はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

小さくなる地球。判り合えない人々

2006-04-30 21:54:49 | つぶやきあれこれ
本日21時からのNHK特集『 同時3点ドキュメント第4回「煙と金と沈む島」 』をたった今、見ました。

地球温暖化に伴い海面上昇していること。それによって水没する可能性のある地域があること。
一方で、経済成長のためにCo2排出抑制に消極的な大国(米中)があること。
などは承知していたつもりです。
しかし、ここまで事態が深刻かつ複雑化しているとは…
世界で最初に水没しそうな国は、南太平洋人口1万人のツバルだそうです。

さんご礁の島国での豊かな暮らしと、それを脅かす大潮の被害。
最も地球温暖化に貢献する燃料・石炭の増産を進めるチョンチン(重慶)政府と、温暖化ガス排出権をも自国の資源とする中国政府。
自らは京都議定書の枠組みを否定しながら、排出権ビジネスに積極的な米国。

これらの地域を同時取材することで、相互により強く影響を及ぼしあいながら、生活ベースでは何も理解し得ない人間模様を浮き彫りにしたドキュメントでした。

我々も車を持ち、経済的に豊かな暮らしをしています。重慶で度重なるノルマの積み上げにもひたすら努力し、「いつか車を持つことが家族の夢」と語る石炭積み出しの機関士の話を言下に否定する言葉は見当たりません。

一方で、大潮によって今までに経験したことがない水没を目の当たりにし、それまで自信に満ち溢れていた長老が、子供たちは移住させた方が良いとはじめて言い出したときの瞳も、胸に迫るものがありました。

どんどん小さくなっていく地球。相互に及ぼしあう影響が大きくなっていく人間の営み。しかし、未だに相互理解は民族を超えるどころか、同じ日本人同士でさえままならなくないのが、現状です。
排出権ビジネスのトップリーダがEUへの会議の航空機中で番組に話したようにツバルの救済は、今や絶望なのかもしれません。
しかし、それを脳天気に「それを救えるのは資本主義だけだ」と言い切っている彼の根拠も疑わしく思えます。しかもそれに貢献している京都議定書の側面。

我々に何ができるのでしょうか。人間に業というものがあるとしたら、それを強く感じざるを得ない番組です。

再放送の予定は5/2(火)深夜24:00~24:49(3日未明)とのことです。
ご覧になれなかった方は是非、どうぞ。

我が家の初筍(たけのこ)

2006-04-30 17:37:32 | 田舎暮らし雑記
例年ならゴールデンウィーク最初の休日、4月29日が我が家の田植えと決まっています。この日なら家内が大好きな七尾の青柏祭(せいはくさい:5/3~5)にも行けますし、九谷焼きの茶碗まつりにもいけます。

ところが、今年は春先の低温と、田んぼの支度をしている義父の体調が思わしくなく(手伝わない私も悪い)、日程が遅れて5月5日になりました。

冬の間に鈍った体で春先に野良仕事をすると、はかどらないわ・体は痛むわ大変です。能登ではこれを「ハルダシ」というようです。

在所の春祭り直前の日曜日には、村総出で道普請(ミチブシン)をします。村人全員で傷んだ農道に砂利を敷いたり、雪で倒れかけた竹・木を伐採するのです。これで結構、体の慣らし運転にはなるはずなのですが、その後も口先と指先しか使わない(?)仕事のため、体は鈍ったままです。
そこで、今日はお昼を食べてから、義母と二人で久々に山へ出かけました。
山といっても自宅から歩いていける里山です。本来は、自宅建て替えのための杉材を育てているのですが、隣地から孟宗竹が進出して杉を傷めます。この成敗のためと、美味しい筍を頂く一石二鳥となる重要な春の行事です。

山持ちというと、都会の方には財産家のように聞こえるかもしれません。しかし、能登を始め地方の山地は大抵信じられないような価値しかありません。坪あたり数十円。一山でも幾らにもなりません。むしろ管理の方が大変で、一旦荒らしたら尚更大変なので、少しずつでも手入れが欠かせません。これを能登では「物持ち貧乏」というそうです(^^;。

