■湖の男/アーナルデュル・インドリダソン 2018.3.5
2018年版 このミステリーがすごい!
海外篇 第15位 湖の男
YOMIURI ONLINE 2017.11.13
アーナルデュル・インドリダソンの 『湖の男』 は、15位とは思えない面白さだった。
暗く、地味で派手さのないミステリだが、ぼくにはたまらなく面白く感じられた。
主人公、エーレンデュルにとって、人生は生き難い。
幼い日に経験した不幸な事故は、いつまでも頭から離れず、我が子とはそりが合わず、嫌な奴は出世し、現場での捜査は難航する。
それでも、エーレンデュルは淡淡と生きて行くしかない。
「暗がりが唯一、一番心休まるところ」、そんな人生だとしても。
ガレージには車が二台。その限りない幸福を遮る心配事は何もなさそうだ。エーレンデュルはニエルスほど幸福と成功を独り占めしている人が他にいるだろうかと思うこともあった。ニエルスほど怠け者で捜査官にふさわしくない人物は他にいないのに。どんなに私生活で成功しても、エーレンデュルは彼に好感がもてなかった。
シグルデュル=オーリには、夜遅く電話がかかってくる。
「悪いな、いつも電話してしまって」と電話の声。
一瞬迷ったが、やはり切ってしまった。すぐにまた呼び出し音が鳴り始めた。
「ああ、腹が立つ!」と言いながら、彼は受話器を取りあげた。
「切らないでくれ」という男の声がした。「ほんの少し、あんたと話がしたいだけなんだ。あんたとはよく話ができるんだ。うちに知らせをもってきてくれた最初のときから」
「おれは……、あんたの救世主じゃない。ちょっと、やりすぎだよ、これ。やめてくれと言ってるんだ。あんたを助けることはできない。恐ろしい偶然の重なりだった。それがすべてだ。あんたはそれを受け止めなくちゃならないんだ。納得しなくちゃならないんだよ。じゃあ!」
「ちょっと待て。あれは偶然だったということは理解している」男は言った。「だが、おれがその偶然を作り出したんだ」
男は、悲惨な交通事故で、妻と娘を亡くしていた。
その悲しい知らせを男にもたらしたのが、警察官のシグルデュル=オーリだった。
それ以来、男は電話をかけてくるようになった。
「その男か、妻と子どもを亡くしたというのは?」
「なんだか知らないけど自分でこしらえた理由をでっち上げて、自分を責めているんです。他人の話を聞こうともしない。」
あんたのためにおれができることは何もない。あんたの救世主じゃないんだ。牧師に電話してくれ」
「おれの言っていること、わかるか?」
「ああわかる。だが、なんの助けにもならない」
「そうかい、すきにすればいい。もう切るぞ」
「ありがとう」
ふたたび、夜の夜中に電話のベルは鳴る。
話さずには、誰かに語りかけずにはいられない暗い人生。そんな話、聞かされても......
優しさとどうにもならない悲しみと微苦笑が、このミステリにはあります。
様々な人生が語られている。
未来への期待に胸が弾んだ。いよいよ自分の足で立ち、人生の舵を取るのだ。この先何が起きるかまったく予測がつかなかったが、両手を広げて受け止めるつもりだった。
誰もが新しい自由な世界の実現を切望していた。
当時おれたちはみんな若かった。みんな子どもだった。なぜあんなことが起き得たんだ?」
「人はみんなそのときの状況で最善を尽くす。それしかないんだ」
最後に彼は一人で戦うんだ。『真昼の決闘』というタイトルだ。
最高の西部劇は西部劇の範疇を超えているものだよ。
このミステリの面白さを、訳者の柳沢由実子氏は、「訳者あとがき」でこう述べている。
第三作の『声』を翻訳してから二年以上も経っているので、読者に忘れられてしまっているかも知れないと心配しつつ、今回も作者アーナルデュル・インドリダソンの筆力に引っ張られて、夢中で翻訳した。
手放しで面白いミステリでした。 読んで良かった。
『 湖の男/アーナルデュル・インドリダソン
/柳沢由実子訳/東京創元社 』
2018年版 このミステリーがすごい!
