hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

御茶ノ水~湯島周辺の坂(2)

2016-03-10 05:00:50 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その72。前回の続き。横見坂を登り、左に曲がるとちょうど谷になっており、左にも右にも上り坂となるが、この谷は傘谷と呼ばれていた。


案内板は左に行ったあたりにある。それによるとこの窪地あたりに傘作りの職人が多く住み、窪地を傘谷、坂を『傘谷坂』(からかさだにさか、かさだにざか)といったとのこと。なお、ちょうど日本サッカーミュージアムがあるあたりである。

傘谷坂を登り、蔵前橋通の湯島1丁目交差点を左に曲がり、清水坂下の交差点まで歩く。その先が『新妻恋坂』、これは関東大震災後に蔵前橋通りが作られたもので、裏にある妻恋坂に並行するため、この辺り名前が付けられた。

清水坂の交差点を左に行く坂が『清水坂』。この辺りには江戸時代には霊山寺という名刹があったが、明暦の大火が焼失、浅草に移った。


その後、明治になり清水精機という会社の所有となったが、湯島天神と御茶ノ水の往来が不便であったため、清水精機が土地を提供して坂道を整備、これを讃えて『清水坂』と呼んでいる。

清水坂を少し上り、次を右に行くと妻恋神社がある。妻恋神社は日本武尊が東征の際に三浦半島から房総に行く途中で暴風雨に遭い、お妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)が身を海に投じ海神の怒りを鎮めたと言われている。


その後。日本武尊が湯島に滞在したので郷民が姫を慕い、日本武尊と弟橘姫を祀ったという来歴がある。同じように2人が祀られている神社には三浦半島にある走水神社などがある。

この神社の前にあるため、『妻恋坂』とついたのだが、この坂道は妻恋神社を越えたあたりから急な下り坂になる。また、妻恋神社が来る前には霊山寺があったのだが、当時は霊山寺の開祖大超和尚の名前を取って『大超坂』と呼ばれていたらしい。

妻恋坂を下っていき、左に曲がると途中から階段になる坂があるが、これは『立爪坂』と呼ばれている。あまり詳しくは分からないが、この名前の坂は爪を立てて上るほど険しい坂であったのではないかと考えられる。今はそれほど厳しくもないのだが。(以下次回)

三崎町2丁目

2016-03-09 05:00:32 | 日記

『神田をぶらり』その6。旧神田区でも町の上に神田がつかない町が幾つかあるが、三崎町もその一つ。しかし、神田を付けたいとの住民の請願もあり、2018年には晴れて神田三崎町となる。

三崎町はJR水道橋駅近くに位置し、神田の中では最も西側に位置する。特に三崎町2丁目を地図で確認すると道の配置に驚く。ほぼ碁盤の目のように縦横に道が通る中、斜めにも道がきちんと配置されている。例えば東横線の田園調布や日吉のように計画的に開発された町は円のように放射状に道が配置されているが、三崎町2丁目の例は珍しい。

実は三菱財閥が関東大震災後に国から丸の内地区の払下を受けて『一丁ロンドン』と評された開発をしたことは有名だが、その際同時にこの旧士官学校跡を三菱財閥が払い下げを受けて開発したことはあまり知られていない。



このきちんと配置された街並みをぶらりと歩いてみた。靖国通りの研数学館や東京歯科大学から裏に入ると日大法学部・経済学部の校舎が点在する。その辺りをさらに入っていくとガソリンスタンドがある六叉路がある。その角に当たる場所にはちょうどカットされたホールケーキのように鋭角にとんがった土地が広がり、ビルが建っている。この辺りにはかつて煉瓦街が広がり、周辺には三崎三座(三崎座、川上座、東京座)を配し、明治後期には大変な賑わいだったようだ。特に川上座は川上乙次郎、貞奴がいてオッペケペー節では一世を風靡した。今は道路だけが残され、他には何も残されてはいない。


