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保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

圧力に屈せず、精神を守り抜いたノーベル平和賞。

2010-10-10 01:37:05 | 船頭の目・・・雑感・雑記
ノーベル賞委員会とノルウェー政府は平和賞の精神と独立性を守り抜いた!

ノルウェーのノーベル賞委員会は8日、中国で服役中の民主活動家・劉暁波さんに
「基本的人権のため非暴力的運動を継続している」として
今年度のノーベル平和賞を授与することを発表したことはもうご存知のことだろう。

劉氏の平和賞授与に関して中国共産党当局は厳重な情報統制を国内に敷き、
報道機関には授与に関するあらゆる報道を黙殺する意向を示し、
海外メディアの放送についてもそのニュースだけ視聴できないように放送を遮断する
という強行的な手段に打って出た。
インターネットでも監視体制を強化し、自国民への情報を意図的に遮断している。

また、この授与に関する情報を事前につかんでいた中国は、ノルウェーの委員会に
あらゆる手段で強い圧力をかけるなどして劉氏の授与を阻止へ躍起になっていた聞く。

わが国が資源、経済、生活の面でどっぷり依存し、今後も友好関係の強化を
望んでいる中国という国はそういう国なのだということを
我々国民は今一度、考えて将来的な戦略を見直す必要があると考える。

異様ともいえる圧力に屈することなく、110年の歴史を誇る平和賞の精神と独立性を
守り抜いたノーベル賞委員会の姿勢には正直、感動した。

世界第二位の経済大国になった今も、共産党一党独裁体制のもと、国民に厳しい自由抑圧と
情報統制を敷き、不当な人権侵害を繰り返す国中国への、国際社会からの明確なメッセージが
示された今回の授与。
中国外務省は「授与が決定されれば、ノルウェーと中国の関係は悪化し損害をもたらすだろう」という
恫喝ともとれる尋常ではない圧力を委員会とノルウェー政府に繰り返していただけに、
今回の決定には相当、怒り心頭なことだろう。
しかし「中国に強いメッセージを送らねば人権活動家を裏切ることになる。大国になった中国に対し、
批判すべきは批判しなければならない」と委員会は正義を守り抜いた。
またノルウェーのストルテンベルグ首相も「何度でも機会をとらえて劉氏の問題を提起し続けていく。
脅しには屈しない」との強い姿勢を表明している。

これが国際社会の良識というものだろう。

日本に比べてもはるかに小国のノルウェーのこの強い姿勢に、我が国は何を感じるだろうか。

自国の領域を荒らされ、警備船に体当たりまでされ上、不当な恫喝に屈したのに、
国際会議の廊下で通訳なしで軽薄な仲直り方をしたことを有頂天に語る
どこかの国の首相となんと違うことか!

これが長年、人権問題を掲げ政治活動をしてきた市民運動家の熟れ果てた姿だ。
本気で人権のことなど重要と考えてなかったことがわかるというもの。

この授与を契機に、中国国内に潜在する民主化の波が再び沸き上がり、
チベットやウイグル地区で行なっている残虐な人権侵害行為を直ちに止め、
民主的な国家として世界に対して責任ある行動をするように願いたいものだ。

国際社会から評価が明確となった中国に、私たちの日本はあっさりと屈したということを、
もう一度、我々国民は知っておくことが必要であろう。

中国は昨日、尖閣諸島周辺のガス田に海軍の軍艦を送り込んできたとの情報がある。
海洋権益確保に向けた威嚇的活動を活発化させる中国。
日本が「尖閣に領土問題は存在しない」というのであれば、あやふやなことなかれ主義はやめ、
この不法行為による危機的状況を前に、日本は島への上陸等の実行支配も視野にいれた
現実的な対策姿勢を至急取るべきだと思う。

アルピニストの野口健氏が尖閣諸島に生息しているセンカクモグラを
守る会を設立された。それと同時に是非、尖閣諸島のゴミ清掃の会も
作っていただきたい。
もし、本当に実現するのであれば私は喜んで尖閣ゴミ清掃に参加しようと思っている。

