はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

思春期の子どもと親へ

2006-06-26 20:24:57 | つぶやきあれこれ
思春期の子どもたちが入院する病棟で臨床医をしていた経験を持ち、今は県庁の子ども政策課に勤務されている女医のNさんの講演を聞きました。24日の土曜日、市内の高校PTAが一堂に会し、夏休みの向けた補導・巡回の研修大会の基調講演です。

ちょうど奈良県で、父親から成績のことでしかられた高校生が自宅に放火して、母親と兄弟を焼死させるという、なんともやるせない事件の報道がされた日でした。

臨床医のとき、子どもたちから教えられたと開口一番仰いました。そして、大人の方が子どもたちから試されているとも…

●どうせ私なんか…こげぱんの悲しみ
絵本「こげぱん」の表紙「こげぱん」君はこの店一番の売れ筋で、いわば成績優秀。ところがある時、コロンと転げて、落っこちて気づかれたときには「こげぱん」に…
「どうせ僕なんか捨てられるんでしょ…」といじける「こげぱん」君のお話です。

絵本「こげぱん」を紹介しながら、子どもたちから「どうせ」という言葉が出たら、かなり丁寧な気持ちで接する必要があるとの指摘。


●心のベースキャンプ
今の世の中でどこかに「子どものベースキャンプを確保する」ことが如何に大切かを、冷静に、しかし思いは熱く優しい口調で語られます。
臨床医としての経験とお人柄が滲み出ています。

「ベースキャンプを持たずに、エベレストを登れる人は滅多にいない。」
確かに一流の登山家でもベースキャンプには、さまざまな支援のスタッフに控えて貰っているはずです。
現在の子どもたちには、心のベースキャンプが無いため、自分に対する基本的信頼感がないことが一番の問題の背景となっているそうです。


●自尊感情を育む事
基本的な信頼感=自尊感情を育むには、小さいうちに心の根っこに「貴方はやれるんだよ」と伝えることが必要なのだそうです。
成長してからでも、自尊感情を持つことはできるそうですが、乳幼児期が一番確実なのだそうです。

1歳くらいから、少しずつ自分でやろうとしますよね。スプーンで食べ物を口に運んでみたり、一人で歩いたり。
「自分でやれる」「私はできるんだ」という感情が芽生える瞬間、なのだそうです。
キラキラと輝く瞳の素晴らしさを、ご自分のお子さんの写真を見せながら伝えてもらいました。

それを「あらあら、ボロボロこぼして…」などと、完璧にできないことの方を先に指摘すると、幼子の心には「自分はどうせ…」と思い込んでしまうそうです。これを立て直すのは大変。

「貴方は大事な存在なんだよ」「そのままでいいんだよ」と伝えること、
「『生まれてきてありがとう』という言葉の重さを今の子どもに伝えたい」と語りかけられます。


●評価の原理
一方で、家庭でも学校でも「評価の原理」が働いています。
評価したくなくても、成績をつけなくてはならない。

「貴方は貴方でよいんだよ」と思っても、それを損なわざるを得ない先生の苦しみが判るとも。

「教師を目指した頃は、光り輝く子どもたちを育てたいと思いながら、ビジネスの枠組みが効率化を目指している現在、先生自身も評価される側に」います。


親に力が抜けると、子どもの顔が緩むそうです。
力んで子育てをしようとせず、子どもへの過剰な干渉をいかに和らげるか。

子育てに理想像を描く方ほど、難題になりそうな気がします。


●よく見る
よく見るとは、よく理解すること。
子どもが持つ力を信じられるということ。
一番問題なのは、待つことができていないこと。

大人としてハラを括ること。
とも言い換えられました。

臨床医として母親の悩みを聞いていると、母親自身がステレオタイプの「良い子」を目指していることが多いそうです。
・元気で
・明るく
・勉強が好きで…
そんな子ばかりだとちっとも面白くないでしょ。
ジャイアンが居て、ノビタが居て
だから、世の中かが面白い
そういうと、「先生は無責任で良いわね~」って返されるのだそうです。


●多様な人格を認める
結局、親自身が色々な子どもの特徴・人柄を認めていないようです。

海外にフリースクールと呼ばれる施設があります。ここでは、通常の学校とは異なる枠組みで子どもたちを育て、見守っているそうですが、関係者は「30年後に活躍できればよい」と考えて接しているのだそうです。

