日本の進路を考える

戦後70年が過ぎてもいまだに自立できない日本を考える。

振り返ればアマチュア合唱の在り方を

2015年12月03日 | Weblog

芋は田舎の姉から頂いたものをふかした写真。美味しい。

さて、故人は結婚して社宅に入ると直ちにそこらの奥様に声をかけて経験のあるなしにかかわらず、当時は若い主婦のサークルとして合唱団を立ち上げた。その後、社宅外の方々にも声をかけ、自分は二度引っ越しても通い続けて地域の方々と40年続けてきたものだ。その間、横須賀でも同様にオバサンコーラスを立ち上げ、亭主の所属する職場の男声合唱と合同演奏会をやったり、自分たちの演奏会をハチャメチャに楽しんだり、色々なことがあった。

そちらのコーラスグループも社宅から地域のモノに広がり、現在も続いているようだ。その二つのグループの発声から指揮まで自分も勉強しながらやっていたが、その考え方はアマチュアが集まり自分たちで考えてやりたい音楽を作ることであった。実に分り易い話なのだが、面白いことにある時期が来るとどちらも先生に頼んでもっと高度な音楽をやりたいと思う人が出てくるらしく、はたから見ていて笑っていたが、本当に二つとも指揮者を外されたのだから面白い。一つはピアニストの反乱であったのだから凄いのだ。

一度だけ、コンクール風のモノにその手の先生に振って頂いて参加した後で、私なら賞を取って見せるのにと憤慨していたのを思い出す。事実それまでは審査員特別賞など頂いていたのだから。素人コーラスを指導してくれる先生のレベルを考えると当たり前の事なのだ(笑)これに関しては最近憤慨したことがある。

ご自分もソロ歌手でトップクラスのオケとの競演やソロリサイタルをやり、沢山のコーラスの指導をする先生のご指導の現場をある縁で見学したことがある。発表の場に向けた歌の練習であったが、ピアノつまり小さくそっと歌う所をガンガン大きな声で歌うので、どうしてピアノを聴かせないのかなぁと不思議であったが、プロから見るとこの集団では無理だと指導しないのだと言うので呆れた。故人もこの方の指導法は参考になると勉強していたらしいのだが。

我々男声合唱ではPPからFFまでの音量の微妙な表現に歌う面白さを感じているのであるが、女性コーラスでは無理だと言うのだ。ホントかなとおもっていてそういえば、彼女が立ち上げた三つ目のアカペラを目指す女性コーラスと故人を送るための混声の合同演奏の練習で、PPで出るところを大きな声で歌うので何度か注意したが反応が無くて困った記憶があるのだ。昨年の夏のことである。無理なのよと言う話であったが、そうかなぁ。教えていない?できない?ほんと?といまだに疑問である。

彼女は我々の大学OB男声合唱で、PPは自分の声が自分に聞こえたらだめですよという指導をして東京男声合唱フェスティバルで四年間振って居なくなったのだ。この合唱団の指導でもアマチュア同士、どういう風に歌いたいのと問いかけていた。つまり自分の考えはあるが、皆さんの考えはいかがですかという音楽の作り方なのだ。もともと癖のある集団でもあり、自分の考えを口にすることの多い、指揮者とは対等な感覚で歌うので、こういう雰囲気には素直についていける集団である。

しかし、上に述べたように名前のある人に頼んでただひたすら言われたままに歌いたい人も多いようだ。そこがプロの出番だと言う感じなのだろうか。結局言われたままに自分たちのレベルに合わせた歌作りをされるだけで、終わってしまうのではなかろうか?とも思った。

個人的にも発声の指導で言われた通りにしないなら教えないと断られた。アホな。こちらも生身の人間で70年間生きてきてそれなりの経験も考えもあり、技術は無くても考え方が理解できないことをそのままはやれないものだ。プロになる人ならわかるが、某教授に師事したと書くようなレベルを目指すわけでもないのだから。言われたことでその通りと思うことをやってなるほどと納得するのでなければ、なかなかついてはいかないと思う。

下手なゴルフとまるで同じだと気が付いた。だから上手くならないんだよね(笑)でもゴルフの評価はスコアであり、数字ではっきりするが芸術点は無い。音楽や絵画はあくまでも聴く人見る人の感覚の問題、横並び、人と同じが好きな日本人は、といろいろ書きたくなるからやめる(笑)。

 


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