ゆめ未来     

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血の収穫/古代ローマの庶民たち/

2016年08月27日 | もう一冊読んでみた
 今週は、この2冊。
 血の収穫/古代ローマの庶民たち/

血の収穫/ダシール・ハメット  2016.8.27

今週は、ダシール・ハメットの『血の収穫』を読みました。
この文庫本の奥付を見ると1959年6月です。
1950年代の日本の推理小説界は、誰が活躍していたのだろうかと思い出してみる。

横溝正史
1948年、『本陣殺人事件』により第1回探偵作家クラブ賞(後の日本推理作家協会賞)長編賞を受賞。
同作はデビュー後25年目、長編としても8作目にあたるが、自選ベストテンとされるものも含め、代表作と呼ばれるものはほとんどこれ以降(特にこの後数年間)に発表されており、同一ジャンルで書き続けてきた作家としては異例の遅咲き現象である。
1960年代に入り松本清張などによる社会派ミステリーの台頭とともに急速に執筆量が激減。

松本清張
1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。
1958年には『点と線』『眼の壁』を発表。
これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こす。
以後、『ゼロの焦点』『砂の器』などの作品もベストセラーになり戦後日本を代表する作家となる。
 (Wikipediaより)


当時、ぼくは横溝正史、松本清張の推理小説を夢中で読んでいたのだろうか。

 『八つ墓村』
 『獄門島』
 『犬神家の一族』
 『悪魔が来りて笛を吹く』
 『悪魔の手鞠唄』

乾いた文体とドライな会話。
中島河太郎氏は、巻末の解説で「ここに登場する探偵は、従来の天才的推理能力非凡なそれではなく、非情・利己的・好色で、しかも自己の信念を固く守り通す、しかも行動は敏速かつ凶暴でもある。」と書いているが、当時、ぼくはこの新鮮さに気づいていただろうか。

 「....お前さんの役には立つ男だと思ってね」
 「すると、おれのためにスパイをやりたいと、いうのか?」
 マックスウェインは正面からおれの眼をみつめていたが、静かな声で----
 「なにもいちいち、いちばんいやな言葉を探して使うことはねえだろう」


 『 血の収穫/ダシール・ハメット/田中西二郎訳/創元推理文庫 』



古代ローマの庶民たち/ロバート・クナップ  2016.8.27

定年退職したとき、新たに何か趣味を持とうかと考えた。
それで、ずっと疑問に思っていた、「ローマは、なぜ滅んだのか」を考えることにした。

今回、久しぶりにローマ関係の本を見つけた。
古代ローマの庶民たち

内容は、庶民、貧民、奴隷、解放奴隷、兵士、娼婦、剣闘士、盗賊、海賊の人生。
庶民の話だけに、どの話しも大変地味な内容だ。

それでも、これは驚きです。

 想い人を魅了する恋のまじないは、英雄、剣闘士、あるいは無残な死を遂げた者の力を借りて成し遂げられるのです。

庶民は、自らの成功と欲望のために、また、病気を治すために、争って犠牲者の血を飲んだ。

 「私は、ついさっき殺されたばかりの男の傷の下でカップを持ち、その血を飲みほしている人々を見たことがある」。
多産を願ったり、てんかんを治療したりすることに加え、剣闘士の血は、愛するものを魅了するほれ薬としても役に立っていた。


何時の時代でも庶民は、しぶとく生き抜く。

 あらゆる不確実性や危険の真っただ中で、男たち(時として女たち)は、アリーナでの決闘を準備しているときでも、友人や家族とともに人生を切り開いていた。彼らも、ある意味では他の一般のローマ・ギリシャ人と同様に、自分たちの前に立ち塞がる世界の中で成功を収めるために、最善を尽くしていたのである。

何時の時代も性の話は、話題が豊富だ。

 「古女房たち」が若い花嫁に夫の望むことをするように助言する姿を想像するのはたやすい。「男とはそういうものなのよ」------この言葉は、結婚には子孫を得るという側面に加えて、セックスというきわどい一面もあったことを認めている。

 「花嫁は心得ておくがいい、夫の求めることを拒まないように、さもなくば夫はよそへそれを探しに行く」


妻とのsexは、「顔と顔を向け合う」もの、そう真面目にやるもの、それ以外は、趣味。

 人間が自分たちにとって正しい体位は「顔と顔を向け合う」ものだと考えるのは、適切なことである。それ以外のものは、好色と酒に酔ってのいき過ぎに似つかわしいものとして作りだされたものだ。

 男性と女性で行なう顔と顔を向き合わせたセックス以外の行為、フェラチオやさまざまな体位を求める庶民男性は、娼婦のもとにむかう。


売春は、罪ではない。
男は、外で楽しむもの。
そして、性病の恐れは、現代ほど深刻ではなかった。
女性にとって、妊娠への恐れは、現代と同じ。

 知られている限り、当局は売春には関心をもたなかった。結局のところ、娼婦との性交渉はいかなる法を犯すものでもなかったし、男のほうに関する限り道徳的な非難を被ることすらなかった。なぜなら姦通の要件を満たしていないからである。

 娼婦は生命が危険にさらされるような性感染症とは無縁に商売をすることを望めたといってよいだろう。少なくともこのささやかな点では、古代の生活は現代よりは安全だった。


人類最古の商売、これに携わる古代ローマの娼婦の数は、意外に多かった。

 『 古代ローマの庶民たち/ロバート・クナップ/西村昌洋監訳/増永理考・山下孝訳/白水社 』

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