「影響の輪」を広げる

向上心旺盛と自画自賛している中年おじさんのブログ日記

今も昔も、「パソコン1台の価格=車1台の価格」の方程式

2009-02-28 | Weblog

 

IBMが、初めて、パーソナル・コンピューターを販売した時(1983年)、PC1台が、100万円前後と、車の値段と同じ程、高価格だった。

 

 

 

その当時の、IBMマルチステーション5550の値段は、ここを参照: 

http://homepage3.nifty.com/ibm5550/5550.html

 

 

 

2月26日のニュースでは、インドのタタ自動車が、1台19万円の車を販売。

 

 

 

一寸、高機能なPCと同じ値段で、車が買えるほどになった。

 

 

 

違うのは、PCの価格も下がり、車の値段も下がったこと。

 

 

 

技術革新は、凄いに尽きる。

 

 

 

1983年当時のパソコンのCPUは、8ビット。

でも、高かった。

 

 

 

今や、車の値段が、20万円を切ること。

 

 

 

数年前、カーナビですら、純正20-30万円していたのに、その値段で、車本体が買える。

 

 

 

タタ自動車の記事は、ここを参照:

 

http://www.asahi.com/shopping/news/TKY200902260229.html

 

朝日新聞の引用(上の記事が消滅するため)

19万円の世界最安値車、4月発売へ タタ・モーターズ

2009年2月26日

写真タタ・モーターズの「ナノ」の試作車

 【バンコク=高野弦】インドの自動車大手タタ・モーターズは26日、世界最安値の10万ルピー(約19万円)の乗用車「ナノ」の販売を4月第2週から始める、と発表した。昨年1月に計画を発表し、世界的な注目を集めていたが、東部の西ベンガル州での工場建設計画が地元住民の反対で頓挫し、発売が遅れていた。

 同社はその後、西部のグジャラート州に新工場を建設すると発表したが、今回発売されるのは、既存の工場で生産される製品とみられる。同社は3月23日に新車発表会を改めて開き、詳細を説明する。

 

 

閑話休題:

 

自動車の部品を見積もってみよう。

 

タイヤ4本。どう安く見積もっても3万円。

 

 

車体を構成する粗鋼(鋼板)1トン。7万円。

(粗鋼の原材料のくず鉄は、2万円)

 

エンジン:オートバイの150cc16馬力で3万円(中国製)。

 

他にも、配線、シート、溶接、塗装など考えたら、直ぐに20万円に達する。

 

20万円での車の提供は、凄い。

 

 

 


黒澤明監督「生きものの記録」

2009-02-27 | 映画

 

この映画のタイトルが、「生きものの記録」。

 

 

 

今なら、動物を扱っている記録映画みたいなタイトル。

 

 

 

実際は、原爆、水爆を怖がっている鉄工所の社長(中島喜一)の話。

 

 

 

主人公の社長は、若い(35歳)三船敏郎が、老人役になって演技。

 

 

映画の詳細は、ここを参照:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2

 

 

映画の中の会話:

 

 

調停委員の父(原田:志村喬)が、息子に問いかける場面:

父:「なぁ、進」

息子:「はぁ」

父:「お前、原爆だとか水爆、どう思う」

息子:「なんです、急に」

父:「まあ良いから。どう思う。怖いかい」

息子:「そりゃ、怖いですよ」

父:「本当に怖いかい」

息子:「本当ですよ。誰だって怖いに決まっていますよ」

父:「じゃあ何故そうやって落ち着いてられるのだい」

息子:「そりゃ・・・・、だからと言って、どうしようもないじゃないですか

(食事の場面:中略)

父:「しかしだよ、それをまともに受け止める人があったとっすればだがな」

息子:「冗談じゃないですよ、そんなことをしたら、神経衰弱になるのが関の山ですよ」

父:「それが、違うんだよね。絶対、神経衰弱じゃなんてものじゃないなぁ、ありゃ」

息子:「何なんです、一体。今日の裁判の話ですか」

父:「ああ」

息子:「で、どんな」

父:「うむ・・・・、どうも、検討がつかんな、あの人は」

と、まともに、原爆、水爆を怖がっている人が主人公。

 

 

この映画は、戦後10年目(昭和30年、1955年)の作品。

つまり、日本に原爆が2つ、実際に落とされてから10年しかたっていない。

 

