Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

神様お願い

2012-06-09 17:22:41 | 日々のつぶやき

神様お願いというグループサウンズの歌が昔あった。これを知っているのは50代半ば以上の年齢であろう。

先日、ノワタリさんが電話の向こうで嘆かれた。私の紹介者が「ノワタリさんに頼んだのに良くならない。(病気)」と不満げに言ったそうである。

その病人は私が紹介した女性がまた紹介した人である。

4月にノワタリさんが来られた時、私も出会っているが、大分よくなったものの本調子ではないらしかった。それ以前はリストカットの常習者であり、紹介された直後もその騒ぎがあったと聞いた。

そんな状態は脱したもののまだ、食事が入らないと聞いたが、また入院したそうで紹介者は何の努力もなく、良くなると思っているらしいそんなものは薄皮をはぐようにしか良くならない。なんと短絡的な事。

本人の生来持って来た因縁などもあるし、体験しなければならないこともある。それを越えなければならず、早急にという事は無い。それをしなければ、また来世、そして孫子までという事になるので根本を理解していない。神慮の試練として受け止めるべきである。

私もノワタリさんにお会いするまで多くのものを抱えていた。この10年氷山が解けていくようにじわじわと変化していったが、ここぞと言うような大事な所で助けられている事に恥ずかしながら後で気づくと言うようなものである。

お会いする数年前、更年期で先が見えず落ち込んでいる時病院の治療室のベッドに横になり医者を待っていると、壁にかけてあった家康の言葉が目に入った。

「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え
勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る
己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり」

それを読んだ時、家康と言えば、タヌキ爺であまり良いイメージを持っていなかったが考えを改め、誰もそんな思いを持って生きているのだと思い 大分心が軽くなった。

私の紹介者は水子供養や遠隔で土地の浄化をしていただいた後、劇的に変化して良くなったのでそんなものと勘違いしているのかもしれない。しかし、この場合他の相談者と違い、仕事を通じて地域に貢献すると言うお役目があると聞いた。

そんなのは例外に等しく、ほとんどの場合1,2年の間次々と問題が顕在化し、それに追われるが気づけばそれである程度の因縁の浄化は出来る。それは当面の事で、また数年後、解決できてない事が現れというふうに繰り返され収まっていくのを見て来た。

普通、次元が高ければ、高いほど神様は個人的な事よりも、社会的な事とか人類の為とかで尊大な目的があるので、そういう事にあまり関わらないとと聞いたことがある。

低級なものほどもしくは動物霊などの方が個人的な現世利益をもたらす事が多く、悪質なものは取り込んだ後、最後に突き落すようなしっぺ返しをすると聞く。

ノワタリさんのお蔭で良くなったので何もかも彼女は相談し、次々と周りの人を紹介した。

子供が医者になりたいと言ってご祈念してもらった。

本人の努力もあり、模試の結果は幾つかの私立と国立が合格圏内に入っていて、もう周りは合格気分になっていた。

本番2,3日前の夜 本人から今度は医者になりたくないとの電話があり、ノワタリさんはとても困惑された。

当然、全滅であった。学科は合格、面接で不合格と言うのもあって、私たちは首をかしげた。

ご主人が医大に勤めている従妹のノリちゃんに言うと、「ネコちゃん、面接はね医者に適しているかそうでないかを見るだけのものでほとんど落ちる事はないのよ。」と言う。

たぶん面接で何かを言っただろうと思うが、ノワタリさんは

「上が合格って言っているのにこういう結果が出たことは本人の意志かしらね。」と、ポツッと言われた。

その後も、ほかの子供の就職相談をしたが、自分の希望通りにならないと不平不満をぶつけるようになった。

それならば、聞くな!、魔法のランプでも探せ!ご祈念だけで思い通りに行くなら、誰も苦労は無く、人格の完成もないであろう。私がノワタリさんの立場であったら、もう取り合わないし、張り倒しそうだ。

「私の言葉を否定することは上を否定することになるのよね。」と言われたが、このままでは良くなっていた環境も、手を引かれてしまえば元の木阿弥である。

妹も子供の進路相談や地場の悪い所へ行ってはいけないので、いくつかの学校やマンションの候補から縁のあるものを選んで頂いたので、意味合いがちょっと違う。

それでも、私とよく似た体質の姪はマンションの10階でありながら浮遊霊がよく来てノワタリさんにお世話になった。

単に神様お願い、お願いで済むならば誰も努力もしないであろうし、悩む事もないだろうし、生きている実感も感じないだろう。

 

 

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな事って有り?

