名古屋城の鑑賞 彦根城の鑑賞 その秘密
◆対談者
長谷川先生が東近江市能登川
町の法堂寺遺跡に連れて行っ
ていただいて勉強なりました。
◆一般者
白鳳期の寺院遺跡を見て一体
何になると言うのですかね?
◆長谷川
私は無駄な見学はしてません。
全て関連付けた学習の為です。
法堂寺遺跡はおよそ1300年前
に、能登川周辺を治めていた、
大きな財産や勢力を持つ一族が
建てた寺院です。この廃寺では
鴟尾(しび)瓦が出土してます。
▼法堂寺遺跡の鴟尾(しび)
◆ウイッキペデイア
鴟尾(しび)とは、瓦葺屋根の大棟の両端につけられる
飾りの一種である。訓読みではとびのおと読む。沓(くつ)
に似ていることから沓形(くつがた)とも呼ばれる。鴟吻
(しふん)とも。
概要
[編集]では大棟の両端を強く反り上げる建築様式が見られ、これが
中国などの大陸で変化して3世紀から5世紀頃に鴟尾となった
、よく雨を降らすインドの空想の魚)の形等へと変化していった。
瓦の伝来に伴い、飛鳥時代に大陸から日本へ伝えられたと
考えられている[1]。火除けのまじないにしたといわれている。
材質は瓦、石、青銅など。
◆長谷川
奈良の大仏伝上にある左右の鴟尾
(しび)瓦も仏殿建築の基本です。
◆長谷川
法隆寺夢殿にある玉虫の逗子
を見ても左右に鴟尾(しび)
が表現されています。
◆長谷川
どの様に仏殿仏閣を知識を
持たない人でも両者の正面
は絶対解ると思っています。
中世にいたると日本の仏殿
は主に禅宗寺院の寺院楼閣
に持ち入られ鴟尾(しび)
とは言わずに鯱矛と言われ
るようになります鯱矛には
オスとメス「雌雄」の2対
が一組になるのが原則です。
◆長谷川
彦根城の天主閣も改めて見て
ましょう。南北栄えの天守閣
ですから彦根城の正式な見方
の方向は彦根駅からではなく
彦根の北と南から見た天守閣
楼閣としての正面と言えます。
彦根城の大手門は従って彦根
城の南下にあり表門は別称で
す。城の正面は大手門方向!
改めて彦根城を見ると寺大工
の流れを汲む仏殿形式の楼閣
◆長谷川
彦根城にビイスタが存在する。
◆長谷川
高崎城もビイスタが存在する。
◆長谷川
名古屋城の大天守金の鯱矛
左右一対に見えます。これ
実は築城者のイデアの中の
正面なんですよ天守見る時
左右に鯱が見える景観こそ
大事なんです。東大寺大仏
殿彦根城名古屋城唐破風の
位置を上層の上に正面に持
ってきている。名古屋城を
鑑賞するには何を考えたら
ええか?もう一度考える事
なんですよ。天守の金鯱を
見なきゃ名古屋城見物した
事にならん訳です。どう?
名古屋の城をみるべかと?
ビスタ理論で考えると縄張
設計者の藤堂高虎の楽屋裏
が丸見えになって来る名古
屋の城単純に出来ている様
でそうではない!城は深い。
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