A.himeのフォト日記

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木の根橋と織田家ゆかりの城下町~柏原

2012-05-16 | 写真と旅
春日から柏原へ
5月11日の丹波の旅、つづきです。

柏原地区に入り、まずは柏原藩陣屋跡(柏原藩主・織田家の公邸)へ行ってみました。入館券は向かいの資料館でということなので、まず資料館へ。資料館の入り口に江姫の顔抜き観光人形ががあったので、びっくり。いったいどんな繋がりがあるのだろう…

柏原藩の初代藩主は織田信長の弟、信包。
それで納得。江姫とは叔父・姪の間柄になるのですね。
信包は三代続いた後、嗣子がなかったためお家断絶、一時は天領になりました。1695年(元禄八年)に織田信長の次男、信雄の子孫の織田信休が大和宇陀からの国替で、柏原藩二万石の藩主になり、この藩邸を造営しました。その後明治の廃藩置県まで、織田家はこの柏原で十代続いたそうです。

<5月11日撮影>

柏原藩陣屋跡長屋門


柏原藩陣屋跡表御殿玄関


建物のあった場所に建物範囲や間取りなどの一部が表面表示の工法で残されています。

ちなみに織田信長の子孫と言われるフィギアスケートの織田信成君は信長の七男・信高系の子孫ですが、途中で信長の次男・信雄の子孫が養子に入っているので、血筋からみると代々の柏原藩主と同じ信雄系の子孫とも言えるかもしれませんね。(余談でした~)

柏原にはもう一つ有名なものがあります。それは『木の根橋』
樹齢千年とも推定される大ケヤキの根が、千年の時をかけて幅8mの奥村川をまたぎ、自然の橋をかたちづくっています。「木の根橋」のすぐ横には、戦国時代に織田信長の将として丹波攻めをした明智光秀が本陣を構えた八幡神社の登り口があります。今から約400年前にその下を通ったであろう光秀を、この木は見ていたのでしょうね。


樹齢1000年の大ケヤキ


大きな根っこが川をまたいでいます


八幡神社の鳥居
ここから階段を登っていくと神社があるのですが…天気も悪いので登りませんでした^^;


観光案内所の裏手にもこんなお社が。


柏原の町並み

すれ違った学生たちが「こんにちは」と声をかけてくれました。柏原の子供たちは礼儀正しくて気持ちいいですね。

もうひとつ、面白いのは…『田捨女』
たすておんな?たすてめ?柏原で見かけるこれは?
実はでんすてじょと読みます。田(でん)が苗字で捨(すて)が名前、女(じょ)は女流歌人の名に添える接尾辞だそうです。
田ステ女は江戸時代の女流歌人・俳人で、柏原藩(当時の藩主は織田信勝)の庄屋で代官も務めた田季繁の娘。貞門女流六歌仙の1人として著名だったそうです。夫の死後出家し、晩年は姫路に居住し龍門寺に墓があるという。姫路から来た私たちおばさん二人はびっくり。龍門寺は私たち二人の若かりし頃の思い出の地にあるお寺なのです。思わぬところで繋がっていて…面白いですね。

「歴史探訪の旅も面白いね!」とプチ旅を楽しんだおばさん二人でした。


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