ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

社会党左派を支持する極右政党・・・政治の世界も丸かった!?

2011-10-14 21:47:08 | 政治
中世ヨーロッパでは、地球は平らで、両端では海の水が滝のように流れ落ちている、という考えが一般的であったという説があり、そのようなイメージのイラストか版画を昔、世界史の教科書かどこかで見たという記憶のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし実際には、少なくとも知識階級の間では、中世と言えども地球球体説は伝承されていたようで、例えば、フィレンツェ生まれの地理学者、トスカネッリ(Paolo del Pozzo Toscanelli:1397-1482)も地球は丸いと語っています。このトスカネッリの説がコロンブスに影響を与えたそうで、しかも、トスカネッリが地球の直径を実際より短く計算してしまったため、コロンブスをしてアメリカ大陸をアジアと誤解させたという逸話になっているようです。

トスカネッリが地球は丸いと考える基になったのが古代ローマ時代のギリシア系地理学者、ストラボン(紀元前63頃―紀元後23頃)であったように、地球は丸いという考えの起源は古い。ヘレニズム時代、そして古代ギリシアにまで遡ると言われています。

そして、地球が丸いことを実証してみせたのが、ご存知、マゼランの艦隊。1519年にスペインのセビリアを200人以上の乗組員たち(270人説、237人説など)と共に出発し、マゼラン自身はフィリピンで戦死してしまいますが、悪戦苦闘の末、1522年に18人だけが世界一周の航海を成し遂げ、帰港しました。めでたし、めでたし、地球は丸い! 従って、西へ向った人と、東に向かった人が、地球の裏側で出会える。滝に落ちる心配はありません。

それと同じことが、実は、政治の世界にもあるのではないかと、実はひそかに想像しています。右へ向った人と、左へ向った人が、裏側で出会って握手をしてしまう・・・政治の世界は、丸い!

社会主義の国と軍事独裁政権の国が手を携えていたり、政治の世界は丸いとしか考えられないようなことがしばしば見受けられます。もちろん、現実の政治では、「敵の敵は友」などと、必ずしも政治思想だけで合従連衡が行われるわけではないのでしょうが、何となく、政治の世界も丸い、と思ってしまうわけです。

そのような思いに合致しそうな状況が今、フランス政界で起きている・・・12日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

与党・UMP(国民運動連合)の幹事長、ジャン=フランソワ・コペ(Jean-François Copé)は、12日、テレビ局・Canal+の番組で、「アルノー・モントゥブール(Arnaud Montebourg:社会党予備選の第1回投票で3位だった候補者)は銀行を接収しようと言っている、大雑把に言えば、納税者の負担にならないうちに銀行の監視を実施しようということだ。それは1917年にボリシェヴィキ(レーニンが率いたロシア社会民主労働党左派)が行ったことだ。フランス左翼の政党がどのような心理状態なのか分からない」と述べた。

さらに、「モントゥブールが、“démondialiser”という時、それは我らが小さなフランスは一人ぼっちで、国境を閉鎖して閉じこもろう、という意味だ」と皮肉り、「その彼が、オブリ(Martine Aubry)からもオランド(François Hollande)からも言い寄られている」と揶揄している。

ジャン=フランソワ・コペはまた、「皆さんが御覧のように、日曜の夜から社会党は大きな亀裂に直面している」と述べるとともに、「右翼であれば、論争は考慮に値する視点を提供するものだが、左翼の論争を聞いても、そのようなものは一つもない」と批判している。

コペは、予備選について、次のように語っている。「リーダーが出てくるのを期待できない場合に、予備選は行われるものだ。もし2012年以降、UMPに真のリーダーがおらず、予備選をやらざるを得ないということになれば、その時は予備選を行うことになるだろう。そうなったとしても驚くべきことではない」(今回の大統領選では、UMPにはニコラ・サルコジというリーダーがいるので、予備選は行わないのだ、と言っているようです)。

テレビ出演の数時間後、ジャン=フランソワ・コペは、週に一度の恒例の記者会見で、オブリとオランドに、テレビ放送される水曜夜の討論会では、極右政党、国民戦線(Front national:FN)のマリーヌ・ルペン(Marine Le Pen)党首が発したアルノー・モントゥブールを支持するという驚きのコメントについてどう考えるのか、意見を表明すべきだと、呼びかけた。

「我々UMPはかなり以前から、想定される国民戦線との対立に備えて用心深く対応を考えてきたが、決して連携しようなどとはこれっぽっちも考えなかった。それが左翼では、予備選で3位の得票を得たモントゥブールがマリーヌ・ルペンの一方的とはいえ、公式な支持を受けることがまったく問題にならないようだ」と、ジャン=フランソワ・コペは語っている。

「この特別な支持は、社会党にとって大きな良心の問題になるはずだ。オブリとオランドは今夜の討論で、この支援についてどう考えるのか、我々に正確に答えるべきだ。曖昧な、一貫性のない答えでは国民は満足しないだろう」と、コペは続けた。

アルノー・モントゥブールへの支持について、マリーヌ・ルペンはすでに月曜日、コミュニケを通して、「自分の経済政策とアルノー・モントゥブールの政策に見られる一致点をさらに前進させたい。共通点の中には、行き過ぎた自由貿易主義の抑制、銀行と金融市場をコントロールする必要性が含まれている」と、説明している。しかし、ルペンは、モントゥブールが一貫性に欠けることを残念がっている。

社会党予備選第1回投票の結果を聞いた後、ルペンはテレビ局・France2の番組で、モントゥブールの支持者たちへ秋波を送った。「企業や工場の国外移転、行き過ぎた自由主義、残酷な自由貿易、信頼のおけない競争、まとまらないEU救済策といったことを否定した左翼の皆さんは今、支持すべき候補者を失い、孤児になったようなものだ。」

・・・ということで、アルノー・モントゥブール支持者が今後支援していくのは、極右の国民戦線だと、マリーヌ・ルペンは呼びかけています。社会党左派と極右政党が、経済政策で一致をみる。左へ左へと向かった政治家と、右へ右へと向かった政治家が、行き過ぎたグローバル化と自由主義経済、金融機関の傍若無人振りに対し、銀行の国有化、市場のコントロールで対応しようと、意見を同じくしています。背中を向けて出発したのに、政界という球体の反対側で出会ってしまった。それも、同じような考えを持って・・・

ところで、最近、話題の少ない、オリヴィエ・ブザンスノ(Olivier Besancenot)はどうしているのでしょうか。2002年と2007年の大統領選に立候補し、左の左としてかなりの票を集めましたが、今年5月、2012年の大統領選には立候補しない旨を表明しました。その後、発言が聞こえてきませんが、モントゥブールよりも左ですから、経済政策については、それこそマリーヌ・ルペンと意見を同じくしているのでしょうか。そんなこと、あるはずがない。反資本主義新党(Nouveau parti anticapitaliste:NPA)をばかにするな、というお叱りを受けるかもしれません。

右へ寄るほど、また左へ寄るほど、アングロ=サクソン流の自由主義経済に反感を抱くのかもしれないですね。“démondialisation”とか言い方は異なっても、結局は、フランスが一番、フランス流でやりたい、従わなければ、国有化してしまえ、ということなのかもしれません。左翼の中でも左寄りの政治家や政党が、もし、極右・国民戦線のマリーヌ・ルペン候補を支持したら、UMP対社会党という大統領選の構図が崩れるかもしれません。まあ、現実問題としては、ありえないことですが。でも、フランス政界が球体であることをぜひ、マゼランのごとく実証してほしいと、ひそかに願っていたりするわけです、あまりに無責任ですが(無責任は、いつものことだろうって・・・恐縮です)。

「絆」は「政策」より強し・・・ロワイヤル、オランド支持を表明。

2011-10-13 21:51:03 | 政治
社会党の予備選第1回投票の後で、大学で政治学を専攻したあるフランス人が、自分は性差別主義者ではないが、と断った上で、次のようなことを言っていました。「2007年の大統領選挙でセゴレーヌ・ロワイヤルが敗れた一因は、自分がフランス初の女性大統領になると語ったことだ。心情的な男性優位主義者が多いフランスでは、『女性の』大統領ということを強調すると男性票が逃げてしまう。そして今、マルティーヌ・オブリは同じ轍を踏んでしまった。もはや、彼女が社会党の公認候補に選ばれることはない。」

従って、16日に行われる予備選の決選投票では、オブリ支持者の中からオランドへ投票する男性が出てくるのかもしれません。しかも、「第1回投票で敗れたセゴレーヌ・ロワイヤルは、オランド支持を表明するだろう、なぜなら、4人の子どもを儲けた元パートナーなのだから」とも語っていました。

もしその通りなら、すでにオランド支持を表明している他の2候補を加え、第1回投票の投票率では、オランド39%、ロワイヤル7%、ヴァル6%、バイレ1%と、合計で53%になり、過半数を獲得することになります。しかも、オブリへ投票した男たちの中からオランドへ乗り換える人も出てきそうですから、オランドが社会党の公認候補になることになります。

