ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

トランプ レジデンス タワー

2017年01月19日 | NEW YORK

 ニューヨーク、マンハッタンに聳えるトランプレジデンスタワーに仕事で行って来ました。ここはニューヨークを飾る摩天楼の一つであり、ドバイに高層マンションが建設されるまでは世界一高い高層レジデンスでした。このトランプタワーを下から見上げると光がが反射して輝きその先端は青い空に溶け込むのではないかと感じる程の外観。しかし、ビルの中の部屋はコンテンポラリーというよりもビクトリアンという感じで落ち着きがあり、ここが琥珀の箱の中の空間である事を感じさせない。 

 

 明日、トランプアメリカ大統領が就任する。嘗てトランプは『私が大統領になる時はアメリカが衰退し始めた時だ。』と語った。そしてその現実がやってきたのだ。ニューヨークのトランプタワー郡はトランプ氏の持つオーラの形の様だ、それは大きく堂々として富と力を示している。そのトランプ新アメリカ大統領が取り組むのは時代の流れとして理解されているグローバリズムの流れへの挑戦である。もし我々が今の世の中が何か分らないけど衰退しているんじゃないのか?と感じるならばそれはグローバリズムの流れが飽和状態に近くなった現象なのかも知れないと感じている。時計の振り子が右に最大に振れて左に向かって方向転換する時が今の宇宙時間なのだろうか? トランプがアメリカ大統領に就任したという現実の現象は木を観て森を観るかの様に時代の変化の始まりの象徴を示している。果たして、トランプは時の人なのだろうか? ...その答えは数十年先の未来にお預けではある。

 

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凍て付く一月のニューイングランドの森

2017年01月16日 | 日記

 先週は仕事で冬のニューイングランド地方を700マイル(約1100キロ)3日間に渡って車で走って来ました。最初はこの季節に北に行くという事で寒さに対する恐怖がありニューヨークでさえこれほど寒い(氷点下10度)というのに更に緯度の高い北部への旅は臆病にさせられた。今回はニューイングランドの中心の街ボストンへ。そして、そこから2時間程北西に走りニューハンプシャー州の寂しい冬の森の中を目指す。

 

 ニューヨークから北東へフリーウェイを飛ばして5時間、最初の目的地であるボストン市街に入った。今年の一月のボストンは降雪も無くニューヨークと同じ様な光景。たまたまかどうかは知らないがこの日は小雨が降る平年よりも暖かい気温でホッとした気分であった。ボストン市内のフリーウェイでは夕方の交通渋滞にはまりのろのろ運転を余儀なくされるが運転していたドライバーは渋滞はニューヨークで慣れており、ノープロブン!を連発していた。

 

夕方の7時頃予約していたホテルにチェックイン。

そして、

この夜我々を待っていたのは...。

 

伊多利屋ん海鮮料理でした。 

旅を楽しくさせるものは、食事なのです。

 

 ボストンから更に北上すると褐色だった冬景色が緑色に変わってくる。葉を落とした広葉樹の森から常緑樹の新緑樹に植物体系が変わる。針葉樹の森には精気を感じる。木を観て森を見る、森を観て山を観る。起伏とコーナーの続く道を走りながら通り過ぎる景色を愉しむ。

 

 ニューハンプシャーの森は積雪こそ少ないが凍て付いていた。路に捲かれた凍結防止のカリウム(塩)で路上は白く車は砕かれたカリウムの白煙を起てて走る。この辺りの道は未舗装地も多く冬は積雪でぬかるむか凍結しているかだ。

 

 森の中の町と町との間隔は車で30分である。町といっても商店街などは無い、ガソリンスタンドも無い。ジエネラルストアと呼ばれるコンビ二の様な場所が一件あるだけが町の中心であったりする。地元の人々はこういった場所で食事をしたり生活用品を購入したりしている。この日は昼食を得る為に40分森の道を彷徨ってこのジェネラルストアに辿り着いた。店員の人々は気さくでとても親切だった。ここで食したサンドイッチとコーヒーは美味しかった。しかし、値段がニューヨークのマンハッタンの中心と変わらなかったのには驚いた。森の生活というのは意外と金が掛かるのかも知れないと感じた。

 