2012-06-08 23:04:44 | 日々のつぶやき

気温の変化が大きく不順であっても、もうくちなしの花が咲き始めた。数日甘い香りを楽しめる。

しかし、家のくちなしの花は哀れな格好である。ほったらかしにしていたので虫に葉を食べられてしまい、上の方は葉が切れ切れでフマキラーのスプレーを吹くと、ドサドサと芋虫が落ちてくる。

以前あったセイジにしても同じで、虫に食べられてしまい葉脈だけになってしまい、食卓へは登らなかった。

大体玉置へ行く手はずは整った。占い師のHは仕事が入っているので日帰りにすると言っていたが、片道10時間掛かるので取りやめた。

替わりにSが行くと連絡が来た。私達も四国をほぼ横断する形で走り白浜空港でノワタリさん達と合流する。3人運転手が居るので心強い。

昨日の朝、左の肩から腰に掛けて痛い。また、何かを憑けた?やだ~、もう卒業と思っていたのにと思いつつ、清めたが痛い。

ノワタリさんに遠隔をお頼みして、高知まで出かけた。

先月、地場の悪いお得意さんで足がとても痛かったので、お清めグッズを用意して、外でこっそり、靴の裏を清めて岐路についた。

「何が憑いていたんでしょうか?」と、夜お尋ねすると、

「いや、それがね、何にもないんですよ。」と不思議そうに言われた。

昨晩は疲れもあり11時過ぎには就寝した。その時、お布団の左横に置いていたCDプレーヤーを元の場所に仕舞って休んだ。

今朝、気づいたのはそのスピーカーの事だった。

以前見てもらった祈祷師はその当時ベッドの頭側にミニコンポを置いて毎晩ラジオを掛けっぱなしにしていた事を注意した。

「霊的なものの波動を増幅してしまうのでスピーカーのようなものは寝室に置くべきではない。」と言った。その当時御神木のベッドだったので、不眠がきつく、休んでもベッドの上で半回転したりしていて静に休むということは出来なかった。

今でもラジオを掛けっぱなしにしているが、最近は性能も良くなり小さなスピーカーで少し離しておいているので影響を感じた事はなかった。

youtubeからダウンロードした富田ラボや、吉田美奈子、スカパラ、エゴラッピンなどをCDにコピーしたのを掛けっぱなしにしていたのが悪かったらしい。

スピーカーが犯人だと、ノワタリさんに伝えると、あちらも私が勧めたウッデイ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」を見に行かれたが、スピーカーの大音量とアメリカ映画の語気の荒さを受けてしまい、気分が悪くなり帰宅して横になったそうである。

おまけに映画は御伽噺のようで期待はずれだったそうである。

「もう、デパートだけでなく映画館にも行けないわね。」と、寂しそうに言われた。

どちらも犯人はスピーカーだった。

原因がわかってほっとしたのも束の間、今回の玉置行きは梅雨時なので、6万近く走っているので用心してタイヤを交換する事にした。

今日お昼前に交換してもらい、2時頃父やお隣の叔母さん達を乗せて町内の父と中の良かった一つ上のおじさんの葬儀に連れて出た。もう、父と同じような年代の友人は居なくなってしまった。後、気落ちしなければ良いがと思う。

数日前 定期健診を受けた後、「病室を覗くと肺に水が溜りその治療をしてしんどそうだった。良くないな。」と父は帰宅して私達に言ったが、家人たちは出会っても「良くない」とは一言も言わず、明るく振舞われていた。

