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いま、そのとき、かんがえつつあること。

自分自身を更新しながら

2004-12-22 | 国家と権力
バンプ・オブ・チキンの「ギルド」をくりかえし きく。あれこれ よみながら、なく。なく。なく。

こんなに ないてばっかりだったかな、わたしゃ。最近ずっと こんなだから、むかしのことが おもいだせない。人は かわる。かわりつづける。それが人生だ。

心に どこか すきまが あって、その すきまをうめようと あれこれ感情をうごかす。それが人生だ。でも、憎悪の便乗のために そそぎたくは ない。
拉致被害者の家族や遺族の気持ちを本当に共有して悲観に暮れる人が、日本全国で何人いるのだろう? ほとんどの人は悲しみや痛苦など共有していない。憎悪だけだ。(森達也/もり・たつや、『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』晶文社、253ページ)
そして、この世界で うえている こどもたちが いるということに、たいした感情移入が できずにいることも かなしい現実。でも、にくしみなんかよりは、いくらかでも、ほんのすこしでも、たべるものが ない ひとたちに心をよせる。それだけで、経済支援は つづけていける。中国が「中華思想」で国家体制を維持しているとすれば、共和国は「反アメリカ帝国主義」だ。ごもっともじゃないか。でも、だからといって、体制のために そのへんの人が犠牲になるべきじゃない。ただ それだけだ。

『怒りの方法』。内省的で ないてばかりだと、外側に むけて発散できない。うごけない。これでも だめだ。辛淑玉(シン・スゴ)さんに まなんでみようと岩波新書。
他者に対して怒れるためには、正しいこと、良いこと、美しいこと、公平なこと、合理的なことなどについて、価値観や基準が自分の中になければならない。その基準が明確であればあるほど、そこから外れた他者の行為や発言に対して、「なんだそれは!」「おかしいぞ!」と怒ることができる。(『怒りの方法』34ページ)
まだ心の準備が できてないみたいだ。完全には共感できない。

あとがきが印象的です。イシハラ都知事を支持する男性。シンさんに きく。「あなたはどうしてそんなに強いのですか。僕は弱いから、石原さんが好きなんだ」。父親が自殺してしまったという男性に、シンさん「お父さんが好きだったのね」。「すると、彼の目から滝のような涙があふれ出た」。
男も泣いていいし、弱くてもいい。男にも、もっと多様な生き方があっていいし、強がらなくてもいい。心から怒りたいときには、身体を震わせて怒ればいい。(207ページ)
「オトコらしさ」という規範から「ある程度」自由になれた立場としては さて、これから どうしたもんかなと。

シンさんの しめくくりに こたえが あるんだろうな。
私は、石原氏の差別発言を支持する人を批判するだけでは、共生社会は築けないと思った。
その日から、私は、違うアプローチをしようと決めたのだ。
怒りを人間性の回復と社会の再生の素とするために、いまも、闘い方の実践と学習は続いている。(207ページ)
そうだね。自分自身を更新しながら あせらないで いきていけば いいさ。

グーグル:「憎悪の便乗」 / 「自分自身を更新」

2 コメント

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あげあしとりでごめんなさい (ろしーた)
2004-12-22 21:30:25
こんばんは



しん・すごさんの本のあとがきからの引用で「強制社会」とありますが、「共生社会」の誤りかしら?



「オトコらしさ」「オンナらしさ」かあー。

むつかしいな……。
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あらま (ひつじ)
2004-12-22 21:47:19
訂正しときますー。どうもです。



ったく同音異義語め(笑)。
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