今、ぼくの所属は、経営○○室というセクションである。その前はずっと経理屋さんだった。しかし、この経理という仕事、実は小学生の頃は、なぜかわからないけれど、将来はこういう会計の仕事だけは就きたくないと思い込んでいた。それが、いわば就職して、そのような仕事に就いたのだから、それこそ晴天の霹靂だった。そもそも、なじむこと自体がなかなか大変だった。ソロバンはできない。数字はへたくそ。
つまりは、自分が受け入れることができない、と思ったものを受け入れることが今世のテーマだったのかもしれない。自分からいえば、真逆の世界の在りようを認め、受け入れること。このことが出来ないと、過去世で願いをもとに取り組んだ様々な目的が成就されないのかもしれない。
誰しも自分の好きなことは、どんどん進むのが常である。しかし、苦手なことはそうではない。
志半ばで終わるということは、ぼくのなかで、何か半分の要素が不足しているからである。だとすれば、その不足している半分を満たすために、得意・苦手、コンプレックスを超えて丸ごと支えない限り、超えられないのでは、と思うのである。
これは短絡的な考えだろうか?
つまりは、自分が受け入れることができない、と思ったものを受け入れることが今世のテーマだったのかもしれない。自分からいえば、真逆の世界の在りようを認め、受け入れること。このことが出来ないと、過去世で願いをもとに取り組んだ様々な目的が成就されないのかもしれない。
誰しも自分の好きなことは、どんどん進むのが常である。しかし、苦手なことはそうではない。
志半ばで終わるということは、ぼくのなかで、何か半分の要素が不足しているからである。だとすれば、その不足している半分を満たすために、得意・苦手、コンプレックスを超えて丸ごと支えない限り、超えられないのでは、と思うのである。
これは短絡的な考えだろうか?
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