 

 

一方、アメリカは水爆実験をしている。

 

 

 

そんな時代背景を理解しないと、その恐怖を持つ人の気持ちはわからないと思う。

 

調停委員での会話:

中島:「ばか、命あっての、ものだねということが、わからないのかね、お前たちは」

次男:「お父さん、命、命といいますがね。人間、誰だって、遅かれ早かれ死ぬんじゃありませんか。そう考えれば、水爆の放射能も」

長女:「そうよ、そうよ、そう考えれば・・・・」

中島:「死ぬのは已むを得ぬ。だが、殺されるのは嫌だ

 

 

 

不安の実感は、どういう動機からきているかを、調停委員が中島(三船敏郎)に聴取している場面:

中島:「不安。いやぁ、そんなものは感じておりません」

調停委員A:「では、何故、慌ててブラジル等へ」

中島:「わしは、原水爆だって、避ければ避けられる。あんなものにムザムザ殺されてたまるかと、思うているからこそ、この様に慌てているのです。

ところが、臆病者は、震え上がって、ただ、ただ、目を瞑っている。倅どもが良い例です」

 

 

自分の工場に火をつけて、その後、精神病院へ。

 

精神病院の医者:「しかし、あの患者を診ていると、なんだかその、正気でいるつもりの自分が、妙に不安になるのです。狂っているのはあの患者なのか、こんな時勢に、正気で居られる我々が、おかしいのか・・・・・・・。」

 

 

病院の個室で調停委員の原田(志村喬)が、中島(三船敏郎)に面談する場面:

原田:「原田です。」

中島:「へえ、良くおいでなすったなあ。

ふふふ、やあ、ここならもう大丈夫じゃ。ご安心なさい。

ところで、その後・・・、地球はどうなりました?

まだ、だいぶ人は残っているじゃろか。

人はまだ沢山おりますか?

え、そりゃ、いかんなあ。そりゃ、いかんぞ。

早く逃げないと、遺憾ことになるぞ。

なぜ、それがわからんのかな。

え、ここへ、この星に逃げてかなければ、いかん。

早く、この星」

(中島の顔に日が当たり、窓越しに太陽を見て)

中島:「はあ、ああ、地球が燃えている。

はあっ、地球が燃えとるぞ

ああ、燃えとる。

燃えとるぞ。

ああ、あ、あ。

あ、燃えとる、燃えとる。

ああああ、とうとう地球が燃えてしまった。

あっ、あああ。」

 

最後のシーンは、調停委員の原田が、階を降り、妾の娘が階にゆっくり上がる。

 

 

足音だけが、コツコツと響く。

 

 

映画の「終」が表示されてから、黒い画面で、怪しい曲が流れる。

 

 

考えさせる映画である。

 

 

 

閑話休題:

 

映像的に、見入ってしまったシーン:

 

①精神病院の個室で、中島と原田が、太陽を窓越しに見ながら、逆光で撮影しているシーン

 

②精神病院のスロープを、降りる、中島家の家族と見舞いにスロープを上がる原田とのすれ違いシーン

 原田が帽子をとる、中島家の家族には原田が目に入らない、原田が足をとめる、原田が覗きこむ。

 それぞれの人が、違った行動・反応をしているが、画面は、同じ。

 

③原田がスロープを降りる時、バックライトで照らして、原田の大きな影をスロープの床に描写している。

 ②と同じシーンのようでありながら、妾の娘とすれ違う時は、原田と挨拶もなく行き交い、顔見知りでない関係の演出。

 同じバックライトを当てているが、妾の娘には、手すり近くを歩かせて、大きな影を消しての描写

等。

 

 

 

それ以外も目を見張るシーンは、沢山あり、計算つくされた画面作りが凄いと感じさせる映画でした。 

 

 


傘専門店の閉店

2009-02-26 | Weblog

 

会社の近くの商店街にある傘専門店が、今月末で閉店する。

 

 

 

倒産でなく、社長が、事業の撤退を決めたらしく、現在は、在庫処分の閉店セール中。

 

 

 

昔は、どの町にもあった傘の専門店。

 

 

 

傘の値段が高かった時代(1960年代)、傘は修理して長く使ったものである。

 

 

 

現在は、ビニール傘が主体で、ビニールでない傘も、安い中国製品が氾濫している。

 

 

 