 そのジェネラルストアの横の入り口が郵便局。小さな建物なのだがここが町の中心なのだ。

 

 

 

 ニューヨークの一月というのは寒く暗く、気持ちは常に南に向く。そういった中で今回は北に足を運んだ。僕は今まで寒さに背を向けていた、寒さから逃げたい気持ちがあった。そして冬の季節に対してはネガティブな感情を持ち、スポーツにしても車の整備にしても寒いが故に出来ない事も理由にあった。ニューハンプシャーから還ってきて山々の緑の精樹から力をもらったからかも知れないが、冬や寒さから逃げるという気持ちや姿勢を改めてみようと思った。前向きに冬を愉しもう、寒さを受け入れよう、寒い時にこそ北を向こうなどと思ったりした。2017年のこの冬はまだ続くがそこに生きる自分は既に北を向いているので、既に今年の冬は克服出来たんじゃないかと思ったりしている。

 

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極寒の冬の意味を訊ふ

2017年01月10日 | TURTLE ISLAND (亀の島)

 先週の土曜日に積もった雪が寒さの為に解ける事無く留っている。北風が吹く度に体積した粉雪が風に舞い容赦なく吹きかかる。今年も極寒の冬の中にいる。暖かい部屋にいると外の寒気は忘れてしまうが多様の用事毎で外の外気に触れざるを得ない。氷点下15度の極寒の中でも凍て付いた30年越しのランドクルーザーFJ60を始動させ、寒さの為に温まらない室内で白い息を履きながら走る。暖かい季節だと窓を全開してランクルを駆るという気分だが極寒の中ではランクルで移動するという表現しか出てこない。

 

 ランクルに乗っても殆ど温まる事が無いので冬は辛い季節である。ならば、寒さに耐える事の意味や意義を明確に持つ事によって、厳しい寒さを経験する事はこ~んなに素晴らしい意味があるんだよ。という事を自分に納得させなければ成らない、そうすれば極寒のニューヨークの冬を耐え忍ぶ精神的な支えとなるはずだと思った。

 その意味や意義を得る事は難しい事では無かった。それはこの地方の幾つもの冬を近代的な暖房器具を用いる事無く過ごしてきたネイティブアメリカンの言葉にそのヒントはある。彼らはこの長い極寒の冬の季節をどの様に忍び耐え抜いてきたのであろうか?2017年の冬の一月も今から300年前のこの地方の冬の一月もそれ程大きな寒さの違いがないとすれば、近代的な服も家も暖房器具も無い彼らは冬という期間をどの様に捕らえたのであろうか? 

 

 名も無いあるネイティブアメリカンの冬の証: 毎年冬が来ると親父は子馬を駆ってバッファローを追った。バッファローを殺すといつも親父はまだ暖かい肝臓を生のまま食べた。それから父はバッファローの内臓の中へ手を突っ込んで手を温めたもんだ。その後皮を剥いで肉を切った。何一つ無駄にはしなかった。親父はその肉を家に持って帰って鉤にぶら下げた。その冬中肉はどっさりとあった。

 ...意外とネイティブアメリカンが過ごしていた冬は今僕が過ごしている冬よりも暖かく過ごしていたのかも知れないとも思った。燃料である薪さえ切らせなければ確かに焚き火の火は暖かい。では、北アメリカに住むネイティブアメリカンは冬をどの様に捉えていたのであろうかという本日の問いだが、そこには季節が巡る自然界から学ぶ人生哲学があった。春が冬に始まり、死が誕生によって始まる事を忘れさせない為に厳しい冬がやって来るのだという教示。寒い冬は死を感じる為の季節なのだ。それ程頻繁にそして定期的に繰り返し極寒の冬を経験する事によって生という事の意味が分ってくるものなのだ。この冬という季節が無ければうっかり忘れてしまう、と無名のネイティブアメリカンは伝えている。毎年やってくる冬にはそういった意味があるのだ。暖房の効きが悪いランドクルーザーに乗っているとその伝えの意味がよく分る気がするのは恵みなのであろうかとは思う。生死感を理解する為に今日も震えながらランクルで移動しています。

 

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ファーストサン ファーストラン

2017年01月02日 | 日記

 

