◆対談者
長谷川先生の城郭ビイスタ論
動画全国の人々がみておられ
5800回を突破する視聴数です。
◆対談者
最近の投稿で非常に驚いた事
は武田勝頼の医王寺陣城自体
が城郭ビイスタを用いて作ら
れている事を知り武田家自体
の築城術を知る事が出来ます。
◆リンク記事の見方
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◆長谷川
困ります。武田勝頼の陣城
医王寺陣が純然たる武田の
縄張の特徴とは私は言い切
てはいません。冷静に投稿
を読んで下さい。
◆質問者
本格城址見学者にとり越後荒戸
城は憧れの的といえる城址です。
この城に城郭ビイスタは存在す
るのでしょうか?城郭研究的な
見地からは非常に興味あります。
※越後荒戸城概略※
天正6年(1578年)上杉景勝が築城
景勝は関東からの援軍を阻止する
目的で三国街道を見下ろす要所に
築城し。築城は家臣の深沢利重、
富里三郎左衛門な等により行われ
天正6年(1578年)北条氏の為に落城、
翌天正7年(1579年)景勝が奪還して
再び攻め落とされた城郭遺跡。
◆対談者
という事で日本海側の上杉
の築城術も関東後北条の築
城術も読み取れると思いま
が先ず越後荒戸城に放射腺
状縄張技巧「城郭ビイスタ」
理論が適応され読み取れる
るかズバリ長谷川先生今回
御教示をお願い致します。
◆長谷川
先ず中央ビイスタ工法が存在
します。城の中心点を決めて
放射状縄張した痕跡を読み取
る事です。見事な幾何学的な
荒戸城だと高く評価されます。
◆反論者
そんな城郭理論は明治大正
昭和平成の城郭図書や令和
の城郭図書には全く登場は
していませんよ!城郭幾何
学論、ビイスタ城郭学など
虚構の世界ではないのか?
◆みんな
でも安土城天主台に登って
安土城天主は中央ビイスタ
と解説される明治大正昭和
平成と登場した凡百の城郭
研究家達の着想から一線を
画した素晴らしい城郭理論
これを理解し会得して行く
人々は我々米原『城歩会』
にあると思うのです。中国
では食は広州にありと言う
城は米原『城歩会』だと言え
るほど高い水準を持ってる。
我等が求める城郭道の真の道は
米原『城歩会』が本命本道だ!
米原『城歩会』の評判が本命!
◆学識経験者
学問や研究は俗世の人々や
巷間のウサワとは別の次元
です。冷静謙虚の精神自体
を持ち合わせていないと城
つまり城郭遺構を見てない
語れない事になる浮かれ浮
かれて城山に遊びに行く事
は本来は学問の世界でない
行楽観光の世界と言えます。
人々の生活のなかで観光や
行楽は産業として重要位置
を占めるが学問こそ大切!
▼荒戸城 扇型ビイスタ工法
◆長谷川
越後荒板城のビイスタ解説
を続けます。上図ビイスタ
を理解できる人は綾取りや
糸取りを経験された御婦人
方だと思います。そうです
糸取りの「熊手の形」です。
城の縄張の解明の糸口とは
ビイスタ工法がカギを握る
さて築城の事は日本で当然
「城取り」と呼ばれて来た
経緯があります。仕事計画
が段取りであり城は地取り
から始められまれ起工式も
鍬入れも存在し地縄張自体
も存在します。日本国城郭
の測量文化を無視して何の
城郭研究と言えましようか?
城郭ビイスタ論を解る理解
されるのは「糸取り」した
世代の女性陣かと思います。
▼越後荒戸城扇型ビイスタ
▼越後荒戸城 重複型ビイスタ
▼検地測量術
▼纏向宮殿遺跡ビイスタ工法
▼徳川家康ビイスタ工法近江永原御殿
▼中国殷代の鄭州商城のビイスタ工法
▼令和4年の講演の過去写真
▼越前朝倉義景館のビイスタ
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