バラマキ依存体質と日本、そして保津川下り

2010-10-03 23:59:38 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今日、某新聞社のニュースサイトを見ていると、大阪府が、府在住の私立高校生の
授業料について来年度の新入生から、年収約600万円未満の世帯にまで
無償化を広げる方針を固めたとの報道がなされていました。
これは府が既に実施している年収350万円未満の世帯の生徒の授業料無償化
の枠を拡大するもので、その財源には府職員の給与削減を当て込むというものらしい。
実現すれば府在住の私立高校生約7万人の半数程度が無償化の対象になるそうです。
いつもセンセーショナル話題を提供してくれる橋下大阪府知事。
今度も労働組合側と激しい抵抗にあい、交渉は難航が予想されますね。

今、中学生3年生の子供を持つ、私としてはとても関心のある話題ですが、
ちょっと自分の事とは離れて客観的にみると、国も地方もなんでも「無償化」
今の日本国のこの方向性には、国家としての大局観が欠如し、目先だけを
みている感じがしてかなり疑問を持っています。
公務員の給与削減政策は、回復の兆しが全く見えない現在の経済状況の中
でひっ迫する府財政を考えると致し方ない面もありますが、
庶民の不満の矛先を公務員というスケープゴートへ向かわせているだけでは、
今の日本が置かれている現実、根本的な危機的問題を見誤る危険性があり、
論点がずれるような気がします。

今の政府は政策目玉として高速道路の無料化にはじまり子ども手当て、
公立高校の無償化、農家の戸別所得補償など、バラマキ政策のオンパレード。
今、国家が置かれた現実的な状況を省みず、ただ国民に口当たりのいい
場当たり的な政策ばかり打ち出し「サービスの安売り合戦」に精を出すばかりです。

そんな危機感のない政府が、本当に抱える現実はとても厳しいものがあります。
先頃、IMD(経営開発国際研究所)が発表した「2010年度世界競争力年鑑」によると
1999年には「世界第一位」であった日本の国際競争力が「第27位」にまで
転落しました。
かつて技術大国日本の象徴的存在として世界を席巻した「ソニー」や「パナソニック」
などのリーディング・カンパニーは今、束になって掛かっていっても
韓国のサムスン一社に敵わないのが、悔しいですが現実です。

そんな厳しいグローバル化の荒波のなか、政府は今年度予算を
過去最大の92兆円まで膨れ上がらせました。
税収が37兆円と落ち込んでいることから、赤字国債をこれまた
過去最大の44兆円も発行しました。
国債発行額が税収を7兆円も上回るというは異様な事態です。
戦後、どんなに景気が悪いときでも当初予算の段階で税収を上回る額の
新規国債を計上したことは一度もないのです。

それでもこんな異常な財政赤字でも強気でいられるのは1400兆円とも
いわれる国民の金融資産つまり預貯金があるからなのですが、しかし、
それも住宅ローンや保険などを除いた家計純資産でみれば1000兆円まで
目減りしますし、これに対し国債など金融負債から資産を差し引いた
純金融負債は国と地方を合わせて約500兆円にも達するといわれています。

今年、政府が過去最大の44兆円の国債を発行し、来年もマニフェスト通りの
バラマキ政策を続ければ国債発行額50兆円を軽く超えると財務省は試算しています。
今後、このように大量の国債発行を続けていけば、日本はあと「3年」で
純債務国に転落です。
純債務国への転落が近づけば、日本の信用力は著しく低下し国債の暴落を生み、
金利は高騰するでしょう。
金利が高騰すると利払い費は膨大な額に達し、支払い不能となることは免れません。
そうなると日本は債務不履行となり、かつて「世界第6位」のGDPを誇りながら、
政府のバラマキ政策の影響で、僅か数年で財政破綻に追い込まれたアルゼンチンや
IMF(国際通貨基金)やEUの支援により、国家破綻をなんとか免れたものの、
その引き換えとして国民が重い負担を強いられることになったギリシャと
同じ様な運命をたどることになるのです。

