■特捜部Q/自撮りする女たち/ユッシ・エーズラ・オールスン 2020.12.28
社会福祉政策の充実と相まって、デンマークは「世界一幸福な国」と言われているが、そんな幸福な国での矛盾とその矛盾の中で呻吟する担わされている人の物語。
充実した社会福祉政策を利用し 「甘い汁」 だけを吸おうとする人々の存在と、その悪を正そうとする 「正義」。
本書は、2017年3月にドイツでも刊行され、「カール・マークのファンなら必ず読むべき一冊!」とたちまち大好評を博した。
「ハラハラしながら一気に読める」「スリル満点」との声が多く上がっている。(訳者あとがき)
祖母のリーモアは、ハゲタカのように背を丸めてテーブルについていた。口角は下がり、正体不明なにおいを振りまき、まさにくちばしで獲物をつつく準備はできているといった感じだ。いったい、どこに行ったらこんなうぬぼれた香りのこんな安物パウダーが買えるのだろう?
アネリ----彼女は自分をそう呼ぶことを好んだ----は、結局のところ人生の航路----これは父親の表現だが----を正しく読み取ることができなかった。異性との出会いにしても、最高に魅力的な男性が右に立っているというのに、左を向く。服を買うときも、鏡を見るより自分の心の声に従ってしまう。
専門教育を受けようと決めたときも、長期的な視野に立たずに目先の収入のことしか考えなかった。その結果、月日とともに、自ら選んだっもりのない方向へどんどん行ってしまった。
いろいろな男と付き合っては失敗し、アネリはいまだに、デンマーク成人の三十七パーセント、つまりシングルで生きている者のひとりだった。ここ数年はひどい食生活を送り、しょっちゅう大食いしていた。そのせいで肥満体となり、慢性的に疲労を感じ、自分自身に対して強い不満を抱くようになった。しかし、アネ=リーネにとって最悪の見込み違いは仕事だった。
理想に胸をふくらませていた若いころ、ソーシャルワークとは、社会の役に立ち、自分も同時に満たされる 仕事と信じていた。ところが、二十一世紀になったとたんに、満足に議論もなされなかった政策で、ソーシャルワーカーをとりまく環境ががらっと変わった。当時の彼女に、どうしてそんなことを予想できただろうか。同僚も彼女も、無数とも思える条例や指示に追われ、現場ではとても対応しきれない。現場を知ろうともせず、連帯意識もないのに決定権だけを持っている連中のせいだ。社会システムなどとは名ばかりで、違法行為が当たり前になり、社会の富の公平な分配などとはまったく遠い状況だった。同僚の多くがストレスに屈していったが、アネリも例外ではなかった。ここニカ月間、抑うつ状態となって家のなかでただじっと座り、些細な家事にも集中できなかった。ようやく仕事に行けるようになったものの、職場は休む前よりもさらにひどい状態になっていた。
そのうえ、アネリは最近、生活困窮者だけでなく、時限爆弾のような連中を担当させられていた。大半は若い女性たちで、これまで手に職をつけたこともなければ、それができるような境遇にもなかったという者たちだ。アネリは毎日、夕方家に帰るころには不機嫌で疲れ果てていた。人々の役に立つ仕事をバリバリこなしてきたからではない。まったく逆で、意味のあることを何ひとつしていないからだ。今日もそうだった。
娘が何度もやってきて、こんな生活をやめないとすぐにお母さんのあとを追うことになると咎めた。その言葉はタバコの煙と一緒に天井に昇り、彼の返事を待っていた。だが、ひょっとしたら俺はそれを望んでいるんじゃないか? タバコを吸いつづけて死ぬのなら、苦しむ魂も永遠の安らぎを見つけられるんじゃないだろうか? あるいは腹がはち切れるまで食べつづけるとか。それ以外にいったい何をすればいいんだ?
