Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

知らぬが仏

2015-11-13 08:24:01 | 日々のつぶやき

 今年の1月 ちょっとした不注意から転倒し大怪我をした。

頭をかばい、右腕を下に転んだ。その時、来ていたダウンジャケットの袖からパフッと音がして鼻先に空気が飛んで来た。運よくメガネ割れずに外れて飛んでいき、(メガネは無傷)私は右を下に万歳をするような形で道路に打ち付けられた。右肩から下が千切れてしまったのではなかろうかと思うような激痛を感じた。すぐに起き上がったが、見た目の外傷はないので周りの人たちは安堵された。皆さん私が大けがをしたと思われたらしい。

しかし、ようやっと起き上がったものの右肩を中心に右上半身にひどい激痛で、病院へ行こうにも日曜日、運よく2日前に風邪気味で病院へ行った時、解熱鎮痛剤をもらっていて飲んでいたのと冷シップを持っていたので翌日までどうにか我慢することが出来た。でも指先まで痛く箸を持つ事も出来なかったが、幸い右腕がパンパンに腫れあがる事も無かったので骨折は免れ、打撲だろうと思った。

唯一怪我をした事の無かった右腕まで…、武将だったことが前世に多いと言われたが、これでは四肢バラバラになって死んだのではと思ってしまう。

月曜の朝8時、開くのを待ち一番先にいつもの接骨院に飛び込んだ。先生は、右腕が後ろに回る事を確認され、ブラブラしていないので、打撲と靭帯の損傷と言う診断結果で治療をして頂いた。

肩の骨折は腫れあがる事はなく肩の血が下がって二の腕から肘にかけて内出血がでると言われたが、その通りに肩の血が下がって赤紫になった。

それでもいつも通り仕事はしたものの、キーボードを打つ指が痛い。その上、チエさんが熱があり早引けした。翌日連絡がありインフルエンザの事。 週末に出勤してくると同時に私の方がインフルエンザになった。しかし、鎮痛解熱剤を飲んでいたので高熱は出ず、だるかった。

週末休んだだけですぐ起きたが、1月、2月は仕事を終えるとすぐ横になり寝ていたので余りその辺の記憶は無い。それから私は毎朝日課のように接骨院に通って治療を受けた。

ただ困ったのは五十肩のように肩が痛く手が上がらないので着替えもままならず、物も持ち上げることが出来ない。そして洗髪する事も出来ず、洗濯物を干すことが難しいので踏み台を使って干した。そのうち右肩ばかりかばっていたら、腰も痛くなり整体にも通いほぐしてもらったが、少々の痛みを感じても車の運転もしていた。

その上信じられない事に1月末決算の棚卸もし、2月の初旬には高知への出張もし、30歳近く下の従妹の結婚式にもには参加した。母は体調不良を伝えてキャンセルする事を勧めたが、参列する親族が少ないので強行軍で早朝から日帰りするつもりで出かけた。案の定高齢の伯父や叔母は参列せず、遠くの従妹たちも来ていないので、先方は親族20人いるのにこちらは 両親兄弟を除くと母屋の従弟と私だけだけの寂しいものだった。(叔母の実家の弟は数年前に亡くなり子供もおらず、離婚して一人ものだった)

午後1時から始まった披露宴は4時を過ぎても終了せず、さすがに弱った体にはきつく予定をしていたフェリーのも乗れず、臼杵まで出て帰りひどく疲れてしまった。

その体調で九州へ行き、人込みに出た事で今度は違う型のインフルエンザになり、今度は、39度以上の熱が出てしまい、今度は数日間寝床から起きれなかった。

そんな日々を過ごし3月になり、大分体調も回復してきた時、損保に入っている事に気づき連絡を取ると 整形外科へ行くように言われた。

腕の良い医師は手術中でもう一軒のやぶで嫌味な病院へ行き、レントゲンを撮ると、驚いた事に

「骨折してますけど、すごい!!ずれずに綺麗にくっついている。」と言われ、医者も感心していたが、私の方が「え~!」と声をあげそうになった。

くっついているのに三角巾で腕を支えられ、シップ薬と鎮痛剤を渡され、1週間後に来るように言われた。しかし、普通に腕を使っていたので、病院を出るとすぐに三角巾を外して自転車で帰宅した。

その時、60日程で骨はくっつくと聞いたのに、一週間後 三角巾でつらずに行くと、医者はひどく不機嫌で、

「安静にしていないと治らないよ。」と言う…。でもとっくに60日は過ぎているが、 後日調べると、普通整形外科へ行くと、3か月間三角巾で腕を支え安静にし、できるだけ肩に負担を掛けないようにして 又その後そのくらいの期間をかけてリハビリを普通はするらしい事が分かった。それで医者は不機嫌だったのだろう。

どうも私は大事な期間寝るばかりしていたので安静にすることが出来たのと、接骨院で治療しながらリハビリもし、普通の半分の時間で復帰することが出来たらしい。

おまけに、父が亡くなり気が張り無理をしていた事もあり、転倒する前に甲状腺機能低下になっていたが、休んでいたのでその後正常になっていた。

知らないと言いう事は本当に有難い。骨折していたにもかかわらず、余り支障なく普通に生活をしていた。しかし、痛みを感じずに手が上がるようになったのは夏だった。 

 

 

 

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