政策的には、オランドよりもオブリに近いのではと言われていたロワイヤルですが、やはりかつての絆の方が強いのでしょうか。冒頭に紹介したフランス人は、ロワイヤルは元のパートナー、オランドを支持すると、簡単に言い切っていますから、理性的と思われているフランス人も、「絆」の強さを認識しているということなのかもしれません。いや、それこそ、国の違いを超えた、「男と女」、なのかもしれません・・・

さて、セゴレーヌ・ロワイヤルは、オランド支持を公表した際、もちろん、元パートナーだからなどとは言っていません。公式に言えることではないですからね。では、どう言っているのでしょうか。12日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

得票率6.9%(184,096票)で、社会党予備選の決選投票へ進むことができなかったセゴレーヌ・ロワイヤル(Ségolène Royal)は、12日、通信社・AFPとのインタビューで、決選投票ではフランソワ・オランド(François Hollande)を支持する、それは第1回投票で示された投票者の意向にさらに勢いを与えるためだ、と語った。

セゴレーヌ・ロワイヤルの支持表明はオランド陣営からは歓迎され、オブリ陣営には敬意を持って受け入れられた。

自分のフェイスブックで、セゴレーヌ・ロワイヤルはオランド支持を決めた理由として三点を挙げている。

① フランソワ・オランドは第1回投票でトップに立ったが、投票者によって示されたその声を敷衍させることは正当なことだ。

② 昨夜、フランソワ・オランドは、私が主張してきた公約を、候補者としての政策をまとめ際に加味すると確約してくれた。つまり、私が2008年以来提案し、今日すべての社会党議員が同調してくれている銀行改革を実行に移すこと、政治家が複数のポストを兼職することをすぐにも止めること、エコロジーに配慮した経済活動へと方向転換すること、などだ。

③ 右翼にいかなる隙も与えないよう、社会党の公認候補にしっかりとした勢いをもたらすべきだ。

そして最後に、セゴレーヌ・ロワイヤルは、次のように語った。「我々には、市民の力を統合し、人間の価値が財政システムの冷笑よりも優位を占める新たな将来を創り出す義務がある。フランソワ・オランドなら、フランス国民を一つにまとめあげ、そうしたことを実現してくれると確信している。」

ロワイヤルの広報担当であるナジャ・ヴァロ=ベルカサン(Najat Vallaud-Belkacem)は、水曜午後、ロワイヤルがマルティーヌ・オブリに決選投票ではフランソワ・オランドを支持するという彼女の決断を知らせたことを認めた。

「セゴレーヌ・ロワイヤルは決選投票に臨む二人の候補者とそれぞれ話し合った。その後、彼女の決断と彼女の現状を知らせるべく、マルティーヌ・オブリに連絡を取った。その際、私はロワイヤルの下した決断を受け入れてくれたマルティーヌ・オブリの尊敬すべき態度への称賛を伝えた。」

セゴレーヌ・ロワイヤルは信念を持ってオランド支持を決めたのであり、水曜夜、テレビ局・France2の番組で行われる二候補者による討論の前にその決断を発表した方がよいと判断したのだ。

・・・ということで、「絆」は「政策」より強し・・・そう言えば、「ペンは剣より強し」という言葉は、Edward Bulwer-Lytton(エドワード・バルワー=リットン:19世紀イギリスの作家・政治家、第一次アヘン戦争当時の駐中国主席外交官、有名なリットン調査団の団長・ヴィクター・バルワー=リットンの祖父にあたります)の戯曲、“Richelieu ; Or the Conspiracy”(リシュリュー、あるいは陰謀)が出典とか。リシュリューは、ご存知、ルイ13世の宰相として、陰謀渦巻くフランス政界を生き抜いた人物。21世紀のフランス政界で勝ち残るのは、誰になるのでしょうか。

元パートナーからの支持を受けたフランソワ・オランドが社会党の公認候補になるのでしょうか。もし、政治姿勢が近く、予備選で3位の得票を得たアルノー・モントゥブールの支持を獲得できれば、マルティーヌ・オブリも票を半数前後まで延ばせる可能性があります。16日の決選投票、そしてその勝者とサルコジ大統領との来春の決選本番。あるいは、その間に割って入る「第三の男」あるいは「第三の女」が登場するのでしょうか。しばらく、フランス大統領選から目が離せませんね。

フランスでは、選挙にどれくらいカネがかかるのだろうか?

2011-10-12 21:35:18 | 政治
社会党予備選挙の陰に隠れそうになっているサルコジ大統領。世論調査でも、16日の決選投票で決まる社会党候補の優勢が伝えられています。国民との「絆」は切れてしまっているようですが、では、選挙戦で、何をアピールするつもりなのでしょうか・・・

大統領府の報道官、フランク・ルヴリエ(Franck Louvrier)が、「歯が痛い時、人は新しい歯医者には行かないだろう。治療してもらったことのある歯医者に行くはずだ」と語っているそうです(週刊誌“Le Point”9月1日号)。『ル・ポワン』の記事は、それを次のように言い換えています。嵐が吹きすさぶ時、船の舵を握る船長を換えるべきではない。

つまり、EUの債務危機、景気の二番底、北アフリカの混乱、アフガニスタンやイラクなど、世界が多くの困難に直面している時には、国のトップを換えるべきではない。今までの経験と実績に頼るべきだ・・・国際面での活躍という実績で再選を目指したいということのようです。日本でも言いますね、「嵐の海で船長を換えるな」とか、「急流で馬を乗り換えるな」などと。

一方、野党・社会党からすれば、へぼ船長は交代すべし、駄馬は乗り換えるべし、ということになるのでしょうね。はたして、16日に決まる社会党の公認候補は、どのようなメッセージを発するのでしょうか。

その社会党公認候補を決める予備選挙。フランスでは初めてオープンな選挙となりました。社会党は前回、前々回の大統領選の際、党員による予備選挙で候補者を選びましたが、今回は1ユーロ以上を払い、左翼支持であることを誓えば、だれでも投票することができます(la primaire citoyenne)。

その結果、250万もの人が投票所に押し掛ける結果となりました。大成功・・・話題提供という意味ではもちろんですが、党財政にとっても思わぬ天の恵みとなったようです。どの程度の収入になり、また選挙費用はいくらくらいかかるのでしょうか。10日の『ル・フィガロ』が伝えています。

予備選への投票者の殺到は、その実施費用を埋め合わせることになりそうだ。実際、投票者には、1ユーロ以上の協力が求められた。

第1回投票に250万人もが押し寄せた結果、社会党は投票者からの協力費の総額が320万から370万ユーロ(約3億3,300万円から3億8,500万円)になると見積もっている。この数字は選挙費用の総額をほぼカバーできる額だ。

社会党の会計責任者、レジス・ジュアニコ(Régis Juanico)は、ラジオ局・Europe 1のインタビューに答えて、協力金の総額はおそらく375万ユーロ(約3億9,000万円)になるだろうという予測を明らかにした。左翼支持者たちは、第1回投票に際して、平均1.5ユーロ(約156円)を支払った。パリに限れば、その平均は1.8ユーロ(約187円)になる。16日の決選投票にも250万人が投票するとすれば、余剰金が生まれることになり、その金額は公認候補の大統領選挙費用として活用されることになる。しかし、その額は非常に大きなものと言えるほどにはならないだろう。

投票者の支払いが選挙実施費用を賄うことになりそうだが、その費用は当初の予想よりも膨らんでいる。社会党による最新の見積もりでは350万ユーロほどのコストがかかるということになっている。当初は150万ユーロということだったが。週刊紙“le Journal du Dimanche”とのインタビューで、社会党幹部の代弁者である、弁護士のジャン=ピエール・ミニャール(Jean-Pierre Mignard)は、コスト増の主な理由は投票者のリストに不備が多く見つかり、投票者を再確認する作業を行ったが、その費用が大きく膨らんでしまった、と説明している。

また、管理の強化もコスト増につながった。特に、社会党は不正を防ぐために電子ペンの使用を想定していなかった。指摘されて、急遽、投票所に準備したのだが、その費用は30万ユーロ(約3,120万円)になった。さらには、多くの警備員を雇ったことも大きなコストになったと、ミニャール弁護士は語っている。

候補者に認められた予算もまた、選挙戦直前に上方修正された。各候補者は3万ユーロという当初の予算に対し、最終的には5万ユーロ(約520万円)を受け取ることになった。増えた地方遊説や集会、新たな印刷物などが増額の背景となった。

しかし、第1回投票で上位を占めたフランソワ・オランド(François Hollande)とマルティーヌ・オブリ(Martine Aubry)は不足分を補うべく、党所属の議員や党員たちに協力を呼び掛けた。最終的にオランドは25万ユーロ(約2,600万円)、オブリは20万ユーロ(約2,080万円)を選挙費用として活用した。アルノー・モントゥブール(Arnaud Montebourg)の選対副委員長は最近、党員からの支援も含め、最終的に10万ユーロ(約1,040万円)をモントゥブールは選挙に用いたと語っている。

決選投票で勝利した、党の公認候補だけが大統領選へいくらの予算が回されるのか、知ることになる。

・・・ということで、党の公認候補選びとはいえ、候補者の選挙予算は、わずか1,000万円や2,000万円。党全体でも総コストが3億数千万円。日本と比べて、どうなのでしょうか。寡聞にして知らないのですが、例えば党員・サポーター参加の党首選の場合、わずか1,000万円とかの予算で選挙戦を戦うことができるものなのでしょうか。選挙運動期間を極力短くしてしまえば、コストも低く抑えられるのかもしれないですが、それでは、党員・サポーターへの訴えかけが不十分。どうしても、コストは膨らんでくる・・・

政治とカネ、特に選挙とカネ、解決する妙案はないものでしょうか。国民は、自らにふさわしい政治しか持てない、とも言います。国民の知恵で、解決したいものですが、その第一歩は・・・政治家から個人的見返りを求めないことでしょうか。持ちつ持たれつのもたれ合いでは、なかなか解決しそうにありません。しかし、上手に利用し合うのが賢い生き方だという、いたって現実的な意見もあるようですが、さて・・・

社会党予備選、決選投票へ・・・合従連衡のエサは?