さて、一輪車に筍用の鍬(くわ)や、鋸(のこぎり)、鎌(かま)、そして収穫した筍を入れる袋などを積んで出発です。今年は何処の山でも筍が遅いようで、まして我が家の筍山(?)は北斜面ですから、尚のこと期待できません。

義母とそんな話をしながら、テクテク農道を歩いていきます。義母と私は干支が同じで、しかも誕生日まで同じ。不思議なご縁です。

あちらこちらで雉が鳴いています。

さて、目的地に着いてみたら、大変。はやり今年の大雪で竹がでたらめな向きに折れ曲がっています。
この竹の処理は後日ということにして、地面を探します。
筍を「生産」している処では、平地でしかも地面をふかふかに耕しておきますので、地面に出たら遅いとか申しますが、こちらは望まないのに出てくる土地ですから、地面は粘土質で固い斜面のため、少し頭を出した位でもそれ程大きくはありません。
眼を凝らして斜面を見つめるのですが、中々見つかりません。

地元に生まれ山に慣れている義母は直ぐに数本見つけました。私が掘り起す役とばかりに鍬をエイッ。筍は地下茎から芽を出しやや曲がって地面に顔を出しますので、僅かに出した頭の向きで、地下茎と繋がっている場所の見当をつけます。そこに鍬を下ろさなければ、中々獲れません。

とまぁ、理屈ではこうなのですが、斜面から自由気ままに顔を出してくれているので、周囲に幹があったりして、そう上手くも行きません。
本年最初だからもあるのですが、悪戦苦闘をしていると、ボキッ。
あららなんと、筍ではなく、鍬の柄が首から折れてしまいました。(^^;;;ゞ
1本目からこれでは、情けない…

仕方なく、鍬の金属の部分をスコップのようにして掘り起していきます。
やはり今年の筍は未だ早いと見えてどれも小ぶり。鍬の先と鎌を使いながら二人で一つずつ掘り起していきます。道具というものの威力をつくづく感じました。
小ぶりですし、こんな調子では疲れてばかりなので、漸くやや大きいものを見つけたのを汐に、これを最後にして山を降ります。
桃の花出かける時には気づかなかったのですが、自宅前のお寺の境内には桃の花が咲いていました。周りのお家にも真っ赤なチューリップなども咲いています。そういえば、御隣の富山県礪波市ではチューリップフェアの時期ですね。

家内は、地区で時折開催しているグリーンツーリズムの御手伝いに朝から出かけていましたが、私たちが戻ってきたら既にご帰宅。30名もの方々にご参加いただき、山歩きをした後、あちらでも筍採りをしたそうです。全員が1本ずつ持ち帰れたそうで、何よりでした。

筍の刺身早速筍の皮を剥いて茹でますが、この皮むきも楽しみです。剥いた皮の下の白い部分(写真手前)。ここは少しであれば食べられます。エグミも少なく、筍の香りと甘味が口に広がります。細かく刻まれて御吸い物にも見かけますが、熱を通さずに頂く風味は筍の刺身とも言うべき採れたてならではの味です。

茹でるには、コンカ(米糠)が要りますが、あいにく今我が家にありません。近所に2本ほど持って義母が貰いにいきましたら、なんと米袋一杯に貰ったそうです。
昨夜は、富山県の方から蛍烏賊を頂き、さっと茹でて酢味噌で頂きました。替わりに家内のシフォンケーキが御嫁に行ったそうです。
物々交換って良いですね。消費税もかかりませんし。V(^^)v

剥いた皮は、裏庭の柿の根元に撒きます。鳥や小獣(狸も良く出ます)が筍の皮をたべるかは知りませんが、調理の際に出る野菜屑などもこうやると、やがて土に帰ります。

服も多少古くなっても野良着として利用方法がありますし、やや大袈裟ですが、田舎暮らしには色々なモノの循環に幅(ゆとり)があるように思います。
金沢の単身赴任先はマンションなので調理屑が極力出ないよう、野菜も殆ど使いきって料理をしていますし、卵の殻などごく一部の屑もゴミには出さす乾燥させて肥料として使えるよう、田舎に持って帰っています。が、都会の他の方には、土に帰す手段がなく、大抵は生ごみとなってしまっているはずです。