私たちの世代は、巨額の借金によるバラマキ依存体質にどっぷり浸かり、
自分たちの子どもたちにその借金のツケを背負わせることになるのです。
1億3000人が国民が乗っている日本丸の船底の大きな穴が開いていて、
今にも沈み行こうとしているときに、借金で取った一等船客で、テーブルに
並べられたバラマキによる見せかけの高級料理を食べていていいのか?
必ず、次の世代の国民からその責を問われることでしょう。

今、大事なのは無償化による甘いアメを舐めさせられることではなく、
国民一人ひとりが自立して生きる強さを持つ事ではないでしょうか。

何でも依存するという思考の肥大化を防ぎ「今さえよくば」「自分さえよければいい」
という考え方と決別して、自らの知恵と技術で「公のために」という先人たちが
持っていた誇り高い志ある日本国の伝統を守り、自由で力強い国を再生させることが
もっとも必要ではないかと思います。

これから日本が歩んでいく道を考えると、我々保津川下りという観光業も
予断を許さない厳しい時代を迎えることは容易に察することができます。

400年続いてきた伝統の知恵と技術を大切に守りながらもその伝統に胡坐を
かくことなく、必要とあれば思い切った改革に踏み切り、自らの力で
生き残っていかねばならないと強く感じています。

我々の仕事は世界情勢に大きく左右され、経済状況が直に影響する仕事
であるという自覚を持ち、先人たちがそうであった様に、方向を間違うことなく
時代の現状をしっかり読み取っていかねばなりません。

今、我々の目前にも大きくうねりをあげた激流が迫っています。
この激流にのまれない為にも、正しい判断にもとづく確かな舵取りが
我々の世代に求められているのです。


衆議院予算委員会の国会中継を観ていると!

2010-09-30 09:40:33 | 船頭の目・・・雑感・雑記
これはひどい!あまりにもひどすぎる!

今朝、少し時間的な余裕があったので、普段はあまり見ない
国会中継をぼんやり観ていました。

中継は衆議院の予算委員会の模様・・・

尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件においての、一連の政府の対応について
与野党委員からの質問が行われていました。
まさに国家の将来を左右する極めて重大なあの事件。
日本固有の領土であった尖閣諸島に中国漁船が不法侵入した上、海上保安庁の
巡視船に無謀な体当たりを仕掛け逮捕拘留され、その後、処分保留のまま無条件釈放
した極めて不可解な現政府の対応。
議員先生だけではなく、多くの国民が疑問に感じ、詳細な説明が求められるところです。

なのに・・・菅総理は判断をした那覇地検に責任をなすりつけ、また詳細な事実関係に
ついても全く知らず、担当者任せの他人事・・・なんと、最高の切り札になるであろう
「証拠ビデオまで観ていない」と公言して憚らないなんて・・・情けなさで胸が痛くなった。

さらに中国人船長を釈放した経緯についての事実関係について、野党議員が証拠資料を
もとに質問をしたところ、仙谷という官房長官は内閣の保身だけを考えているとしか思えない
ピントのずれた答弁を、のらりくらり時間稼ぎ目的がありありの卑怯な答弁を繰り返すのみ!
私達国民が一番知りたい、あの重大な事件についての政府の詳しい説明を答えるつもりは
この人たちには全くないらしい!

本当にいいかげんにしてほしい!!与党も野党も関係ない、私達、そしてこれからの
子ども達にとって、今回の事件について政府のとった対応が、どのような危機を
招くのか?また、日本という国が主権ある国家として正しく生きていくことができるのか?
ということを国民は知りたいので、国民の多くはみんな真剣にこの問題をとらえ、
真剣に国を憂いているのだ。