2011-10-11 22:19:02 | 政治
9日に行われた、来年の大統領選挙における社会党(PS)と左翼急進党(PRG:centre-gaucheでsocial-libéral)の統一公認候補を選ぶ予備選挙。6人が立候補しましたが、誰も過半数を得ることができず、上位2名、フランソワ・オランド(François Hollande)とマルティーヌ・オブリ(Martine Aubry)による決選投票が16日に行われることになりました。

今回の予備選、従来の党員による選挙から、一般に広く門戸を広げた選挙に様変わりしました。投票したい人は、1ユーロ(104円)以上を支払い、左派支持を誓って登録すれば、投票することができます。従って、投票者数は、以前が20万人前後でしたが、今回は250万人ほどに急増。その結果、事前に繰り返された世論調査とは異なる、驚きの結果も現れました。

どのような驚きがあり、各候補、社会党、与党・UMP(国民運動連合)はどのような反応を示しているのでしょうか。10日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

投票自体は大成功だったが、社会党には決選投票へ向けて難問が残った・・・これが、社会党と左翼急進党合同の予備選第1回投票を終えた9日夜の情勢だ。

<投票・・・社会党の新たな試み>
社会党はフランスで初めての試みに成功した。250万人ほどの投票者数が物語るように、門戸を一般に開放するという社会党の公約は守られ、実際多くの関心を集めた。

UMP幹事長のジャン=フランソワ・コペ(Jean-François Copé)が気に入って何度か言っているように、250万人という数字はフランスの全有権者の5%に過ぎない、とはいうものの、フランス全土で多くの人々を投票所へと向かわせたというイメージを作ることには成功した。特に人口の多い地域では、棄権の多い選挙に慣れた立会人を驚かすに十分な投票者数となった。この投票者数は、社会党、そして決選投票の勝者に勢いをもたらすことになる。また、ちょっとしたトラブルはあったものの、投票につきものの不正も報告されていない。UMP幹部たちもこの新しい予備選の方式を称賛している。

<トップは、オランド・・・しかし、圧倒的勝利とは言えず>
最終的な得票率が判明するのは月曜日だが、日曜夜の時点での社会党の予測によれば、フランソワ・オランドは39%を獲得し、間違いなくトップになる。事前の世論調査同様、優勢な情勢にあるのだが、圧倒的な勝利というレベルには達しそうもない。決選投票でも勝利できると確信できるほどの得票率とはならないだろう。

フランソワ・オランド自身、そのことは認識しており、投票終了後の演説で、他の立候補者たちの名前をあげて、彼の下にできるだけ多くの人が結束するよう呼びかけた。候補者の一人、マニュエル・ヴァル(Manuel Valls)はすでに、決選投票でオランドに投票すると表明している。オランドは、1年以上の選挙戦を通して獲得した今の勢いを徹底的に活用し、さらなる展開を、と急いでいる。決選投票の相手であるマルティーヌ・オブリが、オランドは優柔不断で、システムに容易に妥協するという非難を繰り返していることは承知している。党の第一書記を長く務め、統合・融和を得意とするオランドは、16日の決選投票で勝利するには、政策的にマルティーヌ・オブリに近い他の候補者に投票した人たちの票を獲得する必要がある。つまり、アルノー・モントゥブール(Arnaud Montebourg)とセゴレーヌ・ロワイヤル(Ségolène Royal)の支持者たちだ。日曜夜のスピーチで、オランドはこの二人の健闘を称賛した。

<オブリ、後塵を拝す・・・しかし、勝算なきにしも非ず>
期待外れの結果だったかもしれないが、実際はそれほど深刻なものではない。日曜夜の時点での予測で31%の支持率となっているマルティーヌ・オブリは、フランソワ・オランドに次いで2位だが、彼女の周囲によれば決選投票で十分挽回可能な小差だ。

直前まで第一書記だったオブリは、投票終了後、いかにも政治家らしい演説を行った。世論調査の影響を指摘するとともに、難局に直面している時にフランスを導いていくには、社会党が投影するフランスの一体感というイメージを超えて、明確なビジョン、進むべき道筋、明らかなプロジェクトを持つことが必要不可欠だと語った。彼女は第1回投票で他の候補、特にアルノー・モントゥブールへ投票した人の票を多く獲得できる立場にいる。演説の中で、左派有権者のさまざまなカテゴリーの名をあげ、オランドの政治的立ち位置が中道寄りであることを明確にしようとした。彼女は選挙戦を戦う気持ちがないのではないかとしばしば批判されていたが、「2012年、自分がニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)に勝利する」と高らかに宣言した。

<モントゥブール、立場はキング・メーカー>
アルノー・モントゥブールが17%の得票率を獲得し、セゴレーヌ・ロワイヤルを10ポイントも上回って3位に入ったことは、第1回投票の大きな驚きのひとつだ。選挙事務所としたパリ20区にあるベルヴィロワーズ(Bellevilloise)公会堂で、支援者たちへ向けて、「世論調査が誤っていたことを明らかにし、党の第一書記経験者である二人の候補者の得票率を50%以下にし、自分の主張である『デモンディアリザシオン』(démondialisation:グローバル化とは異なる道を進むこと)を選挙戦の争点にすることに成功した。戦い続けるという決意にいささかの迷いもない。誰もが理解したように、私はもう少しで決選投票に進めるところまで支持を広げることができたのだ」と、胸を張って語った。

17%という多くの得票により、キャスティング・ボードを握ったアルノー・モントゥブールは、まだ決選投票でどちらの候補者を支持するかを表明していない。しかし、選挙事務所に詰め掛けたモントゥブール支持者のほとんどが、マルティーヌ・オブリへ投票する意向を示している。フランソワ・オランドとマルティーヌ・オブリ陣営からは、すでにモントゥブールとその支持者たちへ秋波が送られている。オブリ支持であるローラン・ファビウス(Laurent Fabius)元首相(在任期間は1986-88年と20年以上前ですが、現在でもまだ65歳)は、オブリとモントゥブールは多くのテーマで一致を見ることができると語っている。一方、フランソワ・オランドは、モントゥブールの提唱する革新の必要性を理解していると演説で述べている。

<涙のセゴレーヌ・ロワイヤル>
アルノー・モントゥブールが高い得票率を獲得した一方、セゴレーヌ・ロワイヤルが7%しか獲得できなかったことも大きな驚きの一つだ。7%は4位のマニュエル・ヴァルを辛うじて上回るに過ぎない数字で、2007年の大統領選挙で党公認候補として1,700万票を獲得した実績や、選挙戦を通してやはり有能だという声が多くから寄せられていたことを考えれば、明らかな敗北と言える。

投票終了後の演説の中で、フランス中で多くの支援者とともに繰り広げた手ごたえのある選挙戦からすれば、がっかりする結果であったことを認めている。開票が進むに従い、感情を抑えきれなくなったロワイヤル。決選投票でどちらの候補を支持するかは明かさなかった。周囲によると、態度を今週中に表明するだろうということだ。

日曜の夜、社会党は好対照をなす表情を見せた。新しい投票スタイルをトラブルなく実施できたことや、党としてまとまったイメージを醸し出すことができたこと、候補者による冷静でオープンな討論を実施することができたことなどを、誇らしく語った。その一方で、多くの投票者を含むオープンな投票制度ゆえに、決選投票へ向けて、今週、様々な裏工作が行われ、緊張が増大する可能性が指摘されている。

・・・ということで、フランソワ・オランドとマルティーヌ・オブリの間で戦われる、16日の決選投票。第1回投票で敗れた4候補の票を奪い合うことになります。すでに、6%を獲得したマニュエル・ヴァルと、左翼急進党の党首で、1%弱を獲得したジャン=ミシェル・バイレ(Jean-Michel Baylet)がオランド支持を表明したようです。これでオランドの支持率は46%ほど。あと5%です。わずか5%ですが、これが、問題。

