WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ロバート・ラカトシュというピアニスト

2009年01月07日 | 今日の一枚(Q-R)

◎今日の一枚 213◎

Robert Lakatos Trio

Never Let Me Go

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 今日の一枚も澤野工房盤だ。単なる偶然である。澤野工房盤にはまっているわけではない。ただ、澤野工房盤はたて続けに聴くことが多いような気がする。逆に長い期間ずっと聴かないこともある。まあ、それだけ似た傾向の音楽が多いということなのだろう。

 1975年生まれのハンガリーのピアニスト、ロバート・ラカトシュのピアノ・トリオ作『Never Let Me Go』、2006年の録音である。高校生の頃に栗本慎一郎の読者だった私などは、ブタペスト生まれと聞いただけで、ブタペストという地名に《過剰》な《幻想》を抱いてしまうわけだが、昨年の夏ごろだっただろうか、「澤野工房フェア」と題するダイレクトe-mail があり、次のような宣伝文句にいつものように「騙された」わけだ。

《 至福の夜へと誘う絶品のバラード。やわらかな灯り、香る薔薇の花束……約束された甘い時間(とき)。繊細を極めたLAKATOSのピアノが表現する深い美の世界をあなたに!本当に繊細に選ばれたソロの一音一音がテーマ・メロディの世界を鮮やかに表現し、テーマが美しければ美しいほど、ソロもまた美しい。もちろん、それはバラード演奏において最高度に結実す 》

「やわらかな灯り、香る薔薇の花束……約束された甘い時間(とき)」というところがよい。「至福の夜へと誘う」や「深い美の世界」などのことばもなかなかだ。いい歳をしてこんな言葉に幻惑され、悦に入っている自分がちょっと恥ずかしいが、まあいいだろう。シンプル(単純)でわかりやすい人間である方が生きやすいということもあるのだ……(自己正当化)。

 「騙されて」購入したわけだが、本当に騙されたかというとそうでもない。内容がなかなかどうして優れものだからだ。宣伝文句は確かに過剰なものだが、まったくの嘘ではない。ピアノは繊細でやわらかなタッチで奏でられ、ための効いたタイム感覚で紡ぎだされるメロディーもなかなかに耽美的で美しい。こういう「美しい」演奏はややもすると甘さに流され、「きれい系Jazz」に陥りがちだが、サイドメンの骨太なプレイが演奏全体にしっかりとした芯を与えているように思う。最近の作品なので録音もちろん良い。

 あるブログにあるように「キース・ジャレットやブラッド・メルドーのように独自の世界を持つ大器に違いありません」とはいいすぎだと思いながらも、⑧ Estate の深淵な闇の世界を垣間見るような耽美的な演奏に涙……だ。

 


ジョバンニ・ミラバッシの非売品CD(加筆)

2009年01月06日 | 今日の一枚(G-H)

◎今日の一枚 212◎

Giovanni Mirabassi Trio

Live

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 11月のことだっただろうか、突然、注文した覚えのないCDが届いた。よく考えてみると、だいぶ前に澤野工房のwebの懸賞に応募していたものが当選したらしい。すっかり忘れていた。フランスで活躍するイタリア人ピアニスト Giovanni Mirabassi のピアノトリオアルバムだ。2003年のLive録音盤で、澤野工房の限定盤(非売品)らしい。所詮、非売品=粗品盤だろうと思いつつ、試しに聴いてみると、意外なことに、これがなかなかいい。なかなかに繊細なタッチでよく歌うピアノである。何より、ピアノの響きが美しい。私好みのピアノである。ベースにもう少しだけ深みがあったらなどと考えたが、何せ非売品=粗品なのである。文句は言えない。そのことを考慮したなら、むしろ大もうけ盤である。

 Giovanni Mirabassi は、現代Jazzファンの、あるいは澤野工房ファンの間ではかなり有名なピアニストらしいが、恥ずかしながら、私は名前すら知らなかった。試しにwebで検索してみると、1970年生まれの「21世紀初頭の最も重要なジャズアーティストのひとり」だそうだ。私よりかなり若い。「21世紀の…………」とは随分な表現だ。JAROに通報したくなる過大広告である。このような宣伝文句は当然話半分、あるいはそれ以下として考えるのがJazz業界の常識なのだろうが、同時に記された「叙情的、繊細、哀愁」などの魅惑的な言葉に心の予防線を破られ、警戒心を解除されてしまう自分が悲しい。「せつないまでに美しく、メロディと響きがいっぱい詰まっている」、「その指先から生まれる音楽は、静かにして、強い心の叫び」、「せつないまでに人の心に響きます」、きわめつけは「その指先から音列となってほとばしるイマジネーションは切ないまでに美しく聴く者の心に食い入り、ときに血を流させる」……。ああ、もう駄目だ。過剰で過大な表現と思いつつも、ふらふらっとひきつけられてしまう。

 キース・ジャレットについて、《キースのソロ物が出るたびに、ちょっと迷いつつ必ず買う。あの『ケルン・コンサート』のすさまじく美しい旋律は出ないだろうと思いながら、やはり期待せざるを得ない》と語った寺島靖国さんの気持ちがよくわかる。『ケルン・コンサート』の夢がそのへんにごろごろ転がっているわけではないと思いつつも、それを求める欲望は抑えようもない。終わりがないということが、欲望というものの本質なのだ。

 とはいえ、この非売品CDを聴く限りにおいては、『ケルン・コンサート』のレベルで論じられるかどうかは別にして、Giovanni Mirabassi というピアニストがどうやら聴くに値する存在であるらしいということは十分に感じた。webの宣伝記事・紹介記事からも 《 私のための音楽 》 ではないかいう予感がする。早速、注文し、本当に論ずるに値する作品であったなら、後日感想を述べたい。未知の演奏家を知り、その演奏に期待するというのもJazzを聴くことの楽しみのひとつだ。心はわくわく、どきどきである。


謹賀新年

2009年01月02日 | 写真

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新年あけましておめでとうございます。

 昨年は、何だかんだあって、ほぼ1年、このブログの更新ができませんでした。

 まあ、それでもその気になればできたに違いないのですが、水は低きに流れるといいますか、あるいは生来の怠惰な性癖からか、あれよあれよという間にはや1年です。

 新年を迎え、心機一転、少しずつでも更新していこうかと思うしだいであります。

 写真は、わが書斎の天窓から見えた1月2日の日の出です。