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世のなかで起こるすべての事は、まるで意味がない。
よって、朝からニュースをチェックする必要などない。
何が起きようとも、いつかは消えていく。
誰が総理大臣になろうともいつかは変わる。
隣の家の住人だって、
かつては口うるさく言ってきたけども、もうこの世におらず、
今は、住人のいない空き家となっている。
最近、
どこかの誰かが何かの違法薬物をやって逮捕されたが、
その男が有名な芸能人だとかで大騒ぎになっている。
そのニュースだって、戦争なり大災害なりが起これば誰も見向きもしなくなって、
ほとぼりが冷めたころに、彼はまた、テレビに出るようになるだろう。
世のなかの動きなんてものは、だいたい一年に二回ほどチェックすれば済む。
一カ月に一度でも、頻度としては多すぎるくらいだ。
このあいだまで指先がじんじん痺れるほど寒かった仕事部屋も、
今日は、朝から汗ばむほど暑い。
世間の動きをじっと観察することなど、ほんとうに意味のない事であると、今朝、急激に実感した。
いや、以前から、そういう考えは持ってはいたんだけども、今朝ほど実感したのは初めてだ。
雲一つない青空の下、雷に打たれたようなショックを受けた。
ついに、頭がいかれたのか、と思われているかも知れない。
だが、もう少し時間潰しをしてはみませんか。
たとえ話をしよう。
縁側に座って、一日中、じっと空を観察している人がいたらどう思うだろうか。
それを一年中、あるいは、物心ついてからずっとずっと繰り返してきた人がいたとしたら、どう思うであろうか。
その人は、その行為によってお金をもらっている訳でもなく、
つまり、気象関係の仕事をしているワケでもなく、
そういう趣味趣向があるワケでもないとする。
通常は、
あの人は、大丈夫なのだろうか。
頭が、どうかしてしまったのではないか、と思うだろう。
それが知り合いであったなら、
注意しに訪ねるかもしれない。
しかし、
空の様子の移り変わりをじっとじっと長いあいだ観察し続けることと、
毎日まいにち、世の中の変化をチェックし続けることとの間に、
何が違いがあるだろうか。
そんな、小さな変化を、
毎日まいにち、全国民に、全世界の住人に発信しつづけているマスコミの皆さん、
朝早くから準備をして、テレビカメラの前で原稿を読んだりアドリブで喋ったりしているキャスターの皆さんは、ほんとうに大変な仕事だと思う。
心からご苦労様です、と言いたくなる。
自分は、
いったい、何をしているのだろうか。
この人生において、いったい何をしているのだろうか。
そして、すべての人間は、
この世界で、何をしているのだろうか、と考える。
答えは、ひとつだ。
世の中の動きなど、何でもないと考える僕の答えは一つ。
何もしてない。
だな。
それしかない。
僕は、何もしていない。
生まれてから、何もしていないし、これからも何もせず、
そして消えていくだけなのだ。
以上、今日の朝の日記でした。
さて、今日も、コーヒー淹れて、仕事の準備にとりかかるかな。
長文におつきあいくださいまして、
ありがとうございました!
流星光ツィッター
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