もし、モントゥブールとロワイヤルの支持者がこぞってオブリ支持に流れれば、54%対46%で、マルティーヌ・オブリの勝利となり、フランス初の女性大統領が誕生する可能性が出てきます。モントゥブールとロワイヤルがオブリ支持を表明する可能性はありそうです。焦点は、第1回投票で二人に投票した人のうち、どれくらいまでがその指示に従ってオブリに投票するのか、はたまた、どれくらいが自分の判断でオランドに投票するのか、ですね。

一方、与党・UMPにとっては、世論調査が正しければ、オブリの方が組み易し。サルコジ大統領の再選の目が出てくるかもしれません。

さて、今週、どのような合従連衡が行われるのでしょうか。そして、そこにまかれるエサは? ポストなのでしょうか、それとも、将来的な後継指名なのでしょうか。あるいは、フランスならではの、他のエサがあるのでしょうか。16日の結果が楽しみです。

女の平和・・・21世紀の今も、男は哀しい。

2011-10-09 21:13:24 | 社会
古代ギリシア、アテナイの喜劇作家、アリストパネス(BC446頃―BC385頃)の作品に『女の平和』があります。世界史で習った記憶のある方もいらっしゃることでしょう。原題は、アルファベット表記すれば、“Lysistrate”となります。軍隊を解散させる者といった意味だそうで、紀元前411年に上演されています。

あらすじは・・・
舞台は主人公リューシストラテーの様子から始まる。アテネとスパルタとの間の戦争に明け暮れる男性達に対して、戦争を止めさせようと考えた彼女は、密かに敵味方の女たちに招集をかけたのである。次第に集まってきた女性達に彼女が持ちかけた計画は、戦争終結を要求してセックス・ストライキを行う、というものであった。さらに、アテネの持つ軍資金を押さえるべく、アテネの女たちはアクロポリスを占拠するという。皆は一旦は尻込みするが、戦争終結のためならと互いに誓いを立てる・・・(中略)
多少のいざこざはあるが、男たちの眼は女性の体に釘付けで、うやむやのうちに和平が結ばれ、女性達の目的は達成されたのだった。最後は男女入り交じっての喜びの歌で終わる。
(『ウィキペディア』)

アテナイとスパルタとの間に起きたペロポネソス戦争(BC431―BC404)に、はじめから反対していたというアリストパネスが、男たちに任せていては終わるものも終わらない、女性こそが平和を実現できるのだと、語っている作品です。その手段が、セックス・ストライキ。これは妙案! その後も長く、語られ、話題を提供しています。

例えば、イラク戦争に反対して、2003年3月3日、世界59カ国1,004か所で『女の平和』が朗読されました。実際、セックス・ストを起こそうという議論もされたようです。セックス・ストでもしない限り、男はすぐ戦争を始めたがる・・・

なお、この作品を基に映画化したのが、フランスのクリスティアン・ジャック(Christian-Jaque)監督。1954年に公開された“Destinées,sketch < Lysistrate >”がその作品で、日本でも公開されたようです。このクリスティアン・ジャック監督、人生に7度の結婚をしたそうで、セックス・ストには最初に音をあげてしまうのではないかという気がしてしまいます。それだけ、身につまされる作品だったのかもしれません・・・下種の勘ぐりかもしれませんが。

男に任せていては、戦争が絶えない。暴力に訴えることなく物事を達成できるのは、女性だ。平和を実現できるのは、女性なのだ・・・そうしたメッセージが込められているのではないかと思えるのが、今年のノーベル平和賞。リベリアの女性二人とイエメンの女性一人に、共同で授与されることになりました。女性の立場と人権を守ろうとした、長年にわたる非暴力の戦いが評価されたようです。

人権の国、フランスは三人の受賞をどのように伝えているのでしょうか。7日の『ル・モンド』(電子版)です。

2011年のノーベル平和賞は、7日、三人の女性に授与されると発表された。リベリア大統領のエレン・ジョンソン・サーリーフ(Ellen Johnson Sirleaf)、同じくリベリアのリーマ・ボウイー(Leymah Gbowee)、そしてイエメンのタワックル・カルマン(Tawakkoul Karman)
の三人であり、非暴力による女性の安全と人権のための戦いが評価されたものだ。

エレン・ジョンソン・サーリーフは、選挙で選ばれたアフリカ初の女性大統領だ。10月11日に行われる大統領選挙で再選を目指しているが、前回、2005年の当選でアフリカ初の女性大統領として歴史に名をとどめることになった(アフリカ初の女性国家元首は、ギニアビサウのカルメン・ペレイラ大統領代理だそうです)。しかし、人口400万人のリベリアは1989年から2003年まで続いた内戦で、25万人が死亡し、インフラや経済に大きな痛手を受けている。

タブマン大統領(William Tubman:在任期間は、1944-1971)とトルバート大統領(WilliamTolbert:在任期間は、1971-1980)の下で財務大臣を務めたサーリーフが大統領として目指していることは、債務の解消、復興のために投資を呼び込むこと、そして汚職との戦いだ。この戦いで、彼女は「鉄の女」(Dame de fer)というニックネームをもらっているが、1980年代、ドウ大統領(Samuel Doe)政権時代に2度投獄されている。

サーリーフ大統領と同じリベリア人のリーマ・ボウイーは、内戦を終結させ、女性が選挙へより広く参加できるよう、民族や宗教の垣根を超えて女性を組織化し、動員したその功績が評価された。

リーマ・ボウイーは平和活動家であり、国を荒廃させた内戦に終止符を打つことに貢献した。内戦は2003年にようやく終結したのだった。クペレ族(Kpellé)出身の40代であるボウイーは、その非暴力運動で有名になり、国際的には「平和の戦士」(la guerrière de la paix)というニックネームでも知られるようになった。

戦争の鬼たちに対し、リーマ・ボウイーは祈りに頼る方法を用いた。彼女は女性たちに同じように祈ることを勧めた。宗教に関わりなく同じ目標に向かうことを示すかのように、彼女は白い服をまとっている。女性たちの運動は大きな広がりを示し、そして、セックス・ストにまで発展した(現代版『女の平和』ですね)。そして、ついに、チャールズ・テーラー大統領(Charles Taylor:在任期間は、1997-2003)は女性たちを平和交渉に参加させることにした。

「リーマ・ボウイーは、単なる『勇敢な女性』では片づけられない。『嵐』(tempête)のチャールズ・テーラーに立ち向かったのであり、大統領を和平へと向かわせたのだ。その間、男たちはと言えば、自分の命を守るために逃げ出していたのだ」と、45歳の公務員、ネイサン・ジェイコブス(Nathan Jacobs)は語っている。今回の受章の知らせに、ボウイーは「アフリカ女性のため授与されたノーベル賞だと思う。女性、中でもアフリカの女性が受賞したものだ」と述べている。

イエメンのタワックル・カルマンについて、ノーベル賞の選考委員会は、「アラブの春」以前から平和、民主主義、女性の権利のために運動を行ってきたことを称賛している。選考委員会は、三人の女性に与えられた賞が、多くの国々で加えられている女性への抑圧に終止符を打ち、女性が平和と民主主義のために大きな役割を演じることができるということへの理解を広める、そうしたことの後押しができればと願っている。

三人の受賞に対しては、レフ・ワレサ(ヴァウエンサとも表記、Lech Walesa:ポーランドの元大統領、ノーベル平和賞受賞者)をはじめ、アラン・ジュペ(Allain Juppé:外相)、アンゲラ・メルケル(Angela Merkel:ドイツ首相)など、多くの要人からの祝福が寄せられている。目下のところ、反対意見は、唯一、サーリーフと大統領選挙を戦っているウィンストン・タブマン(Winston Tubman:ウィリアム・タブマン元大統領の孫だそうです)から出されているだけだ。彼は、「サーリーフはノーベル平和賞に値しない。なぜなら彼女はこの国で暴力による政治を行っているからだ。今回の受賞は受け入れ難く、価値のないものだと言わざるを得ない」と語っている。

・・・ということで、アリストパネスの『女の平和』から2,400年以上が経過しても、やはり男たちは戦争に明け暮れ、平和は女性の手によって回復される。それも、セックス・ストライキという、今も変わらぬ方法で。

女性は賢く、男は哀しい・・・すぐ力に訴え、殺傷を行うくせに、セックスができないだけで、すぐに矛を収めてしまう。♪♪人は哀しい、哀しいものですね~、と美空ひばりが歌っていましたが、「人」を「男」に替えると、さらに切実になってきますね。しかも、♪♪人はかよわい、かよわいものですね~、の部分も「男」に替えれば、さらにぴったり。願わくば、女性たちが、♪♪「男」はかわいい、かわいいものですね~、と歌ってくれること。

祝ノーベル平和賞受賞。女性、万歳・・・であります。

Autolib’、パリを走る・・・Autolib’って、何?

