先日の日曜、気分転換にコンサートへ行ってきました。
ボーとしていたせいか、従妹のタカコちゃんが誘いに来るまで勘違いして来週だと思ったままで慌てた。おまけに父の前ではビールを飲む事ははばかられるので、こっそり部屋でお中元に頂いたのを食前酒代わりに飲んでいたので、彼女が来なければ、隣町まで飲酒運転するわけにいかず…。
どちらにせよ彼女に助けられました。彼女が来なければ、後日にあれ!終わっていたとがっかりするとろだった。ついでに旅の予定も入ってこないので、ガス抜きで10月の達郎のコンサートも二人で行くように決めた。
しかし、平原綾香が松山でなくなぜかど田舎の隣町に来るのも珍しい。
コメントにジュピターの事を書かれていたのがきっかけで隣町にコンサートがあるのに気づき、慌ててコンビニにチケットを買いに走った。
隣町の会場近くは車と人とで混雑していて普段と全く違っていた。鼻から諦め近くのスーパーの駐車場に車を置いたが、全席指定のはずが建物の周りにぐるりと列になっていて、見回せば、中高年ばかりで私達は若い方。人口ピラミッドに見合っていると言うか?30歳前の平原綾香のファンってこの年齢??
休憩無しではあったが、3部構成で衣装を替えバーラード、upテンポのノリの良い曲、そしてじっくり聞かせる歌、ラストソングは緞帳があがると舞台一面にミラーボールを設置し、まるで宇宙をイメージして「ジュピター」だった。
ファンではないので知っているのはこのジュピターと、明日そして深夜便でかかったあいたくてぐらいなものだったが、いずれも歌詞が好きである。
特にあいたくては放送にかからなくなった後、ダウンロードして買ったが、残念ながら昨年の歌なので今回は無かった。
だれかにあいたくて
なにかにあいたくて
生まれてきた気がするのだけど
それが誰なのか何なのか
あえるのはいつなのか
お使いの途中で迷った子供みたいに
途方にくれている
それでも手の中に見えない託を
握り締めているような気がするから
それを渡さなくちゃ
だから
あいたくて 工藤直子 作詞
と言う短い歌だけどなぜか寝ていてもこの歌がかかると目が覚めて聞いていた。
自分探しだったのか、何かを探していたのか、誰かを求めていたのか分からなかったが、今は、会うべき人には会うだろうし、会いたくても縁の無い人には会えないだろうし、通らねばならない道は通らなければならないだろうし…、という心境になった。
関東と四国で全く縁の無かったノワタリさんに会うことが出来たんですもの、これだって本当に不思議。
父はこの2,3日前から、手を当てていると足先から、とてもキツイ痛みがやっとで出した。ノワタリさんにも毎日遠隔をしていただいているが、
「お父さんが下向いてうなだれていたのが、ようやく少し上向きになっている姿になりました。キツイ痛みが出だしたら、良かったですね。これだったら、寿命が先かどうか分かりませんよ。」と勇気付けられた。
心理的なもので血圧が安定せず、幼児返りして愚痴をこぼしていたが私達が全く取り合わず、お隣のおばさんだけがフンフンと相槌をうつが、痴呆になりかけているおばさんは翌日になると半分忘れているのでこういう人に相手をしてもらうのも良いのかも…。
私達は健常者扱いしかしていない。父は30歳代後半からリュウマチと喘息が交互にでていたが、20年前にとうとう冷えから起きれなくなった。(フェリーの中でうたた寝をして寒さで目が覚めた時には毛布の販売は終わり売店は閉まって一晩、寒さを我慢した)
寝たきりになりそうだった所を近所の今は亡くなられた整体師の先生に通っていただき、起き上がれるようになり、3ヶ月ほど通院して指の変形にもならず、痛みも治まった。
これには後日談があり、その頃係わっていた祈祷師に言わせると
「鎌倉時代の同族間で争い、呪詛されたのが原因。」と言われ祓ったが、父の成人した兄弟8人の内5人がリューマチで苦しんでいる。
そして50才代の頃出張先で突然意識が朦朧として倒れ、地元の診療所に運ばれ後遺症も無く一命をと取り留めたが、喘息もその後スイミングに通う内に治まった。
しかし、本人は余裕が無いのかそんな事忘れてしまっていて生かされいる感謝があるのかどうか?分からないが、その事を言って母は
「感謝せんといけんね。」と言い、お不動様に祈っている。
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