「今よりもっと長い目で、『人間としての評価』ができるように待つことができているのか?」我々親自身の問題のようなのです。

「『こどもはみんな自分を、人間を信じたいと思っている』ことを、大人が信じているのか?」と問いかけられると、返答に窮します。

「心の奥で子どもを信じられる瞬間がくると、子どもが変わる」そうです。


●思春期と反抗期
思春期は何も高校生頃だけではないそうです。

1回目の思春期は1歳半から3歳頃に掛けて。
この頃に育つ根っこの部分がっかりしている子どもは、2回目の思春期が来ても大きく揺れることはないそうです。

性ホルモンと成長ホルモンのバランスが微妙で、かつ感情をコントロールできない第二の思春期が、一般に言われている反抗期なのだそうです。
この時期は、本当の心の離乳期であり、自立の道筋なのだそうです。

「甘えたいけど、甘えられない」という依存的自立のジレンマに包まれる時期。

自分探しをしているこの時期は、親に代わって同性の友達の存在が大きくなるとも。

「変化するときは不安になって当然」なのだそうです。

母親の産道を出るときは、生まれるとき。
この時母親は一緒に体験を分かち合えます。

しかし、
思春期の産道は、親が一緒になって体験してあげることができないとも。


●やるべきときに、やるべきことを、やる
かつて思春期には、「自分とは何であるか」という類の本をよく読んでいたものですが、これが今は、ないのだそうです。

このような機会は、自分を照らす鏡を覗き込むことであり、自分と同じ悩みを抱えている人がいることを確認する機会でもあります。

ここで、中一の女の子の文章を紹介されました。ほんの一部。
「素直になれなくなると自分がつらい
 ちゃんと『はい』と返事ができる日が来るといいなぁ」

小学生:柔らかい・輝いている→きつく言っても大丈夫
中学生:一杯一杯。ツンとつくと、はちきれる
高校生:自分が見えてくる。自分の課題を自分で整理できる
という段階が今は遅くなり、中学の過程を高校で経ていることが教育現場の課題になっているのではないかと感じられているそうです。


●安心の場所から自立ができる
人の心には、
自立→自由→不安→依存→不自由→安心→自立
の螺旋があるのだそうです。

自立をすることは自由を獲得します。
自由になると不安になります。
不安に駆られると依存しようとします。
依存すると不自由になります。
その束縛がある種の安心感をもたらします。
この安心感があるからこそ、再び自立しようとすることができる…

思春期では、
放置して欲しい・抱きしめてほしい
認められたい・依存したい
という気持ちの間で揺れ動いています。

その心が、親とボタンを掛け違うことで、互いに理解が難しくなる。

親の懐から離れて自分の脚で歩き始める1歳の頃、「私は歩けるから親は後からついていらっしゃい」と歩き始める。
ところが、ヨチヨチ歩きですから、躓きます。
このとき、助け起こすと「自分で起きられるのに」と怒ることがあり、
ではとばかり、次に起こさないと、これまた逆に「何で起こさない」と怒ったりします。

それでも、幼児期はわかり易いのですが、思春期はわかり難い。

コツは、ズバリ「思春期は親がオタオタすること」なのだそうです。
親がオタオタしているうちに、子どもに力がついていくのだとか。


●理不尽な怒りを開放する
思春期は、
子どもとの距離を、つかず離れず保ち、
よ~く子どもを見ていないといけない
時期です。

しかし、思春期の心のうちは親から見えにくいので、親は腹が立ってしまいます。

ところが、
子どもからすると体と心はアンバランスな状態。
時として、理不尽な怒りに包まれる。

そんな子どもの怒りの背景に
不安があることを見てあげようというのです。
怒っている、ブスっとしている子の顔を見て、親も一緒に怒ってしまうのではなく。

大人も子どもも
エネルギーを如何に開放していくか
これができないと、おとなが疲れていくそうです。


●理解するということ
自分は認められる存在だ
自分はありのままで、それで十分なんだ
と本気で思えるか。

また、問いかけられます。

家庭がこうであると一番よい。
…ほんとうに、そうですね。

誰か判ってくれる人が周りにいるとよい。

子どもに聞くと、
学校の先生を挙げる子がいるそうです。
「教師冥利に尽きますよね~。
 その子にとって一生の人になるのですから」
臨床医としても、そんなご経験をお持ちのようでしたよ。


子にとって、心の居場所になる

言うのは簡単ですが、
そうなれるかと問われれば、甚だ心もとない…

「よく見る」ということは、「よく聞く」ことだそうです。
ちょっと子の話を聞いて「そうそう。お父さんの高校時代は…」なんてやっちゃダメ。
それは聞いているのではなく、自分の話をしているだけ…

