今日の昼、ワクチンが何故日本で出来なかったかという事に言及したテレビが放映されていた。
あまり話題にならないが、日本がワクチン開発に大きく出遅れている問題点はもっとも重要な話である。
2011年の地震の時も1万6千人もの人たちが津波で亡くなったということも信じられないほどの、
日本の危機管理の甘さである。
日本でワクチンが出来なかったのはこの1本のボールペンが物語っている。
これは帝人ファーマがくれたボールペンである。
これが私たち医師が薬会社からもらえた最後のボールペンである。
日本では医薬の締め付けは厳しく、医薬分業の中、医薬の協力関係は性悪説で捉え続けられている。
2000年頃から小泉首相の医療費抑制で高齢化で病気と病人は増え続けている中で、
10年間に渡って医療費は抑制され、最後は薬会社が薬価を切り下げられ、
資金は途絶えもはや研究力は衰え、10年位前からワクチン開発は資金と臨床試験の規制により停止状態となった。
ワクチンは型が違えば大損害となり、そんな冒険は日本の製薬会社には出来なくなりました。
今から40年前以上に、医局に来た帝人の製薬会社のMRが特許の数は旭化成が一番で帝人が2番だと言っていました。
一体今はどうなんでしょうか。
医薬分断による医療への締め付けは続いています。
最初はボールペンに薬の名前を書いていましたが、それが禁止され会社の名前までとされました。
次に病院の医師たちにボールペンを渡すことも禁止になりました。
次にカレンダーを渡すことも禁止になりました。
タクシー会社もガス会社もカレンダーをくれますが、医療界の人間をよほど悪人と思っているのでしょう。
高齢の私は新薬の名前がなかなか覚えれません。昔はボールペンの薬の名前を見て覚えていました。
疫病の最中、命あってののものだねです。
医薬の復活を期待したい。