はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

「国のかたち」と、人々の暮らし

2006-06-30 18:16:30 | つぶやきあれこれ
どなたのブログで知ったのか、今では忘れてしまったのですが「国マニア」という本があります。
国マニア
Amazonだったか、楽天だったか期限付きポイントの利用案内メールに乗せられて、一月ほど前に急遽購入してありました。

まぁ、お話の引き出しが増えるかなとあまり期待していませんでしたが、パラパラと読んでみると、意外にこれが面白いんです。(著者には失礼な物言いですが…)

独立国がすべて、軍隊を持っているかというと、外交・防衛を近隣大国にすべて任せてしまってある国が紹介されていたりして、思わず腕組みをしてしまいます。

「国って何なのだろうか…」

サブタイトルに
「世界の珍国、奇妙な地域へ!」とあるように
政治向き、社会問題に興味を持っていない方でも、「ねぇねぇ知ってる~」ってなノリで知人に紹介できるので、幅広い層に読後の満足感があるような気がします。

腹を抱えて笑ってしまう「国のかたち」(当該国には失礼)もあれば、
小国ながらも、したたかな戦略に感心させられる「国のかたち」もあって、
その意味では、深い取材力と巧い文章構成力は、さすがマスコミ関係者(だったはず)ですね。

そういえば、先日NHKの3点ドキュメントで話題となった「ツバル」についても、触れられていました。

こんな状態でも国家として成り立ち得るという、あまりにも多様な「国のかたち」を紹介されると、我々が如何に既成概念に囚われて国家・地域を語っているか反省至極です。
行政関係の方、地域振興を考える立場の方には「必読の書」に近いのではないでしょうか。


さて、珍妙な国と地域のお話は「国マニア」を読んで頂くことにして、ここではちょいと違う角度から、思ったことをご紹介させて頂きます。

ディズニー映画の「ナルニア国物語」と勘違いしてしまった(…(^^;ゞ…)「ナウル共和国」のお話です。
章のサブタイトルには、「国がまるごと音信不通になった、とんでもない島」とあります。(以降、「」内引用部分、数字・単位などブログに合うよう引用者加筆)

「南太平洋に浮かぶナウル共和国は、面積わずか21Km^2で、島一つだけの国。バチカン、モナコに次ぐ世界で三番目に小さい国だ。人口13,000人弱のうちナウル人は58%で、残りは出稼ぎの外国人。町と呼べるような場所もなく、世界で唯一、公式の首都すらない国…」とくると、一体全体国の体をなしているのか…と不思議な気がしてきます。

ナウルがこんな状態でも成立したのは「島全体が燐鉱石の山」だったからで、貴重な肥料となるその輸出でナウル人一人当たりのGDPはアメリカやドイツ並みだったとか。

かつては、素朴な漁民の島だったようですが、植民地支配などの時代を経て、独立後は鉱山会社からの収入で「税金や教育費がタダなのはもちろん、国民には年金が支給されて何もしなくてもお金がもらえる。ナウル人は魚も捕らなくなり、三度の食事すらも中国人が経営するレストランですませて料理さえも作らないようになり、行政はすべて西サモアなどから雇ってきた外国人に任せ、『働いている国民は、18人の国会議員くらい』とまでいわれる国になった。」そうです。

ところが、自分たちが拠って立っている地面を掘り返して食いつぶしているのですから、資源はいつか枯渇します。
ついに、その時がやってきて、2003年。
労働者への賃金未払いが発端となって暴動が発生。1台だけあった「国際通話が可能な電話機が壊れたため」サブタイトルのような事態に。

「見かねたオーストラリア政府が『ナウル人全員にオーストラリアの市民権をプレゼント』」という申し出を民族自立を理由に断り、「世界各国からの援助に頼って取りあえず生き延びている。」状態なのだそうです。(日本からも1億円の無償援助が決まっているとか)

ところが、この期に及んでもまだ国民は働こうとしていないようで、「100年近く遊び暮らし、糖尿病に罹った国民の比率が世界一高いといわれるナウル人たちが、『体を動かさないと生活できない』と悟る日は来るのだろうか?」と著者は締めくくっています。

かつて働いたことがある世代の人は、昔を思い出しながら何とかできるかも知れません。
しかし、生まれてこの方、一度も働いたことがない人は、果たして「働いて生活する」ということが肌感覚で理解できるものなのでしょうか?