2011-10-08 22:01:55 | 社会
Vélib’に乗ったことはありますか。“Vélo en libre service”、つまりセルフ・サービスのレンタサイクル。リヨン市では2005年5月からサービスを始めていたサービスですが、パリでは2007年7月15日に開始されました(詳しくは、『50歳のフランス滞在記』2007年7月17日をご覧ください)。

サービス開始当時は、年間パス、週間パス、一日パスのいずれかを購入して利用。パリ市内750か所の駐輪場のどこで借りて、どこで返してもOK。利用料金はカードから引き落とされる、ということでしたが、今では駐輪場もかなり多くなっているのではないでしょうか。環境対策と渋滞解消を目指したレンタサイクル・サービスですが、大成功しているようです。パリの石畳を自転車で走ると、見慣れた景色も違って見え、新鮮な経験になるかもしれないですね。

そして、自転車の次は、自動車だ! というわけで、この度、パリ市がセルフ・サービスのレンタカー事業を始めました。しかも、環境に配慮して、すべて電気自動車。EVです。EVによるセルフ・サービスのレンタカー。やたらとカタカナが多いので、漢字で表記すると、電気自動車共同利用事業。名前は“Auto en libre service”を略して“Autolib’”となったようです。そして、ニックネームは“Bluecars”。「ブルーカー」なのですが、“bleu”ではなく“blue”、そう、なぜか英語です。外国からの観光客に利用してほしい、ということなのでしょうか。それとも、パリもここまでアメリカナイズされてしまっている、ということなのか。たぶん、前者なのでしょうね。

さて、何台くらいで、利用方法は、また特徴は・・・2日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

2007年に始められたレンタサイクル“Vélib’”に倣った電気自動車のセルフ・サービス・レンタカー事業、オートリブ・ブルーカー(Bluecars d’Autolib’)の第一陣、およそ60台が10月2日、パリとその郊外の道を縦横に走り始めた。

パリ市内にある10ヶ所のステーションで利用可能だ。まだ試験運用期間なので、60台、10ステーションになっているが、12月5日の正式な運用開始に合わせて、少なくとも250台に、そしてステーションは来年6月までに2,000か所に増やすことになっている。

9月30日にボロレ・グループ(Bolloré:運輸、エネルギー、製紙、自動車、テレコム、メディアにまたがる一大コングロマリットです)によって紹介された、都会的イメージのブルーカーは、カラーはアルミのグレーで、イル・ド・フランス地方の46市町村で利用でき、利用方法もいたって簡単だ。現在イル・ド・フランス地方で2万台が利用されているという、大成功を収めた“Vélib’”に倣ったシステムが採用されている。契約者は、どこのステーションで借りて、どのステーションに返してもOKだ。

このプロジェクトの目指すところは、クルマは必要な時に一時的に借りるという習慣を取り入れ、マイカーの削減を推進することだ。経済的であるとともに、環境に優しい事業であり、パリ周辺の騒音と排気ガスの減少が期待されている。

こうした自動車のセルフ・サービス・レンタカー事業はほかの大都市、特にニューヨークやオランダの都市ですでに始まっているが、パリの場合はすべて電気自動車だという点が革新的だ。しかもリチウム・メタル・ポリマー(lithium-métal-polymèr:LMP)電池を搭載しているが、この新世代バッテリーの充電量は、従来の電気自動車用バッテリーの5倍に達している。

ボロレ・グループによれば、この新世代バッテリーのお陰で、ブルーカーは市街地で250km走行でき、郊外では400km走ることができるそうだ。最高速度は時速130km、時速60kmまで加速するのに6.3秒かかるということだ。

ボロレ・グループ会長のヴァンサン・ボロレ(Vincent Bolloré:家業の傾きかけていた製紙会社を、一大コングロマリットに育て上げた実業家。2007年、大統領選に当選した直後のニコラ・サルコジに、プライベート・ジェットと豪華ヨットの使用という便宜を提供したことでも有名。ここから、サルコジ大統領の派手な生活ぶりが耳目を集めるようになりました)は、「我々は、180℃にならないと発火しないバッテリーを製造している世界で唯一の会社だ。他社のバッテリーは70℃で燃え始めてしまう」とメディアに対して語っている。ボロレ・グループはこの電気自動車の開発に150億ユーロ(約1兆5,500億円)を投資しており、製造はイタリアのピニンファリーナ(Pininfarina)社と共同で行っている。

ヴァンサン・ボロレが見積もる損益分岐点を超え、利益が出るようになるには、8万人の利用者が必要になる。そのため、“Autolib’”は安い利用料金を強調し、多くの利用者を獲得しようとしている。年間契約をした場合、ひと月の基本料金は12ユーロ、最初の30分の利用料金は5ユーロですむ。ドラノエ(Bertrand Delanoë)パリ市長は、自家用車にかかる費用が家計にとってますます重荷になっていることを強調しつつ、「ブルーカーがターゲットとして狙っているのは興味を持ちそうな30代に限らず、すべての住民だ」と語っている。

・・・ということなのですが、利用料金について追加すると、
(年契約)基本料金:ひと月12ユーロ
     利用料金:最初の30分5ユーロ
          次の30分4ユーロ
          それ以降30分ごとに6ユーロ
(一日券)基本料金:10ユーロ
     利用料金:最初の30分7ユーロ
          次の30分6ユーロ
          それ以降30分ごとに8ユーロ
となっているようです。旅行の時にも、利用できそうですね。その際には、くれぐれも、国際運転免許証をお忘れなく。

マイカーを手放してブルーカーを利用してほしい。しかも、環境のことを考えて、その利用はできれば短時間にしてほしい。そのような気持がこめられた料金設定になっているようです。

日本でも、カーシェアリングの利用が進展しています。EVの割合も増えていくことでしょう。しかし、その進展スピードは国によって違いがあるのかもしれません。特に政治は、単に環境対策だけを考えるのではなく、エネルギーや自動車など産業界の事情も考えるのでしょう。日本の政治は、はたして、どのくらいのスピード感で、EVによるカーシェアリングへと舵を切り、実現していくのでしょうか。そして、産業界は・・・

フランソワ・オランドを潰すのは、パートナーから・・・なのか?

2011-10-07 22:49:07 | 政治
フランス人が大統領に求めるイメージは、「家父長」。国民の父として存在してほしい・・・その具体的イメージには、人それぞれ、若干の違いがあるかもしれません。どっしりとしていてほしい、危機に際して、頼りがいのある存在であってほしい、それでいて親しみがあってほしい・・・多くの要求が出てきそうです。

しかし、最低限、家父長としての大枠に収まらないと、大統領選挙を勝ち抜くのは難しいようです。敗れ去った、例えば、エドゥアール・バラデュール(Edouard Balladur)。あまりにも大物ぶり過ぎたようです。傲慢に見えてしまった。その分、国民との距離感が大きくなり過ぎたようです。社会党のリオネル・ジョスパン(Lionel Jospin)は、学者然とし過ぎていた。頭のいいのは分かるが、よそよそしい。父親としてのぬくもりが不足したようです。

逆に勝者は、例えば、頼れる男、シャルル・ド・ゴール(Charles de Gaulle)、「トントン」(tonton:おじちゃん)という愛称で呼ばれ、今でも人気の高いフランソワ・ミッテラン(François Mitterrand)、気さくなジャック・シラク(Jacques Chirac)。時代が下るに従い、次第に国民との距離が縮まってきているようですが、それでも、いざという時に頼りがいのある存在、というイメージは維持されているようです。

家父長というイメージに対し、現職の大統領、ニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)は、“rupture”、伝統との決別を訴えただけあって、家父長というよりは兄貴的存在。やんちゃだが、行動力があり、それなりに評価できる。その点が新鮮に見えて当選したのでしょうが、しかし就任後は、その成り上がりぶりが鼻につく。しかも、大統領選の時の公約が、大風呂敷だった・・・こうしたことが一因となって、支持率も低迷しているわけです。そこで、再選を目指すには、「兄貴」から「家父長」へと変貌を遂げる必要があるようです。

そのために、まず、髪に白いものを混ぜた。染めたという噂があります。そして、極めつけは、生まれたばかりの赤ちゃんを抱く、本当の父親としての姿。カーラ夫人は、今月出産予定です。各党の公認候補が出そろうこのタイミングで、赤ちゃんを抱いたサルコジ大統領の写真が公開される・・・父親、ニコラ・サルコジ。しかし、カーラ夫人は、生まれてくる子どもを絶対にマスコミには公開しないと言っています。さて、どうでしょう。低い支持率という現状を打破するには、生まれてくる赤ちゃんに頼るしかない、とも一部では言われています。

