彼はそうなるまえに、誰に迷惑を及ぼすことなく一生
飲み続けられるだけの資金を、自分の手で調達して、私たちの前から消え去った。失われたものは、暴力団の一億円と、警察の証拠品保管所の覚醒剤と、新宿署の面子だけである。錦織は敬愛する先輩に裏切られ、私は警察と清和会の双方から共犯の容疑をかけられて、十日以上の拷問に等しい追及を受けた。だが、そんなことは何でもなかった。もし、彼が私たちと同じ世界に踏みとどまっていたら、生きるに必要なものを見失った年寄りのアル中が私たちに与えたであろう心理的な負担はもっとはるかに大きくて陰鬱なものになっていたはずだった。強奪事件は彼があえて選択した最善の身の処し方だった。
 渡辺は季節はずれの黒っぽい冬物のスーツに、それほど垢じみていない白いワイシャツ姿で、古びた黒い靴をはいた足をかすかに引きずるようにして歩いていた。眼の下から首筋にかけてかすかに赤みを帯びた顔色は、彼が八年前と同様自分の命を縮める習慣を律義に守り続けていることがうかがわれた。「若い頃は池部良にそっくりだと言われたものだ」というのが、機嫌よく飲んでいるときの彼の口癖だったが、それも八年の歳月ですっかり影をひそめて、わずかにその雰囲気を残しているだけだった。かすかに背をかがめたように歩く痩身の内部には、八年前と変わらぬしたたかな精神が宿っている----と思いたかったが、それは私の希望的観測にすぎなかった。
 私は眼の前を通り過ぎる男にどんな種類の悪感情も抱いていないことに、いま初めて気がついた。披が折りにふれてよこすメモのような“紙ヒコーキ”の手紙に私が腹を立てるのは、それが彼自身の口から直接に騙られない言葉だからだった。


 西新宿の事務所に戻って、郵便受けをのぞくと今朝の新聞と一緒に、ハネの折り方に特徴のある。“紙ヒコーキ”が入っていた。私は狭い階段を昇り、暗い廊下を通って、二階の事務所の鍵を開けた。窓のブラインドを上げ、窓を開けて空気を入れ換えた。デスクに坐って、紙ヒコーキの折り口をひろげると、スペインのフラメンコーダンサーが『ドン・キホーテ』を踊るというチラシだった。その余白にいつものボールペン書きの字が並んでいた。昨夜の八年ぶりの瞬時の再会に触れたいつもの倍ぐらいの長さの渡辺の便りだった。読む必要もないくらい一字一句予期した通りの文面だった。私はタバコに火をつけ、同じ紙マッチの火でチラシにも火をつけようとした。いままで渡辺からのすべての便りをそうして灰にしてきた。私は急に思いとどまってマッチの火を消した。それから、チラシを元のヒコーキの形に戻す作業に取りかかった。折り目が残っていてもなかなかむずかしくて、三十分後にようやく紙ヒコーキになった。
窓に近づくと、ハネの反り方を調べ、風向きを確かめ、風の強さを計り、着陸地域を点検した。こういうことでは、私たちはいきなり三十年前の専門家に戻るのだ。私はヒコーキを初夏の午後の風にそっと乗せた……


新宿署刑事錦織の覚書き。

 私は果てしない葛藤に苦しんでいる真壁から、窓外を流れる暗い住宅地に眼を転じた。およそ三十分前に目白署のトイレで交わした錦織警部との短い会話が、私の脳裏をかすめた。錦織は、結局ほかの刑事のいる前では私には一言も口をきかなかった。大迫警部補が真壁に話して聞かせた八年前の事件のあとも、私たちは何度か顔を合わせていた。そして、会えば必ずお互いを不愉快にさせるのが義務であるかのように振舞ってきた。逃亡した渡辺は、錦織にとってはひとかたならぬ恩誼を感じていた、かつての上司だった。その渡辺が強奪事件を起こしたのも、その遠囚となったアルコールへの耽溺も、すべてそばについていた私の責任だと言うのが錦織の論理を超えた結論だった。私自身にもそれよりましな結論があるわけではなかった。
 目白署を出る直前に、私はトイレを借りて用を足した。出口に向かうとき、錦織が入ってきて擦れ違った。
 「午後二時に真壁邸のそばに停まっていた〈ヤマト〉の宅急便のバンを調べてくれ」と、私は言った。「フロントのバンパーがへの字に曲がっている」
 「図に乗るなよ、探偵」と、錦織は応えた。


沢崎の覚書き。

 「今夜みたいにひどい失態を演じたときに、よくそんな大口が叩けるな」加治木が棘のある声で言った。「ふだんのきみは一体どれくらい横着な人間なんだ?」
 私は皮肉を無視して訊いた。「結果はどうだった?」
 「何の結果だ?」
 「宅配便のバンの調査結果だ」


 「ひどいよ」と、少年は眉をしかめて言った。「そんなことなら、お金を届ける役目を引き受ける資格なんかなかったんだ」
 「努力はしたんだ。しかし、努力は報われないことが多い。誰かにそう教わらなかったか」
 「そんなことは誰に訊かなくったって、知ってるよ。まじめに人一倍勉強したって、試験に落ちることもあるんだから」彼はいやにわけ知りな顔つきで言った。この年頃の子供は何事も試験勉強に置き換えて理解するらしかった。彼は自分の足許に視線を落とした。「……でも、誰にも文句は言えないし、一年間辛抱するしかないんだ。結局は自分が悪いんだから」
 面白くもおかしくもない意見だった。十四、五才の子供の口からこんな言葉を聞かされると、教育が地に墜ちているというのが単なる流行語でもないことを実感できる。


 あたかも三百以上の想念が停止して、遠ざかろうとする一つの小さな命に集中しているようだった。私はそこから、すべての事実を明らかにする声が聞こえては来ないかと耳を傾けた。
だが、死は黙したままで何も語ることがなかった。


作家についての覚書き

 作家は自由自在に登場人物を動かすのだと思われるかも知れませんが、実際は勝手に動こうとするその人物に従うしか方法はないんです」

    『 私が殺した少女/原尞/ハヤカワ文庫JA 』

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