私も、中国製の普通の安い傘は、6本もっている。

(車のトランクに2本)

 

 

 

今回、閉店セールで、長い傘と折りたたみ傘の計2本を購入。

 

 

 

購入したら、柄の部分に、名前を彫って頂いた。

 

 

 

久しぶりの名前入りの傘。

 

 

 

名前を彫って頂くサービスがあったことも忘れていた。

 

 

 

今回の購入で、日本製は、長い傘が3本、折りたたみが1本。

 

 

 

傘が沢山あるが、その日の雰囲気で変えたいものである。

 

 

 

閑話休題:

 

このお店の創業は、160年以上も前で、当時は番傘を作っていたとのこと。

 

 

このお店の店員のお勧めは、日本製が一番良い。

 

 

選ぶ時のポイントを店員から聞きました。

 

 ・傘の骨がしっかりしている。

  しっかりしている傘とそうでない傘を開いて二本持ち、振ってみると分かる

 

 ・傘の生地が厚く、生地は「織り」でできている。

 

 ・傘の生地が、傘用にできている。

  (傘の淵が、模様になっている。

   一般の生地を使用した場合は、「裁断」と「縫い」で対応できる。

   特に無地の柄の傘は、傘用とは言い切れない 等)

 

 ・同じ値段ならブランド品より、国産のメーカー品が良い。

 

 

セール価格であったが、少し高い傘なので、忘れないように気をつける。

 


ドレッシング「黒酢たまねぎ」

2009-02-26 | グルメ

 

最近、たまねぎのドレッシングに、嵌っている。

 

 

 

買い置きしていた「黒酢たまねぎドレッシング」を食べたら、美味しかった。

 

 

 

製造業者は、熊本県八代市の㈱アジア食品。

 

 

 

商品は、ここを参照:

http://www.47club.jp/webshop/commodity_param/ctc/+/shc/45M-000002/cmc/00084/backURL/http%28++www.47club.jp+webshop+main

 

 

サラダはもちろん、冷やし中華、冷奴に合う。

 

 

 

酢は当然入っているが、玉葱の甘さが口が広がるドレッシング。

 


関西の桜(大阪・京都・奈良)

2009-02-25 | Weblog

 

NHKの「さわやかウィンドー/大阪・京都・奈良/桜」を、2-3年振りに見た。

 

 

 

満開の桜を、曲に乗せて紹介する30分作品。

 

 

 

紹介された三つの地域の桜の名所は、次のとおり。

 

・大阪

 大阪城、造幣局の通り抜け

 

・京都

 清水寺、鴨川(この場面では、五位鷺が映っていた)

  平安神宮、祇園、平野神社、醍醐寺、哲学の道、嵐山

 

・奈良

 吉野の(千本)桜

 

 

 

私は、この全ての場所で、花見、写真撮影をしている。

 

 

 

それ程、超有名な場所ばかり。

 

 

 

桜の撮影では、プラス補正しないと、ほんのり淡い本当の桜色がでない。

 

 

 

残念ながら、このNHKの映像では、桜が白く飛んでしまった映像が多かった。

 

 

 

逆に、撮影のプロでも、ホワイトバランスを調整し、桜色をだすのは、難しい。

 

 

 

しかし、映像の表現(画面構成)は、素晴らしかった。

 

 

 

閑話休題:

 

この場所以外で桜の撮影場所は、奈良県大宇陀にある 又兵衛桜<またべえさくら>もお勧めスポット。

 

 

 

又兵衛桜の隣にある桃の花も、ほぼ同時に開花します。

 

 

 

この桜は、武将の後藤又兵衛桜とも呼ばれております。

詳細は、ここを参照:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E5%9F%BA%E6%AC%A1

 

 

 


トリトン

2009-02-24 | 写真

 

晴海に、住友商事等が入居している晴海トリトン・ビルがあります。

 

 

 

入居者も知らない、トリトンの話。

 

 

 

トリトンは、海の神、ポセイドンの息子で、法螺貝を吹くと波を立てたり、鎮めたりすることができるギリシャ神話の神。

 

 

 

レストラン・コーナーに行くと、写真の様に、トリトンがタイル画で描かれている。

 

 

 

トリトンの詳細な内容は、ここを参照:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3

 

 


黒澤明監督「姿三四郎」、「続 姿三四郎」

2009-02-24 | 映画

 