しかし、もうひとつ、方法がある。対立候補を潰してしまうこと。たまたまかどうか、世論調査でトップを走っていたDSK(Dominique Strauss-Kahn)はアメリカで逮捕されてしまいました。訴訟が取り下げられ、フランスに戻ることはできましたが、社会党の予備選にすら立候補できなくなりました。その後、社会党候補として最も高い支持率を集めているのは、フランソワ・オランド(François Hollande)。そのオランドのパートナーをパリ警視庁が不法に捜査していたというすっぱ抜きが、週刊紙『エクスプレス』(“l’Express”)に掲載されました。フランソワ・オランドはいくら叩いてもほこりが出ない、それなら、パートナーを調べ上げろ、ということなのでしょうか。それとも、単なる「がせネタ」なのでしょうか。

4日の『ル・モンド』(電子版)が記事の概略と政界の反応などを紹介しています。

クロード・ゲアン(Claude Guéant)内相は、4日、社会党の予備選に立候補しているフランソワ・オランドのパートナーであるジャーナリスト、ヴァレリー・トゥリエルヴェイエ(Valérie Trierweiler)に対する情報機関による不当な捜査を示す証拠は見つからなかったと公表した。「もし明らかな証拠が見つかっていれば、憤慨しているところだ。そうでないということは、証拠がないということだ」と語っている。

週刊誌『エクスプレス』のサイトによれば、ヴァレリー・トゥリエルヴェイエの暮らしぶりと交友関係をはっきりさせるために、パリ警視庁の警官による捜査が行われた可能性がある。『エクスプレス』は職階の異なる複数の警官からの情報を収集し、捜査は彼女の略歴を明らかにすることが目的だったと述べている。

その記事に対し、パリ警視庁はコミュニケにおいて、大統領選の候補者になるかもしれない政治家のパートナーについての捜査を警察が行ったという情報をはっきりと否定した。パリ警視庁は共和国の法律と職業倫理をしっかりと遵守していることを強調するとともに、公僕たる警察の名誉を著しく傷つけるような噂の吹聴を残念に思うと述べた。そして、必要な手段を講じる可能性もあると語っている。

通信社・AFPが入手した警官の話によれば、もし情報が事実だった場合、総合情報局(les Renseignements généraux:RG)において一般捜査を担当する旧第8セクションの警官にその捜査は命じられたのではないかということだ。

RGや情報機関による政界での捜査は、捜査をめぐるスキャンダルが相次いだ数年前に禁止されている。

『エクスプレス』に出た情報についてAFPの取材を受けたヴァレリー・トゥリエルヴェイエは、疑われている捜査については知らないと述べ、「ただただ驚いている。今後の対応については、ジファール弁護士と相談したい」と語っている。彼女は、テレビ局・Direct8の政治番組“2012, portraits de cammpagne”(2012年、選挙の横顔)のキャスターを降板すると4日に発表しており、平穏を望んでいると述べている。

彼女の顧問弁護士であるフレデリック・ジファール(Frédérique Giffard)はAFPに対して、「目下のところ、追加情報はない。我々も『エクスプレス』の発表した情報しか持っておらず、あらゆる方面から情報を入手しようと試みている」と語っている。

グルノーブルに本社を持つ日刊のブロック紙“Le Dauphiné Libéré”のインタビューに応じて、フランソワ・オランドも今言われている捜査が実際に行われたのかどうか、まったく知らないと語るとともに、「私のパートナーに関して、法律の枠を超えて捜査の命令が本当に出さていたのなら、それは受け入れがたい異例な事態であり、司法の場に訴えるべきことだ。この件に関して完全なる透明性を求めたい」と述べている。

また、「内相やパリ警視庁はできる限り早く『エクスプレス』によってもたらされた情報に関わる真実を明らかにし、公表すべきだ」と、フランソワ・オランドはAFPに対し語っている。

社会党の臨時第一書記、アルレム・デジール(Harlem Désir)はそのコミュニケにおいて、重大な意味を持つ『エクスプレス』による情報について、すべてを明らかにすべく捜査を開始すべきだと語っている。

一方、与党・UMPの下院議員団長、ベルナール・アコワイエ(Bernard Accoyer)は、テレビ局・France3の番組で、「左派は問題を大きくし過ぎだ。一杯食わせるような、にせの情報なのに」と語り、左派を批判している。

2007年2月、大統領選の最中、グリーンピースの元ナンバー2であり、当時はセゴレーヌ・ロワイヤル(Ségolène Royal)陣営のメンバーだったブリューノ・ルベル(Bruno Rebelle)が、RGの捜査対象になっているという訴えを行い、それに基づいて司法捜査が行われたことがある。RGのある捜査官が取り調べを受け、司法当局の監視下に置かれたという事件があった。

・・・ということで、大統領選が近付くと、違法捜査が行われたという情報がよく流されます。前回も、セゴレーヌ・ロワイヤルの家に空き巣が数度入ったという事件がありました。本当に空き巣だったのか、何者かが情報を取りに入ったのか、実は誰も侵入などしていなかったのか。情報戦・・・

ところで、父親らしい落ち着きを演出するために髪を染めているとも噂されるサルコジ大統領。テレビ政治の時代と言われて久しいだけあって、政治家もいろいろ考えるようです。若々しく見せようと、ベルルスコーニ首相は植毛したとも言われ、大統領選へ再出馬するプーチン首相は整形したとも噂されています。その点、オバマ大統領のめっきり増えた白髪は、苦労を如実に表しているのではないでしょうか。ご苦労様です。再選しても大丈夫なのか、心配になってしまいます、外野の大きなお世話ですが。

さて、サルコジ大統領が、カーラ夫人の声明に反して、子どもを抱いた写真を公開するのかどうか、もしかすると大統領選の行方を変えてしまうかもしれないだけに、注目されます。もう少しで、サルコジJr.の誕生です。

国際化という名のアメリカ化は強し・・・マクドのケース。

2011-10-06 21:30:57 | 社会
マクドナルド、本場では“McDonald’s”となりますが、皆さんはどう呼びますか。近畿圏では「マクド」、それ以外の多くの地域では「マック」と呼ぶのが一般的ですね。フランスでは“McDo”ですから、近畿圏と同じ。やはり関西人の方が、国際化に対応しやすいのではないかと、納得してしまったりするわけですが。フランス語で「マクド」となったのは、“mac”では“maquereau”の略になってしまう。つまり、「女衒」とか「ひも」という意味になってしまうので、“McDo”になったという説もあります。

因みに、お隣の中国では、「麦当労」(労の簡体字使用)で、「mai・dang・lao」、「マイタンロウ」と聞こえるかもしれません。

1940年代にマクドナルド兄弟によって始められた「マクド」ですが、繁盛するのは戦後になってから。2010年末時点では、世界で32,737店舗を展開しているそうです。日本では、藤田商店がフランチャイズ権を獲得。1971年に第1号店を銀座三越内にオープンしています。2011年2月時点では3,286店になっているとか。

ドライブスルーあり、低価格帯商品あり、味重視商品あり・・・さまざまなマーケティング戦略と経営努力で、ファースト・フードの代名詞のようになっています。と言うと、何か、マクドナルドの広告のようになってしまいますが、何ら関係ありませんので、念のため。その世界展開ですが、インドでは、宗教上ビーフがダメ、食習慣上ポークもダメというわけで、チキンに特化した営業をしているそうです。

食事、特にファースト・フードで宗教上の理由と言えば、フランスではイスラム教徒への“halal”(ハラル:イスラム法上で許される食物)の提供。ベルギー系のハンバーガー・チェーン“Quick”がハラルのバーガーを提供するということで話題になりました。では、フランスのマクドは、どう対応しているのでしょうか。

イスラム系移民の多いパリ郊外を例に、4日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

イスラム色の濃い街、クリシー・ス・ボア(Clichy-sous-Bois)にあるマクドは格好の待ち合わせ場所になっている。そこでは、高校生、若いカップル、犯罪捜査班(BAC:Brigade Anti-Criminalité)の警官、家族連れ、そして少ないが通りかかりの企業経営者などの姿を見ることができる。毎日休みなく深夜の12時までオープンしており、一日1,000~2,000人の客があり、客単価は10~12ユーロ(約1,000円から1,200円)。街全体が火事の炎に覆われたような2005年の暴動の際にも、マクドは被害を蒙ることはなかった。襲撃とか破壊といったことは一度もなかった。「マクドは地域の雇用面で、大きな役割を担っている」とジル・クぺル(Gilles Kepel:アラブ圏を専門とする政治学者、パリ政治学院教授です)は語っている。この店だけで、開店以来、パート勤務とはいえ、1,000人ほどを雇用してきた。

2005年に暴動が起きていた時、ライバル店、“Beurger King Muslim”の開店がメディアで大きく取り上げられた。店員は黒のベールを被り、祈りのスペースを用意し、材料もハラルの認定を受けている。ターゲットはパリ郊外に住むイスラム系の人々。それは名前の“Beurger”からも明らかだ。フランス生まれのアラブ人二世を意味する“beur”とハンバーガーの“burger”による造語だ。フランスにおけるイスラム同化の状況を視察にクリシーにやって来たバーガー・キングの創設者は、「大きな競争相手のいる商圏で戦うことになる」と“New York Times”に語っていた。

