百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

100q 夜舞箏(5)【【今際(いまわ)の刻(きざ)み】松陰先生含む3選、わが死生観(2)】

2012-04-07 21:08:00 | 日記
 前稿は オイラの憧れ的存在である「辞世の歌」を3句紹介させていただきました。ときますと 次は当然「死について」とあいなるのでございますが、でも、どうヒイキメに見ましても たいした取柄もないケチな野郎の オイラが如き死生観など申し上げましても、寅ちゃんではございませんが 屁のつっぱりにもならないのでありまして、でも この歳になりますと、イツナンドキ ヨモヤのことが起こったとしても ちっとも不思議ではなく、もしもそうなった時のです その対処方法といいますか、いざというときの対応についての指針を、家族のためだけにでも 明らかにしておかねば と考えた次第でありまして、で今回、死についてどのように思い 死をどのように迎えたいのかということについて申し述べるものであります。で まず切り出しとしまして、オイラが「スゴイなぁ 立派だなぁ」と驚嘆する 【今際(いまわ)の刻(きざ)み】3態につきまして ご紹介させていただくといたします。燦然と輝きを放つ、渾身の「辞世の歌」を遺された吉田松陰さんは、処刑当日の立居振舞も誠にご立派であったそうでございます。
             
この本によりますと、10月27日 竜の口の評定所に呼ばれ 死罪の申し渡しを受けた折には、奉行など幕府の役人 列座のなか、眼光炯々(がんこうけいけい) 鬚髪蓬々(しゅはつほうほう)たる先生は、微笑を含み 人々を見廻され一揖(いちゆう)、そして「われいま国のために死す、死して君親に負(そむ)かず。悠々たり天地の事、鑑照、明神にあり」との漢詩を朗々と吟唱されたとの由。で直ちに 伝馬町の牢に戻らされ 首斬り場へと引かれて行かれたのでありますが、

その場で先生の首を断った【山田浅右衛門】という人の言われるには、「いよいよ首を斬る刹那の態度たるや真(まこと)にあっぱれなものであり申した。悠々と歩みきて一揖され「ご苦労様」と言われ端坐、そして「この期におよび今更申すことござらぬも、それがしが いざというまでしばしお控え下さらぬか」と頼まれ、辞世の歌と上記漢詩を三度朗誦され「いざどうぞ」と声を掛けられたのでござる。重罪人の場合は そのあと役人が検死するのでござるが、斬首された男子は大抵の場合 睾丸が極度の恐怖に 上にあがってしまっているものでござるが、松陰先生の場合は 陰嚢の中に ちゃんと納まっておられました」ということであります。信じ難いことですが、これが僅か 数え30歳の青年の 御仕草にございます。

次にご紹介申し上げますは、平時における死に方としては、おそらく世界史上ナンバーワンにランクされるのではないかと オイラは思っているのですが、【山岡鉄舟】さんの今際(いまわ)の御姿でございます。ご存じのように氏は江戸城無血開城の最大の功労者であり、西郷隆盛さんをして「稀有の勇士」と讃えられたという、おそらくは 1000年に一人現れるかどうかの超特級の英傑であられますが、死に臨まれましても その身の施されようは、まさに驚嘆すべきものであったようでございます。
       
 この↑写真は角川書店【日本史探訪】よりいただきました 
これらの本によりますと、その 2日前 「今夜の痛みは少し違っている」と 死を予感、翌日 ぞくぞく詰めかける見舞客・弟子たちに「もう用事も済んだ。お先にご免蒙る」と挨拶され、それら見守って下さる人たちを慮(おもんばか)り、隣に座っている弟子の【三遊亭円朝】さんに「みんな退屈で困るだろう、俺も聞きたいから 何か面白い咄(はなし)を一席話してくれ」と言い出されたとのこと。で むんむんと蒸し暑い夜の明けた明治21年7月19日早朝、【腹張りて苦しき中に明烏(あけがらす)】 との辞世の句を吟じ、浴室に入り 身を清め 白衣に着替えられ、9時 一旦病床に正座された後 立って4尺ばかり前に進まれ、そこで皇居の方に向かって結跏趺坐(けっかふざ)の形をとられ、そのままのお姿で 9時15分 大往生を遂げられたとの由。享年53歳。
               
上は もう40年以上も前 オイラが最初に読んだ、昭和19年度文化勲章受章・阪大名誉教授【岡部金次郎】工学博士が書かれた「死」に関する本、そして 9年前読んだ、日本に【死生学】の概念を定着させたとのご功績で 平成3年度【菊池寛賞】を受賞された【アルフォンス・デーケン】上智大学名誉教授の書かれたご本でありまして、

岡部先生は「人間はその死と共に 肉体はバラバラになってしまうが、魂の核は いきどおしのものであって、いつかは人間の魂となって復活するであろう。ほかの動物についても同様である」と結んでおられまして、デーケン先生は、エジプトの【死者の書】 ソクラテスやプラトン ジェームスやカントやゲーテやガブリエル・マルセルやパスカルら哲学者の考えを引き、哲学の世界では「蓋然性の収斂」というアプローチ手法があるのに拘わらず、これを無視し 死後の生命の存在を否定してしまうのは むしろ非理性的な態度だと述べられているのでありますが、本稿のテーマである「今際(いまわ)の刻(きざ)み」の三つ目としましては、デーケン先生が この本のなかで述べられておれれます 次のような事例を 採り上げたいと存じます。

それは ニューヨークにおられる先生の友人の母上の死に方でありまして、あと数時間ぐらいかという場面、11人の子供を立派に育て上げられた 91歳のお母さんは、悲嘆に暮れ 見守る大勢の子や孫たちの悲しみを少しでも和らげんと、こん睡状態にありながら、ミサのあと突然 目を開き「私のために祈ってくれてありがとう。ところで ウイスキーを一杯飲みたいのだけど」と言い、一口飲んだあと「ぬるいから氷を入れてちょうだい」と言い、飲み干したあと「ああ、おいしかったわ」と言い、さらに「煙草が吸いたいわ」と言って、悠々と吸い終わると 皆に感謝して「天国でまた会いましょう、バイバイ」と言って横になり 息を引き取られたとの由。で このお母さんは生前 お酒も煙草も一切 口にされてはなかったとのことでありますが、形態は違えど、これも スゴイ死に方であります。

なお この本を読んで感じておりましたことですが、ドイツ人であるデーケンさんは、日本語ペラペラで、根っから明るく ユーモアのある方でらっしゃいまして、例えば こんなことも 言われています。「晴れても雨(アーメ)ん 雨でも晴れるや(ハレルヤ)」。








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1 コメント

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Unknown (まりあ)
2012-04-08 21:51:34
109番地のお父様。
本日は播但線車内にて、撮影ありがとうございました。

訪問していきなりトップの記事が「氏」について。(自分、“氏”と“頃”と言う字は使いたくないんです)
いやー、かねがね自分も氏に付いて、色々考えてしまう訳ですよ。
その時は、3例目のお母様のように「ああ、楽しかった。じゃねバイバイ」
と逝きたいものだと常々考えております。

では、“氏”の後で何ですがwwこれからもよしなに。
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