「姿三四郎」は、黒澤明監督のデビュー作。戦時中(昭和18年)の作品。

 

「続 姿三四郎」は、昭和20年作。

 

 

 

姿三四郎役の藤田進は、その後の黒澤組みの三船敏郎を思わせる良い役者。

 

 

 

(但し、「虎の尾を踏む男達」の「富樫」の役は、一寸、頂けなかったが。)

 

 

 

大河内傅次郎の師匠が、弟子の姿三四郎に言った言葉:

 

 

 

「人間の道は、理性でもなく、目的でもなく、大地と自然の真理である」

 

 

 

戦時中でも、観客をワクワクさせる映画を製作した黒澤監督の脚本力は、凄い。

 

 

 

「続 姿三四郎」の筋書きは、ここを参照: 

http://www.ne.jp/asahi/gensou/kan/eigahyou50/zokusugatasansirou.html

 

 

 

この二作品は、連続して見ることをお勧めする。

 


日本映画「おくりびと」がアカデミー賞受賞

2009-02-23 | Weblog

 

 

アカデミー賞で、日本の映画2本が受賞。

 

 

 

正確には、外国語映画部門で、「おくりびと」。

 

 

短編アニメーション部門で、「つみきのいえ」。

 

 

詳細は、ここを参照:

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20090223-OYT1T00561.htm?from=nwlb

読売新聞記事を引用:

「おくりびと」が米アカデミー賞の外国語映画賞

米アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した「おくりびと」の(左から)滝田洋二郎監督、本木雅弘さん、余貴美子さん、広末涼子さん=AP
「おくりびと」の1シーン=(C)2008映画「おくりびと」製作委員会

 【ロサンゼルス=近藤孝】映画界最大の祭典、第81回アカデミー賞の発表・授賞式が22日午後5時30分(日本時間23日午前10時30分)から、ロサンゼルス・ハリウッドのコダックシアターで始まり、外国語映画部門で滝田洋二郎監督(53)の「おくりびと」、短編アニメーション部門で加藤久仁生監督(31)の「つみきのいえ」がそれぞれ受賞する快挙となった。

 日本映画が外国語映画賞を受賞したのは、特別名誉賞と呼ばれていた1955年の「宮本武蔵」(稲垣浩監督)以来54年ぶりで、独立した部門となってからは初めて。また長編アニメ部門は2003年に宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」が獲得しているが、短編部門では初の栄冠に輝いた。

 「おくりびと」の授賞の舞台には、滝田監督と主演の本木雅弘さんらが登壇。滝田監督は満面の笑みを浮かべ、「私がここまでこられたのも映画のおかげです。また新たな旅立ちが始まります。再び戻ってくることを期待しています」と英語であいさつ。「つみきのいえ」の加藤監督はオスカー像を受け取ると、英語で「重いですね。サンキュー・ベリーマッチ」と喜びを語った。

 「おくりびと」は、遺体を棺に納める納棺師が、人間の生死をみつめる姿を、ユーモアをまじえて描いた作品。納棺師を演じる本木さんが10年以上前から映画化を目指していた企画で、自ら、本物の納棺師のもとで納棺の技術の指導を受け、遺体の顔をふいたり、着衣を着替えさせたりする動きを演じた。

 この作品は日本で昨年9月に公開され、報知映画賞、日本アカデミー賞など国内の映画賞を総なめにし、第32回モントリオール世界映画祭ではグランプリを受賞している。

 加藤監督は多摩美大在学中から、アニメーションの自主制作を手がけ、同大卒業後、映像制作会社「ロボット」に入社。アニメーション作家を集めた工房に所属し、2003年の「或る旅人の日記」などで、多数のアニメーション映画賞を受賞した。

 「つみきのいえ」は、海面が上昇するため、積み木のように建て増しし続ける家に住む老人が主人公の作品。12分の短編だが、手描きの繊細なタッチを生かし、制作には約7か月を費やした。

2009年2月23日13時12分  読売新聞)
 
 
 
「おくりびと」の映画は、本木さんが企画した作品のようです。
 
 
 
 
最優秀作品賞は、インドが舞台、出演者もすべてインド人という「スラムドッグ$ミリオネア」(ダニー・ボイル監督)。
 
最優秀作品賞、最優秀監督賞(ダニー・ボイル)

最優秀主題歌賞-「Jai Ho」-、最優秀作曲賞、
 
最優秀編集賞、最優秀録音賞、最優秀撮影賞、
 
最優秀脚色賞8部門で受賞。
 
 
 
 
 
日本映画、インド映画の快挙。
 
 
 
 
 
 
見方を変えると、アメリカ映画の凋落の兆しか?
 
