ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

「普通の大統領」で大丈夫か、外国の評判を気にするフランス。

2011-10-18 21:30:56 | 政治
2012年の大統領選へ向けて、社会党の公認候補を選ぶ予備選挙、その第1回投票は世界のメディアではあまり取り上げられませんでしたが、さすがに候補者が決まれば、多くの国のマスコミが取り上げています。何しろ、世論調査では、社会党候補がリードしている・・・新大統領になるかもしれない候補ですから、野党候補とは言え、無視はできません。

日本でも、現職のサルコジ大統領に対し手強い相手が登場した、と紹介されていました。特に、75%ほどの原子力依存度を2025年までに50%に減少させるというエネルギー政策の転換にスポットを当てた報道が目につきました。原子力大国のフランス、しかも、福島原発の事故の後、サルコジ大統領が原子力複合企業“Areva”の当時の会長(Anne Lauvergeon)を伴って来日し、支援を約束しただけに、フランスの原子力政策には関心が高くなるのも当然ですね。

一方、欧米のメディアは、フランソワ・オランド(François Hollande)の経歴や人となりを中心に紹介していますが、特にアングロ=サクソンのメディアは、いつもながら、皮肉を込めた報道ぶりになっているようです。

では、自ら“président normal”(普通の大統領)を目指すと語るフランソワ・オランドと、omniprésentでbling-blingな“hyper-président”と言われるサルコジ大統領の間で繰り広げられる大統領選も含め、どのような紹介記事になっているのでしょうか。17日の『ル・モンド』(電子版)が外国の同業者の視点を中心に紹介しています。

知的、繊細、親しみやすく、謙遜、しかし、経験不足。時として、これといった特徴がないほど至って普通の人物。17日、決選投票の翌日、その結果を伝える世界のメディアは、フランソワ・オランドを紹介するのに多くの形容詞を用いた。イギリスの日刊紙“The Guardian”(『ガーディアン』:中道左派)は、ドミンク・ストロス=カン(Dominique Strauss-Kahn)のスキャンダルがなかったならば、フランソワ・オランドはスポットを浴びる場に登場しなかっただろうと、皮肉を込めて紹介している。

「控え目な外見の裏に、折れることのない決意と大きな野望を併せ持っている」と、ドイツの週刊誌“Der Spiegel”(『デア・シュピーゲル』)はポジティブに紹介しているが、そのすぐ後、遠回しな言い方ながら、社会党候補は長年、気のいい会計係といった体質を保ってきた、と述べている。さらに、元第一書記の表舞台への復活は、大統領選への立候補を果たせず、しかもパートナー(セゴレーヌ・ロワイヤル)との関係を解消した失意の2007年の後、他の候補者たちよりも広いネットワークをいち早く構築してきたことに多くを負っている、と筆を続けている。

“The New York Times”(『ニューヨーク・タイムズ』:左寄り)も、プラスの面、マイナスの面を共に紹介している。「フランソワ・オランドは繊細で知的、フランスきってのエリート校(ENA)を卒業している」と持ち上げているが、しかし、「政府内部での経験がなく、彼が県議会議長を務めているコレーズ県(Corrèze)は、フランスで最も小さな県の一つで、国の舵取りとは比べようもない。フランスは国連・安全保障理事会の常任理事国であり、原子力兵器を持ち、特にアメリカとともに世界で二カ国だけが原子力空母を保有するという大国なのだ」と不安を表明している。

『ガーディアン紙』は、今後の大統領選へ大きな関心を寄せている。サルコジ大統領の癇癪と自己中心的な態度はつとに有名だが、一方オランド氏は実務家であり、常に微笑みを絶やさない。サルコジ大統領は、カリスマ性を持ち、ハデハデで、金ぴかの腕時計とサングラスを好み、妻はトップモデルだが、オランド氏はと言えば、控え目で、非常に内省的だ、と二人を比較している。さらに続けて、「オランド氏の人生と経歴を調べれば調べるほど、『普通の人』(M. Normal)に見えてくる。だが、今フランス人はそのような人物を必要としているのだろう」と述べている。

同じくイギリスの日刊紙“Daily Telegraph”(『デイリー・テレグラフ』)は、フランソワ・オランドの謙虚さは、田舎の商人のそれのようだ、と紹介している。

イタリアからも、皮肉は聞こえてくる。日刊紙“La Stampa”(『ラ・スタンパ』)は、サルコジ大統領と異なり、フランソワ・オランドはフランスの正統派政治家としての経歴を有していると紹介している。「サルコジはENAを出ておらず、パリ郊外の裕福でおしゃれなNeuilly(ヌイイ市)の市長を務めていた。一方のオランドは、人口15,000人の半ば眠っているようなTulle(チュール市)の市長だった。歴史的に、フランスは現状に飽きると変化を行ってきた。今回は、飽きるために、敢えて変化を選ぶのだろう。」

スペインの日刊紙“El Pais”(『エル・パイス』:中道左派)は、同業他社の皮肉とは異なり、フランソワ・オランドを「静かな変革と統一をもたらす政治家であり、国家元首にふさわしい精神と責任ある行動を示した」と書いている。さらに、「オランドの勝利は優雅な勝利であり、彼は競争相手の言葉を決して非難せず、常に協調的で、真に有益な投票であることを多くの人に納得させた」と称賛している。

・・・ということで、スペイン紙を除いて、イギリス、アメリカ、ドイツ、イタリアからは、皮肉交じりの記事が届いています。ただ、誤解に基づく批判ではないかと思われる点もあります。何しろ、国が違えば、制度・システムが異なりますから。

例えば、アメリカやイタリアのメディアは、フランソワ・オランドの市長や県議会議長としての経験では、大国・フランスの舵取りを行うには不十分だと断じていますが、フランスでは政治家の兼職が認められています。フランソワ・オランドも、
・フランソワ・ミッテランの経済顧問:1979年~81年
・ミッテラン大統領の経済顧問:1981年~
・モーロワ内閣・報道官の官房長官:1983年~
・下院議員:1988年~1993年、1997年~現在
・社会党第一書記:1997年~2008年
・コレーズ県議会議長:2008年~現在
・チュール市長:2001年~2008年
という要職をこなしてきています。「大臣」の肩書はありませんが、地方政治が専門の政治家が突然、大統領になってしまうというわけではありません。アメリカでは、州知事の経験だけで大統領になってしまったりするようですが。

国が違えば、制度が異なる。そうした基本的なことを抑えた上での批評であるべきなのですが、必ずしもそうはなっていない。読者の関心を惹くための逸脱なのか、本当に違いを知らずに書いているのか。

しかし、肝心なことは、まだフランソワ・オランドが大統領になると決まったわけじゃない、ということです。社会党と左翼急進党の統一公認候補になったにすぎません。いくら世論調査で先行していると言っても、この先まだ何が起きるか分かりません。4月22日の第1回投票、そしてたぶん行われることになるであろう5月6日の決選投票。決戦の時はすぐのようで、でも半年以上あります。一寸先は闇と言われる政治の世界だけに、結果を決めてかかるわけには行きませんね。