しかも、この状態が100年以上ということは、ほぼ全員が産まれて以来働いた経験を持たない人々…


このブログと交流をさせて頂いている「ぜん」さんが「なぜ働くのか(2006.06.05~)」シリーズ最後の「番外編(2006.06.14)」で、いみじくも
「自らの務めとして働く」
と示されています。

ナウル共和国の国民の暮らしぶりと、この国での暮らしぶりを眺めると、この指摘の深さを感じずには、おられません。

中国には労働を善とする価値観が伝統的にあると、何方かから伺ったことがあります。それが儒教や中国での仏教の発展に沁み込み東アジア全体に流れているとしたら、いまさらながら途方もない時間と、その間を往来した人々の膨大な数や暮らしに、想いを寄せてしまいます。

独断と偏見かも知れませんが西洋文明はどうも「労働は忌避すべきもの」と考えていたような気がしてなりません。
この考え方だと「遊ぶ(ために必要なお金を稼ぐ)ために働く」ことになります。
目的と手段が正反対。
これでは、「働いている時間は苦役以外の何者でもなく、当然その時間は幸福なはずがない」と思うのは、考えすぎ。
でしょうか。

働くことと、幸福であることが矛盾しないような「暮らしのかたち」と「世の中のかたち」。

実現できたらいいなぁ~と、素朴に思うのです。


まだ、全部読んではいませんが、ちょっとした時間が空いたときに、気楽に読めるので(ナウルの章は気楽に読めませんでしたが…(^^;)いつも鞄に入れて持ち歩き、長~い時間を掛けて拾い読みする本になりそうです。

村の写真集

2006-06-29 20:14:49 | 田舎暮らし雑記
昨夜、高知の知人A君から突然の電話。
数日前NHKの番組にも出ていた彼は、四万十川の中流域で村のオンちゃん、オバちゃんたちと村おこしに奮闘しています。数年前、石川から取材と視察を兼ねて彼を訪ねたとき、四万十は土砂降り。どこにも行くことができず、昼過ぎから宿でずーっと酒を呑みながら語り合うことに。自衛消防団員の彼は、洪水防止の土嚢積み作業に出なければならないにも関わらず、視察もかなわない我々に付き合ってくれました。私も自衛消防団員なので、そのことの重大さと意味は響きました。それ以来、何度も行き来をする仲に。
そこへ金沢のAさんがしばらく投宿するそう。AA同士酔っ払い二人で「良いだろう」という電話です。(^^;ゞ

さて、映画「村の写真集」は徳島県最西部にある池田町、山城町、西祖谷山村(いずれも市町村合併により2006.03.01から三好市)の川沿いの山の斜面に張り付く集落がロケ地です。

小学3~5年生の頃、讃岐に住んでいました。
讃岐は穏やかな地域ですが、背後となる四国の背骨は深く険しい山々です。

第8回上海国際映画祭で最優秀作品賞と最優秀男優賞を受賞したこの映画は、そんな山里で撮影されました。

脚本と監督は、関西のノリの良いスポーツ根性物や田舎の家族ものを撮る三原光尋さん。
((C)2004 「村の写真集」製作委員会)
主演は、父親役が藤竜也さん、息子役が海東健さん、父と住む末娘役には宮地真緒さんら。

昨夜、四国からの電話を切った後、村の写真集をDVDで鑑賞しました。

●あらすじ
村の写真集 by goo映画」作品紹介より
東京で見習いカメラマンをしている孝は、故郷・徳島県花谷村の村役場に呼び戻される。村で写真館を営んでいる孝の父・研一と二人で、近い将来、ダムの底に沈むことになった村のすべての家族写真を撮影し、「村の写真集」を作るよう依頼されたのだ。しぶしぶ誘いを受けた孝は、父とともに一軒一軒自らの足で回り、撮影を手伝う。しかし頑固者の研一と、そんな父に反発して都会に出た孝の間には、なかなか埋まらない溝があり・・・。

●鑑賞して…
途中から感涙ボロボロでした…

そして、終わってみると、
「父と息子との葛藤、ゆったり時間が流れる村と、合理性一辺倒の都会」は勿論でしたが、何より「ひとの写真を撮るということの意味」を、この映画から強く感じました。

何故私は、鉄道や風景写真を主とし、人物を撮ろうとして来なかったか…
そして、何故私の写真には伝わるものが乏しいのか…
いまさらながらその意味を、ズバリと教えられた気がします。

「写真を撮る」こととは、いわばカメラを構えてシャッターを切るだけの行為のようですが、撮るものと撮られるものとの間に、一瞬のシンクロ「共通して通い流れるもの」がなければ意味が無いのだ、と。
風景写真でも、草花でも、それはいえると思います。
人物写真ではなおさら、その人の人生の一瞬に同調するのであって、間違っても「切り取る」のではない。