 元旦は快晴であった。仕事と天候と寒気故に2週間ほど自転車トレーニングが出来なかったが元旦の朝は出来ない理由が見当たらない。レーシーなジャージに腕を通して郊外の冬の森の中を駆け抜ける為に出かけた。久し振りの有酸素運動で肺の中が刺激されているのか直ぐに呼吸には鮮血の気が漂う。70分程全力で走って汗ばみいつものカフェで今日はコカコーラではなくて蜂蜜をたっぷりと注いだダブルエスプレッソを注文した。丸椅子に腰掛けてサングラスをはずすとカフェの中はスキー場のカフェテリアの様で同じ様な行動を取っている多くのバイカー達がカラフルな衣装をまとってうろついていた。今日はバイク(自転車)日和なのだと思った。ニューヨークに繋がるジョージワシントンブリッジの上を走りながら二回目の休憩を取った。それは、そこから観るニューヨークの景色があまりにも美しかったので衝動的に手足を止めて暫く水の上に浮かぶ蜃気楼の様な遥かなる街の風景に見惚れた。

 

2017年1月1日御昼頃のマンハッタンニューヨーク

 ニューヨークの街というのは仏様の手の平に乗っている。そこで繰り広げられる様々なストーリーや人間模様、そしてビジネスなどのディテールはこの太陽と水の惑星にとっては全て寄生的な出来事なのではないかと思った。太陽には太陽の秘密というものがある。地球から見る太陽は人の心の形を現しているという事だ。太陽は何も語らない。しかし、太陽は全てを見ており全てを知り、見守り育む。それはまさに神の形容でもある。

 自宅に戻る最後の坂を時速60キロ位のスピードで飛ばして下っている途中に右足の太ももが蔓りそうになった。コーナーでの踏ん張りが利かずにヒャッと感じた。耐えに耐えて自宅に到着し自転車から降りた途端に両足がつったっ!動けん!暫く道のコンクリートの上でしゃがみ込み何とか足の蔓を解除しようと必死でもがいた。それは無様な光景だった...。

 今年も走る、風を感じる事に甲斐を求めていきたい。それが自らの心の嗜好であると認めている。その嗜好はひょっとしたら太陽からのエネルギーを受ける為の手段ではないのだろうかと思ったりしている。

 

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2017 あけましておめでとうございます

2017年01月01日 | ロクマル日記

 今朝のニューヨークは快晴で眩しいオレンジ色の太陽の光が窓から差し込んできた。昨年は仕事に追われた一年であったが忙しくも充実しており悔いは無い。今年も目の前のやるべき事をこなすのみだが、そのやるべき事の枝を増やしてゆきたいと思っている。

 今年2017年は我がシルバーの1987年製のランドクルーザーは30年を迎えた(20万マイル、32万キロ)。そしてレクサスLX450(ランクル80)は1997年製なので20年となった(16万キロ、26万キロ)。所有する3台のランドクルーザーの走行距離の合計は66万マイル(106万キロ)となり年式の合計は82年となる。今年も継続して修理やメインテナンスは必要だがオーナーの意思もあり現役で頑張ってもらう事になる。

 昨年秋から物の耐久性というキーワードが頭に貼りついた。耐久性に関する考慮は現在乗っている自転車のロードレーサーでもっと早く走る為にトレーニングと兼ねて自転車の軽量化、つまり新しいロードレーサーを購入する事を視野に入れているからである。そして、考えさせられるのはロードバイクのフレーム素材である。自転車のフレームは走りにダイレクトに影響する。その耐久度もカーボンならヨーロッパのプロ選手は1年(1シーズン)、ニューヨークのロードマン達は3年位を目安にして使用している。アルミフレームも3年程でその鋭い持ち味が消耗されると聞く。即ちフレームは形はあっても歳月と共に持ち味は変化するものなのだという理解が自転車乗りにはあるのだ。最近の自転車は軽さを選択し耐久性は消費者に買い替えを理解させる事で重要度は低く抑えられている。

