よくあるはなしだけど、まえから かきたかった。
「あなたって こうですね」といわれると、「そんなんじゃないのに」と、いわれた本人は感じる。だけど、「あなたは こうですね」という発言は、「わたしには できないな」という意味であったりするわけで、それは自分をかたっている。わたしは こうだとか、あなたは こうですねというのは、結局、比較をしてのことなので、本人は そうでないと感じようとも、そうであるとも いえるし、そうでないとも いえる。そのひとの どの面をみて、どのように比較しているかによって かわってくる。
だれしも いろんな面をもっているもので、ある面をみせていたら、みせていない面は指摘されない。それで、「ほんとは そうじゃないのに」と感じたりもする。けど、その「ほんと」なんてのは、ほかの だれかには みせていて、そのひとには また別の面をみせていなかったりするものだ。まるい地球は いつも すべての面が太陽のひかりをあびているわけではない。スポットライトがあたれば、どこかは影に かくれるのだ。それを、「ほんとうの地球は」などと いっても しかたがない。
乱入者:しかたがないから、なんなんですか? 自分さがしは不毛だとか、ほんとの自分なんて幻想だと、あなたも そういうわけですね?
そうですが、なにか。「ほんとは そうじゃないのに」というのも、そのひとにたいして ちがうといっているのと同時に、自分の理想のあらわれなんですよ。逆にいえば、「そうじゃない自分」にたいする不満のあらわれなんですよ。「ただ ちがう」んだったら、「べつに ちがうけど?」で かえせるわけですよ。
乱入者:べつに ちがうけど?を100回いわされたという場合もあるでしょ。きめつけてんじゃねーよとか、そんなん いわれても くすぐったいんだよとか。そうも いいたくなるときがあるでしょ。
そういうこともある。ともかくだ。他人でも自分でも、限定してしまわないほうがいい。自分さがしが新境地をもとめるものならば、それでも よろしい。けれど、そこに安住してしまうなら、自分をしばっているだけのことだ。
けれども、ひとが おいもとめているのは、安住の地ではないのか。自分さがしとは、「安心」をさがしているのか。そうかんがえてみると、納得がいく。不安のあらわれなんだと。
乱入者:それが いいたかった。
「あなたって こうですね」といわれると、「そんなんじゃないのに」と、いわれた本人は感じる。だけど、「あなたは こうですね」という発言は、「わたしには できないな」という意味であったりするわけで、それは自分をかたっている。わたしは こうだとか、あなたは こうですねというのは、結局、比較をしてのことなので、本人は そうでないと感じようとも、そうであるとも いえるし、そうでないとも いえる。そのひとの どの面をみて、どのように比較しているかによって かわってくる。
だれしも いろんな面をもっているもので、ある面をみせていたら、みせていない面は指摘されない。それで、「ほんとは そうじゃないのに」と感じたりもする。けど、その「ほんと」なんてのは、ほかの だれかには みせていて、そのひとには また別の面をみせていなかったりするものだ。まるい地球は いつも すべての面が太陽のひかりをあびているわけではない。スポットライトがあたれば、どこかは影に かくれるのだ。それを、「ほんとうの地球は」などと いっても しかたがない。
乱入者:しかたがないから、なんなんですか? 自分さがしは不毛だとか、ほんとの自分なんて幻想だと、あなたも そういうわけですね?
そうですが、なにか。「ほんとは そうじゃないのに」というのも、そのひとにたいして ちがうといっているのと同時に、自分の理想のあらわれなんですよ。逆にいえば、「そうじゃない自分」にたいする不満のあらわれなんですよ。「ただ ちがう」んだったら、「べつに ちがうけど?」で かえせるわけですよ。
乱入者:べつに ちがうけど?を100回いわされたという場合もあるでしょ。きめつけてんじゃねーよとか、そんなん いわれても くすぐったいんだよとか。そうも いいたくなるときがあるでしょ。
そういうこともある。ともかくだ。他人でも自分でも、限定してしまわないほうがいい。自分さがしが新境地をもとめるものならば、それでも よろしい。けれど、そこに安住してしまうなら、自分をしばっているだけのことだ。
けれども、ひとが おいもとめているのは、安住の地ではないのか。自分さがしとは、「安心」をさがしているのか。そうかんがえてみると、納得がいく。不安のあらわれなんだと。
乱入者:それが いいたかった。