耳が痛い…です。

子どもの心が開かれ始めると、よくしゃべるようになるとか。

子どもたちは話したいことが、たくさんあるのだそうです。
でも、大人を見極めて、真剣に聞いてくれる人にしか話さない。

子どもの話をしっかり聞ける人か
子どもに試されている…

ますます、耳が痛い…


●おとなは、ちゃんと大人であるのか
立ちはだかることが必要なときに、きちんと立ちはだかることができるのか

優しくも厳しい問いかけは続きます。

子どもはエネルギーに溢れているので、自分で止められないことがあるそうです。
そのとき、大人がそのことを見切って止めに入ることができるか。

ここが重要だそうです。

大人であるということは、
さまざまな葛藤を抱え持つことができる
こと

生身の人間である事を見せる
おとなの弱さもボロボロ子どもに見えるのは良いこと
なのだそうです。

子が抱える葛藤を、大人も等身大で抱えている
そのことを伝えるために。

体の問題は医術で治る
心の問題は付き合うしかない。
とキッパリ。

自分は自分の身の丈をそのまま見せるしかない
大人然として押さえつける必要はない
弱くて悪いかと、心底いえる大人の強さ
これを見せられる大人が、実は非常に強い人なのだ
と。

それを見て子どもが成長するのですね。


●大人としての心のあり方
少年院から出るといきなり社会復帰するのではなく、場合によっては専門のグループホームで集団生活をして馴染ませる中間段階を経ることがあるそうです。
その施設を世話している方の壮絶なお話も伺いました。

子どもたちの膨大なエネルギーに晒されて寝食をともにしていると大人は持ちません。
その方は、常に自分の心のありようを、自分で観察しているとか。

心のエネルギーを開放しているか
心がよどんでいないか
自分の心を絶えず見つめているそうです。

心が、せせらぎのように常に水が流れているような状態だと
問題が来ても直ぐに新しい水が流れ込んで澄んでくる
心が固まっていないこと

自分をごまかさない
子どもと真剣に向き合える自分を「自分で支える」
のだそうです。

これは凄いお話です。


●共感:子どもは「自分の人生を引き受ける存在」
子どもは大人の10倍も大人を感じて生きているそうです。
互いに生身の人間であるという共感が必要とのこと。

子どもの人生を大人が変えることはできません。

子どもは
「自分の人生を引き受ける存在」
であり、
「人とつながっていける存在」
でもあるそうです。

その上で、「大丈夫といい続けることの意味」を考えて欲しい
と言われました。

深い指摘です。


●トラブルをどうみるか
子どもがトラブルや問題を起こしたとき、
「問題と捉えるか、成長のプロセスと捉えるか」
大きな分岐点のようです。

「思春期に問題を起こすとありがたい」のだそうです。
2~30代で起こすと大問題になると…
それもそうです。

「トラブルを起こしている子は感性が強く、家庭の中の問題をその子が引き受けている」場合が多いとか。
「トラブルを起こしている子は、そのような力を持っている子と見てください」と。

人が人を変えることは有り得ない
・自分が変わる
・時間が変えてくれる
・だから傍に寄り添って心を傾けて聞く信じて待つ

教えようとしても無理
傍に寄り添うしかできない

子に対する共感を持っているか
と、またも問いかけられます。


●子のために
ポイントは3つ
・話を聞く
・頑張りを認めてねぎらう
・ありがとうをどんどん使おう
だそうです。

話を聞く際は、子が口を開く手法を使うこと、と釘をさされました。

ちょっとお惚気(のろけ)話をされましたが、ご主人はよく「ありがとう」と言われる方なのだとか。
醤油注しを取って貰っても「ありがとう」
新聞を渡されても「ありがとう」
自分はこの「ありがとう」で丸め込まれているのだとか。

夫婦間でも、職場でも、ありがとうで丸め込んで、この3つだけを使って人間関係がよくできるのでそうです。


長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

講演を聴きながら、その場で入力したメモ帳から起こしましたから、一部間違いがあるかもしれません。その節はお許しください。

何度も感動して、ただでもゆるい涙腺がボロボロに…
変なオヤジだったと思います。

記事を書きながら思い出してもジーンと来ます。

残念なのは、それを十分お伝えできていないこと。

後から知ったのですが、家内も既に別な機会にお話を聞いていたそうです。
こんな素晴らしい先生が居たとは。
壮絶な修羅場をくぐってきた方のお話は、つくづく重みが違うと感じた次第です。

数週間前から娘が私に口を利かなくなりました。
来るべき時に、来るべきことが、やって来たようです。
感動しただけでなく、ちゃんと実生活に応用できる…かな?