大通りに出た頃から、ゴトゴトと音がする。「う~ん、一体この音何?」

1キロくらい走ると、ゴトゴト行っていた音は益々大きくなり車の中はその音で会話も消されるほどである。

「変ね~、一体どんなタイヤを着けたんだろう?帰りに寄ってみるわ。」と言いながら、着いた。

近所のおじさんがドアを開けた途端、ゴムの焼けた嫌なにおいが鼻を突いた。

そのおじさんが「ありゃ~!」と、大きな声を出した。どうもとんでもない事が起きたみたいだ。

出てみると、交換したばかりの前輪左のタイヤがパンクしてホイルが地面に乗っている。タイヤのゴムは地面に水溜りのようにグニャっとへばりついていた。

すぐに連絡を取り、駐車場で待っている間、横に停まった車を窓越しに見ると、Sだった。

喪主も同級生のなのでSが来ても不思議はない。

一緒にゴルフをしていたそうで、通夜にも来たそうである。手まめな人でまた、手作りのケーキを頂いた。

やがて、スタンドからやって来てタイヤの状態をみて驚かれた。

じっと見るとタイヤの側面に3cmほどの傷があった。それが原因らしいが、私は何処も擦っていないし、その周辺に擦った後もついていないので交換してもらった後、「業者に調べてもらいます。」と、言われた。不良品だったのかしらとも思うが、向こうは取り替える際、見ているはず???おかしい!

物は考えようで、夜中に出発した途端、こんな事が起きたら行く事は出来ない。

葬儀から帰った父やおばさん達は心配して様子を聞きに来たが、

「タイヤの底ならば何かを運悪く踏んでという事も有りうるけれど、何処にも擦ってないから不良品?かしら」としか言えないが、調べると言ったからと伝えた。

父は「塩撒いて清めろ。」と言う。こんな事ってあるんだろうか?

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前世の影響?

2012-06-06 21:38:02 | 日々のつぶやき

昨晩も、就寝は4時であった。どうもリズムが戻らない。

千葉は大量の鰯が打ち上げられたと言うが、こちらは全くの不漁である。海の底で異変が起きているのか?落ち着かない。

落ち着かないのは、これから書くことを押さえていたせいか?

人の顔がそれぞれ違うのは前世が顔にでている現れだと読んだ事がある。

今まで何度か前世の事を書いたことがあるが、どれも厳しい。今世が最後と言われ締めくくる事となるので振り返れば、それなりに大変だった。

一番影響が強いと言われる武将、戦国時代の武将が幼少時から家の中で主導権を争ったみたいに私の子供の頃も同様であった。

世の中、嫁と姑が仲が悪い事は多い。家でも環境が余りにも違うのでとても悪かった。

未だに、私が誕生するまで6年の時がありながら何故母が離婚して帰らなかったのが不思議である。後日、聞くと「妹が帰っていたので、帰れなかった。」と言われたが、私ならば、実家に帰らなくとも家を出て違う人生を探すだろうと思う。

母の家は14代続いた家で、祖母は、幼少時に父親を亡くし、母親が実家に祖母を置いて再婚したので、大らかに開けっぴろげだった母と対照的だった。

私は母にどちらかと言えば似ていたので、祖母にかわいがられた覚えがない。あの世に行っても私の前に出てくる時は平伏して顔を上げれない。私達にした事を覚えているならば当然だ。