このように整然と道が配されているのは東京では中々見ない風景である。また、斜めの道をいくとその先にも同じ光景が広がる。

少し歩くと三崎稲荷神社があるが、この社は平安後期1182年に豊島郡三崎村の鎮守として作られたと言われ、三代将軍家光が江戸へ出入りする際に参拝した神社。


諸大名も清めのためにお参りしたと言われ、今も交通安全や旅行の無事などにご利益がある。

町に古いものは少なくなったが、それでも住宅の前に石造りの防火用水があるなど街歩きは面白い。

御茶ノ水~湯島周辺の坂道(1)

2016-03-08 05:00:33 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その71。今回は御茶ノ水~湯島周辺の坂道を巡る。まずはJR御茶ノ水駅で下車し、聖橋口を出る。


目の前にある聖橋は中々のアーチ橋で渡ると下にはJR、そして地下鉄丸ノ内線も地下から顔を出す。橋を渡るとすぐ下の道には出ることはできず、湯島聖堂の中を通ることになるが、湯島聖堂が閉めている時は下の道まで大回りすることになる。


幸いにして開門中のため、湯島聖堂の入徳門の前を通ると『相生坂』に出る。


この坂は元は相生坂だったが、のちに昌平坂と呼ぶようになったとのこと。相生坂の名前は神田川を挟んだ淡路坂と対をなすためであろう。


相生坂を下りて左に曲がるとまた坂になっているが、これが『昌平坂』、これは昌平黌に面していたから付いた名前である。


昌平坂を登ると向かい側に神田明神が見え、左側に登る坂があるが、これは『湯島坂』と呼ばれている。つまり、相生坂→昌平坂→湯島坂と湯島聖堂を取り囲むことになる。


神田明神の前を通り、東京医科歯科大の裏側あたりを右に曲がる下り坂を『樹木谷坂』というが、これは徳川家康が江戸に入府した頃、この下側の谷が鬱蒼と樹木が繁茂していたため、この名前となった。別名を『地獄谷坂』というが、もとの『じゅもくだに』が訛ったからであろう。


坂下まで行き、反対に登る坂が『横見坂』というが、江戸時代にはこの樹木谷から上がる坂の途中から富士山を横見できたから付いた名前とのことである。もちろん今は高いビルに囲まれて富士山など見ることはできない。なお、明治30年頃には近くに島崎藤村の住居があり、信州小諸に転居するまで住んでいた。

横見坂を登り左に曲がる。するとちょうど谷になるあたりに出て、向かいには日本サッカーミュージアムがでてくる。


この一対の坂道が『傘谷坂』、また、この谷を傘谷という。実はこの辺りには傘職人が多く住んでいたためにこの名前がついた。
(以下次回)

富士見ケ丘検車区にて春を感じる

2016-03-07 05:00:59 | 日記

そろそろ春めいてきたので京王電鉄井の頭線富士見ケ丘検車区あたりに野草を探しに行く。途中では紅梅が満開になっていたり、モクレンのつぼみが膨らんだり、ミツマタの黄色の花が咲いていたりと春の便りを実感。



富士見ケ丘検車区は久我山~富士見ケ丘にあるが、神田川沿いの道をジョギングする人々で休日は賑わう。久我山から歩き始めるともうオオイヌフグリの大群生を発見。青い小さな花を沢山付けて愛らしい。

少し歩くともうノゲシの黄色の花やホトケノザのピンクの花も咲き出しており、ナズナも花を咲かそうとしている。


検車区の中には人が来ないことを知っているのか、ムクドリたちが餌をついばんだり、羽を休めたり。地面を歩き回っている。

しかし、中々お目当の土筆は見つからないが、やっと電車が整列している前で見つけることに成功。



急に暖かくなったためか、少し盛りは過ぎてほうけ気味のものが多い。うまく線路の中から土筆が顔を出す絵を撮りたかったが、車両の隣に小さく写すのが精一杯。あと数週間すればもう花見客が溢れてくるのかと思うと時の流れの速さを実感する。それでも早く春よ来い。