海外篇 第15位 湖の男
YOMIURI ONLINE 2017.11.13
アーナルデュル・インドリダソンの 『湖の男』 は、15位とは思えない面白さだった。
暗く、地味で派手さのないミステリだが、ぼくにはたまらなく面白く感じられた。
主人公、エーレンデュルにとって、人生は生き難い。
幼い日に経験した不幸な事故は、いつまでも頭から離れず、我が子とはそりが合わず、嫌な奴は出世し、現場での捜査は難航する。
それでも、エーレンデュルは淡淡と生きて行くしかない。
「暗がりが唯一、一番心休まるところ」、そんな人生だとしても。
ガレージには車が二台。その限りない幸福を遮る心配事は何もなさそうだ。エーレンデュルはニエルスほど幸福と成功を独り占めしている人が他にいるだろうかと思うこともあった。ニエルスほど怠け者で捜査官にふさわしくない人物は他にいないのに。どんなに私生活で成功しても、エーレンデュルは彼に好感がもてなかった。
シグルデュル=オーリには、夜遅く電話がかかってくる。
「悪いな、いつも電話してしまって」と電話の声。
一瞬迷ったが、やはり切ってしまった。すぐにまた呼び出し音が鳴り始めた。
「ああ、腹が立つ!」と言いながら、彼は受話器を取りあげた。
「切らないでくれ」という男の声がした。「ほんの少し、あんたと話がしたいだけなんだ。あんたとはよく話ができるんだ。うちに知らせをもってきてくれた最初のときから」
「おれは……、あんたの救世主じゃない。ちょっと、やりすぎだよ、これ。やめてくれと言ってるんだ。あんたを助けることはできない。恐ろしい偶然の重なりだった。それがすべてだ。あんたはそれを受け止めなくちゃならないんだ。納得しなくちゃならないんだよ。じゃあ!」
「ちょっと待て。あれは偶然だったということは理解している」男は言った。「だが、おれがその偶然を作り出したんだ」
男は、悲惨な交通事故で、妻と娘を亡くしていた。
その悲しい知らせを男にもたらしたのが、警察官のシグルデュル=オーリだった。
それ以来、男は電話をかけてくるようになった。
「その男か、妻と子どもを亡くしたというのは?」
「なんだか知らないけど自分でこしらえた理由をでっち上げて、自分を責めているんです。他人の話を聞こうともしない。」
あんたのためにおれができることは何もない。あんたの救世主じゃないんだ。牧師に電話してくれ」
「おれの言っていること、わかるか?」
「ああわかる。だが、なんの助けにもならない」
「そうかい、すきにすればいい。もう切るぞ」
「ありがとう」
ふたたび、夜の夜中に電話のベルは鳴る。
話さずには、誰かに語りかけずにはいられない暗い人生。そんな話、聞かされても......
優しさとどうにもならない悲しみと微苦笑が、このミステリにはあります。
様々な人生が語られている。
未来への期待に胸が弾んだ。いよいよ自分の足で立ち、人生の舵を取るのだ。この先何が起きるかまったく予測がつかなかったが、両手を広げて受け止めるつもりだった。
誰もが新しい自由な世界の実現を切望していた。
当時おれたちはみんな若かった。みんな子どもだった。なぜあんなことが起き得たんだ?」
「人はみんなそのときの状況で最善を尽くす。それしかないんだ」
最後に彼は一人で戦うんだ。『真昼の決闘』というタイトルだ。
最高の西部劇は西部劇の範疇を超えているものだよ。
このミステリの面白さを、訳者の柳沢由実子氏は、「訳者あとがき」でこう述べている。
第三作の『声』を翻訳してから二年以上も経っているので、読者に忘れられてしまっているかも知れないと心配しつつ、今回も作者アーナルデュル・インドリダソンの筆力に引っ張られて、夢中で翻訳した。
手放しで面白いミステリでした。 読んで良かった。
『 湖の男/アーナルデュル・インドリダソン
/柳沢由実子訳/東京創元社 』