だから、頑なに見える父は…
どんな険しい坂道の上の一軒家であっても車ではなく、歩いて訪ねててゆく。
シャッターボタンを握って、並んだ家族・人々の表情を丁寧に見て、独特の掛け声で瞬間を捉える。
撮り終わったら、頑固者の父親は帽子を取り「ありがとうございました」と丁重にお辞儀をする。

その意味が理解できない合理的な近代青年の息子は、面倒な付き合いとしか映らない。

後ほどご紹介するMr.Gさんもレビューで「素晴らしいと思ったのが、山奥で一人暮らしのおばあちゃんを演じた 桜むつ子さん。」と書かれていますが、戦争に行ったきり戻ってこない息子を一人暮らしで待ち続ける老婆を撮影するシーンは、撮られる側の人々への想いの深さを象徴しているものとして、深く胸を打たれます。
写真は撮らせていただくもの…なんですね。
(Mr.Gさんのレビューで、この映画が桜むつ子さんの遺作と知りました。)

この映画の深みを知るために欠かせないものがもう一つ。
「村の写真集」のホン!「村の写真集」のホン!
「アジア旅が好きで、身体が空くと、すぐに格安航空券を手に、行ってしまう。僕にとって、その魅力とは、普段着の人と出会えることに他ならない。
 日本で、東京で、見つけにくくなっている飾らない人の笑顔。電車が数分遅れただけでも激怒する、この国の息苦しさに耐えられなくなると、成田へ向かってしまう。…」と「はじめに」で三原監督は、ご自身を描いています。
「…ならば”日本のとある家族を見詰め描きたい”と、沸きあがってきた感情は、自然な流れかもしれない。…」
そして、
「とある村の現状を描いて、日本が見えてこないか。」この作品に寄せる脚本家・監督としての想い。

監督自身病気をした時の苦しい経験から制作する映画への想いも寄せられています。
「生死にかかわるその現状を、ほいほいとドラマにするな。病で苦しんでいる人で商売するな。…病院で病魔と戦っている人でも、誰もが観て、生きていく勇気になるようなドラマを。喫茶店で、誓った。」

その他、ロケハン中や、撮影中の逸話も、監督自身で書き留められています。

撮影現場で何気なくも素晴らしい気遣いをされる藤竜也さんのこと。
父親として主演された藤竜也さんは、この映画の出演が決まってから、監督やスタッフとは別に一人で、山あいの集落を回り地元の人たちと馴染み触れあいながら、役づくりを深め阿波弁も学んでいたそうです。人の情を深く描くことに携わるお話として感銘を受けます。

先ほどの一人暮らしの老婆のシーンでは、
「ある山深い一軒のおばあちゃんの家に上がらせてもらった。縁側からは、言葉をなくすくらいの美しい夕焼けに…おばあちゃんは、毎日朝の雲海を見て一日が始まり、この夕焼けで一日を終える。生まれてこのかた、海外はもとより、東京にも行ったことはないと、笑った。ふもとの村に降りないのかと聞くと、息子が帰ってきそうな気がしてと。その息子は、戦争で行方不明に…」
実話だったのですね。

写真監修にと何の伝も無く飛び込みで立木義浩さんに参加してもらうこととなった経緯。
立木さんとの話の中で、父親が一枚撮るごとに丁寧に頭を下げる所作のアイディアを貰ったこと。

同じように音楽を小椋佳さんに、突撃。主題歌の制作を依頼。

一月に一度しか出ない谷間の雲海を、徳島ロケの初日にいきなり撮影できたことも併せて、「今思えば、映画の神が後押ししてくれたような気がします。」と。実直な方なんですね。監督。

エンドロールに流れるセピア色の写真たちは、立木義浩さんが映画撮影中に撮影したもの。
小椋佳さんの主題歌「村里へ」とともに、一層印象的にしています。


これは家族と見ていただきたい作品。

写真に興味がある方には、なおさらお勧めさせて頂きます。


本編も感動しますが、DVDの収録されているメイキングがまた凄い。
監督と、花谷村職員役の甲本雅裕さんが、撮影風景のロールを見ながらスタッフや村人との裏話をしています。
どれほど地域の人々が協力したか、改めて実感できます。映画は関係者だけで作るものではないのですね。暖かい撮影環境が、どれほどスタッフの支えなったか…

後でご紹介する監督インタビューやロケ地での情報などを読むと、熱心に応援してくれた地域の方々への感謝は「一生忘れてはならない」と振り返っておられます。


兵庫県映画センターによると、2006年8月に兵庫県内各地で上映予定があるそうです!
兵庫の方はラッキーですね。是非お見逃しなく。
詳しくは村の写真集紹介ページ


●公式サイト:村の写真集


●みなさんのレビュー・感想から
soramoveさんのレビューから(2005.08.23)
「徐々に明らかになる父の息子への想いが
 なんだか不器用な自分の父と重なって
 胸に迫る。」