 ランドクルーザーに乗っていてフレーム素材が走りに影響しているという自覚は無い。ラダーフレームの鋼性は使用時間と共に落ちて行くのであろうが、鉄の剛性は限界まで落ちるとそこで止まりそれ以上の力が加わらない限りその状態をキープするという性質がある。使用年間や錆び等によっておそらく我がランドクルーザーのフレームはその限界の所まで落ちて落ち着いているはずだと考えられる。自転車の短い使用期間の設計と異なってランドクルーザーのフレームは10万キロ走って鉄の剛性が落ちて止まった所から使用する事を考慮しての設計だったのかも知れないと思ったりしている。

 

 今年もランドクルーザー200で行きます。

 *ロクマル+ロクマル+ハチマル=200

 

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我がランクル車検必要無し

2016年12月28日 | 日記

 州の陸運局(Motor Vehicle Commision)から一枚の手紙による通知が届いた。新しい車検に関するプログラムによってあなたの所有するランドクルーザーFJ60は車検の対象外となりました。速やかに窓に貼り付けられた車検ラベルを剥がしてこの通知を車内に携帯して下さい、という旨である。車検が無くなった事に対して嬉しいような疎外されたような複雑な気持ちではある。アメリカの幾つかの州において執行されつつある旧車に対する新しい法律は旧車所有に対する自己責任を追及するものでもあるが、同時に旧車所有に対する壁がより低いものとなった。だからかどうかは知らないが、以下のニュース記事は自動車メーカーの旧車に対する理解の流れである。

 

 

メーカーによる旧車復活がブームの兆し

2016  12, 17

100年以上に及ぶ歴史を持つ英国のプレミアムブランド、アストンマーティンが興味深いプロダクトを発表した。往年の名車「DB4 G.T.」を限定再生産するというのだ。同モデルは1959年から1963年まで生産されたモデルで、再生産されるのはそのライトウェイトバージョン。当時の生産台数はわずか8台で、現存する車両は300万ポンド、つまり約4億4,000万円を超える価格になっているという。

今年3月には、ジャガーが60年も前の名車「XKSS」を再生産すると発表し、11月にそのプロトタイプを発表したばかり。これは、1957年に製造工場の火災によって焼失した幻の9台を蘇らせるという、ロマンあふれるプロジェクトだ。同モデルはボディがマグネシウム製なのだが、これも完全に再現するという。

 

どちらも想像を絶するようなすごい話だが、しかしなぜ自動車メーカーが大昔のモデルをあえて生産するのかと、疑問に思う人もいたかもしれない。じつはいま、欧州のプレミアムブランドでは、ちょっとしたヒストリックカーブームが巻き起こっているのだ。

○ベンツ、BMW、ポルシェ、フェラーリ…続々とヘリテージ部門が誕生

いま欧州のプレミアムブランドでは、次々とヘリテージ部門が設立されている。ヘリテージとは「未来に伝えるべき文化的遺産」を意味し、そこでは古いモデルや資料を保存し、ユーザーの要望に応じてレストアするなどの業務が行われている。

その草分けは、1993年に「オールドタイマー・センター」を設立したメルセデス・ベンツだろう。同部門はユーザーの依頼を受けて、高い技術でヒストリックカーをレストアする。ヒストリックカーはパーツの入手が困難で、完璧なレストアのためには、入手できないパーツを作るところから始めなければならないなど、高い技術が必要になる。しかしメーカー自らが手がけるのだから、これ以上に心強い話はない。

 

しばらくの間、このメルセデス・ベンツの取組みに追従するメーカーはなかったが、2010年にBMWが「BMW クラシックセンター」を開設。やはりユーザーの依頼を受けてヒストリックカーのレストアを行っている。ポルシェも「ポルシェ・クラシック」を開設した。ポルシェの取組みは独特で、レストアを行うだけでなく、ヒストリックカーのパーツの供給、ヒストリックカーにマッチしたタイヤ、エンジンオイルの販売、さらにはクラシックポルシェに取付け可能なカーナビの販売まで行っている。

一方、イタリアでも同じような動きがあり、フェラーリは2006年に「フェラーリ・クラシケ」を設立した。レストア、メンテナンスサービス、技術的なアシストに加え、フェラーリのヒストリックカーに鑑定書を発行する業務も行っている。比較的に新しいブランドで未来志向なランボルギーニでさえも、2015年にヒストリックカー部門として「ポロストリコ」を設立した。

 

