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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2006年3月足摺の旅

2010-01-20 13:13:49 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

 

臼バエの神社と釣り人の居た岩礁 この写真は翌年のもの

この年のアレルギー性鼻炎はきつく、3月18日の朝も鼻炎か風邪か分らないような状態で頭はボー、鼻はジュルジュル、背中は寒気でゾンゾンというような最悪な有様でJRで集合場所まで出かけた。「途中で拾らってあげるから」とフジワラ姉に言われていたが、その通りにすると、どう考えても時間差がある。下手をすれば置いてけぼり、良くても大幅に待たせてしまうみたいなので黙ってその場に行った。

今回は愛媛県から四万十川上流を通り、中村経由で足摺岬に行くルートだ。今回のみ参加の男の子が来た。彼の前世は坂本龍馬だと数人の人に言われたという。

朝食をフジワラ姉妹のお母さんが作ってくださり、おむすびやイナリ寿司それを車の中でみんなで美味しくいただきながらわいわいと言いながら行った。内子五十崎インターを抜け、肱川沿いのくねくねした道を進み、四国カルストに行く赤い鉄橋を過ぎると、のどかで郷愁を誘う田舎の風景が続いた。通り沿いにはスーパーも見えない。やがて高知県に入り川が合流して少し広くなってきたが、さらに道は狭くなり、これが国道?と言う有様で借りたエルグランドで離合するのに、時々対向車をよけなる為、またなければならなかった。中村に近づくと、数年前よりは良くなってトンネルが出来ていた。観光案内をしながら、渡川大橋を通り、お昼も過ぎていたので、川沿いの四万十屋という地元の食材の料理店に行った。ごり、川エビ、青海苔、ウナギ、みんなそれまでの長旅の疲れも吹っ飛んではしゃいで食べた。ここまで来るともう近いという安心感もあった。

まず、着いてから小雨の中を唐人駄馬の巨石群を見て周り、山中にある白皇山にある白山神社の菊理姫様のご神体と石槌神社にお清めとお参りをして1日目は終了。

宿はいつもの国民宿舎の足摺テルメ、ここはテラスが広く白い建物で行った事は無いが南欧のリゾート風でそれがお気に入り、今は民営になっていてプールの営業はしてないと聞いた。夕飯前に一泳ぎしてサウナに入り、1日中車だったので体を伸ばした。

翌日は、朝早くから臼バエの竜王神社にお参りした。海のお清めをする為に神社を超えて海岸の先端まで行ったら、直ぐ先の岩に4,5人の人が波を被りながら、岩にへばりついて釣りをしていた。よく波にさらわれないなとみんな妙に感心した。その後、風人アネモスの庭に行く道案内をしていたら、都会の人にはわからないだろうが、細い道なので近くにあった民宿の看板と混同して、「それは私道だろう、民宿の入り口だ。」と前世龍馬君が言う、フジワラ姉も同調したが、ウチダさんは私の案内に従い進んだ。「知らないくせに口を出すな!」と言いたかったが、抑えた。ずっと年下の若い子に頭ごなしに言われるのはいい気はしない。自分も気をつけねばと思った。

足摺から、高知龍馬空港までは結構遠い、中村で遅い昼食をとり、ひたすら走ったが私たちはそのうち睡魔に負けて、とろとろと眠っていたが、ウチダさんは一人運転していた。須崎まで来た時、高速に乗らず、宇佐周りで桂浜に寄り空港に出るルートにした。

桂浜に近づくにつれ、周りと違和感のある派手な色の長方形の建物が目に付いてきた。桂浜に下りて付近を歩いていると、それは龍馬記念館というものだった。

早速入場したが、ノワタリさんは「寒気がする」と言われていた。近江屋で亡くなった時の血染めの掛け軸などがあったからだろうとその時は思った。余り、関心もなかったのもり私とノワタリさんは先に出た。隣の国民宿舎の駐車場で待っていると、そこは浦戸城址だったというのを書いてあるのを見つけた。どうりで寒気がしたはずだ。浦戸一揆もこの城であっただろうと思う。

浦戸大橋を通り、空港まで走ったが、橋の上は一瞬だが湾の上を飛んでるみたいで気持ち良かった。空港に着いた時は、日も暮れかけており、お茶を飲む時間もなくお別れして帰路を急いだ。

 

 

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