「かずあき」さんのレビューから(2005.06.25)
「何て映画だ。こらえきれずに大号泣してしまった。
 心のサビをきれいに剥がされた」

sabuさんの「映画感想文」レビューから(2005.05.28)
「藤竜也が好きで観に行ったのですが、良いイミで期待を裏切られました。
 今年のベスト1映画に出会ってしまいました。」

Mr.Gさんのレビューから(2005.05.18)
「こういう映画を大画面で観ているだけで、あー来て良かったなあ
 と思うのは、それだけ私が年を取ったからでしょうか。」

シスターのお勧めシネマから
「家族とは、反発したり、気持ちをうまく伝えることができなかったりするものですが、それでも心の底では互いに気にしあっているものです。そんな家族の関係を育んでいるのは、故郷の美しい風景であり、土地の人々であることを、しみじみと味わいました。わたしたちは“土地の力”に養われているのですよね。でも、そういう土地は、日本には少なくなりました。」

シネマタイムズ編集長・菅原美話氏談仙台映画情報
「なんて美しく映画らしい映画なんだろう・・・
 父と息子の関わりを通して、家族とは・・・故郷とは・・・世代を超えて誰しもが共感できる作品です!観ないと後悔しますよ~」


●監督・出演者インタビュー
受賞後の三原監督へのインタビュー(文化放送アジアンパラダイス:2005.06.20)
三原光尋監督へのインタビュー(eo映画・ドラマ:2005.04.28)
 「いつかは『二十四の瞳』のような作品を撮りたい…見終わった後に、ちょっと田舎にでも電話してみようかな、なんて思って頂けると嬉しいですね」
「村の写真集」公開記念の三原光尋監督ワンマンショーに潜入!(MovieWalkerレポート:2005.04.27)
美しい徳島の山間を舞台にした人間ドラマ「村の写真集」で若手スター、海東健が親子の絆と愛を力強く体現!(MovieWalkerレポート:2005.04.19)


●もう少し詳しい紹介
ViVaムービーレビュー:村の写真集
ムービーネット【映画情報】村の写真集
ロケ地探訪:映画「村の写真集」(虹の向こうに第16号)


●ロケ地の情報・撮影の様子など
四国放送「おはよう とくしま」から「とっておきリポート 村の写真集」ロケ地情報
 ・東京ロケ(2003.12.15)
 ・徳島での撮影終了(2003.12.08)
 ・撮影順調(2003.12.01)
 ・撮影始まる(2003.11.17)
○徳島ロケーションサービス
 ・ロケーションコラム三原監督へのインタビュー


●村の写真集DVDについて
楽天:い~でし!!
ヨドバシ・ドット・コム
紀伊國屋書店
Amazon.co.jp

日曜日の食卓

2006-06-28 21:49:37 | 田舎暮らし雑記
先日の日曜日の夕方。

沖縄のちょーでーの畑になっていたと言う緑のパパイヤをいよいよ、頂きました。
トップの写真は、調理前のパパイヤ。
これが料理用のパパイヤで、黄色く熟させて果物として食べるものとは、種類が違うそうです。(以下、写真をクリックするとちょっと大きくなります)

緑のパパイヤを剥いたところパパイヤの皮を剥くとこんな感じ。
果物として食べるものとなんら変わりありません。

さて、お肉と一緒に料理するのかと思いきや、奥様は何を思ったか、漬物に。

ん~パパイヤの漬物って想像できない(^^;ヾ

リンゴのような感じに切って…
パパイヤの漬物写真の左にあるのは漬物に使った「あなん谷(たん)の醤油」
この醤油は、環境庁名水百選にも選ばれたという「穴の谷(あなんたん)」(富山県)の霊水入りで、普通の醤油とは違って透明で色が薄いです。素麺のつゆにも使うそうです。

これでしばらく冷蔵庫に入れておくと…
あ~ら不思議。即席の漬物の出来上がり。
一口食べてみましたが、とてもパパイヤとは思えない。
つるつるの大根のような食感。
味も全く漬物。

これはカリカリといけますね~。V(^^)v


本日のメインさて、いよいよ夕食です。本日のメインは、やっぱりお刺身(*^-^*)

左手奥がさっきまで生きていたアジ。
近所のチョゴサ(屋号)からの頂き物です。
最初はコリコリとしていて、やや時間が経つとじんわり旨みが出てきます。こんなに新鮮なものを、有り難いことです。