こうした「メーカーによるヒストリックカーのレストア」からさらに一歩踏み出し、往年の名車を再生産するという決断をしたのが、英国の名門ジャガーだ。

ジャガーのヒストリックカー部門である「ジャガー・クラシック」は2014年、数々のレースで優勝を飾った伝説の名車「Eタイプ・ライトウェイト」を再生産した。これが大きな話題を集め、冒頭に紹介した「XKSS」の再生産へとつながる。そして、アストンマーティンもこの流れに乗ったわけだ。

○なぜプレミアムブランドだけ? - ヒストリックカーの再生産は困難が伴う

カーマニアの間では、「●●をそのまま再生産してくれたら絶対売れるのになあ」といった再生産待望論がときどき話題になる。「ハチロク(AE86)をもう一度売ればいいのに」とか、「ハコスカをまったく同じデザインで復活させてほしい」とか、そういった話だ。

 

冗談でなく本気で再生産を熱望する人も多いようだが、これは無理な相談というものだ。自動車を生産するにはさまざまなルールがあり、現代はそれが非常に厳しい。かつての「ハチロク」そのままのボディを再現しても、衝突安全基準をパスできないから、公道を走ることはできない。パスできるようにボディを改造すれば、重量が大幅に重くなるので愚鈍な走りになる。

もちろん、エンジンをパワーアップし、オリジナルモデルと同じパワーウエイトレシオにすることは可能だ。しかし、そうすると乗り味は別物になる。1,000キロで100PSのクルマと、1,500キロで150PSのクルマは、パワーウエイトレシオは同じだが、乗り心地やハンドリング、クルマとしてのキャラクターはまったく別物になるという、当たり前の話だ。

ならばデザインだけでも……という人もいるかもしれないが、それも無理だろう。往年の人気モデルによく採用されているリトラクタブルヘッドライトは、現在の基準では認可が下りないし、衝突安全基準をパスする強度を実現するには、ピラーを太くしたりガラスエリアを小さくしたりする必要もある。

 

そうした問題を仮にクリアできたとしても、コストの問題がある。現代のクルマは部品の共通化でコストダウンを図っているが、古いモデルを復活させるにはプラットフォームもさまざまなパーツも専用に作らなければならない。

それほどまでにヒストリックカーの再生産が難しいなら、前述のプレミアムブランドはなぜそれが可能なのか。答えは簡単で、これらのモデルは公道を走ることを考慮していないからだ。「Eタイプ・ライトウェイト」と「DB4 G.T.」はサーキット向けモデルとして販売されるし、「KXSS」については詳細不明だが、現代の市販車としての基準を満たしていないことは明らかだ。

ただし、米国では25年以上前に生産された自動車と共通した外観を持つレプリカの車両には安全基準が免除される法律が制定されたため、「KXSS」が公道を走ることは可能だろう。ちなみに、この新しい法律のおかげで、デロリアン「DMC-12」が再生産されることが決定したという。コストの問題も、プレミアムブランドはこれを解決する必要がない。「XKSS」は100万ポンド(約1億4,100万円)前後の価格になるとみられるが、あっという間に完売することは間違いないだろう。

 

○日本メーカーもヒストリックカーの保存・展示は行っている

日本の自動車メーカーには、ユーザーからのレストア依頼を受ける部門はない。もちろん往年の名車を再生産した例もない。しかし日本メーカーが文化的な遺産であるヒストリックカーの価値を軽視しているわけではなく、ほとんどのメーカーは自社の歴代モデルをレストアや保存しているし、博物館のような展示施設を運営しているメーカーも多い。

最も大規模なのは、愛知県にあるトヨタ博物館だ。自社モデルに限らず、世界のヒストリックカーを約160台も保存・展示している。トヨタはクルマのテーマパークである「MEGA WEB」でもヒストリーガレージを運営しており、ヒストリックカーに対して非常に熱心だといえるだろう。その他にも、ホンダコレクションホールやマツダミュージアムも充実した展示内容で有名だ。

仮に日本メーカーが往年の名車の再生産に乗り出したとしても、庶民には購入不可能な価格になることは避けられない。それならば、博物館で名車を眺めるのも悪くないだろう。

マイナビニュース 提供

 

