8月19日、調布駅地下化が完成した。
調布駅の支線として、約40年前までは、調布駅-京王多摩川駅までしかなかった。
京王線には、この手の支線がある。
他には、東府中駅-府中競馬正門前。
高幡不動駅-多摩動物公園駅。
京王多摩川駅には、幼少の頃、何度か行った記憶があるが、多分、調布の花火大会だろう。
その頃、支線の運行本数は少なかった。
なにしろ、相模原線の最初の開通区間は、京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅間(2.7km)は、1971年の開業。
その後、相模原線が延長し、相模原線の本数が増えた。
地下化にした理由は、調布駅西側にある開かずの踏み切り対策。
調布駅から八王子方面、相模原方面へと向かう下り電車は問題ないが、相模原線の上り電車は、京王線本線下り線を跨り、京王線本線の上り電車をかわさないと進めない。
そのため、調布駅西側の踏み切りは、開かずの踏み切りになった。
それを解消するため、地下化。
とりあえず、地下化完成おめでとう。
一度、新しい駅に降りてみたい。
休題:
この辺りの京王線の駅名は、面白い名前が多い。
柴崎駅:駅所在地付近に「柴山」があったことから、「柴崎」と名づけられる。
国領駅:国領の由来は、奈良時代から平安時代に掛けて、朝廷の直轄地(国領)であったことから。
布田(ふだ)駅:古来より、駅所在地付近は「布」の生産が盛んな土地であったことから、「布の田んぼ」という意味を込め、「布田」と名づけられる。
調布駅:調布という名称は昔の税金である租庸調の調(その土地の特産物を納める)で布を納めていたことに由来する。
飛田給(とびたきゅう)駅:荘園制度が盛んであった頃、この地は「飛田 某(とびた なにがし)」という荘園領主から給された「給田地」であったという地名から、「飛田給」と名付けられる。
また別の伝承では武蔵国の悲田院(ひでんいん)の給田地であったことから、悲田給(ひでんきゅう)という地名になり、それが転じて飛田給(ひでんきゅう)となり、さらに読み方が現在の「とびたきゅう」となったという説がある。
武蔵野駅:旧名は、車返(くるまがえし)駅。
「尊像をのせた車がこの地に野営をしたところ、夢告によって仏像を安置し、車をもとに返したことに由来をすると伝える」と村名の起りとある。
更に車返の詳細は、ここを参照:
http://minds.jatokyo.or.jp/minds/vol37/rekishi.html
府中駅:府中とは、1.律冷制の国府(国府)。または、その所在地。2.宮中に対して政治を行う場所(政府、幕府)の意味であるが、府中駅の府中は、1の意味。
大化の改新(645年)に伴い、武蔵野の国府が府中に置かれた。
府中は、本当に歴史のある町である。
府中、調布、国領と、日本の歴史の教科書では、最初のページに出てくる内容ばかり。
府中の隣駅は、分倍河原(ぶばいがわら)駅。
ここは、分倍河原の戦いのあった地名から。
鎌倉時代後期の元弘3年(1333年)5月15日・5月16日に、武蔵国多摩川河畔の分倍河原において北条泰家率いる鎌倉幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢との間で行われた合戦である。
詳細は、ここを参照:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%80%8D%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%99%82%E4%BB%A3)