ワタリさんから聞くと、かわいがっていた従姉妹の前ではニコニコしてずっと出ていたと言う。

父はまるで継子扱いで、私達家族だけが家の中で孤立して他人のようだった。

そんな母が、小学校3年の時、ストレスがたまり、気管支拡張で喀血し入院した後、療養するため、妹を連れて実家に1年近く帰った。帰宅しても結核扱いで嫌がられたと言う。

その頃、私と犬猿の中だったのは一回りも違う一番下の叔母だった。その間、いじめにあったが対抗して私は負けなかったが、その都度、祖母に言い上げされ、ひどく叱られた。

「私は長女だから将来家に居るけど、あんたは嫁に出るわ。でも、家には帰らせない。」と言って悪態をついた覚えがある。

妹に言わせれば、「7,8歳の子供にそういう言葉を吐かせると言う事はよほどのことがあったのだろう。」と言った。

後年、父に「父方の姉妹とは付き合わない。」とある程度の年齢の頃から言っていた。

そんな日々であったが、よくぐれなかったと思う。それと、元来の性質かもしれないが、鼻っ柱の強さと、気の強さを磨かれた。

ノワタリさんが言われるのに、それで今まで挫けずに済んだそうだが、その事は私の中でトラウマとなり、恋愛しても他家に嫁いで同居と思えば、それだけで気が重く、出来なかった。

4年生の時呉服屋の同級生のお母さんが「ネコちゃん、良いわね。おばあちゃんが振袖を作ってくれたわよ。」と言って、遊びに行った時、見せてくれたのは従姉妹の物だった。すべてがそうであった。その着物は廻ってこなかったが、いつもお下がりだった。

高校生の時、祖父の前で 祖母にその事を言うと、「そんな事知らない。」と言ってしらばっくれる。言い争いになり、呉服屋さんに確認しようと電話したが、「そんな事ありません。」と、おばさんは冷たく子供の頃の事を否定した。

大いに傷ついたので母には「絶対あの店で買わないで。」と伝えた。

筝や三曲、お茶と着物の要るお稽古事をしたが その通り、浴衣の1枚も買う事はなかった。

祖母は高校生の時に亡くなったが、半年を近い入院中、世話をしたのは娘達でなく、母は毎日病院に通って世話をした。

祖父が80歳過ぎて、2キロ程離れた隠居に居る頃、帰宅途中に交通事故にあった。

偶然、同級会の為帰省していた一番下の叔母が、留守宅の祖父の貴重品の入ったかばんを持ち去った。

それだけでなく、4人いる叔母のうち一番上と一番下の叔母は実家のものは自分の物という考えで、祖母の生きている間甘え放題で、祖父に内緒で祖母は仕送りし、家まで買った。

その後亡くなる2,3年同居した祖父はかばんの事や土地代が支払われなかった事を、酒が入るとよくこぼした。

その後、祖父の方から遺言書を書き直すと言い出し、「すべて父に」と言ったが、父と母は動産は要らないから男の兄弟にやってくれと祖父に言い、その通りに書いた。

しかし、遺言書の内容を知らない叔父達は父と母の好意を無にして、叔母に言いくるめられ、そちらに付いた。

新しい遺言書を知らない叔母は自分が主導権を持った形で新盆の時、遺言書を出してきた。

もうそれは無効である。結局叔父達は二人で分けるはずが六人で分ける事になった。

どのように配分したかは知らないが、その株券を元に叔母は長男を証券会社に入れた。

そのような事がうまくいくはずがなく、長男は其処で同僚と結婚し、離婚した後、ヤクザの女とサラ金に借りられるだけ借りて逃げ、8年間消息不明であったという。

おばの主人はそこそこ名前の知れた会社の重役になり、関連会社の社長のポストについたが、その後始末に追われた。

数年前、妹に叔母のしてきた事を話しているのを盗み聞きした義理の叔父は私に

「あんたの言った事、全部聞いたで。」と言ったが、嘘は言ってないので「あ、そう。」と平然とした態度で言って、弁解もしなかった。その後、墓参りすら来なくなった。

その後、父を裏切り続けた一人の叔父は、事故でたんを自力で吐く事もできない状態で数年間生きて亡くなった。動けなくなった時、車のダッシュボードから、食堂のゴム印のある白紙の領収書綴りが出てきたり、満足として1ヶ月休まず出てくることは無く、自宅前によくを停めサボっていた。