それを、こんないいかげんで、自分達の責任逃れに終始し、言い訳と保身だけの答弁を
繰り返すなんて、聞けば聞くほど、本当に悲しくなるくらい情けなくなりました。

また、議長の松原議員の、質問者が指名した答弁者じゃない者の勝手な自主答弁を
許すという不可解なさばき方に、正当な議会運営がなされていない感を強くします。

政府は本当に国民を甘くみているのだな~痛感しました。

今回の事件処理は、政府が国民を騙し、中国の圧力に屈して、日本の主権の一部を譲り渡した
ことに等しい行為であり、国際常識として断じて許されることではないこと位、子供でも理解していますよ。

我々国民が心配しているのは、この不法不当な処置により、今後さらに尖閣諸島に傍若無人な
中国漁船が押し寄せるだけでなく、フジタの社員さんに突然起こったスパイ容疑による逮捕拘留や、
レアアースなどの資源外交を、中国にいる日本人や企業にも、無法な要求を突きつけるような
ことが益々横行しないだろうか?フジタの社員に至っては中国に招待された方なのですよ!
特にレアアースの禁輸という中国の恫喝のやり方に、本来、日本のモノであるはずの
東シナ海の油田・ガスを盗まれ、今度はその盗品を盾に脅されることはないのか?
ひとつひとつ挙げていくのも情けなく、なんともやり切れない話ですが・・・

一体、この政府はどこの国の政府でしょうか?!自国民を無責任に見捨て、
他国へ売り渡してしまうのでは?と疑われても仕方がない、答弁です。

そして、一つ確かなことは今回の政府対応が、菅首相や今の与党が政権から去った後も、
計り知れないほど大きな禍根を残すものだということ。

日本の主権死守の為、今回の菅政権の独断対応と議会での態度には激烈に抗議したいです!

今、この時も尖閣諸島では中国漁船が20隻以上もやってきて漁を繰り返しています。
自分たちの保身を語るだけで、なんの明確な声明も指示も出さない。
現政権のこの態度に、石垣島の漁民の恐怖や海上保安庁の隊員たちの苦悩は続くのです。

私は一介の船頭に過ぎない者ですが、国家、そして子ども達の将来に責任を持つ
ひとりの大人の国民として、今後、この問題に対しては独自のルートを
通じて、情報収集を続けていくつもりです。

今を生き、人生を突っ走る!ハードだが充実感のある毎日。

2010-09-17 14:33:59 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今年はいろんな役職にも就き、様々な活動に追われる
多忙な夏を過ごすことになった私。
気がつけばブログも1週間以上もお休み状態・・・
そうしているうちに、渓谷には涼やかな風が吹き、秋の足音が
間近に聞こえる季節になっていました。

季節の移り変わりをもっとも早く感じるのが我々船頭であると自負して
いながら、変わっていく季節を感じられないほどの多忙さとは如何なものか?

今年は、以前から活動しているNPO法人・プロジェクト保津川と自らが主宰する
斯道会空手道場の指導に加え、亀岡市PTA連絡協議会並びに東輝中学校PTAの
会長職、亀岡市社会教育委員、亀岡市環境計画策定委員という市関連の職、また、
京都大学(東南アジア研究所)生存基盤科学研究ユニットの特任研究員という仕事
にも従事しており、時間の経つのが本当に早く感じられ、睡眠もやや少なめの感・・・

周りからは「いろいろ持ちすぎ!」とのそしりすら、受けそうな日々を
過ごしている訳ですが、家族をはじめ友人や同志など応援してくれる人たちの
お陰もあり、「今を生きている!」という充実感だけは本物です。
今年も精一杯、人生を走り続けたいと思っています。

また、その分、普段では、なかなか経験できないような研修会や市の会議の場などに
参加したり、教育から環境問題、地域再生などに関する勉強や興味深い出来事にも
遭遇する機会や体験が多くあるので、実はブログネタも満載なのです。

なかなか、ブログに書き込む時間が取れないのが実状ですが、この経験や見聞を
自分だけの記憶にだけに留めて置くのではなく、自分の日記としても書き残し、
公開していきたいという気持ちを持っております。

その点で、すこし時期外れな記事も投稿されますが、なるべく様々な体験記を
できる限り、書き留めて参りたいと思っておりますので、これからも
はっちんブログにお付き合い下されば、こんなに嬉しい事はありません。