ところが、十日前に突然、この新聞が目に入った。
一面を見たとき、それまでの無気力か一気に吹き飛んだ。彼は、ぎょっとしてタバコを灰皿に置き、溜まった郵便物の上からその新聞を取り上げた。そして顔から三十センチくらい離して読んだ。老眼鏡がないとよく見えないのだ。
その記事を読んでいるうちに、マークス・ヤコブスンは思わずうめき声をあげた。悲劇が起こる前の日が生々しくよみかえってきたのだ。もう何年も使われていなかった脳のシナプスに新たな電気か走る。
頭が稼働しはじめた。突然の事態に、いったいどこから手をつければいいのかわからなかった。年金生活に入る前、マークスには自分の勘に従うだけの力があった。今は、そもそも彼の話を聞こうという人間がいるかどうかもわからない。だが、たしかにアイドリング中とはいえ、彼の刑事魂はまだ息絶えてはいなかった。殺人捜査課、かつての捜査部Aで十年間、さまざまな事件を解決した。課長だったころの検挙率は歴代のどの課長よりも高かった。それを思うと誇らしい気持ちになる。だが、殺人や死亡事件を捜査したことのある警察官なら誰もがそうだろうが、静かな時間に思い起こすのは解決した事件ではなく未解決の事件だ。いまだに夜中になると、そうした事件の経過や犯人について思いめぐらすことがある。罪のない犠牲者たち。それなのに、罰も受けずにうろついている犯人たち。そのことを思うと、今でも鳥肌が立つ。それだけではない。解明できなかったという苦しみのなかで捜査員たちが生きていかなくてはならない事実に、彼はとてつもない羞恥心を感じていた。仲間を見捨てたという思いがどうしても頭から離れない。追うことのできない痕跡、見逃した証拠にいまだに苦しめられていた。だからといって、今さら自分に何ができるだろう。
そんな思いに悩まされていたとき、あの見出しに気づいたのだ。床に放置してあったいくつもの新聞の山につまずきながら、彼はその新聞を取りにいった。見出しを読み、悪意ある人間は、捕まらないかぎりまた同じことを始めるのだと思い起こした。
「カール、声がかれてしまったのは自分でもわかっている。あれからタバコの量がいくらか増えてな。だが、私だよ」
最後にマークスと話をしてから三、四年は経っている。カールは即座に罪悪感に襲われた。彼がどれだけつらい時間を耐えねばならなかったか、今になって気づいた。しかも情けないことに、それがどういう結末に終わったのかをまったく知らないのだ。
マークスは、五分かけて彼の身に起きた悲劇を詳細に語った。元課長は男やもめとなり、生涯消えない心の傷を負っていた。
「心からお悔やみを申し上げます、マークス」慰めの言葉を探すことなどふだんはしない頭を稼働させて、カールは言った。
「ありがとう、カール。だが、電話したのはそのことじゃない。どうやら、私もきみもお互いを必要とする状況ではないかと思ってね。偶然、ある事件について知ったのだが、その件で話し合ったほうがいいと思う。その事件をきみに押しつけるつもりはない。そんなことは三階の人間か許さないだろうしな。そうではなくて、今回のことで、長年気になっていた事件を思い出したんだ。それで、警察本部には幸いにも、普通なら保管庫の隅で埃をかぶっているような事件にも目を光らせている人物かまだいるってことを思い出してね。まったく助かるよ」
ともかく、退職にあたって警察本部の部屋を片づけていたときにそのメモが出てきたんだ。それからずっと、メモはマグネットで冷蔵庫のドアに留めてあった。妻か生きていたら叱られていただろうな。「もう引退したっていうのに、いつになったら警察をやめらるの?」というのが口癖だったからな。だが、退官したって警官は骨の髄まで警官なのさ
少なくとも二十分間は誰も口を開かなかった。それぞれが思い思いの推測をしていた。カールは、これほど長いあいだ助けを求めていた叫びと、彼女がひとりぼっちで行なっていたセラピーを目の当たりにして、胸が締めつけられる思いだった。
カールはため息をついた。自分たちかよく知っていると思いこんでいた女性が、これほどまでに破壊的で深い闇を抱えていたとは。その闇は、ぶっきらぼうな態度を取ることでしか処理できなかったのだろう……。
しかも、これほどの闇を抱えながら、俺が打ちのめされているときには、俺を励ます力をどこからか見つけてきた。彼女は持捜部Qで毎日エネルギーをかき集め、悲惨な事件に対しても並々ならぬ情熱を捧げ、鋭い感覚を生かして捜査に当たってきた。それも、夜になると自分のつくりあげたシステムに戻り、魂の苦しみを書きつけていたからこそ可能だったというのか?
なんてこった! 賢く有能なのに、苦痛に苛まれてきたローセ。おまえさんは、自分をこんな狂気に迫いこんでいたのか? そして今や、自分なりのセラピーも限界に達し、再入院しているというのか?
