百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

100q脳頽流爺(3)【運動会(1)】

2010-08-30 15:04:50 | 日記
 毎回 そのようなものでございますが、これも あるパッとしない年寄りの、
ありふれているであろう若かりし時分を偲び 思い懐かしんで書いております
回想録でありますが、もしもそれでよろしかったら お読みいただけますと
幸いに存じます。

今回は 18~56歳までの 38年間に亘る会社生活の中で、最も楽しかった
ことを 書き留めて置きたいと思っておりますが、実は このことに取り掛かる
ときを、当ブログ開始当初から とても楽しみにしておりましたものですから、
本稿は 満を持しての投稿ということであります。

いちばん楽しかったこと、それは 仕事のどれそれ ではありませんで、
と、こう言いますと誤解されかねませんのですが、

愚生は、仕事には心血を注いできましたし、やりたいようにやらせていただき、
開発費や不良対策費を そりゃぁ多く使わせていただき、迷惑も ずいぶん
お掛けしましたが、それなりの成果も出しているのではないかと思えるほどに、
お陰様で、充実した会社生活ではなかっただろうかと思えるのでありますが、

掛け値なしに楽しかったことといえば、やはり、名古屋市と瀬戸市の間の
尾張旭市にありました工場に在籍していました折の、会社の大きな行事で
ありました 運動会でございます。従業員全体を 6チームに分け、
対抗戦を行うという あれであります。

地域の名物とまではいかなかったですが、かなり大きなバックデコを作る
工業高校での3年時の運動会も、楽しかったとの思い出があるのでございますが、
その時点で、『このような行事を面白くやり過ごすには、絶対、旗を振る側に
立つことだ』ということを、身を以って感じていたのでありました。

とは申しましても、いきなり そんな枠組みが用意されるなんていうことは、
まず ございませんで、それには それなりの時間が必要になってくるので
ありまして、

愚生もそうでありましたが、大体において企業の運動会といいますものは、
新入社員が いの一番に ピッピッピッと 前に出てやる応援団員をやらされ
るのでありまして、これが 大概の人を アンチ運動会派とせしめる遠因と
なっているようにも 思えるのでありますが、

30歳を越えた ある折、乾坤一擲といったら 大袈裟でありますが、
『思い切って 旗を振る側に立ってみてはどうか』という環境に身を置いて
いる自分を、はたと認識したのでありました。


                  
応援団員も引き受けて下さった高岡さんの、大学時代の道着を お借りし
着ております。横におわす 別嬪さんは 我がB集団(設計部チーム)の
アイドル的存在でありました 二宮さん(旧姓)であります。

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