これも親が甘やかした結果である、。

事故だと思っていたが、ノワタリさんが叔父が見えない力で首を絞められている事を遠隔で御祓いしている時、言われた。

今年の春、もう一人の叔父も風邪をこじらせ、入院して退職した。

後の事を困らないようにと母がチエさんに指示して保険の手続きをしてもらったが、挨拶に来た時、礼を言ったのはチエさんにだけだった。

その後、今度は不摂生がたたり老人性癲癇で入院したと言う。家には連絡がなく、「意識不明」騒いでと言って来たのは亡くなった叔父のお嫁さんだった。

それも、当人のお嫁さんから、他の姉妹間に連絡し、地元に居る先に亡くなった弟の嫁から最後に家である。

順序も逆様なら、言っている事もむちゃくちゃで、興奮状態が収まらないので安定剤で押さえているだけである。

母が「意識不明の人間がなぜ、話せるの?」と言った事で、叔母さんは聞いた話に矛盾があることに気づいた。

私は以前からあまり取り合っていなかったが、その事から母は裏切られ続けている事にやっと気づき、一時の間「鬱になりそうだ。」と言って落ち込んだ。

両親はその二人の弟を使い、退職共済金、厚生年金とできる事はすべてしたが、当たり前としかとられず、陰で悪口しか言われなかった。

高齢の父には悪いが「こんな血、私で終わりよ。良かったわね。」と、言い、母はその後開き直り、欝状態から開放された。

父も「こちらには何も知らせないのだから、取り合う必要は無い。」と、言い出した。

昨晩、Eテレでその病の事を見た母は「前兆で2.3秒意識が途切れる事がある。」と言うことを聞いた。

2年前、叔父は車止めを越え、食堂の看板に激突して、怪我はなかったものの車は大破し、廃車になった。

それはその発作だったのでは?と思う。風邪をこじらせ入院する事がなければ、京都の事故のような事が起きても仕方ない。背筋の凍る思いである。

本当に大事な所で私達は救われている事をありがたく思い、感謝した。

「良い事も悪い事も自分の行った事は亡くなるまでに味合わなければ、亡くなれない。それでもそれが大きければ、今世だけでなく、来世まで持ち越してしまう。」と、ノワタリさんは言われる。

身内の詰らない争い事と取られるかも知れないが、父の兄弟達とは縁が切れたと同時に厳しい陰謀や争いの環境を卒業できたのではと思う。反面教師として学ぶ事も多かったのかもとも思うが…。

これも2階建ての天中殺が明け、環境が変わっていく過程なのだろうか。私の人生って何?

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画を見たくなった

2012-06-01 22:16:30 | 日々のつぶやき

昨日の毎日新聞に、「ミッドナイト・イン・パリ」の事が書いてあった。

脚本と監督の言葉に「人生とは悲しく、満ち足りないもの」という見出しにとても引かれ、内容を読むと、ウディ・アレンは「誰もが今の自分の人生に満足せず、別の時代に生きたいという願うものだ。でも、いつの時代でも結局、人生とは不幸なものなんだ。」と言い、ではどうすべきか。

「この世は住みよいところではない、ということを受け入れ、何とかするしかないと言う事だ。」と

本当にそう思う。あの時、ああすればと言うことや、別の人生があるのではと思うこともあるだろう。しかし、私は最近、全くそんな事を感じなくなったし、不幸だとも思わない。ただ、なるように為るさと言う感じである。

ノワタリさんの言葉の影響だろう。人生の浮き沈みを見せられ、ある人は絶望して自殺されたり、じっと耐えられたり、「いいって事よ。」と言いながら家族一団となって新たな仕事に就かれたりしている姿をこの10年あまりの間に見せられた。

ノワタリさんは「必要な事は見せられ、体験させられる。」とよく言われる。自分が体験しないと、相手の情況が分からないので、霊能者のお仕事は出来ないそうである。出来れば、厳しい体験は遠慮したい。

