さきほど、洗い物をし終わって、つけたテレビ番組で、
ゴッホの絵は、
ゴッコ生前には1枚しか売れなかったという話をしていました。
しかも、二束三文で。
さらに言うと、弟に。
ゴッホは、弟にせっせと仕送りをさせながら、
高い絵の具をふんだんに使い、コテコテ山盛りの絵を
たくさん描いていたというお話をしていました。
何でしょう、これは。
ま、この議論は、おそらくたくさんの人が、
何度もしてきたのでしょうけれども…あえて書きましょう。
芸術性って何だ?
ゴッホ生前には、ゴッホの絵は、まったく価値が無かった訳です。
じゃあ、いったい誰が、
「ゴッホの絵は、すばらしい!」
と言い始めたのか。
ネットで検索してみた結果、それらしき問答がありました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1135993431
僕が勝手にあれこれ考えて到達した結論は、
「芸術性」などというモノサシは存在しないも同然である、ということです。
芸術性は、その時代時代の流行などによっても変わってくるし、
芸術性と値段は、切っても切れない関係にある。
つまり、「芸術性」というものは、いろんな要素がからまり合って、
影響したりされたりしながら決定されるものである、ということ。
「芸術性の高い作品」とは、イコール「売れる作品」「お金を生み出す作品」である。
芸術家と名のっていても、その活動が、お金を生まないものであれば、
世間は「自称・芸術家」などと言うかも知れません。
あるいは、嘲笑をこめて「彼は芸術家だから」と言うでしょう。
本人が、「私は○○家です」と言っていても、
その活動によって、お金を稼いでいなければ信用してもらえないというか、
認めてもらえないのです。
その人が何であるかを問うとき、
その意味はつまり、
何をしてお金を稼いでいるか、という意味なのです。
稼げない人間は、何者でもないのです。
「ホームレス」や「ニート」を除いてですけど。
そして、ちょっと話それるかも知れませんが、
「天才」とは、「周りの経済活動にたずさわる人たちに、
「お、コイツ、金になるな。
すごく金になるな」
と判断された人だけが呼ばれるあだ名みたいなモノであると、
僕は、思うのですが、いかがでしょうか。
■USTREAM版「漫画の描き方by流星光」
■スカイプID:hikaru-n43

■漫画/質問&議論掲示板


おもしろいと思ったらクリックしてください。
それが私の得票数になります。
ピカソとかの絵って自分には絶対描けないっていうのが分かりますけど、どう芸術的かって言われると疑問ですよね。ちょっと感性が人並み外れてる人に聞くと、ピカソの絵はじっくり見て深みがあるそうです。僕にはよく分かりませんが……
天才っていう概念は僕の中では「自分がいくら時間をかけても絶対出来ないことをする人」ですかね?ルービックキューブを数秒で終わらせてしまう人も天才ですし、42.195キロを3時間きって走る人も天才ですね。
まあ、正直。難しいのでよくわからんです
コメント、ありがとうございます!
そうですねぇ、難しいです。
いや、「難しいです」って言った時点で、
考えるのをやめてる感じがして、
僕は、難しいとは言いたくないんですが、
好き嫌いで言うと、僕はピカソの絵は好きです。
それに、突き詰めちゃった観があって、
確かに、自分に一つのことをあそこまで突き詰めて
できるだろうか…と考えると、
僕が、到達できない地点まで行っちゃった人、という
事になるんでしょうね。
でも、それ言っちゃったら、世の中の人、みんなそうだったりして…^^;
あ、ホントそうですね。
僕は、ホント大したこと無い人間です。
「自分がいくら時間をかけても絶対出来ないことをする人」となると、
これもいっぱいいますね~。^^;
僕は、頭を使うゲームは全般的に苦手ですし、
例えば、うちの妹が、漢検の準一級を持ってるんですが、
それも無理そうです。
もちろん、ルービックキューブも無理っす。
中学生のころ、クラスメイトでいましたけどね。
パズルを自力で解いちゃった人が。
もう、その時点で降伏状態でした。
いや、そう考えると、「天才」という称号を
誰かに与えてしまった瞬間に、
自分をあきらめているような…。
「俺だって、頑張ればできる!」
と思いたい自分がいたりします。
ま、そんな大人を、「アホ」と言うのかも知れませんが…( ̄▽ ̄;)
「天才」が、一般の人が到達できない領域であるなら
「アホ」も同様なのではないかと思えてきます。
「天才」が無理なら「アホ」になるしか
ないじゃないですか~。~~~~~(/ ̄▽)/
以上です。ありがとうございました。