“Beurger King”は、暴動の最中、そしてその後の数カ月、メディアが必ずやってくる取材先になっていた。しかし、当初計画していたような売り上げを達成できず、2007年3月、こっそりと閉店した。その後、他の企業が、この分野を開拓しようと乗り出した。2008年6月、新しいファースト・フード店が“Beurger King”の跡地にオープンした。その名前は“Wesh Burger”といい、別名“king du halal”。“wesh”は挨拶に使われるスラング(wècheとも表記され、日本語の「ちわーっす」という挨拶のようなものです)、別名は英語と宗教の混淆。しかし、再び挫折。閉店に追い込まれ、その後は、ハラルのクレープ屋(crêperie halal)がオープンした。

「マクドの変わらぬ繁盛と競合店の失敗には、鉄製の壺と土器製の壺の寓話(はじめから決まっている勝負)が当てはまる」と、ジル・クペルは解説する。「マクドの熟練した経営陣がファースト・フード業界最大手である多国籍企業のノウハウを活用しているのに対し、競合店はあまり経験がなく、職人的アプローチを取っている」ということだ。「多国籍」と「アメリカのシンボル」という矛盾した存在ではあるが、マクドはハンバーガーとフリット(フレンチフライ)、和気藹々とした和めるスペース、雇用を提供しながら、共和国的同化の場となっている。

・・・ということで、イスラム教徒の移民の多いパリ郊外で、イスラム教徒対策を特に行っていないマクドが繁栄し、イスラム教徒に対象を絞り込んだ競合店が次々と閉店に追い込まれているようです。

今や欧州議会議員となっているジョゼ・ボヴェ(José Bové)がミヨー市(Millau:Midi-Pyrénées地域圏)に建設中だったマクドナルドの店を、多国籍企業による固有文化破壊のシンボルとして打ちこわしを敢行したのが1999年8月12日。それから10年少々が経過して、世界のアメリカ化のシンボルと見られていたそのマクドが、イスラム移民との共生に悩むフランスの「郊外」で圧倒的支持を受け、繁盛しています。その一方で、資本主義の本場、アメリカでは“Occupy Wall Street”と叫ぶ人々が、金融機関などに対する抗議活動を行っています。

資本主義の上に花開く、いわゆる「アメリカ文化」への憧れが、多くの国々で今でも根強く生き残っています。その一方でアメリカ国内においては、行き過ぎた「資本主義」、度を越した「弱肉強食」への反発が起きている。パラドックス。世の中、ままなりません。しかし、だからこそ、面白い!

因みに、フランスにおけるマクドの店舗数は、1,160店ほどだそうです。なお、ファースト・フード業界の世界の店舗数で、サンドイッチ・チェーンのサブウェイ(Subway)がマクドを凌いだそうです。マクドの32,737店に対し、サブウェイは33,749店。はたして、サブウェイは、フランスでもうまくやれるのでしょうか。バゲットを使ったサンドイッチが多く食されているフランスでは、かなり苦戦するのではないでしょうか。ジャンク・フード好きとしては、今後の展開が楽しみではあります。

大人は判ってくれない・・・子どもたちの自殺数。

2011-10-04 21:11:50 | 社会
“Les Quatre Cents Coups”(『大人は判ってくれない』)と言えば、ヌーヴェルバーグの旗手としてトリュフォー(François Truffaut)監督の名を一躍有名にした1959年公開の作品。カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞しています。監督の幼少期の自伝的色彩の濃い内容で、大人たちが判ろうとしない子どもたちの心の中が描かれています。

もう一作品、“Jeux interdits”(『禁じられた遊び』)も、親の心、子知らず、ならぬ、子の心、親知らず、といった作品ですね。こちらは、1952年公開のルネ・クレマン(René Clémant)監督の作品。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞していますが、テーマ曲も広く愛されていますね。

映画のテーマにもなるように、子どもの心の中は、かつて子どもであった大人にも、分かり難い。分かりにくいがゆえ、分かろうとすることを止めてしまう大人も多い。分かり合えない、子どもと昔子どもだった大人・・・

心のすれ違い、あるいは心と心の間に吹くすきま風が、やがて早すぎる死へと追いやってしまうこともあります。しかし、子どもが自殺するなんて、とその死は事故死扱いにされてしまう。

それでは、子どもの自殺を防げない。真実を知るべきだ、と子どもの死を詳細に調べたレポートが、児童心理の専門家によって作成されました。政府の依頼でそのレポートをまとめたのは、ボリス・シリュルニク(Boris Cyrulnik)。神経学者、精神科医、行動学者、精神分析医という顔を持つ専門家で、レジリエンス(苦しみからの再生、柔軟な再生、底力なども言われているコンセプト:仏語では、résilience・レジリアンス)の生みの親。

専門家の目を通して見つめ直した子供たちの死。レポートではどのように語られているのでしょうか。9月29日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

多くの統計が示す以上に子どもの自殺が多いことは疑いようがない。というのも、事故死として処理されている子どもの死のかなりの部分が、実は自殺だったのではと考えられるからだ。このように、精神科医のボリス・シリュルニクは9月30日に政府に提出するレポートの中で述べている。

国立衛生医学研究所(Institut national de la santé et de la recherche médicale:Inserm)によれば、2009年には5歳から14歳までの子ども37人が自殺をしているという。Insermは5歳以下の子どもの死は自殺に一切カウントしていない。2011年のはじめには、14歳の少年が自殺を試みたが、同じ時期に9歳の子どもと11歳の子が自殺で亡くなっている。

ボリス・シリュルニクは青少年担当大臣のジャネット・ブグラーブ(Jeannette Bougrab)に依頼されたレポートの中で、「5歳から12歳の場合、自殺で実際に死にまで至ることは少ない。しかし、統計は明らかに自殺であるケースしか含めないため、実際にはより多くの自殺が行われていることは明らかだ。子どもたちを自殺へと追い込むのはさまざまな要因が積み重なった場合が多く、外からは分かりにくい心の痛みだったり、異なるいくつかの出来事が同時に起きたりした場合だ」と語っている。具体的には、友人の早すぎる死だったり、両親の不和、虐待、家庭内に心休まる場所がないこと、学校でのいじめなどがその原因として考えられるとシリュルニクは説明している。

しかも、「子どもは瞬間で気持ちも変わるため、彼らの心痛を理解することは難しい。しかも、子どもは大人以上に心の痛みを上手く伝えることができない。不安を抱えた子ども、一人きりで苦しみから守ってくれる大人が周囲にいない子ども、自分に何が起きているのかを理解する手助けも術もない子どもは、死というものを知ると、その死を選んでしまうのだ」と、ボリス・シリュルニクはレポートで書いている。彼によれば、子どもは6歳から9歳頃に死というものを理解し始めるそうだ。

従って、「ちょっとしたきっかけがあれば、自殺に走ってしまう。傷つけるような他人の一言、少しばかりのストレス、学校での悪い点数、友だちの転居などが例外的な爆発を子どもの心にもたらしてしまうことがある。遺書を書くこともできるだろうが、実際には遺書もなく、窓から転落したり、バスの乗降口から転落したりする。そのため、大人は事故死で片づけてしまうのだ」とシリュルニクは語っている。

ボリス・シリュルニクは、予防策が必要であることを強調している。それも、生まれてすぐから、子ども専門機関の対応、あるいは医師、看護士、教師といった職業の大人たちに子どもの自殺にどう対処するかを学んでもらうことによって、子どもへの一貫した対応を取ることが欠かせないという。また学校では、授業時間の調整、評価を始めるのを少し遅くすること、いじめへの対応などが必要だと述べている。

・・・ということで、大人が判らないうちに、統計に表れている以上に多くの子供たちが自ら死を選んでしまっているようです。小学生でも。そう言えば、日本でも、小学校高学年の児童が自殺したとニュースになったことがありましたね。それだけ、子どもたちにとって生きにくい世の中になっているのでしょうか、それとも研究が進むにつれ、今まで事故死で片づけられていた子どもの死が、実は自殺だったと判明してきたということなのでしょうか。

いずれにせよ、子どもたち、それも小学生の間でも自殺があるということは事実のようです。大人ですら、日本では、年間3万人以上の自殺者がいる時代。どうすれば、子どもを自殺から救えるのでしょうか。

しかし、時代は、子どもの自殺を見逃してしまうどころか、子どもを虐待死させるケースが増えています。雷や火事と並べられる怖い存在であった親から、友だち親子を経て、虐待死させる親の時代へ。どこで間違ってしまったのでしょうか・・・子どもにとって乗り越えるべき大きな壁として親が存在すること、それだけの存在に親がなれること、そんなことが必要なのではないかと素人考えで思ったりしてしまうのですが、そのためには、まず、親が個人として自立することが大切なのではないでしょうか。そう思ったりするのですが、言うは易く、行うは難し・・・

