初場所で、コメントを求められた横綱白鵬が、
ちょっと遅れ気味に立ち、タイミングをずらして得意の組手に持ち込む
いわゆる後の先について、平成は白鵬で昭和は双葉山 と言ったとか。
本当かどうかは、コメントの映像を見ていないのでわからないが、
双葉山に自分を重ねてしまうあたりに、そしてそれを自分で語ってしまうあたりが
古くからの相撲ファンからそっぽを向かれ、品格云々と、いつまでたっても言われるゆえんなのだろう。
普通の日本人力士ならば、恐れ多くて言えないようなことを平気で言ってしまう。
そういうことは、後々書物や何やらでついてくる枕詞であって
たとえ思っても、自分から言うことでは決してない。
よく政治家が、後世の歴史家が判断することでしょう なんて言うが、
まさにそれ。
称える言葉は、後から自然とついてくるもの。
日本国籍を取らぬまま、一代年寄りとして親方になりたいらしいが
古くからの伝統、しきたりすら守れないなら、一代年寄さえ与えるべきでは無い。と思う。
強い、強いけれども”横綱”では無いんだな。
驕れるもの久しからずである。
ちょっと遅れ気味に立ち、タイミングをずらして得意の組手に持ち込む
いわゆる後の先について、平成は白鵬で昭和は双葉山 と言ったとか。
本当かどうかは、コメントの映像を見ていないのでわからないが、
双葉山に自分を重ねてしまうあたりに、そしてそれを自分で語ってしまうあたりが
古くからの相撲ファンからそっぽを向かれ、品格云々と、いつまでたっても言われるゆえんなのだろう。
普通の日本人力士ならば、恐れ多くて言えないようなことを平気で言ってしまう。
そういうことは、後々書物や何やらでついてくる枕詞であって
たとえ思っても、自分から言うことでは決してない。
よく政治家が、後世の歴史家が判断することでしょう なんて言うが、
まさにそれ。
称える言葉は、後から自然とついてくるもの。
日本国籍を取らぬまま、一代年寄りとして親方になりたいらしいが
古くからの伝統、しきたりすら守れないなら、一代年寄さえ与えるべきでは無い。と思う。
強い、強いけれども”横綱”では無いんだな。
驕れるもの久しからずである。
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