はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

早朝から

2006-06-18 17:06:01 | 田舎暮らし雑記
今朝は6時から在所総出で川と浜の掃除でした。
5時半に起こされましたが、朝食は摂らずに出かけます。

鍬(くわ)一丁に長靴、タオルを首に巻いて。

梅雨の長雨を前に、集落内を流れる川の底ざらえをして、ゴミ集めと河床整備をしました。
先代の町会長時代から毎年恒例になったように記憶しています。
そうなると、不思議なもので以前は大量のゴミ捨て場同然だったものが、今では殆どゴミらしいゴミが見当たらなくなりました。

我が身に返ると判ると、ゴミを捨てなくなる。
人の心とはそういうものでしょうか。

ゴミ拾いだけなら、川沿いの家々でと考えがちですが、本来は防災のための作業ですから、集落全世帯が対象です。この川が氾濫すると集落のかなり広範囲に影響がでるそうです。昭和40年代に上流で土砂崩れが発生し、それが決壊して大洪水を引き起こした事があったそうです。そのためか、皆当然のように出てきます。

「災害は忘れた頃にやってくる」そうですから。

存外早く川が片付いたので、一斉に海岸の砂浜に向かいます。

漁港が整備され、防波堤が沖にでると、河口付近は立派な砂浜になりました。
今では周辺の集落と共に、下水道が完備されましたので、正式な海水浴場ではありませんが、夏になると子供たちが泳ぎます。
そのため、大きなゴミや漂着物、ガラス破片など危険物を取り除きます。
こちらは、海を通じて他県や大陸ともつながっているので、様々な漂着物があります。

自然保護活動をしている方から聞いた話ですが、レジ袋やビニール袋が海に浮いていると、ウミガメや鯨がクラゲと間違って食べてしまうのだそうです。
これらは消化できないそうで胃に溜まってしまい、度重なると消化器系が詰まってウミガメなどは死んでしまうのだとか。

レジ袋・ビニール袋は、海岸に落ちていても嵩張るものではありませんし、砂に絡んでいると中々取り出せませんから、つい放置しがちです。
が、こんな話を聞いていると、見落とせなくなります。

ふっと、腰を上げて海岸線を見渡すと限りなく続いています。
ここで一枚の袋を拾ったからといって、海全体の割合からすると何もしていないのと変わりないほど微々たることかも知れません。
「やらないよりまし」程度の気休めなのでしょう。

それでも、やらないよりまし。
と気を取り直してまた集めます。

トップの写真は、そのとき見つけたハマユウ(だと思います)。
砂浜に咲いていました。
やや地味な花ですが、それでも綺麗でした。

写真には撮りませんでしたが、砂浜のあちこちらに人差し指がすっぽり入る深い穴が開いています。これは蟹さんの巣穴。
長男が小学生6年生の時の担任の先生が熱心な方で、ここに溶かした石灰を流し込んで巣穴調査の授業をされました。先端に蟹のはさみが引っかかって出てきたそうで、子供たちは大騒ぎ。
当時からすると海岸線の形は随分変わりましたが、相変わらず生息していたのですね。良かった。

終えたのは、朝のサイレンが鳴ってしばらくした7時半。
1時間半の作業でした。
解散の時には、缶ビールと缶ジュースが一人一本ずつ貰えます。

短時間でしたが、意外にあちこち汚れが飛んでいて戻って早速、シャワー。
たったこれだけでも一汗掻きますね~
さっぱりしました。

ここで朝食。
家内は地区で開催しているグリーンツーリズムの手伝いに、ご出陣です。

このまま留守番をしていると、昨日のようにウトウトしてしまうのでいけません。

郵便局本局に電話をすると、日曜日でも15時までは小包を受け付けているそうなので、早速月曜朝発送予定の米を今日の午後から送るべく、精米しに行きます。
少しだけですが、自家用に作って余った米を知人に安く分けています。

トルコ桔梗写真は、自動精米所の付近で見つけた花。舗装と縁石の間から咲いていました。
トルコ桔梗でしょうか?
花びらの周囲がほんのり色づいて、こちらも美しい花です。

これらの写真は、精米から戻ってから、カメラを持ち出して再び撮影に出かけて撮ったものです。
戻ってきたら前の記事のとおり、田んぼの溝きり作業を撮影に。

小さい花この花は、田んぼのあぜ道で見つけたものです。本当に小さな花で、7~8mm程しかありません。青紫色をしているので、ようやく気づくほど。
なんと言う名の花でしょうか。


この後、カメラを持って集落をパチリ。
鎮守さんの桜の幹この写真は、村の鎮守さまの境内にある桜の幹。
コケの感じが素敵です。幹から若葉も出ています。
生命感溢れる季節です。

つた鎮守さまのお隣はお寺です。その蔵のひさし。比較的新しく直したようですが、またこんな状態に。
生命力を見るべきか、無精と見るべきか…





石垣と塀 石垣から同じくお寺の石垣。







新芽お隣の生垣からも新芽が出ていました。
いつもなら見過ごしてしまう、こんな何でもないような光景にも、意識を向けられるようになれたのは、やはりカメラのお蔭ですね。

それにしても腕を上げなければなりません。

この後、自宅周辺の草刈。
郵便局へ行ってお米の発送と買い物。

戻って来ると、金沢で看護婦をしている義妹から、義父へ「父の日」の贈り物が届いていました。彼女は今日も勤務だそうです。

私からは、夕食時に義父に贈り物をしようと思います。
が、息子二人と娘からは、どうせ音沙汰無しだろうな。きっと。

明日からまた、金沢で単身赴任です。

田んぼの溝きり

2006-06-18 13:50:52 | 田舎暮らし雑記
両親が、田んぼの溝きり作業の準備をしていた処に、丁度カメラを持って散歩から戻って来たところ「写真に撮ってみんかいね」と義母に誘われて付いて行きました。

トップの写真は、田んぼの溝きり機です。
苗がしっかりしてきたこの時期から、田んぼの水はけを少しずつよくしていくために、15列前後の間隔で、稲と稲の間に溝を切っておくのだそうです。

ヘロヘロ植えの跡5月の連休中の田植えの際、私が田植え機の操作を誤ってヘロヘロに植えてしまった形跡は、ご覧のような結果になっています。右側が義叔父が植えてくれたところ、曲がっているのが私のところ。間に短い列があるのは、義母らの手植えです。

溝きり機で溝を切る義父が田んぼの溝を切っていきます。機械の前方にある鉄輪をエンジンで回して引っ張りながら、後ろの方のスカート状の部分で溝型に仕上げていく仕組みのようです。
義母が良かれと思って、最短経路を行けるように道順を提案をするのですが、義父は聞こうとしません。能登では、正義の頑固者をイチガイモン(一概者)と言います。
義母「ほんとうに、イチガイやさけぇ…」
ちなみに、一概とはかつて枡で米などの量を図るときに用いた定規のような道具です。量目をごまかさない正直者という意味と、縦のものを横にできない融通の利かない人の両方の意味で使われますが、ほとんど悪い方を意味しているようです…

溝の切り上がりご近所の田んぼで綺麗に仕上げてあったので、今後の参考のために、一枚。
こんな風になると良いのですね。簡単そうで、難しいのでしょうね…



母戻る刈っておいた草を発酵させた肥料を義母が運びながら、戻ります。

80歳手前の義父に田んぼの作業をしてもらうのは気が引けますが、人間は自分ができるうちはした方が良いそうです。
役に立つことが無くなると急に老けると聞いて、申し訳ないと思いながらも作業をしてもらっています。

私と交代するまでもう何年もないのかもしれません。

それまで、よろしくお願いします。父上。