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ヴェーバーの母、俊輔の母、こわい母について

2015-11-09 21:32:47 | 日記
A.マックス・ヴェーバーと鶴見俊輔の共通点
 たまたま鶴見俊輔・関川夏央の対談集『日本人は何を捨ててきたのか』(ちくま学芸文庫)を読んで、次に長部日出雄の『マックス・ヴェーバー物語』を読んだら、この高名な知識人・思想家の二人に不思議な共通点があることに気がついた。生きた時代も国も違い、鶴見がヴェーバーについてとくに関心をもって研究したわけでもない。だから学問や思想の話ではない。それは子ども時代の父母との関係について、であある。一般に知られた事実は、どちらの父親も代議士で有力な保守系政治家であり、長男である息子を学者ではなく法律家から政治家にと望んでいたこと。そして、これは今回の本でぼくは初めて知ったのだが、母親が息子に特殊な家庭教育を強いたということだ。ぼくには興味深いことに思われる。

「二歳のとき、ヴェーバーは最初の危機に見舞われた。脳膜炎にかかったのである。急な発熱、頭痛、悪心、嘔吐、硬直をともなうこの病気に、幼いころ襲われるのは、かつては洋の東西を問わず、さほど珍しいことではなかった。(中略)
 ヴェーバーの場合、白痴になるか死ぬか、という危険に脅かされ、辛うじて回復したときから、母ヘレーネにとってはもう、幼いわが子を何時間もほったらかしにしたり、人の手にまかせたりするよその母親たちの気が知れなくなっていた。
 ほかの一切を放擲しても、母親としての義務を果たそうとする彼女の子どもへの愛情は、献身的なものとなった。それは崇高な気持には違いないけれど、男の子にとっては、いささか煩わしいものでもあったかもしれない。
 二歳半のヴェーバーは、一人遊びを好んだ。小さな糸巻や木片や積木を使って、駅と列車を作り、機関車に紙片の煙を付けた。そして下が細く上が太いその紙の煙を見て、みずから感心し、人にも感心することを要求した。そんな汽車ごっこに何時間も1人で熱中し、その間ひっきりなしにおしゃべりをつづけている。
 脳膜炎を病んだときから、もともと大きかった頭がいっそう目立つようになり、回復後も体は小さいままで、痙攣と充血の後遺症がのこり、ときに異常な怯えやすさを示して、四つになっても家の中庭を通ることができなかった。そこにいる鶏を恐れていたのである。 (中略)
 母方のスーシェー家の系譜を遡ると、祖先はユグノー(フランスのカルヴァン派新教徒)で、修道尼のような生活に憬れて三十歳まで独身を通したエミーリエは、倫理的厳格主義をふくむ敬虔な信仰を娘たちに伝えた。 (中略)
 思想的に自由な雰囲気のハイデルベルクで育ったヘレーネは、長姉イーダの影響で、アメリカのユニテリアン派(イエスの神性を否定し、宗教的偉人と見る考え)の牧師チャニングとパーカーの書物に親しみ、非国教的な自前の信仰を持つようになっていた。 (中略) 
 自分のおなかを痛めた子に関して、ヘレーネには試練が相次いだ。長男につづいて生まれた長女アンナの夭折は、あまりにも儚い死であったので、さほどの傷はのこさなかったのだけれど、自分とおなじ名前をつけた次女ヘレーネは、四歳のかわいいさかりにジフテリアにかかっての急死であったから、痛手は深くいつまでも癒えなかった。これはシャルロッテンブルクに移ってからの話で、夫も最初は悼みをともにしていたが、じきに多忙な政治家の仕事へともどって行き、妻はひとり痛恨のなかに取り残された。
 妻の裕福な実家から相続した財産によって、家計にゆとりを得た夫は、ブルジョア的な生活の洗練と快適な社交生活を楽しむ道へ進み、ヘレーネのほうは表面上そうした夫に服従を装いながら、自己の内面に沈潜する方向へむかった。二人のあいだに生じた亀裂は、しだいに深さと大きさを増し、やがて長男のマックスを痛烈に引き裂くことになるのだが、それはまだずっとあとの話だ。」長部日出雄『マックス・ヴェーバー物語』新潮選書、2008. pp.33-38.