右手奥は、大好きなソラマメ。
僕は、皮ごと食べてしまいます。
斜め向かいの親戚マゴジロ(屋号)から頂きました。
なんでも今年うちのソラマメは何故か全滅との事…

そして、堂々として手前にあるのが、サザエ。
これは義母の友人で隣の集落の方(屋号失念)から頂きました。
調子が悪いせいもあるようですが、義父が指した筈の網にもサザエがあまりかかっていないそうです。そのため、使い物(贈り物)にするので精一杯で、今年の食卓には並んでいませんでした。有り難い…

この中で、唯一自家製は、サザエの刺身に敷いてある大葉だけ。
これは玄関先の淵石の間から毎年でてくるものを摘んだだけです。
大葉は虫が食べやすいので、戸外の場合は相当農薬をかけると聞いて、大好きなのですが外では一切食べなくなりました。
自家製のは、玄関先から勝手に生えてくるので、勿論無農薬です。

そうそう、このサザエの刺身の皿は、私の作品です。
地元で山に釜小屋を一人で建てて陶芸をしているSさんと意気投合。
地区の子どもや大人に指導をしてもらった際に、便乗しました。

なんとも形になって居そうでなっていないヘゴヘゴ感が気に入っています。
こんなものでも、ちぁゃんと食器洗い機にも収まるのですぞ(o^-')b


どれも美味しく頂きました。
ちなみに、家族にもおすそ分けしましたが、漁師の家でいつでも食べられるせいか、私に気を使ってくれているのか、みなあまり食べません。
結局殆ど頂いてしまいました(*~-~)v

田舎暮らしの一番の特典は、物々交換ですね。
消費税もかかりませんし。V(^^)v

うちから交換のために嫁に出たのは、タマネギ。
かなりの量が収穫できたそうです。
その甲斐あって、私が美味しい目にありつけました。
お義母さんのお蔭です。
ありがとうござます。m(_._)m


ボツ梅私だけ晩酌をしていますから、みなは早々に食事が終わります。
ひとりで、ちびちびやっていると、家内が梅の実を取り出してきました。
なんでも、今年うちの梅もほとんど駄目だとか…なんとも…

それでも、なんとか収穫できた貴重な梅をシロップに漬けるそうです。
一つ一つ竹串で丁寧にヘタを取り、痛んでいないか確認して取り分けます。梅の実を加熱せずそのまま使うので、痛んでいるものが一つでも入ると全体が駄目になってしまうとか。
農薬をあまり使わないのでやはり虫に食われやすいようで、写真の梅はNGを宣告されたものです。
なにやら「こげぱん」のようなしょげた顔に見えてくるから不思議です。

ちなみにNG梅君たちは、加熱すれば大丈夫なのでジャムになりますから、ご安心を。

NG梅君の上(奥)に洗い終わって逆さでちょいと見えるのは、いつも麦酒を飲んでいるジョッキ。
沖縄に行ったとき、有名と伺った琉球ガラスの稲峰先生と交流しましたが、その記念に求めた先生の作品です。

梅シロップたちこうして新しく漬けたものが、写真の左端のビン。一切の水分は入っていませんが、数日もすると真ん中のビンのように梅から水分が出てくるのだそうです。
梅水100%!

これを発酵しないように時折振って攪拌しながら、数ヶ月待つと右端のようなシロップができるそうです。
手前の梅は仕事が終わって取り出されたものたち。

シワシワになった梅近寄ってみるとすっかり水分を吐き出してシワシワになっているものから、水を出すのに抵抗したのか、それほどシワになっていないものと色々です。

どうしてこのような差がでるのでしょうか…
考えたら夜も寝られん~(^^;ヾ


…っと、ここまで書いてきたら、お腹ペコペコ(^^;ヾ
さぁ、これから下宿に帰って孤食ですなぁ

そうそう、観なければならない映画のDVDがあるので、今夜は一人で映画鑑賞会でもしましょうか…

すみません

2006-06-27 22:22:17 | つぶやきあれこれ
急になんだかとってもバタバタしていて
みなさまのブログにも伺えていません。

折角戴いたコメントにも、やっと今お返事ができたところ。

すぐ近くのJUSCOが、23時で出入り制限となり不便になる前に買出しして、自分の世話を焼かなくては…

ということで、今日はなぁんにも中身のない記事ですが
ご容赦をm(_._)m

そうそう夕方、突然の雷から突風とバケツを返したような土砂降り…
空梅雨かと思っていましたが、降らない/降るの差が激しすぎますね。

気候変動があると、このようになると聞いたことがあります。
ん~~。

少し前の沖縄や、ここのところの九州でも激しい様子。

お気をつけくださいませ。

思春期の子どもと親へ

2006-06-26 20:24:57 | つぶやきあれこれ
思春期の子どもたちが入院する病棟で臨床医をしていた経験を持ち、今は県庁の子ども政策課に勤務されている女医のNさんの講演を聞きました。24日の土曜日、市内の高校PTAが一堂に会し、夏休みの向けた補導・巡回の研修大会の基調講演です。