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1972 Toyota Landcruiser FJ40

2016年12月27日 | LANDCRUISER

 

1972 Landcruiser FJ40

 1972年型のランドクルーザーFJ40オリジナル。エンジンはオーバーヒートを起こすのでオーバーホールが必要で、ブレーキも危険な状態だというが外観の塗装や内装はオリジナルを維持している。ドアとルーフは無いがエンジンと足回りをきちんと整備したら最高のスリーパーとして日常の足となるはずだ。レストレーションされて高価になったランドクルーザー40の市場にあって、オリジナルで錆が少なく書類も整っている固体は希少である。まだまだこういった車体が残っており時々市場に出てくると言う事は希望である。準備資金と機会が合えば希少なノンリストアなFJを手に入れる事は可能なのである。但し課題はそこからで、きちんと整備して走らせ維持を継続出来るかが課題となる。つまり古いFJを購入する事は金の問題であるが、そこから先の未知の世界は生き方も問われる世界なのである。

 

  1972年はオイルショック(オイルクライシス)の起こる前年、当時の原油価格は$3であった。1973年の秋のオイルショックで原油価格は$12と高騰した。そんな背景を読みながら古いFJを観る、或いは古いFJを観ながら当時の情勢を想い浮かべる。原油価格$12は当時社会に暗い未来と混乱を招いた。しかし、今振り返ると何でも無かった様に時代は過ぎている。何時の時代も人の世は何でも無いような事を大事に捕らえているのかも知れない。きっと数年先には今の世相を人々は客観的な眼で見る事が出来るのではないだろうか。古い1972年型のFJは鉄の機械でありながらそういった近代の歴史を観てきており、それを我々に伝えている。

 

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ウインターコンサート

2016年12月18日 | 日記

 

 クラッシックピアノのクリスマスコンサートに行って来た。ピアノに近い席で腕を組んで目を閉じてゆっくりと呼吸をしながら音に集中して自分の中に広がる風景を楽しんだ(居眠りしている様にみえたかも知れぬ)。ピアノの音の世界に没頭していると自分が何処にいるのかが分らなくなった。その時の僕は近い過去に経験した幾つかのシーンと音が重なっていた。その光景は秋の落ち葉が舞う晴れた朝の森の中をロードレーサーを駆って力走している自分である。木々の隙間から照らされる眩しい朝日、そしてその朝日は横を流れるハドソン河の水面にも反射して眩しく照らし返している。その自然の恵みの中を息を切らせながら無になって(ランニングハイというのかも)走る自分、それは快悦な世界である。風や落ち葉や眩しい光はそれぞれの音を放ちながら調和している。そういった世界がピアノのガラスの欠片の様な音と重なった。音には景色があるのだと感じた。

 

 演奏された曲の名前は殆ど覚えてはいない。クリスマスソングだけは覚えている。ヨーロッパで生まれたクラッシックと呼ばれる類の音楽は四季の変化の中で生まれた。そこには森があり木々が茂り太陽が照らし、そして水があった。我々は音楽(曲)は誰か才能のある人物(作曲家)が創り出すものだと認識している。しかし、それは間違っている理解かも知れない。音楽はもともと自然の中(自然界)にあるものなのだ。音楽はこの宇宙の隅々に秘められているのだ。偉大な音楽家達は自然の中にある音楽を訊いていたはずだ。そして、それを取り出して音符を用いて楽譜に残した。その技には脱帽しかない...。

 僕はロードレーサーで森の中を力走しなら、実は五感を通じて音楽を訊いていたのだった。

 

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ロングアイランド エクスプレス 10

2016年12月13日 | LONGISLAND EXPRESS

 日中の最高気温が5度を下回り雪が舞い散る寒いこの季節。掃除を兼ねてモバイルに溜まったこの一年の写真の整理に励む。写真を削除する前にここにアルバムとして残したい。それぞれの写真を観ながらその時の情景を思い出すのは冬の長い夜を愉しむ術なのであろう。

 

おっ、

フェラーリ!

 

ゴールドメッキです。

眩しい...。

 

初代Toyota Tacoma は現在も多くのトラックが現役である。

このタコマの荷台はタイヤハウスの干渉を除外したスクエアカーゴ、希少車です。

 

新しいNISSAN TITAN なのですが、

このテールゲートのメッキ装飾は...何。

オプションかな?

