マクドナルド、本場では“McDonald’s”となりますが、皆さんはどう呼びますか。近畿圏では「マクド」、それ以外の多くの地域では「マック」と呼ぶのが一般的ですね。フランスでは“McDo”ですから、近畿圏と同じ。やはり関西人の方が、国際化に対応しやすいのではないかと、納得してしまったりするわけですが。フランス語で「マクド」となったのは、“mac”では“maquereau”の略になってしまう。つまり、「女衒」とか「ひも」という意味になってしまうので、“McDo”になったという説もあります。
因みに、お隣の中国では、「麦当労」(労の簡体字使用)で、「mai・dang・lao」、「マイタンロウ」と聞こえるかもしれません。
1940年代にマクドナルド兄弟によって始められた「マクド」ですが、繁盛するのは戦後になってから。2010年末時点では、世界で32,737店舗を展開しているそうです。日本では、藤田商店がフランチャイズ権を獲得。1971年に第1号店を銀座三越内にオープンしています。2011年2月時点では3,286店になっているとか。
ドライブスルーあり、低価格帯商品あり、味重視商品あり・・・さまざまなマーケティング戦略と経営努力で、ファースト・フードの代名詞のようになっています。と言うと、何か、マクドナルドの広告のようになってしまいますが、何ら関係ありませんので、念のため。その世界展開ですが、インドでは、宗教上ビーフがダメ、食習慣上ポークもダメというわけで、チキンに特化した営業をしているそうです。
食事、特にファースト・フードで宗教上の理由と言えば、フランスではイスラム教徒への“halal”(ハラル:イスラム法上で許される食物)の提供。ベルギー系のハンバーガー・チェーン“Quick”がハラルのバーガーを提供するということで話題になりました。では、フランスのマクドは、どう対応しているのでしょうか。
イスラム系移民の多いパリ郊外を例に、4日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。
イスラム色の濃い街、クリシー・ス・ボア(Clichy-sous-Bois)にあるマクドは格好の待ち合わせ場所になっている。そこでは、高校生、若いカップル、犯罪捜査班(BAC:Brigade Anti-Criminalité)の警官、家族連れ、そして少ないが通りかかりの企業経営者などの姿を見ることができる。毎日休みなく深夜の12時までオープンしており、一日1,000~2,000人の客があり、客単価は10~12ユーロ(約1,000円から1,200円)。街全体が火事の炎に覆われたような2005年の暴動の際にも、マクドは被害を蒙ることはなかった。襲撃とか破壊といったことは一度もなかった。「マクドは地域の雇用面で、大きな役割を担っている」とジル・クぺル(Gilles Kepel:アラブ圏を専門とする政治学者、パリ政治学院教授です)は語っている。この店だけで、開店以来、パート勤務とはいえ、1,000人ほどを雇用してきた。
2005年に暴動が起きていた時、ライバル店、“Beurger King Muslim”の開店がメディアで大きく取り上げられた。店員は黒のベールを被り、祈りのスペースを用意し、材料もハラルの認定を受けている。ターゲットはパリ郊外に住むイスラム系の人々。それは名前の“Beurger”からも明らかだ。フランス生まれのアラブ人二世を意味する“beur”とハンバーガーの“burger”による造語だ。フランスにおけるイスラム同化の状況を視察にクリシーにやって来たバーガー・キングの創設者は、「大きな競争相手のいる商圏で戦うことになる」と“New York Times”に語っていた。
“Beurger King”は、暴動の最中、そしてその後の数カ月、メディアが必ずやってくる取材先になっていた。しかし、当初計画していたような売り上げを達成できず、2007年3月、こっそりと閉店した。その後、他の企業が、この分野を開拓しようと乗り出した。2008年6月、新しいファースト・フード店が“Beurger King”の跡地にオープンした。その名前は“Wesh Burger”といい、別名“king du halal”。“wesh”は挨拶に使われるスラング(wècheとも表記され、日本語の「ちわーっす」という挨拶のようなものです)、別名は英語と宗教の混淆。しかし、再び挫折。閉店に追い込まれ、その後は、ハラルのクレープ屋(crêperie halal)がオープンした。