亀岡市平和祈念式典に参列して思う「真の平和とは?」

2010-08-07 17:15:21 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今日8月7日は、私が住む亀岡で平和祭行事が開催される日。

亀岡市では、昭和27年から全国の市町村に先駆け、平和な世界創造を目指して
「世界連邦平和都市宣言」を表明し、毎年8月に「亀岡平和祭」を開いています。

そのメインイベントといえば夜の「保津川花火大会」があまりにも有名ですが、
平和を祈る行事は、スポーツや教育、福祉などさまざまな分野で色んな行事が執り行われています。

今朝は、伝説の陰陽師・安部晴明が修行したと伝わる「安行山(あんぎょう)」」に整備された
平和台公園・平和塔前で、亀岡市長をはじめ市民の代表が一同に集まり恒久平和を誓う
「亀岡平和祭・平和祈念式典」が厳かに執り行われました。

今年同市PTA連絡協議会の会長を務める私も、初めてこの式典に参列し、PTAを代表して献花を捧げさせて頂きました。

昨日は地球で唯一の核兵器被爆地・広島で「原爆忌」が開催されたばかりですが、
亀岡市ではこれまでの「世界連邦平和都市宣言」に「非核」の意を含め、今年新たに
「世界連邦・非核平和都市宣言」を宣言しました。

私自身の核兵器へのスタンスは、非戦闘員でない一般市民を対象とする無差別殺人兵器としての核は、
正道を歩む武士道の視点からも容認できるものではなく「抑止力としての核兵器」も
日本は保持すべきではないという意見で一貫しているので、この宣言には全面的に賛同するものです。


しかしながら、この「世界平和への不退転の決意」という宣言に、何か空しさのようなものを感じるのもまた事実です。

オバマ大統領のプラハでの「核なき世界の実現」という宣言以来、世界世論、国際政治の潮流が
「核廃絶」へ向かっているのは評価できるところですが、それが真の非戦闘社会という理想への
出発点となるのかといえば、素直には楽観視できず、疑問が残ります。
もちろん、誰しも戦争を欲する者はいないと信じますが、この核廃絶宣言が理想と
いうものだけではなく、テロリストたちが「核兵器」を簡単に手に入れることができ、
核保有国だけで管理できなくなってきた時代背景による現実的な理由からの「核製造の縮小」
というのでありば、真の平和が訪れ、世界が一つ国『世界連邦』構築などは、
まだまだ遠い道のりだといわざる終えません。

今、世界ではこの時も紛争は絶えず、犠牲となる弱き民は難民となって無力に逃げ惑っています。
戦火により、衣、食、住すらままならない絶対的貧困者は希望という言葉すら知らず息絶える現実。
世界有数の経済大国となった国家が、今この時も他民族の人権を蹂躙し圧政を加えているのに、
何のアクションも起せない世界の現状が、「平和」という美しい言葉を陳腐なものしてしまいます。

私たちは、テラスの一番涼しいところでただ「美しい言葉」だけに酔っていては
何も現実は変わらないことを、今回の「平和祈念式典」に参列し、あらためて
自分への戒めとして感じた次第なのです。


65年目の広島・原爆忌、この日に思うこと・・・

2010-08-06 16:06:09 | 船頭の目・・・雑感・雑記
8月6日・・・今年もこの日がやってきた。

人類史上、例の見ない惨劇が起こった日。

65年前の今日、原子爆弾が広島に投下された日だ。

原爆忌がおこなわれた広島の平和記念公園には菅総理はじめ約5万5千人が参列し
犠牲者の霊を慰めた。
その中には潘国連事務総長やアメリカを代表して出席したルース駐日大使の姿もあった。
オバマ政権が掲げている「核なき世界の構築」の精神を受け、アメリカとして初めて
この平和式典に、代表者を参列させたことについては、素直に評価したい気持ちであるが、
アメリカ国内では今回の大使の参列には賛否両論の声明が出されている。

