はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

お返し先

2008-08-11 19:55:04 | つぶやきあれこれ
有難うの意味(2008.08.05)」のお話の続きです。

有難いことをしていただいたとき
感謝の気持ちが沸きます。

それを誰に返しますか?

普通は、して頂いた相手の方にですよね。

でも、これでは二人の間だけで
やったり取ったりして回している
に過ぎません。


頂戴した恩は
ちょっぴり自分の利子を付けて
後輩や、その後に出逢った人々
つまり次代にお返しします。

その人たちもまた、同じように
ちょっぴりの利子を付けて次の人に返してゆく…

すると、どうなりますか?

恩と感謝が、せせらぎのように流れ始め
小川のようになり、
やがて立派な川のように人々の間を流れ始めることでしょう

中には自分の中だけに溜め込んでしまう人もいるでしょう
でも、気にしない、気にしない
その人が抱え込んだ恩は
水と同じで、やがて腐っていきますから


だから、みんなちょっぴりの利子を付けて
次の人にお渡ししてゆきましょう

それが川の流れのようにサラサラと清く輝くように
流れてゆくことをイメージしながら。

いくつかの川が合流して大河になって行くとき
この世はきっと変わっていることでしょう

そこに流れている水は
関わった人々の恩と感謝と、
それぞれのちょっぴりの利子の
一滴一滴が集まったものですから

有難うの意味

2008-08-05 20:29:08 | つぶやきあれこれ
ビジネスマンは、初めてお会いするとき、名刺交換という儀式をします。

さて突然ですが、クイズです…

毎日10人の方と名刺交換をさせていただくとして、日本人全員と名刺交換(出逢う)のに何年かかるでしょうか?

1年は365日だから、3650人。丸めて年間約4千人とすると、人口は約1億2千万人だから…。


答えは3万年。

凄い数字ですよね…
でも、計算間違いではありません。


が、これでは長すぎます。
逆に一日に出逢う人の数を増やしてみましょう。

一日100人で3千年。
千人で300年。
更に増やしてみると…

来る日も来る日も常に新しい3千人の方々と出逢いを休み無く続け、漸く人の寿命とも言える百年を経て、日本人全員との「出逢い」が叶うことになります。


一日に3千人とはどういうことでしょうか。
出逢いに10時間割いたとして1時間に300人。
1分間に5人。1人当たりなんと「12秒しか出逢え」ません。

これを100年間、お盆も正月休みも無く、休まず営々と続けねばならないのです。
これは可能なことでしょうか?


長々と単純計算をご紹介させていただいたのには、訳があります。

この計算から判ること。
それは、同じ日本人同士であっても「一生の間に出逢えない人が殆どである」ということ。

逆に言えば、「出逢った人たちとは奇跡的な確率で、出逢っている」とうことなのです。

これをたった一言で「ご縁」といいます。
この一言に込められた深遠な意味と価値性。
つくづく凄い言葉だと思います。


「ありがとう」は、「有難う」と書きます。
長くこれを当て字と思い込んできました。

が、このような出逢いの奇跡性を自覚した後では、シンの意味が明らかになってきます。

「有難い」とは、「有る事が難しい=希少な確率」つまり、奇跡のことです。

忙しい世の中。
出逢って共感することは、奇跡的に珍しいこと。
だから感謝になる。

世知辛い世の中。
何かをして頂く事は、奇跡的に珍しいこと。
だから感謝になる。

出逢いや、して貰う事が「有難い」事象ならば、我々の身の回りに起こる事は、殆どが奇跡的なことかも知れません。

ところが、それに慣れてしまって、当たり前になってくると…
当たり前=普通のことには感謝ができない。
心が動く感動も起きない。

当たり前の水準が上昇すると弊害は連鎖します。

ほんとうは奇跡的な確率で起こっていることも、当たり前に思えてきます。
その当たり前のことが起きなかったとき、怒りや「とがめ・責め」の感情が起こります。

不幸の始まりです。
自分の勝手な価値観で相手を裁き、勝手に相手に怒ったり責めたりして感情が悪化し、挙句の果てに胃が痛む…
という独り相撲を、僕もよく取って一人で勝手に疲れ果てていました。