 マックスの母は、息子に敬虔な信仰に基いた生活を強いた。彼は、表面上それに反抗するようなことはなかったが、大学生になっても母に長文の手紙を書いていた。それらの多くが今日残っていてヴェーバー研究家には、貴重な資料であろう。日本でもヴェーバーのことならすべて知っていたいという研究家がいて、エルフルトの生家やハイデルベルクの散歩道などを巡礼のごとく訪ね歩く人までいる。しかし、母の影響がどのようにヴェーバーの仕事に現れているかは、難しい問題だろう。次は、鶴見俊輔の方を覗こう。

「関川:鶴見さんは、ご自身のことを、繰り返し悪人と定義していますが、その悪人とは、どういうことなのでしょう?
鶴見:突っ込んできますね。
関川:(笑)。魅力ある概念だから、たんに知りたいだけです。
鶴見:悪人というのは、まず男女についての衝動が初めからあったということです。物心つくのとほぼ同じですね。お袋が厳しい人だから、それを悪だと感じること。それが基にあるような気がしますね。それから飯を食べるにも、お袋には正しい食べ方があるわけですよ。わたしが、そういうことに対してもことごとに反抗するから罰を受ける。ところが、ゼロ歳から二、三歳までだあと、お袋の正義に対抗する、もうひとつの正義を自分の中にたててしゃべれないでしょう。従って、お袋の正義の規準を受け入れて、しかし個別的に反抗する。パラドックスが生じてくる。これは精神分裂病を作るとてもいい条件なんだ。それが二重拘束、ベイトソン(人類学者、社会学者。一九〇四~八〇)のいうダブル・バインド。あとになってベイトソンを読んだときに、あのときのわたしの状態はまさにこれだったと手にとるようにわかったんです。ベイトソンの『精神の生態学』全体としてはお袋の正義を正義として受け入れて個別的に反抗する。それが悪人意識です。自分が自分として生きるには、悪人として生きるしかない。それがあるから、学校なんかに行ってられませんよ。何でもありでね。悪いことをする。悪いことをするのが、自分のただひとつの生き甲斐なんだから。」鶴見俊輔・関川夏央『日本人は何を捨ててきたのか』ちくま学芸文庫、2015. pp.91-92.
「関川:誰でも多少なりとも不良であったし、不良であったといいたがります。害のないオトナの自慢として。しかし鶴見さんのお話を伺っていると、事態は深刻で、よく生き延びられたとさえ思いますが。
鶴見:そうですよ。わたしは、いまはもう毎日生きていることを祝福します。お袋に叱られないから、毎日、飯がうまい(笑)。
関川:だけど、六十年以上前の話でしょう。
鶴見:お袋の影響というのはものすごいものですよ。わたしは何冊も本を書いていますが、全て、お袋に対する悲鳴のようなものなんです。お袋とわたしとの対話なんですよ(笑)。それだけ。お袋はわたしに対して影響を与えたのです。戦争を生き延びたから良かった(笑)。
関川:すごい母上だなぁ。」鶴見・関川『同書』p.96.

 鶴見俊輔の母愛子は、後藤新平(1857~1929:関東大震災後の復興を行った東京市長、満鉄総裁、鉄道院総裁、内務大臣などを歴任した政治家)の娘である。和子と俊輔の姉弟に厳しい教育をしたということだが、俊輔は小学生のときから強く反抗し、不良少年として中学以降は放校になって15歳で渡米し日本語を忘れてハーバードで哲学を学ぶ。
  カイザー・ヴィルヘルム的規律訓練的教育は、ヨーロッパでは幼児期に父性原理で父が息子を抑圧すると考えがちだが、父は理念的な方針を語るとしても外の仕事で忙しい場合、少年が抑圧されるのはむしろ、24時間生活の細部にわたって管理される母こそ、戦うべき敵になる。日本でも、優しい母の母性原理が強調されるが、のしかかるほど支配的な恐ろしい母、というのはたくさんいたし、いまもいるのだろうと推測する。それがヴェーバーや鶴見のような、とびきりの学者や思想家を生むのだとしたら、それもまんざら悪いとばかりは言えないか・・。でも、人間の性格は3歳までに決まり、それは主に母親のスキンシップの多寡で決まる、というかなり乱暴な説を、昔ぼくも、息子が生まれる前の区の育児教室で聴いた。そんな単純なものではないと思う。