ちょうど奈良県で、父親から成績のことでしかられた高校生が自宅に放火して、母親と兄弟を焼死させるという、なんともやるせない事件の報道がされた日でした。

臨床医のとき、子どもたちから教えられたと開口一番仰いました。そして、大人の方が子どもたちから試されているとも…

●どうせ私なんか…こげぱんの悲しみ
絵本「こげぱん」の表紙「こげぱん」君はこの店一番の売れ筋で、いわば成績優秀。ところがある時、コロンと転げて、落っこちて気づかれたときには「こげぱん」に…
「どうせ僕なんか捨てられるんでしょ…」といじける「こげぱん」君のお話です。

絵本「こげぱん」を紹介しながら、子どもたちから「どうせ」という言葉が出たら、かなり丁寧な気持ちで接する必要があるとの指摘。


●心のベースキャンプ
今の世の中でどこかに「子どものベースキャンプを確保する」ことが如何に大切かを、冷静に、しかし思いは熱く優しい口調で語られます。
臨床医としての経験とお人柄が滲み出ています。

「ベースキャンプを持たずに、エベレストを登れる人は滅多にいない。」
確かに一流の登山家でもベースキャンプには、さまざまな支援のスタッフに控えて貰っているはずです。
現在の子どもたちには、心のベースキャンプが無いため、自分に対する基本的信頼感がないことが一番の問題の背景となっているそうです。


●自尊感情を育む事
基本的な信頼感=自尊感情を育むには、小さいうちに心の根っこに「貴方はやれるんだよ」と伝えることが必要なのだそうです。
成長してからでも、自尊感情を持つことはできるそうですが、乳幼児期が一番確実なのだそうです。

1歳くらいから、少しずつ自分でやろうとしますよね。スプーンで食べ物を口に運んでみたり、一人で歩いたり。
「自分でやれる」「私はできるんだ」という感情が芽生える瞬間、なのだそうです。
キラキラと輝く瞳の素晴らしさを、ご自分のお子さんの写真を見せながら伝えてもらいました。

それを「あらあら、ボロボロこぼして…」などと、完璧にできないことの方を先に指摘すると、幼子の心には「自分はどうせ…」と思い込んでしまうそうです。これを立て直すのは大変。

「貴方は大事な存在なんだよ」「そのままでいいんだよ」と伝えること、
「『生まれてきてありがとう』という言葉の重さを今の子どもに伝えたい」と語りかけられます。


●評価の原理
一方で、家庭でも学校でも「評価の原理」が働いています。
評価したくなくても、成績をつけなくてはならない。

「貴方は貴方でよいんだよ」と思っても、それを損なわざるを得ない先生の苦しみが判るとも。

「教師を目指した頃は、光り輝く子どもたちを育てたいと思いながら、ビジネスの枠組みが効率化を目指している現在、先生自身も評価される側に」います。


親に力が抜けると、子どもの顔が緩むそうです。
力んで子育てをしようとせず、子どもへの過剰な干渉をいかに和らげるか。

子育てに理想像を描く方ほど、難題になりそうな気がします。


●よく見る
よく見るとは、よく理解すること。
子どもが持つ力を信じられるということ。
一番問題なのは、待つことができていないこと。

大人としてハラを括ること。
とも言い換えられました。

臨床医として母親の悩みを聞いていると、母親自身がステレオタイプの「良い子」を目指していることが多いそうです。
・元気で
・明るく
・勉強が好きで…
そんな子ばかりだとちっとも面白くないでしょ。
ジャイアンが居て、ノビタが居て
だから、世の中かが面白い
そういうと、「先生は無責任で良いわね~」って返されるのだそうです。


●多様な人格を認める
結局、親自身が色々な子どもの特徴・人柄を認めていないようです。

海外にフリースクールと呼ばれる施設があります。ここでは、通常の学校とは異なる枠組みで子どもたちを育て、見守っているそうですが、関係者は「30年後に活躍できればよい」と考えて接しているのだそうです。