鈍感力などと言って、鈍感を勧める向きがありますが、それは危機感・不安感への防衛にはなっても、果たして幸福への扉となるのでしょうか。


日本は感謝の国だと、ある方から聞きました。

心・芯から感謝の念が沸くときの幸福感は、味わってみなければ、理解しがたいかも知れません。

幸福を願わぬ人は居ないでしょう。
それが感謝から得られると深く知っている人は、今日また稀かも知れません。

かく言う僕自身、多くの方々のご縁により、今日があります。

ご縁あることは有難い(奇跡的な)こと
そこから何かを学ばせていただくことは、もっと有難い(奇跡的な)こと
ご縁の輪が広がることも有難い(奇跡が重なって起こる)こと

「有難うございます」って、「奇跡でございます」と言っていることと同じになんですね~
本当に凄い言葉です。

心底「有難うございます」と言える時が、増えると良いですね


でも「有難うございます」と言って居るだけでは、いけないようですよ。

続きは、また近々(^^)/~

最後まで読んでいただき、有難うございます。

頑張れ!東北。負けるな!岩手・宮城

2008-07-22 18:04:05 | つぶやきあれこれ
発生から1ヶ月以上経過した岩手・宮城内陸地震ですが、無傷のはずの観光地にも相変わらず風評被害と考えられるキャンセル・予約が入らない状況が続いているようです。
直接被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
また、周辺の観光地でお客様が激減している関係者の方々にも、お見舞いもうしあげます。

能登半島地震の際、いち早く情報収集し、リンク集を公開された知人のTさんが、岩手・宮城内陸地震一連の情報(マスコミ報道・地元からの発信情報など)を整理してリンク集を作ってくれました。
岩手・宮城内陸地震関連情報

その中で、気になったニュース。
岩手・宮城地震の余震「可能性ほとんどなし」…気象庁 読売新聞(2008/07/10)記事
政府機関も認めたことで岩手・宮城の直接の被災地を除いて、安全宣言がされたと同じだと思います。

ところで、東北各県知事から「安全宣言」が直接出されたのでしょうか?
僕が疎いのか、伝わってこないのが気がかりです。
こういうことは、大々的にやらないと、日常の情報洪水の中で埋もれてしまいます。

僕が6月末に現地周辺への出張に行ったのとほぼ同時期に、現地周辺を専門家の立場で調査した結果が公開されています。
10日後の山形・宮城:その1(当ブログ2008/07/07)
防災専門家による現地調査報告(専門家向けのサイトなので、専門用語が並んでいます。予めご了承ください)
こちらでも、今回の地震の影響が如何に狭い範囲でしかないか、報告されています。

何度も指摘しますが、岩手・宮城内陸地震は過去の地震からは稀に見る程限定的な災害だったようです。


このような状況の中、マスコミもポジティブな現地情報を発信しつつあります。
「いい湯」再開 一関・須川高原 読売新聞(2008/07/20)記事
この報道もローカル扱いなのが大変気になりますが、それでも「自らの報道により被災地でも無い周辺地域が経済的に打撃を受けることの社会的な意味(責任)」について、報道関係者の中にも学習効果が現れつつあると、ここでは前向きに捉えておきましょう。


風評被害に見舞われている地域・関係者の皆様には、ポジティブな情報を発信し続けることが大切です。
その関連で、復旧・復興を印象付ける新しいイベントを企画・開催することなども是非、ご検討になればと思います。
旅館大沼さんの露天風呂 東鳴子温泉
今年の夏は、東北がチャンスかも!
観光客が押し寄せて、せっかくの秘湯が「らしく無い」状態になっていたのが、秘湯らしくなってゆったりできる可能性が高くなっていますネo(^o^)o
(写真は、震災約2週間後の6/26に行った東鳴子温泉・旅館大沼さんご自慢の露天風呂です)
源泉湯治 by 旅館大沼さん