今回のオバマ政権の姿勢についての批判としては、
「参列は無言の謝罪に受け取られる恐れがある」とし、
「原爆投下で戦争の終結を早め、多くの若者(アメリカ人)の命が救われた」
「アメリカは正しいことをした」という論調だ。

この意見は一部の過激な保守派の意見ではなく、おそらく、多くの一般的アメリカ人の
意見だというところにこの問題の解釈の難しさがある。
私自身、アメリカにいた時、アメリカ人の友人から同じ様な意見を聞いた記憶がある。
そして今でもこれがアメリカの「公式見解」であることに変わりはない。

しかし、アメリカも含め、今や、世界の歴史家の検証の結果、この戦争早期終結説は
もはや説得力を失っており、原爆投下が明らかに新兵器による人体実験で
あったことは明白となっている。

アメリカは広島、長崎に異なった成分の原爆を投下し、その後、被爆者の治療には
一切あたらず、被害状況つまりどれだけの人間や街を破壊できたかの調査のみ行った
事実が物語る‘真実’がある。
そしてその人体実験のモルモットにされたのが、殆どが非戦闘員である広島の
一般市民14万人だった。4,000度以上の熱さの中、3時間以上もさらされた
広島市民たちの苦しみ・・・

だが、人類史上、類を見ないこの残虐行為について、アメリカという国やアメリカ人のみ
を責め、反省させることだけでは、深層を理解する上であまり意味がないと私は思っている。

人間という生きものの心には「自分の命を犠牲にしても他者の命を救う」ということもできれば
「原爆投下という人体実験をしても正当性を感じる」という極端に相反する二面性を
誰もが心の深層心理の中に潜み持っているという自覚こそが大切ではないだろうか。

原爆を我々日本人という黄色人種の東洋人だから、罪の意識も薄らいだという意識は、
我々自身の心にある異質なもの、思考、性格の異なるものへの‘小さな差別’の芽が
萌芽し、国益という大義名分により、正当性が持たれたという点に焦点を当てる必要が
絶対に不可欠だといいたい。

「善良な市民である」と思っている‘私’や‘あなた’が、原爆投下という悪魔のような行為を
行う当事者に簡単になってしまうのである。

さて、あなたは、自国という集団そして自己という個人的なエゴや欲望、
それを全面的に肯定する社会での生存競争という論理、そして優れた者が
劣った者を選別するという情念へ、痛烈な批判を行える自分自身であるのか?

そのことを、それぞれの胸、心に問いかける日、それが原爆忌であると思うのだ。


2010年 8月6日 豊田 知八

雨、運休の日に思う 今、必要な企業戦略とは?

2010-07-04 08:30:44 | 船頭の目・・・雑感・雑記
本当に雨がよく降りますね~
今年の梅雨は本格的な長雨の梅雨です。
昨年はゲリラ豪雨と呼ばれる局地的に強く降る雨が多かった様に記憶しているのですが、
今年は同じ降り方で長い時間雨が降るのが特徴でしょうか?
昨日は午前中、雨の中での出航だったのですが、嵐山から保津の浜に
帰ってきたら河川が増水して舟止めとなっていたし、今日も水位が引かず、
安全規定の水位に戻らないので連休となりました。
毎年、梅雨には泣かされる我々船頭ですが、今年はこの長雨に景気の停滞も影響か?
営業収益は、インフルエンザが猛威を振るい、殆どの京都の観光地が打撃を受けた、
前年度と比較しても、さほど変わらない状態で推移しており、梅雨明けの夏休み以降、
どれだけ増益できるかが今期のカギとなると気を引き締めているところです。

自然の天候に左右される産業である川下りですが、私はそれ以前に、天候をいい訳にするのではなく、
時代に沿った企業戦略の新たなビジネスモデルを練り上げる必要性を強く感じています。
長い歴史と深い文化を有する保津川下りには、‘伝統’と‘革新’を繰り返し、
移り変わる時代間を生き抜いてきた「知恵」があったはず。
伝統の型である操船技術を研鑽と伝承を最大の武器に、猛烈なスピードで高度に発展していく
近代科学文明の中で、「伝統」という古き先人の知恵や心に触れる歴史感、文化感が漂う
企業ブランドの確立に精進しなければならないのではないか?

