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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

香港マジカルツアー2004年

2009-08-06 12:08:21 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

ビクトリア.ピークより

香港マジカルツアーと題したが、実際はお寺を除けば香港路地裏B級グルメツアーだった。このタイトルは旅行社から送られて来たガイドブックに付けられていたタイトルで、宿にするマンダリンオリエンタルホテルのパンフレットをコピーしただけで、予定表はなかった。

この旅はその年の2月頃ノワタリさんの所に、お友達の占い師のMさんから、「戦争中、香港が日本の統治下にあった頃、ビクトリア.ピークの山上に天照大神を祀る為に神社を作ろうとしたが、完成間際に敗戦となり、壊されて多くの人が亡くなったそうである。その慰霊に行きましょう。」とお誘いがあった。その誘いに乗りMさんやノワタリさんの友達と私達姉妹の参加で、8人で3泊4日の旅行になった。

6月20日の朝出発だったが、私達は地方から出る為、前日から妹と成田に宿泊した。

翌日、皆さんと合流した。2回しかお会いしてないが、Mさんは私の中で中性的で、おやさしいのイメージだったが、あれ!と思うほど男々してなんか違う。おまけに待ち時間にお茶を飲んでたら、両替したばかりのドル札を手にして、紙幣の裏のピラミッドの目の話などされていた。

今回は、占い師のMさんと数十回と来て香港を熟知していると言うキンキン声で話される中年の女性に行程は任せていたので、ガイドブック1冊持参しただけで、何も下調べはしていなかった。本当に付いて行くのみだった。

香港に午後に着き、空港を出るとムッとくるような湿気と暑さだった。

ホテルで一休みして、ビクトリア.ピークにピークトラムに乗って出かけた。ノワタリさんとお友達のKさんは、この為に、御神水を汲みに行って持参されていた。

 山頂駅に着くとたくさんの観光客で賑わっていた。後で調べると山頂まで車で行く事が出来たのだが、人任せでその時は気がつかなかった。人気の無い細い道を少し上がりお清めしようとしたら、Mさんに止められた。この旅の目的は果たせず、不発に終わり ノワタリさんの顔は曇っていた。その時は私はまだ良くその事を理解していなかった。

これが慕情の舞台になった所でジェニファージョウンズとウイリアムホールデンが歩いていた所ねと思い出しながら、その辺を回って、駅に戻った。そのビルの中のウインドウに嫣然と微笑んでいる則天武后の絵を目にした。全く虫も殺さないような顔をしてるのに恐ろしい...。嫌な予感がした。

香港公園                    何故かオーブが写っている

その後、香港公園を通り抜け繁華街に出た、日は暮れても人は大変多く、おもちゃ箱をひっくり返したような喧騒だった。案内されて食事に行った店は余り広くなく、窮屈そうにテーブルと椅子が並んでいた。2つに別れ、麺料理を食べたが、ちょうど後ろで、店の人がガチャガチャガチャンと大きなポリバケツに使用した食器を投げ入れる音がひっきりなしにして、人の話し声も大きく、全く落ち着いて食事をする雰囲気ではなかった。それでも支払いを済ませると、店の人は東京に近日中に支店をオープンすると言ってパンフレットを手渡してきた。

通りの屋台の台の上には、見るからにフェイクのグッチのシューズ、近くには高級品の入った店もたくさんあるのに一切そういう所には行かず、何処をどういったか判らず、だんだん狭くなる路地に入った。えーこんなものまで売ってるのといいたくなるような商品が板の上に載っていたり、ぶら下がっていた。とどめは、暑いのに豚の頭がそのまま通りの台の上にあり、足元はじめじめとして水を流した後があり、まるで映画に出て来る戦後のの闇市、またはブレードランナーのような猥雑な感じがして、時代がわからなくなりそうだった。よく無事でと言いたい。

ホテルは何故か、みんな同じ階でなく4人づつ6階と9階に別れていた。、私達は6階で、ノワタリさんの部屋とドア1枚でつながっており、ゆったりしてきれいで、アメニティグッズも充実しており、フルーツも食べきれないくらい盛ってあった。だが残念 、前のビルに視界を遮られていた。

ノワタリさんはやはり元気がなく、腑に落ちないと言う表情をされていた。

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