ぜんさんが「もったいない」で書かれていました都会の食を巡るシステムの大問題は、街での個人の選択肢が少なくなりすぎていて、良いと判っていても実行が難しい点大変残念です。街と田舎との仕組みの大きな違いを感じています。


さて、下拵えは義母、料理は家内の担当です。
今は本当に良い時代です。シャワーを浴びれば、土だらけになった手足もすっきり。程よい体の疲れと共に、有り難いなぁと沁み沁み思います。

今夜は美味しい筍尽くしを頂きま~す。

能登と沖縄

2006-04-28 23:08:35 | つぶやきあれこれ
転勤族の子として静岡に生まれ、小学校を4回転校し、札幌で中学高校を過ごしました。
金沢にやってきた時には二十歳で既に十箇所(道府県)に住み、訪れたことが無い地域は、山陰・南東北・北関東の一部・甲信越の一部・南九州だけでした。

就職してからは、出張などで各地を訪ね、国内殆どの地域を訪ねさせていただきました。それでもどうしても行く機会が無かったのが、ただ一つ。沖縄でした。

いまでは、もう2年ほど遡りますが、ご縁があって能登の伝説を素晴らしい写真と共に出版する全くの純粋な草の根プロジェクトの御手伝いをすることになりました。
能登在住の一主婦が、それこそ企画も構成も執筆者も何も決まっていないゼロの状態から本を出版しようというのです。
常識ではほぼ絶望的夢物語。
ところが、ご当人はご自分の想いだけで次々と作家、評論家など、それこそ著名な方々にアタックしてご縁が結ばれていきます。物事が動く時とは、こういうものかとつくづく勉強になりました。

能登は、数千年前から定住遺跡がある極めて豊かで、しかも大陸も含めた実に広い地域との交流・交易の歴史を持った半島です。

この本は、その悠久の時の流れに育まれた伝説を現代の人々に判り易く、美しい形でお伝えしようというものでした。
その時の流れ、人々の交流の中には現代の人々が忘れかけている大切なものがあるはず…

能登の伝説を訪ね歩き掘り起こすうち、ひょんな事から能登に伝わる伝説が、沖縄にも伝えられていることが判りました。能登に現存している物語と能登には伝えられていない後半部分が共に沖縄に伝えられていたのでした。

そのお話は、能登椿の始まりに因むもので、概略は次のようなものです。
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昔…

大地震があった。
男鹿半島(秋田県)の一部がちぎれ、波に漂って能登に着いた。
やがてそれは島となって人々が住むようになった。

島には、遠い異国の青年が船に乗って商いをしに、訪れることがあった。

時はくだり、その島に美しい娘が産まれた。

ある年、難波して島にたどり着いた異国の青年は、自分の国に戻る船を造る資金を働いて貯めようとしていた。

彼は島の娘と恋仲になった。

私の国では、乙女達が椿油で髪を結う。
自分が国に帰ったら、自慢の椿油を持ってまた能登に来る。
そうしたら、俺の妻になってくれ…。

二人は固い約束をした。

働き者の青年はやがて船を得て、南の国に帰っていった。
娘は岬の上から、いつまでも見送っていたという。

青年が島を去って二年が経った。
娘は待ち焦がれ、見る影もなくやせてしまっていた。

青年が約策してから三年が経とうとしたある日。
娘は、遂に絶望して、岬から海に身を投げた。

青年が島に戻ってきたのは、その三日後という。

亡くなった娘を悼み、青年は南国から持ってきた椿の苗を岬に植えた。

これが能登椿の始まりと伝えられている。
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全国から有志が小遣いを出し合って能登ラブレジェンド実行委員会なる私的な会が立ち上がり、信じられないような方々を執筆陣にお迎えしたり、推薦文を頂いたり、デザインもプロがボランティアで、写真も地元のプロの方がこのために撮影され神秘的とも言える写真を提供されています。
出版も印刷経費だけで引き受けてくれた出版社の方で、多くの方々の支えによって件の本は出版されました。(本当はご紹介してはいけなかったかもしれません。)