オカメザクラ

2016-03-06 05:00:49 | 日記

今年は暖冬と言っても2月後半から寒が戻り、北風に立ち向かいながら外回りをする日々。事務所移転で最近は日本橋COREDO室町の裏の道をよく通るのだが、昨日通ったら何と早咲きの桜がかなり咲いている。


早咲きの桜といえば河津桜が有名だが、ネットで調べるとこの桜はオカメザクラの早咲きのものらしい。オカメザクラはヒカンザクラ(緋寒桜)とマメザクラの交配種とのこと。


それほど大きくない木にはピンクの花を沢山つけていて、日向にある樹は既に十分花見ができるほど。いやはや、早い春の便りもいいものだ。

場所は三越前駅下車すぐのCOREDO室町から2本裏、昭和通りの手前の道である。お近くを通られた際は是非お花見を。

共栄堂~神保町ランチグルメ

2016-03-05 05:00:52 | グルメ


前回はボンディの欧風カレーを食べたが、今日は同じ神保町でもスマトラカレーの老舗共栄堂にお邪魔する。いまでこそ神保町はカレーの街と言われ、インド風、スリランカ風、オリジナル、昔ながらの黄色いカレーと各種揃っているが、その中でもこのお店は大正13年創業は一番古い部類だろう。

場所は神保町交差点から駿河台下に向かって左側、有名なビアホールのランチョンの地下と言えばすぐにわかるであろう。螺旋状の階段を下りるとガラス張りの店内が見える。ランチタイムは混むらしく、相席を詫びる注意書きがある。

席は入店と共に指定され、今回は奥の席に。座るとおしぼりとお冷、さらにポタージュスープがカップで供せられる。このスープはかなり熱いから注意を要する。注文はポークカレー(950円)をお願いする。


するとキッチンには『カレー一丁』、やはりポークカレーがこの店の基本なのかも知れない。運ばれてきたのは小ぶりのグレービーボートにたっぷりの褐色のカレールーとお皿に平らに盛られたライス。テーブルにある福神漬とらっきょうを乗せて、カレールーを3分の1くらい掛けて食べる。

あまり辛くはないがスパイシーで食欲をそそる。ゆっくり食べようとしてもスプーンが進む。あまり甘みは感じないが、肉の味とスパイスがあって美味い。日本風にはアレンジされているが、中々お目にかかれない。肉は比較的小さめでホロホロと崩れて食べやすい。気がつくと5分も経たずに完食している。最後に残ったコーン風味のポタージュをゆっくり頂き、ご馳走様。

メニューにはチキン、エビ、ビーフ、タンなど具によってルーの味も違うと書いてあり、次回は違う種類のカレーに挑戦したい。


共栄堂
千代田区神田神保町1ー6
0332911475

始発駅の次の駅を調べてみた

2016-03-04 05:00:31 | 日記

鉄道シリーズその128。私鉄に乗るとすぐに次の駅に到着して、何でこんなに近くに駅を作るんだろうと思うことがままある。そこで私鉄始発駅の次の駅を調べてみると幾つかのカテゴリーに分けることができることを発見。

まずは始発駅の付属品のような駅のカテゴリーで、冒頭の話ではないが、駅間も短いものが多い。例えば小田急の新宿駅の隣は南新宿駅(駅間800m)、東武東上線の池袋駅の次は北池袋駅(駅間1.2km)、京浜急行の品川駅の次は北品川駅(駅間0.7km)とあまり存在感のない駅が多い。特に北品川駅など品川駅の南にあるのにこの名前は不可思議だが、実は元々ここが始発駅で宿場町の品川からは北の方角にあることから付いた。その後、住所も品川区北品川となったため、地名と同一とも言える。(因みに品川駅の住所は港区高輪)

