60年ぶりとなる木造船による「曳き船再現プロジェクト」が
21、22日の二日間、京都の保津峡で行われました。
私はっちんも15名の船頭たちと一緒に、この記念すべき
再現プロジェクトに参加してきました。
午前8時30分、深い霧があたりを覆う寒い朝の中、
出発点の保津川下り乗船場には関係者・スタッフが
集合、まだ「木の香り」漂うできたての木造船を、
スタッフ・関係者乗船用のFRP船2艘が囲み、
曳き船の再現現場となる保津峡を目指します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/45/e39d53a7b9a83621f09b86e4ad50891a.jpg)
木造船には曳き上げを担当する船頭5名が乗り込みます。
私はスタッフ側の船に同乗し出発です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/47/c742a71d7ec81a5adf84af9843d758e3.jpg)
濃い霧に覆われた渓谷を流れ下る木造船。
船頭が引く櫂の音をこだませながら木造船がこつ然と姿を現す様は、
まるで60年の昔からタイムスリップして来たのでは?
という錯覚に陥るほど幻想的です。
船は最初の現場となる「烏帽子岩」下流で航路からはずれ、
瀬の外れに巻く渦を使いきれいにUターン、船の舳先を
上流方向は向け、スタンバイ状態へ。
流れの強い瀬の下で船を回す技術も、保津川船頭ならでは
の高等テクニック!
さあ、60年ぶりとなる曳き船再現のスタートです!
綱を曳くのは、一番長い綱を曳き先頭を走る先綱、そのすぐ後ろ
に2本目の綱を曳く中綱が続き、短めの綱を操り最後方から
曳き具合の微調整をする後綱の3人で引っ張り、1人が船に残り、
竿で川底の岩をかわしながら、上流へと船を曳き上げるのです。
この4人の息と力が合わないと激しい保津川で
船を上げることはできないのです。
最初の現場となる「烏帽子岩」。
ここには保津川最大の「綱はじき」が施されていた所。
「綱はじき」とは、船を曳き上げる際に川側で綱が
引っ張れない大きな岩がある場合や曳綱の角度がきつく、
岩の後ろを曳き手が通らなければならない状況の所
に設置した竹の工作物のこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/96/439ae4636ec5248c5cd8017cf18e5190.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/88/d2e21746bc85cb669ad96db7ca1b4c4a.jpg)
3人の曳き人が船を降り、それぞれの綱を持ち「綱はじき」
を使い「烏帽子岩を越していく作業が開始です。
「おっ、うまく竹をつたって綱が上がっていくぞ~」
と思った瞬間、「ぐっぐ」綱が岩くぼみに引っかかり失敗…
どうやら、綱を曳き走る場所が間違っていたみたいです。
当時は川岸ではなく、もっと山側の高い道を通っていた
ことが、曳き上げ経験者の上田清さん(89)の指摘で
判明し再度挑戦です。
上田さんは冷たい風が吹く寒い日にもかかわらず、
終日、参加して下さいました。心強い先輩の思いに
ただただ感謝するばかりです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/11/7f0b303fd525db262a9d293c0e5637a1.jpg)
曳き人は体を前傾にして力の限り引っ張ります。
岩がごろごろして足場は悪かったものの見事成功です!
60年ぶりに曳き船が成功した瞬間です。
しかも曳き船最大の見せ場といわれる「綱はじき」での
成功は関係者・スタッフにこのプロジェクトの成功を
確信した瞬間でもありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/e0/e246cd27a543d0550ba931c56cd693e8.jpg)
当時の綱道には一つ一つ「そこを通らなければならない」
理由があるのですね。やはり可能な限り当時を「忠実」に
再現することの大切さを痛感させられました。
関西地域の皆さんが翌日の各紙朝刊でご覧になられた記事の
写真はこの「烏帽子岩の綱はじき」で撮られたものです。
その後、当時の「綱道」が今でもくっきり残る「清水」
の曳き上げや、川の左岸側から右岸側へ移る際に
船頭全員が船に乗り込み移動した「小高瀬の渡し」など
の再現風景の撮影を行いながら船は一日目の予定を
安全にすべて終了。
一日目の係留場所となるJR保津峡駅下の「鵜飼の浜」で
下船し、JR嵯峨野線で出発点の亀岡まで戻りました。
21、22日の二日間、京都の保津峡で行われました。
私はっちんも15名の船頭たちと一緒に、この記念すべき
再現プロジェクトに参加してきました。
午前8時30分、深い霧があたりを覆う寒い朝の中、
出発点の保津川下り乗船場には関係者・スタッフが
集合、まだ「木の香り」漂うできたての木造船を、
スタッフ・関係者乗船用のFRP船2艘が囲み、
曳き船の再現現場となる保津峡を目指します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/45/e39d53a7b9a83621f09b86e4ad50891a.jpg)
木造船には曳き上げを担当する船頭5名が乗り込みます。
私はスタッフ側の船に同乗し出発です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/47/c742a71d7ec81a5adf84af9843d758e3.jpg)
濃い霧に覆われた渓谷を流れ下る木造船。
船頭が引く櫂の音をこだませながら木造船がこつ然と姿を現す様は、
まるで60年の昔からタイムスリップして来たのでは?