「マクドの変わらぬ繁盛と競合店の失敗には、鉄製の壺と土器製の壺の寓話(はじめから決まっている勝負)が当てはまる」と、ジル・クペルは解説する。「マクドの熟練した経営陣がファースト・フード業界最大手である多国籍企業のノウハウを活用しているのに対し、競合店はあまり経験がなく、職人的アプローチを取っている」ということだ。「多国籍」と「アメリカのシンボル」という矛盾した存在ではあるが、マクドはハンバーガーとフリット(フレンチフライ)、和気藹々とした和めるスペース、雇用を提供しながら、共和国的同化の場となっている。
・・・ということで、イスラム教徒の移民の多いパリ郊外で、イスラム教徒対策を特に行っていないマクドが繁栄し、イスラム教徒に対象を絞り込んだ競合店が次々と閉店に追い込まれているようです。
今や欧州議会議員となっているジョゼ・ボヴェ(José Bové)がミヨー市(Millau:Midi-Pyrénées地域圏)に建設中だったマクドナルドの店を、多国籍企業による固有文化破壊のシンボルとして打ちこわしを敢行したのが1999年8月12日。それから10年少々が経過して、世界のアメリカ化のシンボルと見られていたそのマクドが、イスラム移民との共生に悩むフランスの「郊外」で圧倒的支持を受け、繁盛しています。その一方で、資本主義の本場、アメリカでは“Occupy Wall Street”と叫ぶ人々が、金融機関などに対する抗議活動を行っています。
資本主義の上に花開く、いわゆる「アメリカ文化」への憧れが、多くの国々で今でも根強く生き残っています。その一方でアメリカ国内においては、行き過ぎた「資本主義」、度を越した「弱肉強食」への反発が起きている。パラドックス。世の中、ままなりません。しかし、だからこそ、面白い!
因みに、フランスにおけるマクドの店舗数は、1,160店ほどだそうです。なお、ファースト・フード業界の世界の店舗数で、サンドイッチ・チェーンのサブウェイ(Subway)がマクドを凌いだそうです。マクドの32,737店に対し、サブウェイは33,749店。はたして、サブウェイは、フランスでもうまくやれるのでしょうか。バゲットを使ったサンドイッチが多く食されているフランスでは、かなり苦戦するのではないでしょうか。ジャンク・フード好きとしては、今後の展開が楽しみではあります。
因みに、お隣の中国では、「麦当労」(労の簡体字使用)で、「mai・dang・lao」、「マイタンロウ」と聞こえるかもしれません。
1940年代にマクドナルド兄弟によって始められた「マクド」ですが、繁盛するのは戦後になってから。2010年末時点では、世界で32,737店舗を展開しているそうです。日本では、藤田商店がフランチャイズ権を獲得。1971年に第1号店を銀座三越内にオープンしています。2011年2月時点では3,286店になっているとか。
ドライブスルーあり、低価格帯商品あり、味重視商品あり・・・さまざまなマーケティング戦略と経営努力で、ファースト・フードの代名詞のようになっています。と言うと、何か、マクドナルドの広告のようになってしまいますが、何ら関係ありませんので、念のため。その世界展開ですが、インドでは、宗教上ビーフがダメ、食習慣上ポークもダメというわけで、チキンに特化した営業をしているそうです。
食事、特にファースト・フードで宗教上の理由と言えば、フランスではイスラム教徒への“halal”(ハラル:イスラム法上で許される食物)の提供。ベルギー系のハンバーガー・チェーン“Quick”がハラルのバーガーを提供するということで話題になりました。では、フランスのマクドは、どう対応しているのでしょうか。
イスラム系移民の多いパリ郊外を例に、4日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。