「本物は時間によりつくられる」という言葉があるが、時間はいくら巨額な投資をしても買うことはできない。
保津川下りに眠っている潜在的な価値の掘り起こし、その本物の価値を新たな感覚で演出することこそ、
企業のブランド化を押し進める原動力となるはずです。
旅行者が現地で抱くイメージを決定づけることこそ、無形の個性であると考えます。
京都だけでない、他の観光地、他の川下りとの差異化こそ、圧倒的な存在感、そして信頼感を
人々に与える機能で、この高度なブランド価値を「伝承された伝統の技術」と
解説等の接客サービスを提供することで、訪れた人に、ほかの地では味わえない、
深い満足感と価値感を与えることにつながると思うのです。
その結果、訪れた人がファンとなって下さり、リピータとなり、紹介者となって下さり、
我々に長期安定的なキャシュフローをもたらすことになると考えます。
そして何より企業価値の高まりは我々の「仕事の誇り」へとつながり、高い意識と連帯感を生み出し、
企業力の上昇へと結びつくのです。
このようなことを考えるのは、我々企業組合という特殊な経営形態だからこそ、常に必要であり、
意義があることだと思うのです。
新たな企業モデルの構築は伝統産業ゆえに革新的と見なされ、強い抵抗感を持つことも承知しているが、
保津川下りの400年の歴史をひも解けば、その時代のターニングポントでは「保守的」などでは
考えられない様な大胆な改革を断行し、今をあるという事実を忘れてはいけないと思うのです。
この「『伝統の型の死守』と『大胆な改革』については、今後の研究テーマとして、
順次、明らかにして参りたいと思っていますが、
それより何より、組合員には「今、何が求められているのか?」という問題意識だけは
常に持ち続けて頂きたく思うのであります。


社会にひと同士の‘絆’を築くには?

2010-06-08 01:12:23 | 船頭の目・・・雑感・雑記
先ほど新聞を見て衝撃の記事を読んだ。

両親が中学生の息子に暴力を加え11日間、トイレに釘を刺し監禁していたという内容だった。

子どもの顔は骨折し、傷ついた足は化膿して腐り始めていたとか。
僅かの窓の割れ目から助けを求め、救出されたというものだった・・・

学校はどうしていたかというと「両親が『息子はいじめれているので、しばらく休ませる』と言ってきたので…」
と全く事態を把握していない様子だった。

家庭も学校も、そして地域社会もすべての絆といえるものが希薄になってきている。

もう、使い古された言葉だが「最近、本当に世の中も人間も少しおかしくなってきている」か?

親が子どもをモノを壊すように殺し、子が親に闇討ちを食らわす。
また、秋葉原の事件の様に「誰でもいいから殺したい」という無差別殺人が頻繁に起こる。

この様な現象は日本だけではない。世界各地で起こっている。
アメリカでは学校で銃を乱射して、何の恨みもない生徒や先生を撃ち殺す。

発展途上国では臓器移植のために子どもをさらって来て売ったり、年頃の女の子をさらって来て
組織に売り飛ばす集団がいる。

世界で悲劇は日常茶飯事の様に起こっている。

機能主義や物質至上主義の経済原理が進む中、欲に目がくらんだ精神に人は振り回されている。

家庭も学校も社会も例外なく、機能主義と合理主義が優先し思考や行動は経済原理により
動かされる現実の中ではモラルや道徳など色あせて感じられる。
「倫理学」などという学問的理論では、この現実に明確な答えなど導き出せないほど
社会は、人は、荒廃した寒々しい心の孤独感や疎外感に覆われている。

人同士が今の社会の中で‘絆’を築くには、どうすればいいのだろうか?