という錯覚に陥るほど幻想的です。
船は最初の現場となる「烏帽子岩」下流で航路からはずれ、
瀬の外れに巻く渦を使いきれいにUターン、船の舳先を
上流方向は向け、スタンバイ状態へ。
流れの強い瀬の下で船を回す技術も、保津川船頭ならでは
の高等テクニック!
さあ、60年ぶりとなる曳き船再現のスタートです!
綱を曳くのは、一番長い綱を曳き先頭を走る先綱、そのすぐ後ろ
に2本目の綱を曳く中綱が続き、短めの綱を操り最後方から
曳き具合の微調整をする後綱の3人で引っ張り、1人が船に残り、
竿で川底の岩をかわしながら、上流へと船を曳き上げるのです。
この4人の息と力が合わないと激しい保津川で
船を上げることはできないのです。
最初の現場となる「烏帽子岩」。
ここには保津川最大の「綱はじき」が施されていた所。
「綱はじき」とは、船を曳き上げる際に川側で綱が
引っ張れない大きな岩がある場合や曳綱の角度がきつく、
岩の後ろを曳き手が通らなければならない状況の所
に設置した竹の工作物のこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/96/439ae4636ec5248c5cd8017cf18e5190.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/88/d2e21746bc85cb669ad96db7ca1b4c4a.jpg)
3人の曳き人が船を降り、それぞれの綱を持ち「綱はじき」
を使い「烏帽子岩を越していく作業が開始です。
「おっ、うまく竹をつたって綱が上がっていくぞ~」
と思った瞬間、「ぐっぐ」綱が岩くぼみに引っかかり失敗…
どうやら、綱を曳き走る場所が間違っていたみたいです。
当時は川岸ではなく、もっと山側の高い道を通っていた
ことが、曳き上げ経験者の上田清さん(89)の指摘で
判明し再度挑戦です。
上田さんは冷たい風が吹く寒い日にもかかわらず、
終日、参加して下さいました。心強い先輩の思いに
ただただ感謝するばかりです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/11/7f0b303fd525db262a9d293c0e5637a1.jpg)
曳き人は体を前傾にして力の限り引っ張ります。
岩がごろごろして足場は悪かったものの見事成功です!
60年ぶりに曳き船が成功した瞬間です。
しかも曳き船最大の見せ場といわれる「綱はじき」での
成功は関係者・スタッフにこのプロジェクトの成功を
確信した瞬間でもありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/e0/e246cd27a543d0550ba931c56cd693e8.jpg)
当時の綱道には一つ一つ「そこを通らなければならない」
理由があるのですね。やはり可能な限り当時を「忠実」に
再現することの大切さを痛感させられました。
関西地域の皆さんが翌日の各紙朝刊でご覧になられた記事の
写真はこの「烏帽子岩の綱はじき」で撮られたものです。
その後、当時の「綱道」が今でもくっきり残る「清水」
の曳き上げや、川の左岸側から右岸側へ移る際に
船頭全員が船に乗り込み移動した「小高瀬の渡し」など
の再現風景の撮影を行いながら船は一日目の予定を
安全にすべて終了。
一日目の係留場所となるJR保津峡駅下の「鵜飼の浜」で
下船し、JR嵯峨野線で出発点の亀岡まで戻りました。