にこやかな上院議長の交代。本当の姿か、嵐の前の静けさか。

2011-10-03 22:00:23 | 政治
10月1日に投票の行われた、上院議長選挙。社会党を中心とした左派が、9月の上院議員選挙で1958年の第五共和制始まって以来、初めての多数派となりましたが、議席数の差はわずか。しかも中道的立場の少数政党も多いため、政権与党のUMPは議長のポスト死守に一縷の望みをつないでいました。

しかし、ふたを開けてみれば、社会党のジャン=ピエール・ベル(Jean-Pierre Bel)が1回目の投票で過半数を獲得し、新しい上院議長に選出されました。国家序列2位。大統領に不測の事態が生じた場合、その職務を代行することになります。

ジャン=ピエール・ベル・・・1951年12月30日生まれの59歳。出身は、南仏、スペインとの国境に近いミディ・ピレネ(Midi-Pirénée)地域圏・タルヌ(Tarn)県・ラヴォール(Lavaur)市。第二次大戦中、レジスタンスとして戦った共産主義者の家庭で育つ。トゥールーズ第一大学(Université ToulouseⅠ)卒業。観光局で働いた後、政治に関わるようになる。スペインの反フランコ運動をフランス国内から支援。社会党には1983年に入党。妻の実家のあるミディ・ピレネ地域圏・アリエージュ(Ariège)県・ミハネス(Mijanès)村に移り住み、1983年から1995年まで、人口90人ほどのミハネス村の村長を務める。妻の父がアリエージュ県の県議会議員を務めていた(1985年から2001年)関係もあり、1998年の上院選挙にアリエージュ県選挙区から立候補し、当選。2008年に再選。また、2001年から2008年まで、アリエージュ県にある人口6,700人ほどのラヴラネ(Lavelanet)町の町長を兼務する。

このような略歴ですから、地方行政に精通した政治家、国民に近い政治家と言えるのかもしれません。このジャン=ピエール・ベルは、信任演説でどのようなことを語り、またポストを明け渡した前議長のジェラール・ラルシェール(Gérard Larcher:UMP)は、どのような態度で接したのでしょうか。1日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

上院の議会は、1日15時、最年長議員であるポール・ヴェルジェ(Paul Vergès:レユニオン島選出:86歳)によって開会が宣言された。9月25日の上院議員選挙により、第五共和制下、初めて左派が多数を占めることになった上院は、この日議長を選出することになっている。選挙には三人が立候補していた。アリエージュ県選出の社会党・ジャン=ピエール・ベル、現職でイヴリヌ(Yvelines)県選出のUMP・ジェラール・ラルシェール、ノール(Nord)県選出の中道・ヴァレリー・レタール(Valérie Létard)の三人だ。

しかし、1回の投票で十分だった。17時過ぎ、ポール・ヴェルジェが選挙結果を読み上げた。ジャン=ピエール・ベルが179票と過半数を獲得して新しい議長に選出されたのだ。この179票は、上院議員選挙の結果、左派が占めている議席数より2票多い数字だ。一方、ジェラール・ラルシェールは134票、ヴァレリー・レタールは29票だった。議席数と比較すると、右派票・中道票は合わせて8票不足していた。ポール・ヴェルジェの発表を聞いて、議場および多くの関係者が詰めかけた講堂は拍手・喝采に包まれた。

信任を受けての演説を行うべく演壇に上がるその前に、新上院議長は前任者への挨拶を行った。新旧議長はしっかりと握手を交わし、お互いへの評価と尊敬の念を真摯な態度で表した。演壇でも、新議長はまず、議員一同、そして、社会党の上院議員団長となったクロード・エスティエ(Claude Estier)や元議員、今回引退した前議員など、壇上に招かれた関係者に挨拶を行った。

演説を行う声のトーンは少し抑え気味で、気持ちの昂りは押さえられている。新任演説は任期中の運営方針を表すものだけに、重要な意味を持つ。ジャン=ピエール・ベル新議長は、意見をしっかり聴き、集約していくという議会の運営方針を表明した。「特定の党のために議長の椅子に座るわけではない」とも語った。

しかし、同時に、多くの有権者が表明した変化を望む気持ちを上院で具体化することを期待しているとも語った。批判され、ミスリードされ、捨てられたという怒りを抱える国民、その代表である議員たちに、至急、公聴会(三部会)を開催することを約束した。新議長は、「上院が公共の、個人の、そして地域の自由を代表するとともに擁護するという立場にあることを再確認してほしい」と語った。

そして最後に、しばしば風刺漫画で揶揄されるような上院のイメージを、一層の透明さと謙虚さで一新したい、という意思を表明した。また、民主的な真の改革を行うために、数週間のうちに、明快な使命に基づき、短い期間で提案を行うプロジェクト・チームを設置するとも述べた。

「上院での多数派の交代を実りあるものにするのは、われわれ次第だ」と、演説を締めくくった。議員たちは立ち上がり、拍手喝采を送った。新旧議長はその後、上院議長の公邸であるプティ・リュクサンブール(Petit-Luxembourg)で再び会い、引き継ぎを二人で行った。これで、上院は、本当に左派へ移管されたことになる。

・・・ということで、自由の擁護者である上院の立場を再確認するとともに、国民の声に応える新たな上院を与野党問わず、一緒に作って行きたい。そのためには、独断専行せず、議員の意見に真摯に耳を傾け、意見の集約を行っていきたい。しかも、口だけで終わらないよう、プロジェクト・チームを立ち上げ、急ぎ提案を得て、実行に移していきたい。そのような、上院議長の所信表明演説を行ったようです。

半世紀以上を経て、初めての与野党逆転。さぞや肩に力の入った演説になるかと思いきや、国民のために、共に上院の改革を行っていこう、というものでした。実るほど頭の下がる稲穂かな・・・それに対し、議員たちも、与野党の別なく、拍手喝采。

しかし、ヤジの飛び交う下院での国会審議をテレビのニュース番組で見るにつけ、上院と下院では立場が違うとは言うものの、どうも絵に描いた餅のような気がしてなりません。いつまで一心同体的協力関係が保てるのでしょうか。サルコジ大統領が成立を急ぐ「黄金律(règle d’or)」法案の審議でも、対立することなく、協力できるのでしょうか。

小さい頃から、詩の暗唱や口頭試問で鍛えられて育つフランス人。言葉を額面どおりに受け取ってはいけないのかもしれないですね。

そう言えば、最近、上手い、と思わず膝を打った文章テクニックがあります。ジョルジュ・サンド(Georges Sand)からアルフレッド・ド・ミュッセ(Alfred de Musset)に宛てられたラブレターです。

Cher ami,
Je suis heureuse de vous dire que j’ai
bien compris l’autre jour que vous aviez
toujours une envie folle de me faire
danser, je conserve le souvenir de votre
baiser et j’aimerais beaucoup que ce soit
une preuve que je suis aimée et désirée
par vous. Je suis prête à vous montrer mon
affection toute désintéressée et sans cal-
cul et si vous voulez vraiment me voir
vous dévoiler sans aucun artifice une âme
toute nue, daignez au moins venir chez moi,
nous bavarderons franchement entre nous.
Je vous prouverai que je suis la femme
capable de vous apporter l’affection
la plus étroite et aussi la plus profonde,
l’épouse la plus fidèle et la plus sure
que vous puissiez imaginer. Oh! Comme votre
amour me sera doux car la solitude qui m’ha-
bite est longue, dure et sûrement bien
pénible et mon âme en est fortement é-
branlée. Venez vite vous pourrez me la
faire oublier, et à vous je peux me sou-
mettre entièrement.
Celle qui vous aime.

普通に読めば、古い感じはするかもしれませんが、普通のラブレターです。しかし、2行目、つまり“Je suis heureuse de vou dire que j’ai”から1行おきに読んでみてください。激烈なというか、良くもここまで明け透けに、という熱情赤裸々なラブレターに早変わりします。3つの単語が2行に分けられているのも、一行おきで意味をなすための工夫です。これに対し、ミュッセは、各行の頭の単語をつなげて意味をなす返事を送っています。

内容から、いくらフランスでもこのラブレターを学校の授業で教えるとは思えませんが、他のさまざまな例で文章のテクニックを学んで育てば、本心を隠しつつ、自分の目的に相手を導くような言葉づかいも上手になってくるはずです。こうした人たちと交渉しなくてはいけないのが、国際社会。余計なことは言わないという国内の処世術で、うまく対応できるものなのでしょうか。

しかし、日本にも、回文歌など、古くからの言葉遊びがあります。例えば、

なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな
(長き夜の 遠の睡りの 皆眼醒め 波乗り船の 音の良きかな)

あるいは、

惜しめとも ついにいつもと 行春は 悔ゆともついに いつもとめおし

日本語にも豊饒な世界が広がっています。ぜひ、日本語から豊かな言葉、文章を習得し、世界に伍していく手がかりとしたいものです。