 
 
 
 
 
エンターテイメント映画の本場、頑張れ。
 
 

 


黒澤明監督「虎の尾を踏む男達」

2009-02-23 | 映画

 

黒澤明監督。戦時中に撮影し、完成したのは、終戦直後の(昭和20年)9月。

 

 

 

その後、認可がおりず、上映されたのが、27年。

 

 

 

詳細は、ここを参照: 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%8E%E3%81%AE%E5%B0%BE%E3%82%92%E8%B8%8F%E3%82%80%E7%94%B7%E9%81%94

 

 

 

映画のより詳細なシナリオは、ここを参照:

http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/toranoowohumu.htm

 

 

 

歌舞伎で、この場面を見たことがないが、歌舞伎の雰囲気を醸し出した面白い作品。

 

 

伝説的な名優の大河内傅次郎(弁慶役)が、主演。

脇役に、日本の喜劇王と言われるエノケンこと榎本健一(強力役)。

 

 

特に、カット割が良かった。

 

弁慶が勧進帳を読み終わった後の、カット割り。

 

弁慶からのコマは、次のとおり。

①藤田進さんの「富樫」:7コマ(映画は24コマ/秒)

②エノケンの強力:6コマ

③山伏1:6コマ

④山伏2(志村喬):5コマ

⑤山伏3:4コマ

⑥山伏4:5コマ

⑦山伏5:4コマ

⑧「梶原の使者」:4コマ

「富樫」の場面へ戻る。

 

 

約1.6秒の間に、8画面のカットで、「弁慶」と「梶原の使者」との緊迫した雰囲気を表現。

 

 

 

 

 

映画の最後の画面の夕景の空と雲。

 

 

 

白黒映画であるが、私には、綺麗な茜色に見えた。

 

 

 

最後に、エノケンが歌舞伎役者の演技する演出も良かった。

 

写真はその場面。

 

 

 

見た後、爽やかに感じた映画だった。

 


黒澤明監督「静かなる決闘」

2009-02-22 | 映画

 

黒澤明監督の昭和24年(1949年)の作品。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%B1%BA%E9%97%98

 

 

 

 

戦時中、軍医だった藤崎(三船敏郎さん)が、梅毒患者の兵士の手術中に、梅毒にかかってしまう。

戦後、許婚(三條美紀さん)に言えず、別れていく作品。

 

 

藤崎が許婚(いいなずけ)を送るシーン(バラが絡まる塀を通る場面)で、自分のことを暗に伝える会話:

 

 

藤崎「例えば、ここに一人の男がいるとしますね。

これは、他の話ですよ。

男でも女でも良いのです。

その人間は、その人間の肉体は、純潔であるにもかかわらず、純潔でない。穢れている。

そう言う場合もあると貴方は想像したこと、ありますか?」

 

 

 

真面目な青年医師を演じた、別の役者を見せた三船敏郎を見ることができる。

 

 

 

医学的にみたら、現在のHIV感染患者の苦悩を伝える普遍的な映画にも見えました。

 

 

 

医学的な見地から、この映画のコメントもありました。

http://www.iryokagaku.co.jp/frame/09-webik/09-webik-0304/screen01.html

 

 

 

閑話休題:

 

父(志村喬さん)と藤崎(三船敏郎さん)の会話も良かった。

 

 

息子が梅毒になった本当の理由を聞いた後の会話:

 

 

父「お父さんは、恥ずかしい。恥ずかしい想像をしてしまった。

 

息子「父さん、そんな・・・・」

 

父「いや、親子だって、謝るべきことはちゃんと謝らねばならん。

どうか、勘弁してくれ。」

 

 

 

映画の中から感じた昭和24年頃のファッション:

 

藤崎(三船敏郎さん)のネクタイは、クリスマス・ツリーのような幅広のネクタイで、しかも、ネクタイの先は、ズボンのベルトより上で終わっていた。

 

 

 

今の感覚から言うと、一寸、変な服装。

 

 

 