ご紹介した物語は「千年椿」という詩となって収録されています。


漸く、訪れることを許された沖縄で、この物語とこの本のお話を素敵なうちなんちゅの方々に差し上げましたところ、地元のアナウンサーの方々が取り上げていただき、その後朗読会などをしていただくまでになりました。

本のタイトルは「能登 1000星 1000の愛
サブタイトルが「愛が結ばれる星の半島」
帯には、各界の先生方からの推薦の記名を頂き、「きよらかな風景、愛のふるさと、能登に伝わる世界でいちばん美しい伝説本」と記されています。

街角で見かけたら、手にとって見てください。
そして、貴方の中にある「想い」を、そっと思いやってあげてみてください。

この本を世に出す草の根活動の傍に居たことで、心の中に宿る「想い」を決して粗末にしてはいけない事を身に沁みて感じているのです。

きじの夫婦(めおと)

2006-04-26 20:47:55 | 田舎暮らし雑記
勤め先は、金沢のややはずれにあって、すぐ前が里山です。周りにも僅かですが、まだ畑もあります。

今朝、歩いて会社に向かっていると、会社の近くで雉の夫婦を見かけました。
ほんの数メートル先の草むらにいたらしく、私に驚いて少し飛びはねたのですが、地味な色の雌がトコトコと歩いて逃げる間、雄は目立つ美しい姿を草むらに晒したまま動きません。きっと、注意を自分に惹いて雌を逃がそうとしているのでしょう。
微笑ましい姿です。

雄のあまりにも美しい羽をもう少し眺めて居たかったのですが、おふたり(?)の邪魔をするつもりはありませんでしたので、早々に退散しました。

会社の前の草むらに巣をかけているらしく、もうしばらくして子らが孵ると、チーチーパッパよろしく、母と子供たちの行例行進を見かけることもあります。

雉は雄しか鳴きませんが、その鳴き声を「ケンケーン」とか「キーン」とか充てられるのが普通です。が、私にはどちらにも聞こえません。かと言って文字で表現するのは難しく、「ヒー」と「ギー」の間のような感じ…(^^;ヾ
この鳴き声は能登で聞くのとは若干違うような気がします。人間の声のように個体で違うのでしょうか。会社の近くにいる雄は鳴き方が変わりませんので、余り移動しないようですね。
おしどりは仲睦まじい夫婦の象徴とされていますが、毎年パートナーが変わっていると聞きました(夢を壊すようでごめんなさい)。
雉の夫婦は毎年同じ顔ぶれさんなのでしょうか。

調べてみると雉は日本固有の鳥のようで、国鳥なのですね。
私が見かけた雉夫婦の写真をお見せできないのが残念ですが、Wikipediaのよりも、ついでの鳥見人さんの新潟のの方が近い色と姿でした。

学生となって初めて金沢にやって来て、鳥が身近な街であることに驚いたものです。当時私の通っていたキャンパスは金沢城内にありましたが、目の前に大きな鳶が舞い降りてびっくりしたのを今でも覚えています。
大都会にしか住んだことが無かったため、鳥といえば雀か鳩、大きいといってもせいぜい烏でしたから。

都市整備が進み、金沢からも緑が徐々に減っていますが、彼らと身近に居られたらと沁み沁み思います。


夜になって梟(ふくろう)が鳴き始めました…

尼崎JR福知山線脱線事故

2006-04-25 11:57:01 | つぶやきあれこれ
尼崎の列車事故から今日でちょうど一年。
ご遺族や怪我をされた方、関係者の方に心より哀悼申し上げます。

あの日は、私にとっても決して忘れられない日でした。

一年前の今日が月曜日だったことは、発生時刻の頃、丁度高速道路を走っていたことからも覚えています。突然何の前触れも無く、言い知れぬ強烈な不安感に包まれました。これから地震が起こるのか、大事故に巻き込まれるのか、理屈では全く説明できませんが、その感覚は一向に消えませんでした。いつもなら、快調に走行する高速道ですが、その日は60Km/hを出すのが精一杯。
午前中の会議に出席した後、近くの大型家電量販店に飛び込みました。