頑張れ!東北
負けるな!岩手・宮城

かんしゃ・く

2008-07-11 00:00:41 | つぶやきあれこれ
癇癪(かんしゃく)の
「く」を取り除き
ただ感謝


ある方から最近伺った言葉です。

素晴らしい言葉に解釈は無用なのですが…


どちらかと言うと、安っぽい正義感が強い僕
自分のことは棚に挙げて
何かと他人の言動が気になり、立腹することもしばしば

ある時、とてつも無く噴火してしまい
それが、一通り収まった後、
自分の胃がたいそう痛むのを覚えました。

怒りは、相手のことで起こると思い込んでいるのですが、
それで自分の身体が痛んでしまう
どうしてだろうか…


悩み、尋ねて歩いた挙句
至った結論。

怒りを引き起こしているのは
他の誰でも無い自らの価値観

あることに対して善悪・良不良を判断している自分の価値観

これを握っている限り、周囲の出来事に対して善悪・良不良を裁いてしまいます。
その結果が自分に跳ね返って、自分が被る痛み

極楽・地獄があの世にあるかどうかは知りません。
が、少なくとも、この世に
いえ、心の中にあることだけは間違いなさそうです。

他人の言動で、自分の心が貪瞋痴に陥る

それは、自分の外の出来事に
善悪の判断を下した自分の感情の炎に
自分の心が焼かれて苦しむ

癇癪の苦とは
こういうものなのでしょう


気に食わない奴に出会う
気に食わない事に出遭う

それは、
自分がその善悪を判断する価値観を握り締めているから

そのことを知らしめてくれている
気づかせてくれて有難う
嫌な役を引き受けてくれて有難う
そう感謝に転化できれば
一転して幸せになれます。

中々どうして
できないことですが…

続報:岩手・宮城内陸地震

2008-06-17 23:25:47 | つぶやきあれこれ
1.防災関係の知人から聞いた情報です。

今回の岩手・宮城内陸地震は、
これまでの地震の最大だった二千数百ガルという加速度と大きく違い
一部で四千ガルにも達していたそうです。

もう一つの特徴は、建物災害が殆ど無い代わりに
猛烈な土砂災害があること

建物災害が少ないことは、人名や被災額を少なくしています。

一方、土砂災害が大きいことは、
梅雨を控えて今後災害が広がる可能性と
広範囲の復旧・復興に大きな負担が必要である可能性を
示唆しています。

2.来週会う予定の山形の知人からの知らせです。
今回の災害は人口が極めて少ない地域だったため、
甚大な震災であったにもかかわらず、
被災者の数も比較的少なく、
さらに被災された住民の大半が親類縁者を頼っているため、
社会福祉協議会も通常の災害で設立されていた
ボランティアセンター設立をしないそうです。

(ここから下は私の意見です。)
このため、被災者はこれまでの災害より
厳しい環境におかれるかもしれません。

昨年、山形の仕事で知り合った
栗駒高原の「くりこま高原自然学校」代表の佐々木さんのブログでは
現地の状況が次々と報じられています。

単純に被害者が少なければ、
被害額が少なければ
復旧・復興体制は簡易でよい
ものなのでしょうか?


たとえ過疎であっても
山間地・中山間地の維持がなされなければ
いずれ都市部にも少なからぬ影響が出る
これが環境循環の基本なのですが…

過疎地に根を張って生きる人々は
都市部で享楽に耽る人々(全員とは限りませんが)の代わりに
水源地や国土の気候環境の変動を守っている
と言ったら言いすぎでしょうか?


今回の災害では、金沢出身の同業の方が殉職されました。
金沢の関係者・ローカルニュースで、
お名前がよく聞かれました。

そればかりでなく、北から西から私のところにも
彼女の訃報を悼む通信が届きます。

彼女も、彼の地の振興を願って役割を請けていたはず。
地元の関係者の方も良かれと、名湯を手配したはず。
それが、何の因果でしょうか…


この災害に自分は何ができ
社会としては何を学ぶべきか
そのことを考えています。


●7/22追記
こちらにも現地情報を追記しました。
頑張れ!東北。負けるな!岩手・宮城
現地周辺の観光地・秘湯は殆どが無事です。