■両京十五日Ⅱ天命 2024.5.20
馬伯庸の『両京十五日Ⅱ天命』を読みました。
登場人物たちの話が抜群の面白さ。
唐賽児 “仏母”と呼ばれる白蓮教の掌教(指導者)。
梁興甫 “病仏敵”の異名を持つ、白蓮教徒の男
昨葉何 暗躍する白蓮教徒
呉定縁 金陵の捕吏
「何の戯言だ!」呉定縁は老婆の顔を見なから、このまま父を殺した凶悪犯を絞め殺してやりたいと心から思った。だが、唐賽児の話を聞きたいとも思った。
唐賽児の表情が慈悲を帯びてくる。
「人というものはの、樹木と同じで、みんな根っこがある。
その根は土の中さ埋まっていで誰にも見えないけんど、どんな根であれ、一生自分と関わりあうんだ。どんな根がどんな枝を伸ばし、どんな枝がどんな花を咲かせ、どんな花がどんな実を結ぶか、だあれも変えることかできないの」
呉定縁の表情は凍りついた。まさかこの老婆が自分の境遇を語りだすとは思ってもみなかった。
「きょうはおめえの根っこの話ではなく、まずはおらの話がらすっぺ」
「おらがこの仏母どいうものさ、どうやってなったが知ってるけ?」
ここまで追いつめられだら、このお婆も謀反ば起こしたぐなくたっで、起こさざるを得ないじゃろ。それで蒲台は守るに難しい地勢だというわけで、おらは集まった人だぢをつれて青州さ行っで、益郡の山中さある卸石棚寨どいうどごろで謀反の旗揚げをしたんじゃ。おらは夫の実家である香壇の管理を長年手伝っていだから、教義についではとても詳しがっだ。お役所がでっち上げだあの嘘話は、おらがさらに手を加えて、自分で直接語るようにしだんだ。そしたら予想もしていなかっだけんど、信者はそれまでの数十倍さなっでしまっだ。というわげで、おらのこの仏母どいう存在は、もともとの話をすれば、濱州各地方の長官様が創りあげだものなんだ。おまえも笑っでしまうべ? それがらというもの、おらはひとつの道理、それも世の中におげるほんとうに澄み切っだ至高の原理どいうものを理解したんじや」
老婆は干からびた口を開き、気味の悪い笑みを浮かべた。呉定縁は奇妙な圧迫感を感じ、ついに唐賽児の
眼が見られなくなってしまった。
「なにが太上老君だ、なにが御釈迦様だ、なにが玉皇大帝だ、なにがなんとか仙人だ、ぜんぶこけおどしの泥人形に過ぎないじゃねえか。そいつらだってこのおらが仏母になっだのど同じで、誰かがたまたまつくりあげだものじゃねえだか。この真理を見抜いだおらは、この数十年仏様の前で苦しみ抜いて探し求めでも見つけられねがっだ答えをやっど見つけられだ。それは熱心に白蓮教の教えを信じてきだ人だぢは、なんぼ解脱を追い求めでもほんとうの解脱さは到達でぎないどいうごどだ。なにか大事を為そうど思っだら、まずはそれが全部虚妄であるどいう事実を自分の心の中ではっきりど理解して、今度はそれを虚言に仕上げる。そうしてこそ、それを使っでほんとうに人心どいうものを支配でぎるんじゃ。
韓山童と劉福通といっだ連中は、つまりこの真理を理解していだからこそ、動乱を起こすごどがでぎだ。最高の掌教じゃったが、けっして最高に敬虔な信徒ではながっだ。そんな嘘を本気で信じているどしだら、そいづは莫迦だ。それでどうしてあるゆる局面を握れる? 昔から事を起こすやづは、みんな虚言だっで知ってでも、知らないふりをしなければならん。ほんとうの莫迦だっだら事を成し遂げることはできんじゃろう」
「蓮の実は甘く、イライラを鎮めて、喉の渇きを癒やし、心を落ち着かせてくれます。けれど、あなたは蓮心までぜんぶ食べてしまうのですね。苦いのは嫌いじゃないのですか?」
昨葉何は、笑いながもう一粒を口の中にほうりこんだ。
「蓮の実って、外は甘く内は苦いですよね。仏母様が言ってました。我が教えが“白蓮”を名のる寓意はまさにそこにあると」
「外は甘く内は苦い……」蘇荊渓はこの言葉を噛みしめた。 「けれど、それが白蓮教となんの関係かあるのですか?」
昨葉何が答えた。「寺にある、あの線香やろう燭、それに泥人形が何を救ってくれるんですかね? 結局、みんな心の内が苦しいから、安らぎを求めて自分を騙してるだけじゃない。白蓮教って蓮の実そのものじゃゃありませんか?」
その正直な言葉に蘇荊渓は動揺した。「それは仏母があなたに教えたのですか?」
「そうですよ。仏母様がいつも言ってたんです。この世のすべての人は蓮の実で、みんな心の内に。“苦”を抱えているって。この世に生を受けた者はみな“苦”を抱えているというのは仏母様でも同じで、解脱もなければ悟りもありません」昨葉何は蓮の実を一粒ずつ口にほうりこんでいたが、その動きがますます速くなる。
『 両京十五日Ⅱ天命/馬伯庸/斉藤正高・泊功訳/ハヤカワ・ミステリ 』
馬伯庸の『両京十五日Ⅱ天命』を読みました。