ずらりと並んでいる大型テレビがどれも列車事故を報じています。頭の芯だけが眩暈を起こしたようにグラグラと揺れるのが判ります。この症状は、この後沖縄を始めて訪ね平和祈念資料館で衝撃を受けたときにも起きました。映画などで卒倒するシーンがあります。それまでは大袈裟なと思っていましたが、まさか自分もそれに近い状態に陥るとは思いもよりませんでした。

母の実家が筑豊(北九州地方)だったため、帰省の度に窓から見える蒸気機関車の力強く、あるいは繊細な姿にすっかり魅了され、子供の頃から鉄道ファンとなりました。
鉄道ファンといえば、御気楽に列車を追いかけている連中のように感じられている方も少なくないかもしれません。しかし、鉄道をこよなく愛する身にとって、今回の事故ほど哀しく辛いことはありません。

かつて蒸機(SL)の機関士だった方が「夜行列車を運転していて、ふと後ろを振り返ったとき、自分が運転している列車の明かりを見て、その中で身を委ねて休んでいる人々がいると思うと、身が引き締まった」とお話されているのを記憶しています。
時代が下っていつしか自分の職というものが、お客さんや世間とどうつながっているのか理解する心、理解しようとする意思が力を失っているように感じます。

尼崎の事故直後、JR西日本の幹部がとった言動にそれが表れていましたし、運転士としての社会的自覚を持ち合わせていたら、如何に独裁的な上司の講演会といえども、あの現場を離れることができたはずはない。と思うと、無念を通り越してしまいます。
ともすると若者に世間との関係性を広く捉える眼が失われていると評論する方がおられますが、航空会社を始め少なくとも最近立て続く人為ミスを見る限り、若い世代の問題として思考停止すべきでなく、かなり広い世代に蔓延してしまっているように感じます。

問題を起こしたとき、企業のトップが「責任を取って辞め」ますが、辞任によって「どんな責任を取った」のでしょうか。一人二人が辞めたからといって取れる・償える責任はあるのでしょうか。
責任は取るものではなく、果たすもののはずです。「責任を取って辞める」のではなく、「責任を果たす能力が無いから辞める」のではないか。と思うのです。
トップの辞任で事済めりとする傾向があるマスコミの思考停止状態にも、無責任を垣間見ます。

列車や航空機など、影響を受ける旅客数が多いものは特に顕著ですが、乗客は運転士や操縦士に自分の生命を預けて乗っています。
運転士・操縦士も整備が十分であること前提に、列車や機体に自身の生命や使命を委ねています。
さらに鉄道の場合は線路が十分に維持・整備されていなければ安心して走れません。保線の仕事です。
航空機の場合も同様に航空管制や空港設備の保守を信頼できなければ飛べません。
どのような仕事であっても、このように何かの職業を支える職業ではないかと思います。

出張や旅にでて、ハプニングに出逢い、何とかしながら帰ってくると、つくづく名が出ない下支えの職に黙々と取り組んでいる方々の存在を感じます。有り難いと思います。
「プロだから当たり前」という考え方もあるでしょう。しかし、プロがプロとして十分な職能を発揮しているから、さまざまに快適な状況・環境が保たれ、提供されています。
「客が一番偉いのだ」とふんぞり返って思考停止している姿が、最も状況に無知で危険な状態に陥っている気がしてなりません。何かあったとき、他人を責めるばかりで自己解決能力が失せている状態のような気がするからです。

都市に人々が集中しています。人が多い街は賑わい、魅力的です。
一方で、集中によってリスクも集中してきます。都市で発生するさまざまな事故・事件・災害は、人口が多いだけに影響・被害が大きくなりやすいはずです。都市に住み、働く方々はこのことも理解されることを願います。
過密・集中が問題を起こす引き金になるのは、列車のダイヤだけではないと思のです。

阪神大震災。尼崎の列車事故。
何故、共に関西なのかは判りません。しかし、東京・名古屋を始め全国の都市にいつ起きても不思議はありません。
尊い犠牲と今でも後遺症に悩む方々を思うと、これらの災害・事故から一つでも多くの教訓を残し、活かしていきたい。そう願わざるを得ません。

三拝