B.小説作法の結び
 大岡昇平の『現代小説作法』も読了である。最終章は短く語ったことを、再度要約している。「前世紀以来小説家には、高度の知性が要求されていますので、その知性が小説自身の批判に向かうことも自然です」とあるように、高度の知性をもつ小説家大岡昇平は、19世紀に西欧近代の文学表現として主流を形成するに至った小説という形式について、20世紀の終わりを睨んで「小説の涯」「反小説」という実験まで眺めながら、小説は限界に達し衰退していくのか、それとも新しい表現を加えながらさらに発展するのか、という問いには答えない。

 「終わりに当って、これまで書いてきたことを振り返ってみますと、まず小説の主人公というものの性質を考え、原始的な神話と叙事詩の世界から、ギリシャ悲劇が生まれてくる経路をたどりました。ファーガスンに従って、悲劇の主人公が自らを犠牲にすることによって、社会の福祉を願うというところに、悲劇の効用を考え、劇と競争して、主人公に同じ性質を付与した点に、近代の小説が真面目な文学として、流行の端緒につくことが出来たとしました。
 無論文学の効用はこれだけではなく、稗史野乗と呼ばれて昔から、民間の逸史を記録する機能もあったわけで、バルザックやスタンダールが小説で「現代史」を書こうとした野望も、こういう伝統の上に立っていたわけです。いわゆる事件小説や風俗小説はいつの世にも絶えませんが、一方小説が読者に与える感興を、感情の側面から見れば、主人公と運命を共にし、共に生き共に死ぬという点にあると考えました。
 バルザックの「人間喜劇」やスタンダールの「年代記」の理想は、個人の知性が歴史と社会を蔽うに足りると考えられていた時代のロマンチックな考えで、フランス文学の中にその系譜をたどれば、フロベールの政治的挫折は、自己を抹殺して、対象の芸術的再現だけを目的とするという点まで後退を余儀なくされるのです。それは輝かしいリアリズムの世紀を開いたが、現代になって、ルポルタージュやノンフィクションに取って替られる原因も胚胎していたというのが、僕のだいたいの見当です。
 すべてを知り、全てを見下す作家の特権的地位というものは現代では失われています。文学における真実の問題もおびやかされています。小説家がいくら社会を描くと威張っても、彼の告げるところは、専門家から見れば、常に疑わしいものです。文章と趣向の必要からくる歪曲は、対象の忠実な「再現」とはいい難い。「彼がこう思った、こう感じた」と書いても「うそをつけ。実はあゝも、感じたろう」といわれれば、それに抗弁する手段は小説家にはないのです。こうして小説における真実は、内容的にも技術的にも疑われているので、最近フランスで「反小説(アンチ・ロマン)」と呼ばれる流派が現われ、人称を混乱させたり、ものを固有の名前で呼ぶことをやめたりし始めたのも、こういう苦悶のあらわれだと思われます。
 しかし、視点を変えて考えれば、こういう技法上の工夫も、小説の普通の作法をひっくり返し、小説の小説性を否定することによって、かえって小説の現実性を回復しようという試みと見られないこともありません。
 しかし一方小説家が「彼がこう思った」と書けば、必ずそう信じる読者、小説家に欺されるのを喜ぶ読者というものは必ずいるものです。この領域では錯覚を生ぜしめる手腕があるかないかにかかって来ます。結局は作者が読者の前に押し出す人物に読者の注意を惹きつけることが出来るかどうかにかかって来ます。
 作者がよい主人公を選んで、彼に読者の喜ぶような行動を取らせ、読者の考えそうなことを考えさせればよい、という伝奇小説の原則は現代でも生きているので、雑誌小説や新聞小説が小説読者という集団を維持しているのは、多くの金儲けのうまい作家が、この原則に忠実だからです。
 しかし何度も書くように、小説は前世紀以来、小説に固有ではない多くの要素を取り入れて肥って来ました。白痴にかえったムイシキン公爵の行動は、本で読んでは「幽霊」の幕切れほどの肉体的緊張も伴わないかもしれない。「吾輩は猫である」がいくらくすぐりに充ちていようとも、浅草の喜劇一座のように、われわれを苦しいほど笑わすことは出来ません。しかし一方ムイシキン公爵を舞台に上せても、「白痴」の読後と同じ感動を与えることは出来ません。映画「坊つちゃん」を観た後には、原作の読後のさわやかな快感は残りません。