2つ目のカテゴリーは鉄道会社が利便性を求め、延伸した場合であり、次の駅は実は元の始発駅であるもの。先ほどの京浜急行品川駅もそうだが、苦労をして始発駅を町の中心やJRなどの乗換駅まで伸ばしたケース。具体的には西武新宿線の起点・西武新宿駅。1927年に高田馬場~川越間が開通した。当初は軌道線で早稲田への延伸を計画したが、戦後はターミナル駅である新宿までの延伸を目指すべく運輸省に働きかけ、1948年に山手線と並行する高田馬場~新宿の免許を取得。しかし、新宿周辺の区画整理がなされていなかったため、1952年に仮駅として西武新宿駅を開業した。1964年に新宿ステーションビル開業と共に2階に西武新宿線のホームを入れる予定であったが、島式ホーム1本の6両編成発着線2線分しかスペースがなく、これを断念した。その後、西武新宿駅は駅ビル化して現在に至っている。もし、西武新宿線が新宿駅に乗り入れていたらどうなっていたのだろう。

同様なケースが東武スカイツリー線浅草駅である。東武鉄道は当初、本所~足利の免許申請をしていたが、千住~本所は市区改正の兼ね合いで免許が下りず、やむなく千住~足利で建設を開始、その後越中島~北千住の免許を取得し、吾妻橋駅(現在、東京スカイツリー駅)を始点として1902年に開通した。一方、1904年曳舟~亀戸(現在の東武亀戸線)が開通、亀戸経由に運行を変えて、総武鉄道両国橋(現在の両国駅)がターミナル駅となった。しかし、総武鉄道が国有化されたのちは自社でターミナル駅創設を目指し、次に上野までの免許を申請したが、地下鉄との競合から認められず、浅草雷門駅をターミナル駅とするこ当初はに変更を余儀なくされた。そして、ようやく1931年に浅草雷門(現在の浅草駅)まで延伸した。

3番目のカテゴリーが当初の隣駅が廃止されたケース。具体的には西武池袋線の池袋~椎名町(駅間1.9km)の間にあった『上り屋敷駅』、京成本線上野~日暮里間(2.1km)にあった『動物園博物館駅』『寛永寺坂駅』などが挙げられる。

また、京王線(新宿~初台1.7km)や東急田園都市線(渋谷~池尻大橋1.9km)のように元は軌道線であり、鉄道線になる際に幾つかの停留所を廃止した場合もある。

高々、始発駅の次の駅の話だが、それぞれに色々な事情を抱えているのがわかると面白い。因みに駅間が最も近いのは池上線五反田~大崎広小路間の0.3kmであることを書き添えておく。

高輪・三田周辺の坂道(3)

2016-03-03 05:00:39 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その70。前回の続きから。潮見坂を下りると突き当たると坂の途中に出るが、この坂が『聖坂』。


江戸時代に高野聖が開いた坂でその宿所がそばにあったため、この名前が付けられたらしい。左に曲がり坂を下るともう慶応義塾のすぐそばである。30年前に比べて校舎も立派になった。

広い道を向かい側に渡り、大学に沿って右に曲がると慶応中等部、先は道がすこし細くなり上り坂となるが、この坂道が『綱坂』。


その由来は平安中期の武将で酒呑童子征伐でも有名な渡辺綱の生誕伝説があることから付いたもの。中々雰囲気があり、小生の好きな坂道の一つである。


坂の頂上近くにはイタリア大使館があり、その先には旧三井財閥の迎賓館であった綱町三井倶楽部のクラシカルな建物がある。


ここを右に曲がると『綱の手引坂』、これは桜田通りまでつながっている。この坂道も綱坂同様渡辺綱に因むものらしいが、『手引』の意味は分からない。また、姥坂、馬場坂の別名もあるがこれも由来は分からない。


綱の手引坂と反対方向に歩くと左側にはオーストラリア大使館が見える。よく見ると階上には檻に入っているカンガルーやエミュのオブジェを見ることができる。


その手前を右手に下る坂が『神明坂』。これは坂下にある天祖神社は元神明宮と呼ばれていたことから付いたもの。


そして元の道をまっすぐに降りていく坂道が『日向坂』。この辺りに徳山藩毛利日向守の屋敷があったため、この名前が付いたが、読み間違えか、ひなた坂という呼び方もある。

坂の下まで降りると川と高速道路を越えて二の橋交差点(麻布通り)に出る。これを右に曲がるともう麻布十番まではすぐである。

千手観音像

2016-03-02 05:00:18 | 日記

2013年6月6日以来毎日更新を決めてから本日2016年3月2日でちょうど1000日目となる。それを記念してではないが、1000という数字に関係する話を今後いくつか書いてみることとしたい。