今の状況のすべてがカールには気に入らなかった。
ローセはただの仲間であるだけでなく、女だ。それだけでも……ちくしょう、どうして女となると話がすべて複雑になるんだ? まったく、いつも同じじゃないか。男は相手のためにベストを尽くすのに、女は全然それをわかろうとしない。カールには女というものがこれっぽっちも理解できなかった。もしかしたら、北ユラン半島のタフな女たちを見て育ち、すべての女は彼女たちのように単純で裏表かないと思ってきたせいかもしれない。ハーディからはしょっちゅう、同じ失敗を何度も繰り返さないよう、メンタルコーチを雇うか、独身男性の自己啓発セミナーに行けと言われている。そんなアドバイスをいつもばかばかしいと一蹴してきたが、一度真剣に考えてみてもいいかもしれん。
彼女は目だけで周りを見回した。廊下に差しこんでいる光は薄暗い。早朝か、夕方の遅い時間か、どちらだろう? この季節はほとんど暗くなることがないから、どちらか判断することは難しい。ともかく夏はすぐそこまで来ている。恋人たちがとろけるようなまなざしで見つめ合い、踊りだしたい気分で体がむずむずする季節。たった一度だけ、彼女もそういう興奮を味わったことかあった。あのときはうれしかった。恋は向こうからやってきて、何度でもまたやってくるものだ、という人かいる。でもローセにとってはそうではなかった。それでも、胸が躍る興奮は経験した。ただし、ダンスに行くことも、父親か禁止にしたことのひとつだった。
元カレのひとり、最高に退屈だったあの男はいつもなんて言ってたっけ? 全力で守ろうとしなければ幸運は消え失せる、だっけ?
なんて痛快な気分なんだ! ラース・ビャアンの部屋の横を通りながらカールは思った。
復讐とは、華美なだけでなく神々しい気持ちにもさせてくれるものなんだな。
「特捜部Q」は、上下2段組で570ページ。
かなりの長編なのですが、物語はテンポ良く展開する。活字も目に優しく読みやすい。
一気に読み切ることが出来ました。
『 特捜部Q/自撮りする女たち/ユッシ・エーズラ・オールスン/吉田奈保子訳/ハヤカワ・ミステリ 』
社会福祉政策の充実と相まって、デンマークは「世界一幸福な国」と言われているが、そんな幸福な国での矛盾とその矛盾の中で呻吟する担わされている人の物語。
充実した社会福祉政策を利用し 「甘い汁」 だけを吸おうとする人々の存在と、その悪を正そうとする 「正義」。
本書は、2017年3月にドイツでも刊行され、「カール・マークのファンなら必ず読むべき一冊!」とたちまち大好評を博した。
「ハラハラしながら一気に読める」「スリル満点」との声が多く上がっている。(訳者あとがき)
祖母のリーモアは、ハゲタカのように背を丸めてテーブルについていた。口角は下がり、正体不明なにおいを振りまき、まさにくちばしで獲物をつつく準備はできているといった感じだ。いったい、どこに行ったらこんなうぬぼれた香りのこんな安物パウダーが買えるのだろう?