「今よりもっと長い目で、『人間としての評価』ができるように待つことができているのか?」我々親自身の問題のようなのです。

「『こどもはみんな自分を、人間を信じたいと思っている』ことを、大人が信じているのか?」と問いかけられると、返答に窮します。

「心の奥で子どもを信じられる瞬間がくると、子どもが変わる」そうです。


●思春期と反抗期
思春期は何も高校生頃だけではないそうです。

1回目の思春期は1歳半から3歳頃に掛けて。
この頃に育つ根っこの部分がっかりしている子どもは、2回目の思春期が来ても大きく揺れることはないそうです。

性ホルモンと成長ホルモンのバランスが微妙で、かつ感情をコントロールできない第二の思春期が、一般に言われている反抗期なのだそうです。
この時期は、本当の心の離乳期であり、自立の道筋なのだそうです。

「甘えたいけど、甘えられない」という依存的自立のジレンマに包まれる時期。

自分探しをしているこの時期は、親に代わって同性の友達の存在が大きくなるとも。

「変化するときは不安になって当然」なのだそうです。

母親の産道を出るときは、生まれるとき。
この時母親は一緒に体験を分かち合えます。

しかし、
思春期の産道は、親が一緒になって体験してあげることができないとも。


●やるべきときに、やるべきことを、やる
かつて思春期には、「自分とは何であるか」という類の本をよく読んでいたものですが、これが今は、ないのだそうです。

このような機会は、自分を照らす鏡を覗き込むことであり、自分と同じ悩みを抱えている人がいることを確認する機会でもあります。

ここで、中一の女の子の文章を紹介されました。ほんの一部。
「素直になれなくなると自分がつらい
 ちゃんと『はい』と返事ができる日が来るといいなぁ」

小学生:柔らかい・輝いている→きつく言っても大丈夫
中学生:一杯一杯。ツンとつくと、はちきれる
高校生:自分が見えてくる。自分の課題を自分で整理できる
という段階が今は遅くなり、中学の過程を高校で経ていることが教育現場の課題になっているのではないかと感じられているそうです。


●安心の場所から自立ができる
人の心には、
自立→自由→不安→依存→不自由→安心→自立
の螺旋があるのだそうです。

自立をすることは自由を獲得します。
自由になると不安になります。
不安に駆られると依存しようとします。
依存すると不自由になります。
その束縛がある種の安心感をもたらします。
この安心感があるからこそ、再び自立しようとすることができる…

思春期では、
放置して欲しい・抱きしめてほしい
認められたい・依存したい
という気持ちの間で揺れ動いています。

その心が、親とボタンを掛け違うことで、互いに理解が難しくなる。

親の懐から離れて自分の脚で歩き始める1歳の頃、「私は歩けるから親は後からついていらっしゃい」と歩き始める。
ところが、ヨチヨチ歩きですから、躓きます。
このとき、助け起こすと「自分で起きられるのに」と怒ることがあり、
ではとばかり、次に起こさないと、これまた逆に「何で起こさない」と怒ったりします。

それでも、幼児期はわかり易いのですが、思春期はわかり難い。

コツは、ズバリ「思春期は親がオタオタすること」なのだそうです。
親がオタオタしているうちに、子どもに力がついていくのだとか。


●理不尽な怒りを開放する
思春期は、
子どもとの距離を、つかず離れず保ち、
よ~く子どもを見ていないといけない
時期です。

しかし、思春期の心のうちは親から見えにくいので、親は腹が立ってしまいます。

ところが、
子どもからすると体と心はアンバランスな状態。
時として、理不尽な怒りに包まれる。

そんな子どもの怒りの背景に
不安があることを見てあげようというのです。
怒っている、ブスっとしている子の顔を見て、親も一緒に怒ってしまうのではなく。

大人も子どもも
エネルギーを如何に開放していくか
これができないと、おとなが疲れていくそうです。


●理解するということ
自分は認められる存在だ
自分はありのままで、それで十分なんだ
と本気で思えるか。

また、問いかけられます。

家庭がこうであると一番よい。
…ほんとうに、そうですね。

誰か判ってくれる人が周りにいるとよい。

子どもに聞くと、
学校の先生を挙げる子がいるそうです。
「教師冥利に尽きますよね~。
 その子にとって一生の人になるのですから」
臨床医としても、そんなご経験をお持ちのようでしたよ。


子にとって、心の居場所になる

言うのは簡単ですが、
そうなれるかと問われれば、甚だ心もとない…

「よく見る」ということは、「よく聞く」ことだそうです。
ちょっと子の話を聞いて「そうそう。お父さんの高校時代は…」なんてやっちゃダメ。
それは聞いているのではなく、自分の話をしているだけ…