この問題は、制度や政策を作って解決できるほど、単純ではないだろう。

私にも明確な答えがある訳ではないが、この問題を解決する鍵は、
どれだけ自らを捨てて、人の為に尽くすことができるか?
一人ひとりの胸から胸への手渡しの活動が必要であること、、
それだけは確かなことだと感じる。

マザーテレサや山本利雄師などの幾多先人が歩いた道を、自らも歩くという、
「銀の龍の背に乗る」そんな勇気をまだ持てずにいる私の暗い闇はまだ、明けることはない。

火・水・風・・・この絶妙なるはたらき。

2010-04-27 23:27:41 | 船頭の目・・・雑感・雑記
東の高気圧が、西から進んでくる低気圧の行く手を阻んで、
今日の京都保津川には朝から強風が吹き荒れました。

おかげで舟は運行停止へ。

この天候不順・・・今年の春は、一体どうなってしまったか?

仕事ができる日が例年に比べ、妙に少なく感じるは気のせいではないでしょう・・・

「雨」による増水、「風」がうねる「強風」などなど・・・本当によく舟が運行中止になる。

「自然の中でいきる」ということは、こういうことです。

「火」と「水」と「風」

誠にこの世は絶妙なバランス、理詰めで出来ています。

太陽から降り注ぐ熱(火)を受け、海や川(水)が吸収して、水蒸気となり
大気(風)によって対流し運ばれるのです。

このはたらきによって、人をはじめ、この地球上のあらゆる‘いのち’が育まれていま。

大いなる何者かの「意志」により、創造されたとしか考えられないほど
見事な循環サイクルが行き渡っているのですね。

今年はこのバランスに少し狂いが生じたのか?
はたまた、狂いを微調整するために生じている事態か?

自然のみぞ、知るという感じでしょうか。

とにかく「自然とともに生きる」ということは、人間側から
自然に合わせて暮らすことだというのは確かなようです。

人って、日頃は大いそうなこと言っているけど、自然の前ではあまりにも無力ですね。

傲慢さを離れ、謙虚に生きることが大切なんだ、痛感している次第なのです。

しあわせ考・・・第一章

2010-04-19 23:36:17 | 船頭の目・・・雑感・雑記
古い西洋のことわざに「幸せは去ったあとに光りを放つ」とある。

人は幸せである瞬間を幸せとは思えないのかもしれない。

幸せとは今にあるのではなく、明日にやってくる幻想的な願い事と思い込んでいる。

だが、何の前触れもなく、突然やってくる不幸に遭遇した時、
人は何気ない日常が幸せだったと気づくのかもしれない!

幸せになりたくない、という人はいないだろう。

人は誰しも「幸せ」を求めて生きている。

人生は「幸せ」を求めての旅路ともいえる。

勉強も、仕事も、みんな幸せになりたいとい思いが根底にあるから頑張る。

「いやいや、おれは別に幸せなんて求めていない。その日、楽しく暮らせればいい」
と言っている人も同じ。

その生活が過ごせれば、それはその人の‘幸せ’だからです

幸せとは、10人いれば10通りの幸せがあると思う。

ある小学生が「幸せ」について書いた作文を読んだことがある。


「宿題のない金曜日に、冷房キンキンに効いた部屋で、好きなケーキをいっぱい
食べながら、面白いお笑い番組を見てDSゲームをする」
そんな毎日なら幸せというわけです。本当に正直で、よくわかる考え方ですね。

書き連ねられた内容は、自分にとって都合のいいことばかり。

うれしいことに囲まれて暮らしたい。
これを大人たちは笑ったが、はたしてそうか?
自問自答すれば・・大人たちも小学生と書き方は異なるが、願う内容は大きな違いがある
とは思えない。

諸条件や環境が整わないと人は「幸せ」を感じることができないのか?

そうではないはず、一切の過去も、一切の未来も‘今’‘ここ’に自己実現して
存在している。
今、叶えられない事柄が、かなって「幸せ」があるのではない。

さあ、過去を振りほどき、未来を向いて立ち上がろう。

幸せは‘今’‘ここ’にある。