さいきんの流星光
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昨夜、新宿あたりでの人身事故の影響で電車が37分も遅れた。
武蔵境から電車に乗る予定のうちの奥さんは帰るのが30分も遅れた。

人身事故か…。
自殺なのかなー。

自殺はイカン。
しかも周りの人に大きな迷惑をかけての自殺はもっとイカン。
ま、死のうという人間だから何も考える余裕はないんだろうけど…。

電車を止めただけで莫大な賠償金が発生すると聞いたことがある。
終電間際の電車を37分も遅らせてしまったのだから遺族はたまらないだろうな。
そもそも遺族なんていないから電車に飛び込んだとも考えられる。

自殺というと、それなりに理由があるということで、
可哀想とか辛かった人という目で見られることが多い。
しかし自殺はレッキとした殺人であって、対象が他人か自分自身であるかというだけの
違いしかない。
なぜなら、自殺だろうが他殺だろうが、その人物が存在しなくなった穴は同じだからだ。社会の中から一人の人間を消し去るという意味においては違いはない。

そういう理屈を度外視しても、身近な人間が自殺するととても悲しい。
死んだ理由が解らないと、ますます悲しい。
放って置かれた気がするからだ。
理由を告げられずに、強引に、その状況を押し付けられる。
とても理不尽で、まず怒りが湧いてくる。
理不尽な気持ちは何年も後を引き、死んだんだから今更何を言っても仕方ない
と考えるしかない。

ただ、自分は生きているんだという確認にはなる。
自分は生きていて、年々歳をとり、家族が死んだり友人が自殺するなど
いろんなことが身の周りに起こっている。
そうやって自分は歳をとっている。
そういう風にテキトーに落としどころを見つけるのも少しずるいのかも知れないけど、
もう考えるのも面倒くさい。

これで、いいのだ。

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