アネリ----彼女は自分をそう呼ぶことを好んだ----は、結局のところ人生の航路----これは父親の表現だが----を正しく読み取ることができなかった。異性との出会いにしても、最高に魅力的な男性が右に立っているというのに、左を向く。服を買うときも、鏡を見るより自分の心の声に従ってしまう。
専門教育を受けようと決めたときも、長期的な視野に立たずに目先の収入のことしか考えなかった。その結果、月日とともに、自ら選んだっもりのない方向へどんどん行ってしまった。
いろいろな男と付き合っては失敗し、アネリはいまだに、デンマーク成人の三十七パーセント、つまりシングルで生きている者のひとりだった。ここ数年はひどい食生活を送り、しょっちゅう大食いしていた。そのせいで肥満体となり、慢性的に疲労を感じ、自分自身に対して強い不満を抱くようになった。しかし、アネ=リーネにとって最悪の見込み違いは仕事だった。
理想に胸をふくらませていた若いころ、ソーシャルワークとは、社会の役に立ち、自分も同時に満たされる 仕事と信じていた。ところが、二十一世紀になったとたんに、満足に議論もなされなかった政策で、ソーシャルワーカーをとりまく環境ががらっと変わった。当時の彼女に、どうしてそんなことを予想できただろうか。同僚も彼女も、無数とも思える条例や指示に追われ、現場ではとても対応しきれない。現場を知ろうともせず、連帯意識もないのに決定権だけを持っている連中のせいだ。社会システムなどとは名ばかりで、違法行為が当たり前になり、社会の富の公平な分配などとはまったく遠い状況だった。同僚の多くがストレスに屈していったが、アネリも例外ではなかった。ここニカ月間、抑うつ状態となって家のなかでただじっと座り、些細な家事にも集中できなかった。ようやく仕事に行けるようになったものの、職場は休む前よりもさらにひどい状態になっていた。
そのうえ、アネリは最近、生活困窮者だけでなく、時限爆弾のような連中を担当させられていた。大半は若い女性たちで、これまで手に職をつけたこともなければ、それができるような境遇にもなかったという者たちだ。アネリは毎日、夕方家に帰るころには不機嫌で疲れ果てていた。人々の役に立つ仕事をバリバリこなしてきたからではない。まったく逆で、意味のあることを何ひとつしていないからだ。今日もそうだった。
娘が何度もやってきて、こんな生活をやめないとすぐにお母さんのあとを追うことになると咎めた。その言葉はタバコの煙と一緒に天井に昇り、彼の返事を待っていた。だが、ひょっとしたら俺はそれを望んでいるんじゃないか? タバコを吸いつづけて死ぬのなら、苦しむ魂も永遠の安らぎを見つけられるんじゃないだろうか? あるいは腹がはち切れるまで食べつづけるとか。それ以外にいったい何をすればいいんだ?
ところが、十日前に突然、この新聞が目に入った。
一面を見たとき、それまでの無気力か一気に吹き飛んだ。彼は、ぎょっとしてタバコを灰皿に置き、溜まった郵便物の上からその新聞を取り上げた。そして顔から三十センチくらい離して読んだ。老眼鏡がないとよく見えないのだ。
その記事を読んでいるうちに、マークス・ヤコブスンは思わずうめき声をあげた。悲劇が起こる前の日が生々しくよみかえってきたのだ。もう何年も使われていなかった脳のシナプスに新たな電気か走る。
頭が稼働しはじめた。突然の事態に、いったいどこから手をつければいいのかわからなかった。年金生活に入る前、マークスには自分の勘に従うだけの力があった。今は、そもそも彼の話を聞こうという人間がいるかどうかもわからない。だが、たしかにアイドリング中とはいえ、彼の刑事魂はまだ息絶えてはいなかった。殺人捜査課、かつての捜査部Aで十年間、さまざまな事件を解決した。課長だったころの検挙率は歴代のどの課長よりも高かった。それを思うと誇らしい気持ちになる。だが、殺人や死亡事件を捜査したことのある警察官なら誰もがそうだろうが、静かな時間に思い起こすのは解決した事件ではなく未解決の事件だ。いまだに夜中になると、そうした事件の経過や犯人について思いめぐらすことがある。罪のない犠牲者たち。それなのに、罰も受けずにうろついている犯人たち。そのことを思うと、今でも鳥肌が立つ。それだけではない。解明できなかったという苦しみのなかで捜査員たちが生きていかなくてはならない事実に、彼はとてつもない羞恥心を感じていた。仲間を見捨てたという思いがどうしても頭から離れない。追うことのできない痕跡、見逃した証拠にいまだに苦しめられていた。だからといって、今さら自分に何ができるだろう。
そんな思いに悩まされていたとき、あの見出しに気づいたのだ。床に放置してあったいくつもの新聞の山につまずきながら、彼はその新聞を取りにいった。見出しを読み、悪意ある人間は、捕まらないかぎりまた同じことを始めるのだと思い起こした。
