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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

人の死、それに鶴見俊輔、佐伯啓思・・知の質

2015-11-07 20:35:00 | 日記
A.死ぬことの意味?
 昨日、義母(妻の母)が浜松の病院で亡くなった。すでに重篤な白血病だったので年内もつか、と聞いてはいたが、早朝というか深夜だったので、急遽浜松に行くことになった。大学で授業をやってから夕刻の新幹線に乗ったが、金曜日の夕刻は自由席しか取れず、異様な混雑で静岡までデッキで立つ破目になった。今日、朝から遺体置き場に行ってそのまま火葬場で骨にして、東京に持ち帰った。葬儀は改めて後日することになる。直系の親族は一人娘の我が家と、叔母に当たる故人の妹、ぐらいしか残っていない。だが、叔母は今アメリカ・ボストンにいて戻れない。遺骨を拾ったのはぼくの家族息子たちを含め4人だけだった。しかし、通常の哀しいとか淋しいとか、とは別の感情でぼくたちは骨を拾った。それはともかく、人がひとりこの世を去った、ということの意味は、その人に血のつながる人間にとってはそれなりに記憶の重さがある出来事だが、そうでない人々にとっては生きている人々の社会関係から儀礼としての葬儀が営まれる。
 人は誰も自分の意志とは別に、この世に生まれ、さまざまな人生を生き、ある日この世を去る。これも自分の意志ではない(自殺を別として)。ただ、死んだ人のことをいつまでも思っているわけにもいかないので、お通夜お葬式を営むことで、集約してけじめをつける実際的な必要がある。そういう必要から葬儀というものが、どんな社会でも行われる。資本主義社会においては、人間の終焉も営利事業と化す。葬儀専門の事業者が業界を形成する。これは誰もが避けられない運命である以上、一大産業になる。宗教者も不動産業者も高齢化社会の有望なビジネスチャンスとして、人の死を利益の泉として演出する。それはある意味で、仕方のないことである。
 しかし、人の死には別の意味もある。その人が経験し、考えたことが、後の人々になにか意味のある教訓、いや、教訓という言葉では漏れてしまうような人間の愚かさと賢さの実質を、伝えることができるのは、結局ことばしかない、のかもしれない。

