諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

菜の花煙りて

2020-03-25 16:54:39 | 日記・エッセイ・コラム

  

  ふる里は  殺し文句の  野焼きかな   -夢蔡

   老い人鍬(くわ)もて 村興(おこ)したり  -舟津

 

  勝手に燃やすと、ダイオキシン・・・

  温暖化対策、CO2=脱炭素社会のキャンペーンからすれば、

  掲載photoの所業は、将に、犯罪的・・・!

 

  昭和20~30年頃の、いたずらっ子世代は、

  土手の「野火」は、遊びとして盛んにやった。

  まだ、農薬・除草剤などは、それ無い時代で、

  雑草群落を燃やすことは、「雑草の種」「害虫の卵」etcを、

  退治することであった。

 

  この同世代が、村社などに集ったりすると、

  「野火」は、郷愁を誘う言葉となって、

  子供のころの思い出話に花が咲きます。

 

  草の罠(わな) こけて田水を 飲みにけり -夢蔡

  

  近郊に、住宅・工業団地が進出して、

  「野火」は,禁止された。 川は、荒れた。

  蔓性の外来植物が、土手・河原にはびこる。

  川の流れが、阻害されて、砂が溜まり、河床が上がる。

  洪水の原因ともなる。

 

  大きな屋敷である。今は、だれも住んでいない。

  満開の桜の枝に隠れているが、屋根に吹き抜けが見える。

  二階部は、蚕室≒(蚕を育てる)になていたのだろう。

  爺さんを中心とした大家族であったろう。

  村から、人が消えてゆく。

  音(おと)やんの「桃」という。

  息子は、独立して都会住まいである。

  彼が、孫たちに、「桃」を送ってやろうとしていた

  土手ぎわに、植えた「桃の木」である。

  ”桃”は、いくつも生ったがなったが、堅い桃であった。

  音やんは、逝ってしまった。

 

  去(い)ぬ人の 供花(きょうか)となりし 桃の花

                       -夢蔡ー 

 

       ------<了>---ーーー

  

  

  

  

   

 

 

  



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