映画は、画面を通して、色々な情報を伝えてくれる。

 

 


見上げてごらん(勝鬨橋)

2009-02-21 | 写真

 

勝鬨橋。

 

晴海方面から築地方面を撮影。

 

 

詳細はここを参照:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E9%AC%A8%E6%A9%8B

 

 

 

勝鬨橋は、大きな船が大川(隅田川)を通る時、開閉できる橋。

橋が開いた時の写真は、ここを参照。一番下のセピア色の写真。

http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kachidoki/index.htm

 

 

 

私は、父とこの橋の開閉を見に来た思い出がある。

 

 

 

この橋が、船を通す為に開閉を止めたのが、1967年。

 

 

 

点検作業を含め最後に開閉したのが、1970年11月30日。

 

 

 

若い頃は、この先にあった晴海展示場(東京国際見本市展示場)に良く通った。

 

 

 

晴海展示場での思い出。

 

・英国フェアー(1969年)

 -日本国内で、ロンドンの2階建てバスに乗車

 

・中国との国交正常化(1972年9月)後の中国展

 -この時、初めて楊貴妃が食べていたというライチーを食べた

 

・データショー。

 -晴海展示場の前は、平和島流通センターだった

 

・外食産業展

 -外食産業が立ち上がり時期(すかいらーく、ロイヤルホストが展開し始めた時期)に、招待されて参加。

 -この展示で、外食産業の裏方(調理室)が分かった。

  寸胴に冷凍食材(異なった2袋)を入れて暖めると、美味しいスープができる。

  多分、今の家庭用冷凍食品は、この外食産業の小口化からできている。

 

・ファミリー・セール会場

 

いろいろな思い出のある場所だった。

 

 

 

 

昔の晴海展示場の隣には、今は、晴海客船ターミナルがあります。

 

 

 

レインボーブリッジや東京タワーの夕景の撮影場所として、最適な場所。

 

 

 

私は、時々、撮影場所として利用する。 

 

 


読んだ本(花屋のMBA)

2009-02-20 | 

 

タイトルが、「花屋のMBA」と変わってる。

 

 

 

筆者は、津崎盛久。

 

 

 

MBAそのものの内容でなく、MBAの理論を活用し、個人の人生に活用しましょうという人生設計の本です。

 

 

 

筆者の主張が明確で、分かり易く書かれている。

 

 

 

閑話休題:

 

記述内容に関しては、P52の記述で、ピラミッド・ストラクチャーとロジック・ツリーを混同していた。

 

 

 

ロジック・ツリーは、原因や、対応策を考える手法。

 

ピラミッド・ストラクチャーは、分かり易く説明する手法

 

と、理解している。

 

 

 

アプローチ方法が違うので、夫々は、別物と理解する必要がある。

 

 

 

ピラミッド・ストラクチャーでも、内容を確認するため、Trueと問いかける必要はありますが、あくまで、主張を明確にするために使うのである。

 

 

 

WHY、Howは、ロジック・ツリーであって、ピラミッド・ストラクチャーではない。

 

 

 

ロジック関係の本では、この二つを、混同している本が多い。

 

 

 

この本の筆者の主張には、殆ど、関係ない話ですが、ご指摘まで。

 


映画(黒澤明監督(一番美しく)

2009-02-19 | 映画

 

黒澤明監督、二作目の映画:「一番美しく」。 

 

 

1944年、昭和19年の戦時中の映画。

 

 

映画の詳細は、ここを参照:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%95%AA%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%8F

 

 

この映画では、東亜光学の平塚製作所となっていたが、実際は、日本光学(現ニコン)の戸塚工場で撮影。

 

 

 

映画の中で、踏み切りのシーンがあるが、あの場所は、東海道と東海道線が交差する戸塚駅北の踏み切りと思う。

 

 

 

理由は、次の3点。

①東側から踏み切りを見た時の背景の山が、青源院がある山。

 

 

 

②東側を行進している時の背景の山が、善了寺の山。

 

 

 

③踏切から見た線路のカーブが、東海道線の東京方面を見たカーブと同じ。

 

 

 

昭和19年当時の戸塚(駅)の踏切近辺の風景も見る価値があった。

 

 

 

昔の日本光学の戸塚工場は、今のどこなのか、知りたい。

 

 

 

映画では、ニコンの建物のすぐ近くに東海道線があった。