振り返れば、ないものねだりの人生だった時は、不満だらけで、体の調子も悪く、孤独だった。今も、孤独には違いないが、それを楽しんでいて感じ方は違う。

内容はタイムスリップして自分の存在していなかった1920年代に行くそうである。

ますます見たくなり、早速、上映館を調べたが、残念四国にはなかった。数ヶ月遅れでも上映されればよいのだが…

以前ならば、大阪に仕事でとかと言って見ることも出来たが、今はそういう事が無い。

隣町の映画館は、漫画とが原作の物とかかハリウッドの大作ばかりで見たいと思うものはない。たまに見たいと思うものが来ても知らない間に終わっている。

ウディ・アレンの映画なんて久しぶりだ。ダイアン・キートンやミア・ファロー以来ではなかろうか。

とても見たい!地元のツタヤに出てくることを祈る。

先日もBSで、ご贔屓のジャック・レモンとウオルター・マッソーの「フロントぺージ」と、「博士の異常な愛情」と「日の名残」が放映されたが、見たくても仕事中でおまけに茶の間のテレビは録画が出来ない。昔、見たからと思い諦めた。

しかし、その時よほどを買おうかと迷った。母は「なんて、今は安いから買えば」と言う。

安い、高いの問題では無い。見るものも少ないのに、人恋しさにあれば点けっ放しにするのではないか?と思い買えない。

それだけではなく、ラジオならば,BGMで済むが、手を止め、頭を止めと言うことになり、くだらない情報が入ってくるだけで嫌だ。貴重な時間をロスしそうなので踏みとどまった。

有った時でも、リアルタイムで見ないと、次々録画しても見なかった事を思い出し、止めた。

本当に映画館が少ない。昔は私の町でも4件あった。

高校生になって自由に映画館に出入りできる頃は反体制の映画が多くニューシネマと呼ばれる映画の流行っている頃だった。ほとんど、ドロップアウトした主人公は亡くなるか、挫折感を味って去っていくと言うのが多く、それまでのハッピーエンドというものは無かった。

3本立てで何を目当てで見に行ったか分からないのだが、グレゴリー・ペッグの映画と、「西部番外地」と言う網走番外地のようなタイトルの内容はさっぱり覚えていないジーン・セバーグの映画と一緒に「バニシングポイント」言う映画を見た。

3本とも毛色が全く違い訳の分からない組み合わせだった。そんな3本立ての映画の中にたまに拾い物のように心に残るものがある。その頃はトイレの匂いがしてもネズミが走り回っていてもパラダイスだった。

入館した時は明るく、出たときはほとんど日が暮れていて、不思議な感覚になったものだったが、その映画は一人で行ったのと予備知識は全く無かったのでそのまま映画に引き込まれた。

極端に会話が無く、ただ走るだけの映画でベトナム戦争帰りの主人公の過去をフラッシュバックで現在と混ぜてヒッピーや応援する盲目の黒人DJなどの当時の風俗と世相を見せる映画でたぶんにもれず、主人公は最後に亡くなった。

主人公の車の運び屋役のバリー・ニューマンとゴダールの映画に出ていたアンナカリーナと共演の「ザルツブルグコネクション」と、もう1本見たがそれに比べると台詞は多くとも何の魅力も感じなかった。

しかし、私はこの映画が好きで、名画座などでカーアクションの3本立てなどに掛かったら欠かさず見に行った。何度見たであろう。虚無感しかなかったが、この雰囲気は好きだ今でも見たいと思う。

もう一つ、見たいのは「海の沈黙」である。高校生の時、ラジオの朗読で聞いたが、とても印象に残っている。占領下のフランスの田舎を舞台にしたドイツ将校と、その将校が間借りしている家のレジスタンスの娘と伯父との短編小説である。沈黙で抵抗するレジスタンスだったが、最後に将校が戦場へ出て行くときに、互いに好意を感じながら、娘は初めて「アデュー」とだけ言った。

数年前、これもデジタルりマスター版で公開されたが、田舎に来る事はなかった。BSにでも放送されたらと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする