統合医療日記

ここでの統合医療とは単に西洋医学と東洋医学の統合ではなく、病気を肉体と精神と社会及び自然環境の4視点から見ていきます。

メンタルヘルス講演会 in 嬉野温泉

2015-03-29 15:54:47 | 旅行



義理ある人から某国立病院の医師、看護師、事務員に対する職員メンタルヘルス教育講演を頼まれたので佐賀県の嬉野温泉まで出かけました。写真は帰るときに食べた武雄温泉駅にある駅弁当です。


タイトルは今年の12月から50人以上の企業に義務化された従業員のストレスチェックのお話、完全ストレスチェックマニュアルというタイトルの講演会をしました。


久しぶりの講演会午後常勤で行っていた産業医が退職となって、今まで断っていた講演もすることが出来るようになりました。しかしながらどちらかと言うと佐世保に近い遠い嬉野まで行かなくてはなりません。職員が700人以上いるような総合病院なので、心療内科か精神科があるのではないかと思いましたが、なぜか両方ともその病院に有りません。
 自分も昔北九州の医療センターの糖尿病センターに出向したことがありますが、そこには精神科も心療内科もありませんでしたので、各科の先生がメンタルな患者をドンドン私に回してきたので、糖尿病を見るどころか最後は糖尿病の入院患者より心療内科の入院患者のほうが多くなっっていました。
 ところが私が次々に患者を治して行くのでその実績が認められ、糖尿病の勉強が終わって退職した後も副院長から非常勤のポストを市から取ってもらい、心療内科の外来だけ続けました。やがてそれが常勤のポストとなり、今では精神科のリエゾンまで出来ています。そんな30年以上前の医療センターにタイムスリップしたような感じの場所で、久しぶりの講演会となりました。


笑わない聴衆自分の経験からして診療が終わった6時からの講演会。たぶん自分なら寝るでしょう。これはもう面白い講演をするしか有りません。しかしみんな疲れているのか、眠いのか、興味がないのか笑うべきところで笑いません。フロイトやユングの精神構造の難しいところはすっ飛ばして、聴講者にエゴグラムをしてもらい各自の性格分析をしました。代表的な8個の性格パターンを提示し自己分析させたところ、一気に聴衆がにぎやかになり、盛り上がってきてほっとしました。最後の拍手もむしろ通常より大きいような気もしました。



これは小学館新書の「怒らないクスリ」に詳しく書きました。
これは交流分析で使うエゴグラムの交流パターンからの性格分析の色いろ、この辺で静かな聴衆は一気に盛り上がりました

夜の宴会は今夜泊まる大正屋という旅館の近くでありました。皆さん初対面でしたが、お互い医療関係者なので話が弾みあっという間にお開きとなりました。大正屋に泊まるのは初めてでしたから期待していた通り素晴らしい旅館でした。2つ有る内風呂は夜と朝にそれぞれ入りましたが、バスで乗っていく大正屋が持つ秘湯は残念ながら時間がなく行けませんでした。


部屋もこんな感じで静かな感じでした


泊まる部屋からは広い庭園が続き贅沢なつくりになっていました。


至る所に有田焼の焼き物にお花が飾って有りとても風流でした。


早速風呂に入りましたが、広い風呂で窓の外の庭を見ると1メーター下の湯舟に沿った細長い池に、大きな鯉が何匹か雨の降る池の中を悠々と泳いでいました。




お土産はお決まりや湯豆腐と嬉野の棚田米を宅急便で家に送りました。この米は充実してとてもおいしかったです。



朝ごはんを食べると、ゆっくりとする間もなく更なる秘境に行きました。知る人ぞ知る有田焼の源流の黒牟田焼きです。







帰りは雨でしたが、武雄の先の山の中に入っていきました。客足もまったくと言って良いほど有りませんでした。黒牟田は古唐津の源流と言うところで400年前から多くの陶工が生活してきたところです。黒釉薬、緑釉薬、辰砂使いが有名ですが、今では丸田宣政窯1件となってしまっています。








他の客がいないのが幸いとなり、陶主丸田延親さんが雨の中を黒牟田の山に案内してくれました。なんとその山は420年間が捨ててきた陶器の瓦礫の山でした。これはなかなかの見物で今までに見たことがありません。陶芸を少しはかじった自分としては陶工たちの息使いがそこから聞こえてくるようでした。立派な作品の瓦礫です。


取り合えずは、いつも赤がいい赤を見ると健康になると言っている母親の部屋に飾りました。

いい日旅立ち結局講演会の日も窯めぐりの日も雨のふりどうしでしたが、いい出張講演且旅行だったと思います。結局大赤字になってしまいましたが、ちょっと他の窯では見ないものが買えたと満足しています。特に会の決め手になったのは手前のつぼの銅の入った釉薬の還元焼による赤紫の赤です。それと重ね釉と刷毛目技術を使った波のような線がとても素敵です。実はこの小さな壷より後ろの梅干用の土瓶のほうが3倍値段が高いのですが、これも銅の還元焼の赤で(鉄釉の赤とは大違いです)で、民陶の壷にしては誠に贅沢なもので、全国の民陶の中でめったにこんな梅干壷(たぶん作者は梅干壷のつもりではないと思いますが)はありません。早速今年梅が取れたら作ってみたいところです。結局、山を案内までしてくれた延親さんの作品でなく宣政さんの遺作を買ってしまいました。今では幸いお孫さんもやられており、丸田窯は続きそうです。



ちなみに私が20年前に作っていた作品は、良い物は売ったり人にやったりで、もう有りませんが、失敗作は自分でコーヒー入れて、自分で今でも使っています。


コメント (2)
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