イスラム色の濃い街、クリシー・ス・ボア(Clichy-sous-Bois)にあるマクドは格好の待ち合わせ場所になっている。そこでは、高校生、若いカップル、犯罪捜査班(BAC:Brigade Anti-Criminalité)の警官、家族連れ、そして少ないが通りかかりの企業経営者などの姿を見ることができる。毎日休みなく深夜の12時までオープンしており、一日1,000~2,000人の客があり、客単価は10~12ユーロ(約1,000円から1,200円)。街全体が火事の炎に覆われたような2005年の暴動の際にも、マクドは被害を蒙ることはなかった。襲撃とか破壊といったことは一度もなかった。「マクドは地域の雇用面で、大きな役割を担っている」とジル・クぺル(Gilles Kepel:アラブ圏を専門とする政治学者、パリ政治学院教授です)は語っている。この店だけで、開店以来、パート勤務とはいえ、1,000人ほどを雇用してきた。
2005年に暴動が起きていた時、ライバル店、“Beurger King Muslim”の開店がメディアで大きく取り上げられた。店員は黒のベールを被り、祈りのスペースを用意し、材料もハラルの認定を受けている。ターゲットはパリ郊外に住むイスラム系の人々。それは名前の“Beurger”からも明らかだ。フランス生まれのアラブ人二世を意味する“beur”とハンバーガーの“burger”による造語だ。フランスにおけるイスラム同化の状況を視察にクリシーにやって来たバーガー・キングの創設者は、「大きな競争相手のいる商圏で戦うことになる」と“New York Times”に語っていた。
“Beurger King”は、暴動の最中、そしてその後の数カ月、メディアが必ずやってくる取材先になっていた。しかし、当初計画していたような売り上げを達成できず、2007年3月、こっそりと閉店した。その後、他の企業が、この分野を開拓しようと乗り出した。2008年6月、新しいファースト・フード店が“Beurger King”の跡地にオープンした。その名前は“Wesh Burger”といい、別名“king du halal”。“wesh”は挨拶に使われるスラング(wècheとも表記され、日本語の「ちわーっす」という挨拶のようなものです)、別名は英語と宗教の混淆。しかし、再び挫折。閉店に追い込まれ、その後は、ハラルのクレープ屋(crêperie halal)がオープンした。
「マクドの変わらぬ繁盛と競合店の失敗には、鉄製の壺と土器製の壺の寓話(はじめから決まっている勝負)が当てはまる」と、ジル・クペルは解説する。「マクドの熟練した経営陣がファースト・フード業界最大手である多国籍企業のノウハウを活用しているのに対し、競合店はあまり経験がなく、職人的アプローチを取っている」ということだ。「多国籍」と「アメリカのシンボル」という矛盾した存在ではあるが、マクドはハンバーガーとフリット(フレンチフライ)、和気藹々とした和めるスペース、雇用を提供しながら、共和国的同化の場となっている。
・・・ということで、イスラム教徒の移民の多いパリ郊外で、イスラム教徒対策を特に行っていないマクドが繁栄し、イスラム教徒に対象を絞り込んだ競合店が次々と閉店に追い込まれているようです。
今や欧州議会議員となっているジョゼ・ボヴェ(José Bové)がミヨー市(Millau:Midi-Pyrénées地域圏)に建設中だったマクドナルドの店を、多国籍企業による固有文化破壊のシンボルとして打ちこわしを敢行したのが1999年8月12日。それから10年少々が経過して、世界のアメリカ化のシンボルと見られていたそのマクドが、イスラム移民との共生に悩むフランスの「郊外」で圧倒的支持を受け、繁盛しています。その一方で、資本主義の本場、アメリカでは“Occupy Wall Street”と叫ぶ人々が、金融機関などに対する抗議活動を行っています。
資本主義の上に花開く、いわゆる「アメリカ文化」への憧れが、多くの国々で今でも根強く生き残っています。その一方でアメリカ国内においては、行き過ぎた「資本主義」、度を越した「弱肉強食」への反発が起きている。パラドックス。世の中、ままなりません。しかし、だからこそ、面白い!
因みに、フランスにおけるマクドの店舗数は、1,160店ほどだそうです。なお、ファースト・フード業界の世界の店舗数で、サンドイッチ・チェーンのサブウェイ(Subway)がマクドを凌いだそうです。マクドの32,737店に対し、サブウェイは33,749店。はたして、サブウェイは、フランスでもうまくやれるのでしょうか。バゲットを使ったサンドイッチが多く食されているフランスでは、かなり苦戦するのではないでしょうか。ジャンク・フード好きとしては、今後の展開が楽しみではあります。