 すべてこれらの物語は全部読まれ、人物は隅々まで知られることを要求しているのです。こういう突き詰めた関心は、われわれの生活に、個人の自由の判断によって、左右される部分が殖えた時代の産物でした。それ以前は権威とか因習に従ってさえいればよかった(またそうするほかはなかった)のですが、個人の自覚と共に小説も変わりました。要するに市民社会の自由というものと関係がありました。
 「いかに生くべきか」を考えさせる小説が、いい小説だという言い方を僕は好みませんが(なぜならそのようにして考えられた生き方が、人を幸福にするとは限らないからです)いい小説がことに当ってわれわれの選ぶべき行動について、考えさせるのは事実です。近代の小説の主人公は、外部から強制されたにせよ、自ら進んで求めたにせよ、なにかを行うについては、行う前に考えるということを、存在の意義とするような生活を送るのです。
 われわれの日常生活を面倒にするし、何度もいうように現代は「組織」の力が再び大きくなっているので、こういう生活態度もまれになっていますが、全然なくなっているわけではありません。われわれは現状をことごとく容認しているわけではないし、一寸の虫にも五分の魂、人間動物は頭脳があるかぎり、行動を自分で選択することに快感を感じるし、また健康上もよろしい。われわれの肉体の組織が破壊されない以上、全盛期の市民社会の上昇期に獲得された、自分で考える習慣は抜けまいと思われます。
 同じ時期に、小説を読むことという快楽の中に持ち込まれた、自由意志を持った主人公という類型も消えません。この種の主人公が多く悲劇的な運命をたどるのは、この志向が公共の福祉と一致しないからですが、それが悲劇と考えられるなら、公共の福祉の観念に変更の余地があるのです。
 前世紀以来小説家には、高度の知性が要求されていますので、その知性が小説自身の批判に向かうことも自然です。小説の書き方についての反省だけとは限りません。時として彼の精神はロマネスクの破壊に向かうこともあります。バルザックの小説に時々露呈する流砂のような「社会」の力は、彼の諸人物の自由意志を無意味なものにしてしまうほど強力です。
 トルストイの「戦争と平和」に流れている「時間」もまた強力です。巻末に近く、子供を生みすっかり肥ってしまった、ロマンチックな女主人公ナスターシャの姿は印象的です。恋と死は常にロマネスクですが、結婚と出産は散文的です。ところがトルストイは結婚と出産を好んで書きました。この時すでに彼の精神は晩年の芸術否定に向っていたとも考えられるのですが、とにかく「戦争と平和」は以来凌駕されていない偉大な小説です。
「全体小説」と呼ばれる理想はこの方面にあります。深沢七郎の「笛吹川」は規模も小さく、道化てはいますが、死と出産の交替が、モチーフとなっている点で、異常な小説です。ところが彼の庇護者である正宗白鳥が、そのアンチ・ロマネスクなポーズに拘らず、現代では珍しい小説好きであることも、文学の世界の広さ、奇妙さを感じさせます。
 しかし小説家という職業は、人間の幸福の立地からすれば、危険をはらんでいます。人生をすべて小説的にしかながめられない人は不幸なのです。その不幸をのがれるにはいい小説を書くほかはありませんが、いい小説が必ず書けるとは限らないから困ります。その時真の不幸が訪れますから、注意を要します。」大岡昇平『現代小説作法』ちくま学芸文庫、2014. pp.244-249.

 深沢七郎まで出てきたが、やはりスタンダール研究家大岡昇平としては、「パルムの僧院」や「戦争と平和」「白痴」といった大長編「全体小説」こそ、読むに足るものとおそらく考えていたはずだ。その意味では、大岡自身の作品は「レイテ戦記」ぐらいしか大長編はないのだが、あの素晴らしい「レイテ戦記」は果たして通常の小説といえるのか?ちょっと疑問だが、小説かどうかなんてど~でもいいな。
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1 コメント

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砂の女 (jun)
2016-02-14 06:18:29
信州読書会に参加し始めた者です。
小説の作法や砂の女などを読み色々と調べていてこちらに辿り着きました。
貴兄の奇警のような、大岡さんの最後の長い引用は私もとても興味深く読みました。
突然で失礼しました。
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