まず、今回は『千手観音像』についてである。観音様には聖観音、准胝観音、馬頭観音、魚籃観音などその種類は多いが、そのお姿からか日本では千手観音は人気がある。千手観音は梵語ではサハスラブジャ・アーリア・アヴァローキーテーシュヴァラというが、それでは仏像に実際は幾つ手を持つのだろう。

千手観音には幾つかの種類があり、『十一面千手観音』『千手千眼観音』『千手千臀観音』などの種類がある。一般的な千手観音像は十一面四十二臂、つまり11の顔を持ち、前で合掌されている2本の手以外の40本の手がそれぞれ1本で『三界二十五有』と言われる仏教の25の世界を救うとされている。つまり、40×25で千ということになるのである。

千手観音像を見たことのある方にはお分かり頂けると思うのだが、その手には色々なものをお持ちになっている。具体的には左側で宝輪、玉環、宝剣、羂索(なわのこと)、宝螺(ほらがい)、澡瓶(水さし)など20、右側で錫杖、化仏、三鈷杵(さんこしょ、法具の一種)、蒲桃(ぶどう)、胡瓶、など20、計40のものを持っているが、左手では髑髏杖(髑髏の付いたが杖)なども持っているから、機会があれば是非探して欲しい。

千手観音像は通常は1000もの手は持たないが、中には奈良唐招提寺金堂像、大阪葛井寺本尊、京都寿宝寺本尊像などのように1000近い手を持った像もある。小生も唐招提寺の千手観音像(国宝)を見たことがあるが、5メートルもある立像でそこから大きな手が42本、小さな手が953本伸びている姿は神々しいというより、正直圧巻である。

また、千眼千手観音像は千の眼をそれぞれの掌に持っている像で、よく見ると眼を確認することができる。

いずれにしても千本の手がどのような衆生も漏らさず救済をしようとする観音様の慈悲と力の強さを表しているが、観音様の前で手を合わせると確かに助けてもらえそうな気がするのは小生だけではあるまい。

勝慢~神田ランチグルメ

2016-03-01 05:00:58 | グルメ

小生はカツ丼は時々無性に食べたくなる。そういえば、トンカツ屋のカツ丼と蕎麦屋のカツ丼どちらが美味いかなどという荒唐無稽な議論を友人としたことがあるが、美味い店のカツ丼が一番だというつまらない結論になったことを思い出した。

カツ丼やトンカツで有名なお店は神田周辺に多いという情報を聞いて調べると、秋葉原の『丸五』、須田町の『やまいち』などの名前が出てくる。今日はその『やまいち』に行こうとしたが、月曜日はお休み。そこでそばにある『勝慢』にお邪魔する。

店は中々の年代物、壁には千社札なども貼られている。メニューには『大かつ丼』(1700円)とあり、ロースカツやヒレカツも気にはなったが、初志貫徹で大かつ丼をお願いする。

注文すると直ぐに肉を揚げるいい音がする。待つこと10分、大かつ丼が登場。丼もでかいが、中身も多い。これらがかなり緩めの卵でとじられている。

小生は卵はもう少し硬めが好きではあるが。しかし、一口食べるが、その脂と肉のバランスの良さ、衣と肉の硬さのコントラストは十分楽しめる。東京では珍しく汁の色も薄く、味も濃くない。しかし、トンカツがこの方が引き立つ気がして、どんどん食べ進める。


赤だしは豆腐となめこ。漬物が今日は昆布の佃煮になっており、この点は正直ガッカリだが、このカツ丼はそんなことも気にならないくらい美味い。昔のこの店を知る人の口コミには味が落ちたという人もいたが、小生には十分美味かった。さすがに大かつ丼、値段もいいが、腹は一杯になる。


勝慢
千代田区神田須田町1ー6ー1
0332565504