はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

進化論と老い

2006-06-16 22:10:43 | つぶやきあれこれ
ウェブ進化論」(梅田望夫著ちくま新書582)をようやく読み終えました。

おっと、ITのお話はしませんので、もうちょっとお付き合いくださいね…(^^)

おとといから始まったばかりのニフティの新しいサービスwipi
ブログで本やゲームについして、リンクないし触れられている件数のランキングサイトで、現在進行系で人気度・話題度が判るようになっています。
このwipiで本日現在、「ウェブ進化論」は第3位となっていました。(こちらの書名からwipiのウェブ進化論のレビューページに行けます)

かなり早く親友から情報を得て、金沢市内を探しましたが無く、能登の書店でようやく発見。入手したものは、第一刷から一月も経っていない日付なのに第四刷。
その後、多忙で積読…。

文体はとても読みやすいのですが、かなり刺激的な内容のため、中々読むスピードが上がりません。ものによっては、晩酌後でも読むことがありますが、この本はシラフで読みたかったため、出張の移動時間などを利用して、少しずつ読み進めていました。

主な内容は、このブログのテーマとちょっとずれるので、全く別な角度から気になった箇所を引用します。

[終章 脱エスタブリッシュメントへの旅立ち]から(p.238)

# 34歳のとき、もっとモノをよく知っていて、もっと客観的で、それゆえ
#「もう少し力をつけてからでも遅くない…」なんて考えて、冒険しなかっ
#たらと思うと、ぞっとする。モノが見えてなくて良かった。今、心から
#そう思うのだ。
# たしかに「44歳の私」は、10年前「34歳だった私」に比べて、圧倒的に
#モノが見えている。いろいろな経験を積んだ。たくさんの人を見てきた。
#でもモノが見えている分だけ、新しいこと、未経験なことについて、ネガ
#ティブに判断するようになってはいないだろうか。
#これを「老い」と言うのではないのか。


著者とは同世代。

2001.9.11の同時多発テロに対して
「反射神経が全く働かない『古い日本』。そのことに愕然として力が抜けると同時に、知らず知らずのうちに自分の中にもしみついた『古い日本』を脱却して、『新しい自分』を構築しなければと強く思った」(鍵括弧内引用)
ことをきっかけとして、それまで年上の有力経済人とばかり付き合っていたのを止め、十年以上若い世代とのコミュニケーションに重点を置くようになった、といいます。

これらの経験を通じて、上の引用文が示されています。


今は、あらゆることが激動する世の中。

まるで飛ぶように移り行く車窓を眺めているようです。
あまりにもめまぐるしい光景に、「ついていけないっ!」と思わず目を伏せてしまいます。
そこから見えるものは、足元の目先のことだけ…

だからこそ、進むべき先(変革の本質)を勇気を持って見つけなければ。

そう思っていたときに、この本に出逢いました。

具体的な箇所について若干の意見の相違はありますが、ぼんやり思い描いていたことを根幹的な部分で明確に示してくれたと感じています。

インターネット技術との関係を問わず、冒頭の引用部分から大きく教えられているように思います。

激流にもまれる中、昔の知識や経験だけでは、必ずしも上手くいかなくなっています。

それに失望し(怖れ)て頑なになるか、
あるいは新しい体験を求めてワクワクするのか。

この差は大きいように思えてなりません。

「老い」は、「年齢とは関係が無い」ようなのです。