「カール、声がかれてしまったのは自分でもわかっている。あれからタバコの量がいくらか増えてな。だが、私だよ」
最後にマークスと話をしてから三、四年は経っている。カールは即座に罪悪感に襲われた。彼がどれだけつらい時間を耐えねばならなかったか、今になって気づいた。しかも情けないことに、それがどういう結末に終わったのかをまったく知らないのだ。
マークスは、五分かけて彼の身に起きた悲劇を詳細に語った。元課長は男やもめとなり、生涯消えない心の傷を負っていた。
「心からお悔やみを申し上げます、マークス」慰めの言葉を探すことなどふだんはしない頭を稼働させて、カールは言った。
「ありがとう、カール。だが、電話したのはそのことじゃない。どうやら、私もきみもお互いを必要とする状況ではないかと思ってね。偶然、ある事件について知ったのだが、その件で話し合ったほうがいいと思う。その事件をきみに押しつけるつもりはない。そんなことは三階の人間か許さないだろうしな。そうではなくて、今回のことで、長年気になっていた事件を思い出したんだ。それで、警察本部には幸いにも、普通なら保管庫の隅で埃をかぶっているような事件にも目を光らせている人物かまだいるってことを思い出してね。まったく助かるよ」
ともかく、退職にあたって警察本部の部屋を片づけていたときにそのメモが出てきたんだ。それからずっと、メモはマグネットで冷蔵庫のドアに留めてあった。妻か生きていたら叱られていただろうな。「もう引退したっていうのに、いつになったら警察をやめらるの?」というのが口癖だったからな。だが、退官したって警官は骨の髄まで警官なのさ
少なくとも二十分間は誰も口を開かなかった。それぞれが思い思いの推測をしていた。カールは、これほど長いあいだ助けを求めていた叫びと、彼女がひとりぼっちで行なっていたセラピーを目の当たりにして、胸が締めつけられる思いだった。
カールはため息をついた。自分たちかよく知っていると思いこんでいた女性が、これほどまでに破壊的で深い闇を抱えていたとは。その闇は、ぶっきらぼうな態度を取ることでしか処理できなかったのだろう……。
しかも、これほどの闇を抱えながら、俺が打ちのめされているときには、俺を励ます力をどこからか見つけてきた。彼女は持捜部Qで毎日エネルギーをかき集め、悲惨な事件に対しても並々ならぬ情熱を捧げ、鋭い感覚を生かして捜査に当たってきた。それも、夜になると自分のつくりあげたシステムに戻り、魂の苦しみを書きつけていたからこそ可能だったというのか?
なんてこった! 賢く有能なのに、苦痛に苛まれてきたローセ。おまえさんは、自分をこんな狂気に迫いこんでいたのか? そして今や、自分なりのセラピーも限界に達し、再入院しているというのか?
今の状況のすべてがカールには気に入らなかった。
ローセはただの仲間であるだけでなく、女だ。それだけでも……ちくしょう、どうして女となると話がすべて複雑になるんだ? まったく、いつも同じじゃないか。男は相手のためにベストを尽くすのに、女は全然それをわかろうとしない。カールには女というものがこれっぽっちも理解できなかった。もしかしたら、北ユラン半島のタフな女たちを見て育ち、すべての女は彼女たちのように単純で裏表かないと思ってきたせいかもしれない。ハーディからはしょっちゅう、同じ失敗を何度も繰り返さないよう、メンタルコーチを雇うか、独身男性の自己啓発セミナーに行けと言われている。そんなアドバイスをいつもばかばかしいと一蹴してきたが、一度真剣に考えてみてもいいかもしれん。
彼女は目だけで周りを見回した。廊下に差しこんでいる光は薄暗い。早朝か、夕方の遅い時間か、どちらだろう? この季節はほとんど暗くなることがないから、どちらか判断することは難しい。ともかく夏はすぐそこまで来ている。恋人たちがとろけるようなまなざしで見つめ合い、踊りだしたい気分で体がむずむずする季節。たった一度だけ、彼女もそういう興奮を味わったことかあった。あのときはうれしかった。恋は向こうからやってきて、何度でもまたやってくるものだ、という人かいる。でもローセにとってはそうではなかった。それでも、胸が躍る興奮は経験した。ただし、ダンスに行くことも、父親か禁止にしたことのひとつだった。
元カレのひとり、最高に退屈だったあの男はいつもなんて言ってたっけ? 全力で守ろうとしなければ幸運は消え失せる、だっけ?
なんて痛快な気分なんだ! ラース・ビャアンの部屋の横を通りながらカールは思った。
復讐とは、華美なだけでなく神々しい気持ちにもさせてくれるものなんだな。
「特捜部Q」は、上下2段組で570ページ。
かなりの長編なのですが、物語はテンポ良く展開する。活字も目に優しく読みやすい。
一気に読み切ることが出来ました。
『 特捜部Q/自撮りする女たち/ユッシ・エーズラ・オールスン/吉田奈保子訳/ハヤカワ・ミステリ 』