登場人物たちの話が抜群の面白さ。
唐賽児 “仏母”と呼ばれる白蓮教の掌教(指導者)。
梁興甫 “病仏敵”の異名を持つ、白蓮教徒の男
昨葉何 暗躍する白蓮教徒
呉定縁 金陵の捕吏
「何の戯言だ!」呉定縁は老婆の顔を見なから、このまま父を殺した凶悪犯を絞め殺してやりたいと心から思った。だが、唐賽児の話を聞きたいとも思った。
唐賽児の表情が慈悲を帯びてくる。
「人というものはの、樹木と同じで、みんな根っこがある。
その根は土の中さ埋まっていで誰にも見えないけんど、どんな根であれ、一生自分と関わりあうんだ。どんな根がどんな枝を伸ばし、どんな枝がどんな花を咲かせ、どんな花がどんな実を結ぶか、だあれも変えることかできないの」
呉定縁の表情は凍りついた。まさかこの老婆が自分の境遇を語りだすとは思ってもみなかった。
「きょうはおめえの根っこの話ではなく、まずはおらの話がらすっぺ」
「おらがこの仏母どいうものさ、どうやってなったが知ってるけ?」
ここまで追いつめられだら、このお婆も謀反ば起こしたぐなくたっで、起こさざるを得ないじゃろ。それで蒲台は守るに難しい地勢だというわけで、おらは集まった人だぢをつれて青州さ行っで、益郡の山中さある卸石棚寨どいうどごろで謀反の旗揚げをしたんじゃ。おらは夫の実家である香壇の管理を長年手伝っていだから、教義についではとても詳しがっだ。お役所がでっち上げだあの嘘話は、おらがさらに手を加えて、自分で直接語るようにしだんだ。そしたら予想もしていなかっだけんど、信者はそれまでの数十倍さなっでしまっだ。というわげで、おらのこの仏母どいう存在は、もともとの話をすれば、濱州各地方の長官様が創りあげだものなんだ。おまえも笑っでしまうべ? それがらというもの、おらはひとつの道理、それも世の中におげるほんとうに澄み切っだ至高の原理どいうものを理解したんじや」
老婆は干からびた口を開き、気味の悪い笑みを浮かべた。呉定縁は奇妙な圧迫感を感じ、ついに唐賽児の
眼が見られなくなってしまった。
「なにが太上老君だ、なにが御釈迦様だ、なにが玉皇大帝だ、なにがなんとか仙人だ、ぜんぶこけおどしの泥人形に過ぎないじゃねえか。そいつらだってこのおらが仏母になっだのど同じで、誰かがたまたまつくりあげだものじゃねえだか。この真理を見抜いだおらは、この数十年仏様の前で苦しみ抜いて探し求めでも見つけられねがっだ答えをやっど見つけられだ。それは熱心に白蓮教の教えを信じてきだ人だぢは、なんぼ解脱を追い求めでもほんとうの解脱さは到達でぎないどいうごどだ。なにか大事を為そうど思っだら、まずはそれが全部虚妄であるどいう事実を自分の心の中ではっきりど理解して、今度はそれを虚言に仕上げる。そうしてこそ、それを使っでほんとうに人心どいうものを支配でぎるんじゃ。
韓山童と劉福通といっだ連中は、つまりこの真理を理解していだからこそ、動乱を起こすごどがでぎだ。最高の掌教じゃったが、けっして最高に敬虔な信徒ではながっだ。そんな嘘を本気で信じているどしだら、そいづは莫迦だ。それでどうしてあるゆる局面を握れる? 昔から事を起こすやづは、みんな虚言だっで知ってでも、知らないふりをしなければならん。ほんとうの莫迦だっだら事を成し遂げることはできんじゃろう」
「蓮の実は甘く、イライラを鎮めて、喉の渇きを癒やし、心を落ち着かせてくれます。けれど、あなたは蓮心までぜんぶ食べてしまうのですね。苦いのは嫌いじゃないのですか?」
昨葉何は、笑いながもう一粒を口の中にほうりこんだ。
「蓮の実って、外は甘く内は苦いですよね。仏母様が言ってました。我が教えが“白蓮”を名のる寓意はまさにそこにあると」
「外は甘く内は苦い……」蘇荊渓はこの言葉を噛みしめた。 「けれど、それが白蓮教となんの関係かあるのですか?」
昨葉何が答えた。「寺にある、あの線香やろう燭、それに泥人形が何を救ってくれるんですかね? 結局、みんな心の内が苦しいから、安らぎを求めて自分を騙してるだけじゃない。白蓮教って蓮の実そのものじゃゃありませんか?」
その正直な言葉に蘇荊渓は動揺した。「それは仏母があなたに教えたのですか?」
「そうですよ。仏母様がいつも言ってたんです。この世のすべての人は蓮の実で、みんな心の内に。“苦”を抱えているって。この世に生を受けた者はみな“苦”を抱えているというのは仏母様でも同じで、解脱もなければ悟りもありません」昨葉何は蓮の実を一粒ずつ口にほうりこんでいたが、その動きがますます速くなる。
『 両京十五日Ⅱ天命/馬伯庸/斉藤正高・泊功訳/ハヤカワ・ミステリ 』
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