 

トーイングトラックです。

車体のモデルは1980年代の8代目のF-250ヘビーデューティトラックです。

おおーっ!現役。

 

前方を走るキャリアートラックに乗っているのは、

ランドローバーディフェンダーの新車です。

アメリカには正式には入っていません、おそらく(2015年型)最後のディフェンダーです。

 

最近のPorsche 911 カレラ。

レーシーなサウンドです。

 

おっ!

おそらく1973年? 頃のナローPorsche 911 です。

ガス臭さに親しみを感じます。

 

ブリティッシュライトウェイト

Austin Healey です。

 

Japanese Sport Car ICON

Datsun 240Z です。

((

カリフォルニアナンバーでした。

 

これは、

 知る人ぞ知る、50年代の現役Studebakerです。

今はペプシに吸収されました。(冗談)

 

3代目フォードサンダーバード

1960年代の前半の型です。

 

フロントも個性的ですが、リアにはアイデンティティがあります。

左右のテールライトがロケットの噴射口の様です。

クwール!

 

おおっ!

アメリカでは希少なシトロエン。

 

1960年代のキャディラックです。

 

1960年代のGMC ピックアップトラック。

オーナーは他に仕事とプライベートで2台の赤いGMピックアップを保有しています。

 

更に、フィアットスピツファイヤーなんかも隠し持っています。

 

おぉ、これは...

ドカッティはよく目にしますがモトグィッチはあまり観ませんねぇ。

 

これを観てマクラーレンと直ぐに分る人は通です。

ランボルギニーだ、NSXだ、と隣人は騒いでいました。

 

おっ!

BMW i8

最近よく見ますが新車のランクル200が2台買える値段です。

 

近所に停まっている1960年代のフォードマスタングクーペです。

一度レストレーションを施した後がみられますが現役の足車です。

我がランクル60よりも20年程古い旧車です。

((

 

いつ、何処でどんな車に遭遇するか分りません。

それがドライブする事の楽しみの一つです。

 

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テールランプの欠け

2016年12月05日 | ロクマル日記

左後ろのテールランプのカバー、角が欠けたまま2年以上使用している。

 

中古品ではあるが、かなり状態の良いカバーを入手し交換します。

 

これで、誰にも文句は言わせません。...w

 

 先週の初め、夜の8時頃であったであろうか。仕事を終えて寂しい闇の道を帰路に向かう僕の後ろに眩しいライトを照らした一台の車が近づいてきた。闇の中でバックミラーを見ると屋根に電光装置を付けたポリスカーである事が確認出来た。ゆっくりと制限スピードを守って落ち度の無い走りではあるが、こうもピッタリと後ろから付いて来られると何かしら怖いと感じるものがある。ストップサインで確実に止まって右折して100メートル程走った所でポリスカーが赤青の光を放ち、僕はすみやかに路肩に停止した。

 

ハウアーユードゥイン!(やあ!)

このトラックは何年型なんだ?

 

1985年ス!

 

免許証と登録書を見せてくれたまえ。

 

...

 

...ところで、なぜ止められたか分る?

 

アイムノーアイディア!

な ん で、 な ん で ???

 

左側のテールライトのカバーが欠けとるぞっ!

 

ええっー!リアリー!!!

(白々しい...

 

今回は注意だけだ。

 

Thank you!

 

 ポリスも暇だな、とか思ったりしてはいけない事なのだろう。むしろこれは感謝するべき事なのだと思う。もしもポリスにテールランプの件で止められる外圧がなければ実用車としてのランクルは割れたテールランプを誇らしく使い続けていた事であろう。それは安全を最優先する我が方針に反する行為ではある。しかし、人間(自分)とは卑怯者だ。安全の為にテールランプを交換したのではなくて、もしテールランプを交換しなかったら近い将来またポリスに止められて今度はチケットを切られ罰金の支払い義務が生じる事を恐れての事なのである。ああー、なんて自分は小さく情けない、この程度の人間なのかと思った。たかがテールランプの欠け。しかし、テールランプの欠けは俺の愚かさの象徴であったのだった。

 

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