「鶴見:日本の学問にとって、明治国家というのは巧みに作られた立派なものなんですよ。明治国家というのは、すごい装置なんです。
 わたしは癌に罹っていて、心臓の手術も二度やっているんですが、その辺の坂を上がるのが困難になってきましてね。坂を上がるときに自分を勇気づけるため、ふっと歌を歌うとね、
 〽遼陽城頭夜は闌(た)けて
が出てきてね、これ、歩調に合うんだ。あの歌、全部いえるんだ。なんだっけな。
そうそう、
〽霧立ちこうむる高粱のー高粱が出てくるんだー
〽中なる塹壕声耐えてーこの後、けしからん考えが出てくるんだー
〽めーざめがちなる敵兵の胆驚かす秋の風―
ね、けしからんでしょう(笑)
 でも、それがわたしの中にも入っちゃっている。日露戦争で橘中佐が死ぬときの歌。わたしが育ったときは、みんなが知っている歌。だから、一歳、二歳のときはそれを歌って遊んでいたわけだ。
関川:日露戦争の歌で遊んでいたんですか。すごいなぁ。昔だなぁ。
鶴見:そうそう。その中にいたんです。けしからん思想は、いま、わたしがそれと向き合ったところにいるつもりであっても、リズムとしてわたしの中から自然に出てくる。つまり、心臓の調子が悪くて、自分を勇気づけるために歩調を取ろうとして坂を上がろうとするとどういうわけか、その歌が出てくる。小学唱歌になり、その中にわたしは閉じ込められているということなんです。明治国家は実に巧みに日本という「樽」を作ったんです。
 その「樽」のなかに自分もまたいるんだね。もちろん東大もその中にすっぽり入っていて、その中で近代化を主張していた。しかし、そのことに自覚がないということが問題なんです。だから、東大教授になった、助教授(現・准教授)になった、助手になっても、大体みんな名刺を刷るでしょう。そして、名刺の交換をやる。文部省(現・文部科学省)の課長、局長と名刺交換をやる。三井・三菱みんなそうでしょう。この名刺の交換というのは個人がないということなんですよ。何々藩の何々のほうがましでしょう。
 ところが、一八五三年より前でいうと、ジョン万次郎(一八二七~九八)は十四歳の漂流者としてアメリカへ行き、船長に連れられて東海岸に行き、ものすごく真面目で成績がいいんだ。頭がいいだけじゃなくて、自分で身を立てなけりゃいけないと思って、桶屋の修業をやって、自分で桶を作れるようになった。すごい人間です。いまでもアメリカで住んだフェアヘーブンという小さい町の褒め者ですよ。
関川:あの人は土佐の漁師ですね。
鶴見:そうです。十四歳。なんにも教育がないんだ。
関川:コドモですね。
鶴見:万次郎というのは一個の個人なんです。ロシアの方に行った大黒屋光太夫(一七五一~一八二八)もそう。ロシアの女王エカテリーナ二世に謁見して、女王に強い印象を与えた。
関川:伊勢の船乗りですね。
鶴見:その話はセルゲイ・エリセーエフ(ロシアの日本学者。一八八九~一九七五)から初めて聞いたけども、この光太夫の前に伝兵衛という漂流民がいた。一八世紀初めです。彼らが、日本語の字引のもとを作って重大な業績を残している。個人ですね。
 どうして一八五三年以前に個人がいたのか。そして一八五三年以後、明治以後に近代的自我を目標として一生懸命、自覚のないままに、日本という「樽」の中で養成してきたんですね。で、個人はいなくなってきたんです。
関川:名刺を交換する人になった。
鶴見:そうそう。その欠落に東大教授は自覚がない。自覚なしの百年の「樽」の中。戦争が十五年続けば、彼らの思想が集団として崩れるのは当たり前でしょう。知識人としての思想性が、国家の思想性と同じ形をしているのだから。思想の借り物をブロックを積むようにやってきたからです。ヨーロッパで新しい人がでてきて、これが新しい思想だとなると、みんな同じような口調になるでしょう。例えば、社会学のスペンサー(一八二〇~一九〇三)がいいとなると、スペンサーを全部暗記できるわけ。日本だけですね、そういうことをするのは。アメリカやイギリスで、スペンサーを全部暗記できる学生なんていませんよ。ところが、日本ではペラペラペラ全部いえるわけだ。崩れるほどの個人はいない。
関川:祖述の鬼ですね。
鶴見:美人は皮一重というけど、それは皮一重の皮膚の上のお化粧なんです。顔を洗えば、それは剥がれるでしょう。その顔を洗ったのが戦争なんだ。十五年も顔洗ったら化粧はみんな剥げちゃう。だから「一億玉砕!」という思想に対しても、もっともらしく順応する。大学で美濃部憲法を学んでも、社会に出てね、裁判官になった人たちが全部、ファシズムの方へ行くのは当たり前なんだね。「樽」の中にいるんだから。
関川:一八五三年というのは黒船が来た年ですね。嘉永六年。維新は一八六八年。
鶴見:それより前には個人がいたんですよ(笑)。万次郎や光太夫みたいに。
関川:その前に個人はいて、黒船が来たとたんにいなくなっちゃった。
鶴見:そうです。黒船が来て、それから坂本龍馬(一八三五~六七)、高杉晋作(一八三九~六七)といった個人がものすごく努力して苦労して、その結果、死ぬんだけども、そのあと生き残った人、井上馨(一八三六~一九一五)にしても伊藤博文(一八四一~一九〇九)にしてもみんな個人です。
 その個人が努力して明治国家を作るんだけども、明治国家そのものがうまく「樽」になった。その「樽の船」で世界に漕ぎ入れたら、それがねえ、ゴタムの三賢人とかジャンブリーズの乗る船が沈むというのではなく、うまく航海がいった。そこには、世界の情勢が働いたというだけではなくて、驚くべき人間が船頭だったからでもあるんです。そこには個人がいたことは確かだけども、個人の偉大さというだけじゃなくて、「樽」の力が働いたんです、まだね。
関川:「樽」は個人が集って作ったわけですね。「樽」は中に乗せた人々を守ったけれど……。」鶴見俊輔・関川夏央『日本人は何を捨てて来たのか 思想家鶴見俊輔の肉声』ちくま学芸文庫、pp.022-027.

 嘉永六年には、日本の辺境の一介の青年漁師にすら西洋文明と拮抗する「個人」がいた。新生明治国家はがっちり「樽」を作って、帝国大学を作ってエリートを養成した。鶴見俊輔の父、鶴見裕輔は東京帝国大学法学部最優秀の金時計で、政権与党のトップ政治家である。その息子は、少年時代グレまくって日本の学校でははみ出してしまったので、アメリカに送られて小学校しか出ていないのにハーハード大学で哲学者になった。