耳が痛い…です。

子どもの心が開かれ始めると、よくしゃべるようになるとか。

子どもたちは話したいことが、たくさんあるのだそうです。
でも、大人を見極めて、真剣に聞いてくれる人にしか話さない。

子どもの話をしっかり聞ける人か
子どもに試されている…

ますます、耳が痛い…


●おとなは、ちゃんと大人であるのか
立ちはだかることが必要なときに、きちんと立ちはだかることができるのか

優しくも厳しい問いかけは続きます。

子どもはエネルギーに溢れているので、自分で止められないことがあるそうです。
そのとき、大人がそのことを見切って止めに入ることができるか。

ここが重要だそうです。

大人であるということは、
さまざまな葛藤を抱え持つことができる
こと

生身の人間である事を見せる
おとなの弱さもボロボロ子どもに見えるのは良いこと
なのだそうです。

子が抱える葛藤を、大人も等身大で抱えている
そのことを伝えるために。

体の問題は医術で治る
心の問題は付き合うしかない。
とキッパリ。

自分は自分の身の丈をそのまま見せるしかない
大人然として押さえつける必要はない
弱くて悪いかと、心底いえる大人の強さ
これを見せられる大人が、実は非常に強い人なのだ
と。

それを見て子どもが成長するのですね。


●大人としての心のあり方
少年院から出るといきなり社会復帰するのではなく、場合によっては専門のグループホームで集団生活をして馴染ませる中間段階を経ることがあるそうです。
その施設を世話している方の壮絶なお話も伺いました。

子どもたちの膨大なエネルギーに晒されて寝食をともにしていると大人は持ちません。
その方は、常に自分の心のありようを、自分で観察しているとか。

心のエネルギーを開放しているか
心がよどんでいないか
自分の心を絶えず見つめているそうです。

心が、せせらぎのように常に水が流れているような状態だと
問題が来ても直ぐに新しい水が流れ込んで澄んでくる
心が固まっていないこと

自分をごまかさない
子どもと真剣に向き合える自分を「自分で支える」
のだそうです。

これは凄いお話です。


●共感:子どもは「自分の人生を引き受ける存在」
子どもは大人の10倍も大人を感じて生きているそうです。
互いに生身の人間であるという共感が必要とのこと。

子どもの人生を大人が変えることはできません。

子どもは
「自分の人生を引き受ける存在」
であり、
「人とつながっていける存在」
でもあるそうです。

その上で、「大丈夫といい続けることの意味」を考えて欲しい
と言われました。

深い指摘です。


●トラブルをどうみるか
子どもがトラブルや問題を起こしたとき、
「問題と捉えるか、成長のプロセスと捉えるか」
大きな分岐点のようです。

「思春期に問題を起こすとありがたい」のだそうです。
2~30代で起こすと大問題になると…
それもそうです。

「トラブルを起こしている子は感性が強く、家庭の中の問題をその子が引き受けている」場合が多いとか。
「トラブルを起こしている子は、そのような力を持っている子と見てください」と。

人が人を変えることは有り得ない
・自分が変わる
・時間が変えてくれる
・だから傍に寄り添って心を傾けて聞く信じて待つ

教えようとしても無理
傍に寄り添うしかできない

子に対する共感を持っているか
と、またも問いかけられます。


●子のために
ポイントは3つ
・話を聞く
・頑張りを認めてねぎらう
・ありがとうをどんどん使おう
だそうです。

話を聞く際は、子が口を開く手法を使うこと、と釘をさされました。

ちょっとお惚気(のろけ)話をされましたが、ご主人はよく「ありがとう」と言われる方なのだとか。
醤油注しを取って貰っても「ありがとう」
新聞を渡されても「ありがとう」
自分はこの「ありがとう」で丸め込まれているのだとか。

夫婦間でも、職場でも、ありがとうで丸め込んで、この3つだけを使って人間関係がよくできるのでそうです。


長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

講演を聴きながら、その場で入力したメモ帳から起こしましたから、一部間違いがあるかもしれません。その節はお許しください。

何度も感動して、ただでもゆるい涙腺がボロボロに…
変なオヤジだったと思います。

記事を書きながら思い出してもジーンと来ます。

残念なのは、それを十分お伝えできていないこと。

後から知ったのですが、家内も既に別な機会にお話を聞いていたそうです。
こんな素晴らしい先生が居たとは。
壮絶な修羅場をくぐってきた方のお話は、つくづく重みが違うと感じた次第です。

数週間前から娘が私に口を利かなくなりました。
来るべき時に、来るべきことが、やって来たようです。
感動しただけでなく、ちゃんと実生活に応用できる…かな?