B.知的エリートとは何か?
 いまの日本国の知的衰弱を端的に表す事実は、この国の指導的地位にある政治家が、知識や学問、人間の頭脳が蓄積した思惟の達成について、たんに政治の道具として、あるいは当面の経済成長にプラスになるかどうか、というレベルでしか意味を見出していないという情けなさ、知的貧困にある。いまさら言うのもなんだが・・、ヨーロッパの知的エリートがどういう教育環境の中で育まれてきたかをみれば、あるいは紀元前からの中国の文明が、どういうリテラシー選抜のシステムから鍛えられていたかをみれば、日本の教育の現状が深刻な危機にあり、その原因が政治指導者の知的劣化にあることは明らかだと思う。
 佐伯啓思氏の述べる意見に、もともとぼくは半分以上賛成できないが、この意見にはまったく賛成である。大学教育は本来、国民から選抜された1割の恵まれた若者に、将来の指導的役割を担ってもらうために、人類の普遍的・人文的教養を身につけ、個別の利己的利害や暴力的な無法を排して、全体の幸福をどうすれば実現できるか、というリベラルな理想を教えることから始まった。西洋では、10代の青年に古代ギリシャ、ラテンの文献を読ませ、ヘロドトスやホメロス、キケロやソクラテスの言葉を理解し、それが共通の教養として文化の基礎を築いた。西欧世界で、文化を語るということは、そうした知的遺産を当然知っているという前提で成立した。
フランスのグラン・ゼコ-ルや、ドイツのギムナジウムのエリート教育の中心は、こういうギリシャ・ローマの古典文学の知識であった。中華文明でいえば、科挙の試験を通るために学ぶべき訓練は、孔子孟子の儒教経典であり、国家経営の基礎的教養としての歴史であった。これらを身につけたエリートは、世俗の共同体、身の回りの世界を超えて、人類普遍の理想に向かって今ある世界をどのように変革するかを、構想する近代的人間になった。しかし、いまこの日本という国に起っていることは、それとは正反対の、金銭を稼ぎ出すことだけが人間の価値を決めるという、きわめて偏狭な思想であり、それが次世代の若者にのしかかっている重い現実だということである。

 佐伯啓思「異論のススメ」大学改革
「短期的な成果主義は無用:
 今年の3月、大学を退職した。毎年3月最後の会議で退職者は簡単なあいさつをする。そしてこの数年、多くの人の口から次のような言葉がポロリとでてくる。自分はかろうじて良き大学人の生活を送ることができな、これから残る人は大変だろうが、がんばっていただきたい、と。この嘆息とも苦情ともとれる口上が最近は恒例になっている。
 私も最後の数年、同様の間奏をもっていた。はっきりいえば大学は音をたてて崩壊しているようにさえ思える。表面的にみれば、どの大学もかつてなくダイナミックに変化し、社会の動きに必死で歩調を合わせようとしている。しかし、残念ながらその動向は、私などが考える大学ではなくなりつつある。
 つい先ごろも文部科学省が国立大学の人文社会系を縮小するという方針を打ち出し、大学側からの強い反発を招いた。文科省は誤解だというが、すでに地方国立大学では、先手を打たんと、学部の再編や新設などの動きを打ち出している。
 確かに、正面切って文科省が人文社会系の学問を不必要だといったわけではない。しかし、すでに事態は明らかにその方向へと動いていた。たとえば、2013年にだされた「国立大学改革プラン」では、「グローバル化」「イノベーション」「人材養成」が求められており、特に科学技術分野でのイノベーション創出を強くうたっている。そして、限られた予算の枠内で科学技術上のイノベーションを創出するには、人文社会系の分野を縮小して予算を捻出するよりほかなかろう。また「グローバル化」も「人材養成」も、人文社会系というよりは自然科学・技術系の分野により適合的であろう。

 端的にいえば、社会に役立つ学問成果を発信し、社会の役に立つ人材を育成せよという。この点で成果を示した分野には重点的に予算を配分するが、そうでない分野は縮小する、というわけだ。この動向は、すでに04年の国立大学の法人化から始まっていた。国立大学の法人化の動きは、もともと国の財政縮減を目的としたものであったが、また同時に各大学の独自性を高め、よりよい研究や教育の可能性を高めるはずのものでもあった。しかし、実際に生じたことはまったく違っていた。
 各大学は数年ごとに中期目標を設定し、その成果を評価に付され、それに応じて予算(運営交付金)を受け取る。一見したところ、各大学の自由度は大きくなるようにみえる。しかし、実際に起きることはどういうことか。
 たとえば、国がグローバル化や社会還元を重視せよ、といった大方針を打ち出す。すると、グローバル化や社会還元を重視せよ、といった大方針を打ち出す。すると、グローバル化の名目で留学生を多量に受け入れ、海外との学術交流に精を出し、学問の社会還元として公開講座を行い、学内イベントを頻発するといったことになり、そのために大学人は忙殺される。また、学問的成果、それも実践的成果を要求されると、こういっては悪いが、かなり底の浅い速成の「成果」が次々と量産されかねない。
 しかもこの方向での「改革」に対して予算が配分されるとなると、結果としてどうなるか。どの大学も概して似たような「改革」を打ち出す。文科省としては、各大学をただ改革競争へ駆り立てることで、大方針へ向けて大学を動かすことができる。かくて、大学は、徒労感を抱きつつも、もう10年以上もひたすら「改革」を続けているのだ。
 もちろん、グローバル化やイノベーションで「社会に役立つ」という方向が全面的に悪いわけでもないし、特に理系の先端分野では恩恵を得ている分野もかなりあるだろう。だが、この即戦力的な成果主義は、そもそも人文社会系の学問には合わないのである。

 人文社会系の学問の基本的な性格は、時には社会を批判的にみる目を養い、人間というものについての思考を鍛え、それを学ぶことで人生や社会生活をよりよきものにする点にこそある。一昔前には教養やヒューマニティと呼ばれた総合的な知識が基礎になる。それは、ある程度、現実社会から距離をおき、いくぶんかはゆったりと流れる時間のなかで行われるほかないものなのである。
 今日、われわれに欠けているものは、この種の人文的なものへの理解と関心である。そして、この関心の欠如はたいへんに深刻な事態だと思う。本来は自然科学の諸分野であろうと、グローバル人材であろうと、まずは確かな人文的な思考を前提にしなければなるまい。しかも、しばしば政治や経済の劣化が憂慮され、官僚の質の低下が問われるのなら、すぐれた政治家や官僚をうみだすためにも、短期的な成果主義とは一線を画した分厚い人文社会的教育の充実こそが求められるはずであろう。
 もっとも問題は政府の大学行政の側にのみあるのではない。大学の側も学問についての確かな見識を失いつつあるように見える。大学は、社会から距離をおく分、社会の動向からは多少ズレている。それは多忙を極め、常に成果を求められるビジネスの論理とは異なった論理と精神をもっている。これを特権といえば特権であろう。だからこそ、大学人には、そのことに対する自覚と自己規律が強く求められる。ところが、今日、現実の人文社会系の学問は過度に専門化して、分厚いヒューマニティからは遠ざかってしまった。学問が衰弱しているように見えるのである。だがその点はまた稿を改めて論じてみたい。」朝日新聞2015年11月6日朝刊17面オピニオン欄。

 すでにぼくと同年生まれの、名門京都(帝国)大学を定年退職している佐伯氏はもとより、第2次大戦後の日本のベビーブームで繁殖した団塊世代で、幸運にも大学に教員として職を得た人間は、なんだかんだいってもこの人類世界史上空前の物質的に豊かな社会で、アカデミズムを建前に「人文的教養」を金に換えて生活できる時間を獲得した。同じ境遇にありながら、そこに潜り込もうとして潜り込めなかった仲間たちには、ある種の負い目、申し訳なさを感じつつも、この国の権力者たちが、源氏物語からドラえもんまで日本文化を自分勝手に自慢しながら、いつも文化芸術をまともに理解する知的態度をもっていなかった、ということは、この国の教育と未来に深刻な堕落転落を予想することを避けられない、とぼくは思う。
 日本の高等教育は、いまや同世代の若者の50%に及んでいるし、労働市場では非正規雇用は40%に及んでいるのだとすれば、働いて自立した生活を確保するための教育が若者の60%に与えられるべきだ、という要求は正当だ。そして同時に、知的な教養を国民の1割の有為な若者に施すことは国家の将来にとってきわめて重要だと思う。その教育の中身は、すぐ役に立つ工学やビジネスや金融の知識ではなくて、欧米のエリート・リベラル・アーツがやってきたような、ギリシャ、ラテンの古典文学、数学や芸術の抽象世界、中華文明のやってきた儒教漢字漢詩の文字解読、経世済民の知的言語の訓練なのである。現在の日本文部科学省が、将来の子どもに教え込もうとしている内容は、人類の英知につながる西洋文明とも東洋文明とも縁の薄い、目先の金銭的実利的ユーティリティに役に立つか、すべての問題は技術で解決できるという根拠のない偏見を教えることでしかない。
 それは、日本の政治的・経済的中核を担う指導的人物が、どういう「教養」を持った人間かが、グローバル人材養成を謳う要であるのに、単に英語会話力のポイントや偏差値ランクの入学試験の成績で選抜している日本の偏狭なシステムが、人間としての馬脚を露す例は枚挙にいとまがない。別にキケロの弁舌やシェークスピアの台詞を知らなくても、自国の紫式部や芭蕉の作品について何一つ語れない政治家は、対話の相手になる資格がない、ということを文部科学大臣は解っていなければならない。プロレスラー出身だからといって、歴史も文学も知らないなんて言い訳は、国際社会で通用するわけがない。自国の文化と歴史について、最低限の知識と教養をもつことはその国の教育の質を試されると思う。
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